青木栄一『鉄道の地理学』『交通地理学の方法と展開』略感

 咳がまだ残りますが、だいぶ良くなったようです。
 いい加減まともに活動を再開せねばと、手近で片付けられそうな作業をぽつぽつ行い、賀状をくださった方には、寒中見舞をお送りしました。

 そんなわけで、正月のうちに書いておきたかった話題のうちから一つ。

 随分前ですが、『鉄道忌避伝説の謎』という本を当ブログで取り上げたことがありました。その本を著された青木栄一先生は昨年、2冊の著書を出しておられまして、その紹介と簡単な感想をば。

 『鉄道の地理学 鉄道の成り立ちが分かる事典

 この本の方が2冊のうち早く、昨年10月に出ています。(bk1) 本書は、「事典」とあるように鉄道に関する様々なトピックについて解説したものですが、もちろんありがちな「雑学本」なんかではなく、「歴史地理学という立場で書かれている」(「はじめに」より)ところに特徴があるわけです。
 その本書がどのような構成になっているか、引き続き「はじめに」から紹介しておきますと、
本書では、鉄道がどんな特徴をもつ交通機関であるか、どのようにして生まれたのか、そして日本にはどのように導入されたのかについて最初に触れ、山地や河川、気候などの自然環境とのかかわり、国家と鉄道との関係、大都市地域や地方都市・過疎地域の鉄道、駅の考察、産業と鉄道、そして現代における最先端の鉄道である新幹線などの話題を具体的に、かつ多くの実例を示して解説した。そして、最後に従来話題になることの少なかった鉄道地図の特徴にも触れて結びとした。
 と盛りだくさんの内容であり、総勢400ページにも達します。

 本書の内容は、初心者にとってはバランスの良い入門書となっており、マニアにとっては便利なリファレンス(大体どんなマニアでも、得意な分野と不得意な分野があるものなので)となり、たいへん有用です。解説は地図や図表類を効果的に使用して分かりやすく、またA5版と大きくない書物ですが、写真も結構充実しています。その写真の相当数が青木先生ご自身の撮影で、それが羽幌線の木造客車(!!)から広島電鉄のグリーンムーバーにまでまたがっているところが何ともすごいですね。
 取り上げられた内容の中で、国鉄のあり方や大都市の鉄道、高速鉄道といったトピックについては、国際比較がかなり試みられており、このようなタイプの書物としては出色のことだと思います。鉄道研究はどうしても自国のことばかりになってしまいがちで、それは日本人だから、というのではなく、外国の鉄道好きでもその傾向があるようです。海外の鉄道に興味のある人というのは、多くは海外旅行マニアで、歴史や技術には必ずしも関心のない場合が多いようですし。
 国際比較といっても、橋の話ではイギリスしか出てこなかったり、日本と比較のしようもない大陸横断鉄道などは割愛されていたり、細かいところをつつき出すと「これも入れて欲しかった」というトピックは幾らも思いつきますが、国際比較という視角を示したことの意義は大きいと考えます。

 というわけで、初心者から上級者まで広くお薦めできる本書ですが、恐らく最大の問題は、本書を読めば「鉄道」については一通り以上の知識を得ることは出来るけれども、「地理学」については? というところにあります。本書ではケッペンの気候区分のA・B・C・D・Eごとの環境と鉄道の関係とか、鉄道地図についてといった、地理的な用語や技術に直接関連させて述べた章もありますが、別にこういったことを指して「鉄道の地理学」と言っているわけではありますまい。
 これは青木先生から直接教えていただいたエピソードですが、本書を出すに当たってWAVE出版(同社にとって本書が初めての鉄道関連書籍なんだとか)の社長が青木先生に曰く、「原稿を拝読しましたが、この本は見事な鉄道の社会学ですなぁ」とか言ったんだとか。別に書名を間違えたわけではなく、鉄道という人の営みを説明しているから社会学、と思ったらしいのですが、それだけ「地理学」というもののつかみ所の難しさを示しているようにも思われるのです(あ、つかみ所のないのは社会学もかな・・・?)。
 こう思われるのは、本書が鉄道について、自然環境や社会との関係(この関係を結びつけるのが技術であり経営システム)を通じて述べているため、鉄道の総合図を描いていても、地理学そのものについて語っているわけではない、それはあくまで道具として黒子の役割だから、小生としてはとりあえずそのように考えることにしました。黒子(道具)としてでは、歴史学や制度論などと区別がつけにくいため(これらも使われているので)、「地理学」の特質が見えにくいのでしょう。

 では、「地理学」について鉄道との関係を知るためには、そこで昨年青木先生が出されたもう一冊の本『交通地理学の方法と展開』の意義があるのでしょう。

『交通地理学の方法と展開』

 本書の構成はリンク先に紹介されておりますので、そちらをご参照ください。まさに、交通地理学とは何か、ということが本書を貫くテーマとなっているわけです。また本書の内容の一部は、以前紹介した「交通地理学を考える」(『地理』第42巻(1997年)10月号~12月号所収)を書き改めたものです。で、本書を読みますと、交通地理学の歴史を理解することが出来ます(小生は体系的に地理を弁擁したことがありませんので、その理解がどれほどのものかはあまり自身があるわけではありませんが)。特に、交通現象の実態に関心を抱かず、物理学的な法則を機械的に当てはめて交通現象を研究しようとした計量地理学の立場には、厳しい批判を向けておられます。
 本書の冒頭の近いところで、青木先生は有末武夫「交通」(石田龍次郎編『地理学研究のための文献と解題』)の一節を引き、交通地理学には「交通現象それ自体の解明を目的とする研究」と、「地域性あるいは他の何かを理解するための手段として交通現象を解明」するものとがある、としています。そして青木先生は「私は交通地理学の研究は、あくまで現実の交通現象への関心が出発点であるべきだと思っており、地域社会との関連で交通現象を解明しようとする研究はすべて交通地理学になると考えている。したがって、有末のいう第一の立場に立って自分の研究を推進してきた」(p.5)のでした。

 さて、これは地理学に門外漢の者のはなはだ勝手な印象でありますが、正直に言えば、やはり本書を読んでなお、「交通地理学」のイメージが明確になったとは、やはり思いにくいところが残ります。というのも、青木先生ご自身述べておられるように、交通に関する地理学は概して「地域性あるいは他の何かを理解するための手段として交通現象を解明」する研究の方が中心であったようで、青木先生の手法は、地理学では決して主流の立場ではなかったように読み取れます。また一方、一時代の地理学会を風靡したらしい計量地理学は、現実の交通のあり方にちっとも関心を示さず、結局「崩壊」してしまったそうなので、結局地理学であることの意義とその中での位置づけは、よく分からないのです。
 日本の鉄道の歴史に関する学術書を、日本近代史専攻である小生はもちろん何冊も持っているわけですが、こういう本には大概最初の章で、研究史を振り返ってこの本の狙いと意義はどこにあるか、ということを説明しています。で、そのようなところにはほぼ必ず、先行研究の一つとして青木先生のお名前が挙がっています。小生自身も修論の最初のところでやはり同じように書いたし。
 つまり、歴史学の中では、青木先生の研究の意義は認められ、研究史の系譜上に位置づけられているのですが、地理学でそれがどうなのかは、本書を読んでもそれほど明らかになったという印象を受けづらいのです。地理学で青木先生の業績に近い方向というと、小生は三木理史先生くらいしか存じ上げませんが、三木先生の本でも、先行研究整理のところでは歴史学に傾斜していた印象があります。今試みに『近代日本の地域交通体系』(大明堂)の第1章をめくってみましたが、やはりその印象は変わりません。地理学的な説明はおよそ1/4で、しかも地理学の手法を如何に活用するかという説明は詳しくても、具体的な蓄積については歴史学に属するものの方がずっと多いのです。

 もちろん、歴史と地理で不毛な陣取り合戦なんかしても何の意味もありませんし、むしろこの状況は、両者の敷居が結構低く、順当に交流が行われているものと思います。小生はその区別をはっきりすることを主張したいわけではありません。ただ、交通地理学というのは、その成果を高めようとすればするほど、かえって輪郭がぼやけてしまうことがあるのかも知れません。本書に於いて、上掲引用箇所に続けて、青木先生はこのように書かれています。「必要と思ったものは何でも取り入れてきたし、何にでも参入するという基本姿勢を貫いてきた。地理学の研究対象や方法についても限定することなく、なるべく広く考えるようにしてきた」(p.5)これはもちろん、セクショナリズムに囚われるのと較べて遥かに素晴らしいことです。
 ただ、このように様々な分野にまたがって浸透していった際、地理学は他の学問と較べても「他の学問ではない地理学」という印象を、強く与えにくくなるのかも知れない、そんな感があります。

 更に、本書の特徴としては、学問の垣根まで飛び越えて、「鉄道研究と鉄道趣味」という一章が設けられています。これこそ、狭い枠に囚われず、有用なものは何でも取り入れる姿勢が、よく反映された章であると思います。

 以上、門外漢の頓珍漢な見解で本書の売れ行きに悪影響を及ぼしたりしたら、はなはだ恐縮なことなのですが・・・しかし、鉄道はじめ交通について(特に歴史)興味を持っている多くの人に、議論の前提となる蓄積の様相を示し、様々な刺激を与える可能性を持った書物と思いますので、ソフトカバーの本にしてはちょっとお値段が張りますが、書架に揃えて然るべき一冊と思います。

 最後に、本書を元に今後の交通史研究の方向について思ったことですが、青木先生は「メソスケール鉄道史」ということを以前から提唱されており、本書でも一章を割いています。メソスケールとはミクロとマクロの中間のスケールのことで、鉄道史の場合、日本全国規模(国鉄)がマクロ、市町村か郡程度(ローカル鉄道)がミクロになります。
 鉄道史の研究は、戦前~戦後まもなくのマル経による研究(山田盛太郎とか)が、日本全国をかなり大雑把に捉えた理論優先の研究で、それへの批判から史料の詳細な研究に基づくミクロの研究が発達した(その最大の功労者が青木先生)のですが、ミクロの研究が進展すると、今度はそれをどうやって日本の歴史の中に、マクロの規模の中に位置づけるのかという議論が出てきました。そこで、両者を繋ぐものとして青木先生はメソスケールを提唱されているようです(本書pp.146-147)。
 もっとも、現在の所では、小生が思うにメソスケールの研究は緒に就いたばかりであり、青木先生が先年『日本の地方民鉄と地域社会』(古今書院)という論文集を編まれましたが、また三木先生の本もメソスケールを多分に意識していますが、それでこの分野が活発になった(メソスケールという言葉が広く普及した)とはまだ言えません。
 で、小生思うに、メソスケールの鉄道史は、やりようによっては単にマクロとミクロを繋ぐというだけではない、それ独自の価値を持ちうるのではないかと考えています。最近都道府県史がいろいろと出ていますが、都道府県はちょうどメソスケールに相応しく、この手法で地域の特性を見ることで、交通と他の分野の歴史とを関連させて新たな知見を得られるんじゃないかと。

 え、具体的にはどういうことかって? それを書いて先に他の人に研究されたら癪なので、秘密です(苦笑)。今手がけているテーマに一区切りつけたらやってみたいなあ、と思っているのですが、一人では手に負えないだろうし効率も悪そうなので、やはり同志を募って研究会設立ですね。まあ再来年度あたりに研究会設立を目指して同志の糾合をこれから行えれば、と夢想しています。
 ま、それよりも目前の課題が目白押しなのですが。
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by bokukoui | 2009-01-07 23:43 | 鉄道(その他) | Trackback | Comments(0)

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