文豪でない人の大陸横断鉄道~郡菊之助『旅と交通』(北米篇)

 前回の記事で小島英俊『文豪たちの大陸横断鉄道』を取り上げ、その末尾に「古本屋でたまたま発掘した、文豪でない人の大陸横断鉄道旅行記」云々と書きましたが、今日は引き続きその話。大陸横断鉄道というか、世界一周旅行のことを書いた本の話です。

 その本は郡菊之助『旅と交通』(永吉書房)という、1934年10月に出版されたA5版300ページほどの本(一応ハードカバー)です。著者の郡菊之助は名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)の教授で、国会図書館のOPACで著書を調べると、経済統計が専門だったようです。その名前で検索したら、日本統計学会が1931年に創設された際の発起人に名前があり、その方面では有名なのかも知れません。発起人中、有澤廣巳や蜷川虎三や中山伊知郎なら名前に見覚えはあるのに、郡の名前を今まで聞いたことがなかったのは、小生が統計学に疎かったことが大きいにせよ、国会図書館の検索で見る限り戦後の著書が妙に少ない(全38件中4件しかない)こととも関係あるのかも知れません。郡は1897年生まれだそうですが、そんなわけで没年も今のところ不詳です(1970年の著書があるので、その頃までは存命だったようです)。統計学会の歴史とかを見れば分かりそうですが、調べている暇も無し。
 古本屋で安く手に入れた『旅と交通』は前見返しに「贈呈 著者」と筆で書いてあったりしましたが(笑)、前半が「交通物語」と題して、交通に関するエッセイ的なものを18篇ほど集めたもので、ここはさほど面白い話は多いとは言えない印象です。後半が「欧米の旅」と題して、郡が1931年10月から33年7月まで行った外遊の模様を綴っています。もっともこれも、旅行先から日本の雑誌類に投稿した便りがベースになっている部分が多いようですが。郡教授は交通論も名古屋高商で講じていた由で、『趣味の交通学』なんて本も出しているようです(そっちの方が面白そうだ)。

 で、その郡の外遊コースがなかなか豪華なので、以下に概要を書いてみましょう。本文からの引用は新字体・現代仮名遣いに直してあります。



 まず1931年10月、横浜港から日本郵船浅間丸で、ハワイを経てサンフランシスコ着。同地に暫く滞在し、鉄道とグレイハウンドのバスでヨセミテ見物。
 サンフランシスコからはサザンパシフィック鉄道でロサンゼルスに行き、同地見物後アチソン・トピーカ&サンタフェ鉄道(しかもプルマンカー)で大陸横断にかかりますが、道中グランドキャニオンを見物して、更に「カンサス・シティの大駅にて停車時間を利用して名高きフレッド・ハーヴェイの食堂に入り・・・」(P.139)とあり、ハーヴェイ・ガールズの名は当時の日本人(の一部)にまで届いていたようです。

 シカゴでは世界最大の食肉処理工場であるストックヤードを見学し「牛、豚、羊などの「順獣」がコムベイアーの動きに従って躊躇なく屠殺、剥皮、切断、整理されて商品と変り行く地獄的道程には、サタンと雖も恐らく三舎を避くるであろう」(p.161)とか書いていますが、郡が旅行中肉食しなかったとはどこにも記述がありません。
 屠殺場は郡の専門とあんまり関係なさそうですが、当時名所であったらしく、また最近廉価版で再版されたギーディオン(榮久庵祥二・GK研究所訳)『機械化の文化史 ものいわぬものの文化史(鹿島出版会)に、機械化が有機物に及んだ重要なマイルストーンとしてシカゴのストックヤードが書かれていたもので、工場の歴史の上での重要性からいけば見学に行くだけの価値は確かにあるでしょう。・・・となるとアウシュヴィッツも工場の歴史上は「正当な継承者」なのかな・・・
 話が微妙な方向に行きそうなので軌道修正。『機械化の文化史』は最近廉価な新装版が出たので、興味のある方は是非。8,800円のどこが廉価と思われるかも知れませんが、小生が古本屋で数年前買った時は12,000円を2割引セールで買い込んだもので、それを思えば廉価です。あまりに浩瀚で内容が多岐に渡り、一言でどうだと内容を述べられる本ではありませんで、ギーディオンは機械化を良いとも悪いとも明快には規定していないのですが、それはギーディオンが提供してくれた頗る面白い手がかりを使って読者が考えろということでしょう。なお、本書では家事に及んだ機械化ということで家具の話が出、そこで寝台車や客車の転換クロスシートの話がいろいろ説明される箇所があるので、鉄道趣味者も是非。個人的には1893年シカゴ万博の重要性を認識させられたことが、その後の自分の研究に直接参考になりました。
 しかし、余談ですが、「屠殺」ってパソコンの辞書に載っていないんですね。うーん・・・

 閑話休題、郡の旅に戻りましょう。
 シカゴからはニューヨークに向かうのですが、シカゴ~NY間はニューヨーク・セントラル鉄道とペンシルヴェニア鉄道がしのぎを削っていたことは有名です。ここで郡はミシガン・セントラル鉄道でデトロイトに寄ってフォードの工場を見学したとありますが、ミシガン・セントラル鉄道はニューヨーク・セントラルの系列です。
 ニューヨーク・セントラル系列では、シカゴ~バッファロー間にデトロイト経由でカナダ領のエリー湖北岸を通過するミシガン・セントラル鉄道ルートと、トレド・クリーヴランドを経由するエリー湖南岸のレイクショア&ミシガン・サザン鉄道ルート(この鉄道は1914年にニューヨーク・セントラルに合併されていますが)とがあったようです。

 郡はニューヨークに居着いて研究・資料収集の傍ら、アメリカ周辺の旅行にも行っています。
 一つはボストン→モントリオール→オタワ→トロント→ナイアガラ→バッファロー→ニューヨークというルートで、基本的に鉄道移動ですが、ナイアガラからバッファローまでは電車、バッファローからの帰路は飛行機に乗ったとあります。
 そこで前回ネタ本を引っ張り出して調べると、International Railway という路線がナイアガラ~バッファロー間を結んでいたようです。1895年にこの区間の電車が建設され、周辺にも路線を広げていったらしいですね。当初はこの二地点間24マイル(約38キロ)を結ぶのに80分かかっていましたが(都市部の併用軌道区間が結構長かったらしい)、1918年に途中3マイル半の高架区間を含む高速新線が出来て、最高速度時速60マイル(約96km/h)の電車が60分で走ったそうです。
 もっともご多分に漏れず自動車の攻勢と大恐慌で経営が悪化し、1937年に旅客輸送は廃止されてしまったそうです。せっかくの高速新線も末期には一日2本という有様だったとか。郡教授が行った頃は一日何本あったんでしょう。わざわざ待って乗ったのか?

 バッファローから乗った飛行機については「バファローから四時間を飛行機に乗ってニューヨークに帰りました。これは生まれて初めての長距離飛行、搭乗機はトリ・モーターの十三人乗り、その愉快さは到底忘れられません」(p.157)とありますが、「トリ・モーター」というのはフォード・トライモーターのことなんでしょう。当時のベストセラー・フォッカー三発機の設計をパクって参考に、全金属製とした1926年初飛行の機体で、自動車王フォードが航空機業界に参入した飛行機でした。もっとも不況もあって、郡教授が飛んだ頃に200機ばかりで生産終了してしまいましたが。
 ・・・で、今英語版ウィキペディアをちょいと見たら、"Status : 18 in existence as of 2006" とか書いてありますが・・・2006年に18機もいたらしいです(総生産200機なのに)。ウィキペディアに張ってある写真は2005年の飛行シーンだし。恐るべきはアメリカ製品かアメリカの飛行機マニアか。

 アメリカ滞在中、郡が旅した中で最も興味深いのは、1932年3月のキューバへの旅です。キューバそのものよりもそこに至る旅程が面白いところと思いますので、ちょっと長いですが、以下に引用しましょう。
 三月十日午前十時、まだうら寒い冬末の紐育を出発して、約十日間の予定で、南部巡歴の旅に出で立った。
 紐育からフロリダへ向かって南下する鉄道は、所謂アトランチック・コースト・ラインで、私の乗った「マイアミアン・エキスプレス」は時速四十五哩、二十一時間後即ち一夜を過して翌朝の七時には、フロリダ半島の頸部であるジャクソンヴィールに着きそれから海沿いに半島を下って、その日の夕方五時頃には、フロリダ南部の一要点であるマイアミに着くのであった。(中略)私はマイアミから更に汽車を以てフロリダ東海岸鉄道の最南端まで行き詰めることにした。この距離は約百五十哩であるが、そのおよそ三分の二は所謂フロリダ・キーと称し大小の島伝いに海上を走る線路で、左右に青き海や緑濃き入り江、さては椰子の樹の下に釣り糸垂るる人のある植氏島
(引用註:原文ママ)を眺めつつ疾駆するもので、その景観はけだし天下の奇と云うべきであろう。この海上鉄道は1905年4月から1912年1月に亘り、総工費約三千万弗を費して竣成せされたもので、恐らくパナマ運河と並称せらるべき雄大な交通工事であろう。但しパナマ運河は、陸地に対する海路の延長であるのに反し、これは水面に対する陸路の延長である。架橋の長いものは七哩にも達する。線路の終点はキー・ウエストで、これまた珍らしい小島上の一港市、而かも米国最南端の都会である。列車が終着点に着くと、そこは同時に桟橋になっていて、キューバ行きのピーオー会社船が黒煙を吐きながら横付けされていた。
(pp.166-167)
 郡が乗ったという海上鉄道、これは現在道路(アメリカの国道1号線)となっている、皆さんもテレビなどで一度は見たことがあるはずのいわゆるオーバーシーズ・ハイウェイです。googleの画像検索ページをリンクしておきますので、見ていただければどなたも思い出されるかと思います。一番長い橋は郡の文中にある通り7マイルあって、Seven Mile Bridge と呼ばれています。現在は架け替えられているようですが。
 あのCMなんかに出てきそうな格好いい道路、民間企業であるフロリダ・イースト・コースト(FEC)鉄道が建設した鉄道が元になっていたのでした。それは観光目的のみならず、郡が旅したようにキューバへの連絡という任務も担っていて、この当時はハバナへの貨車航送も行っていたのだとか。如何に浅海とはいえ、海上にこれだけの長距離の鉄道を建設するのは難事で、何しろここらへんはハリケーンのメッカですから、建設中にも3回破壊されたそうです。営業を開始してもさすがに収支はなかなか償わず、そして郡がここを旅した3年半後の1935年8月、巨大なハリケーンによって破壊され、遂にFEC鉄道による再建は諦められました。管理は国が引き受けて、道路として1938年に甦ったのでありました。
 そんな無謀な工事を決行したFEC鉄道は、H.M.フラグラーという人物によって経営されていましたが、フラグラーはフロリダ観光開発の父であり、鉄道やホテルを経営して、観光地フロリダを今日あらしめた人物です。そのためフロリダでは、彼の名を中心都市に冠そうという声もあったそうですが、フラグラーが断ったので元の名前のままになりました。それがマイアミなんだとか。まあ、「フラグラー」より「マイアミ」の方が、語感が温暖な観光地っぽい・・・?
 この海上鉄道、わずか20年しか存在しなかったとはいえ、恐らくそれなりに名所だったでしょうから、日本人で乗った人も多少はいたのではないかと思います。しかし小生はこれまでそのような旅行記を見つけたことがなかったので、古書店で本書をめくってそのことに気がつき、嬉しくなってそのまま買い込んだのでした。

 郡がこの時乗った鉄道は、南部の主要鉄道の一つアトランティック・コースト・ライン(ACL)で、ヴァージニア州以南の東海岸に路線を持っており、フロリダ半島にもかなりの路線を有していましたが、ジャクソンヴィル~マイアミ間はFEC鉄道に乗り入れていたようです。マイアミで乗り換えていますが、キーウェスト直通列車は無かったのかしらん?
 ちなみにACLとほぼ同じ地域に路線を有していたライバル鉄道会社が存在しましたが、その名はシーボード・エアライン(SAL)鉄道といいました。「エアライン」ですが鉄道会社です。というか、飛行機の発明より前から存在しています。この両社が合併してシーボード・コースト・ラインとなり、更に合併を重ねて現在のCSX(CSXのSはシーボードのS)になりましたが、そういやあのCSX vs. ファンド抗争はどうなったんだろう。
 また、郡がキーウェストから乗った P.O.汽船とは、一瞬あのイギリスの海運会社なのか? と思ってしまいましたが、ペニンシュラ&オリエンタルじゃなくて、ペニンシュラ&オクシデンタルという会社のようです。東と西で大違い。

 さて、キューバを訪れハバナ周辺を見物した郡、今度はユナイテッドフルーツ会社の船(いかにもキューバに進出したアメリカ資本らしい)でニューオーリンズに渡り、ニューヨークに戻ります。その後の行程がちょっと不思議で、ニューオーリンズからニューヨークに行くのであれば、ACLやSALと並ぶ南部の有力鉄道・サザン鉄道とその系列で、アトランタ経由で行くのが距離的に短そうなのですが、郡は「私はニューオルリーンスには一泊もせずに、イリノイスセントラルの列車でミシシッピイ流域を北上しながら車中に二泊、ピッツバーグやワシントンを経由する線で、紐育へ向け帰路を急ぎ、予定の如く日程十日間行程三千五百哩の巡歴を終わった」(p.171)と書いています。
 イリノイ・セントラル鉄道(IC)は、ミシシッピ川に沿ったシカゴ~ニューオーリンズをメインラインとする有力鉄道で、連邦政府による土地払下を受けた第一号の鉄道だったり、南北戦争時の北軍の名将マクレランが社長をやっていたり、長年経営状態も良い会社だったそうですが、現在はカナディアン・ナショナル鉄道に買収されています。一方「ピッツバーグやワシントンを経由する線」は、名門ボルティモア&オハイオ鉄道(B&O、現CSX)に相違ないでしょう。わざわざシカゴまでICで行って、また遠回りのB&Oでニューヨークに行くとも考えにくいので、セントルイスだかルイヴィルだかどっかで乗り換えた公算が高そうですが、途中下車した様子でもなし、どうしてこのようなコースを取ったのか謎ですが、単に郡教授が趣味で「乗りつぶし」をしていただけだったのかも?
※追記:別な箇所の記述を勘案すると、セントルイスに行きたかったようですが、その目的は不詳。

 あれ、小ネタを幾つか紹介してお茶を濁すだけの記事の予定だったのに、何でこんな大長編になっているんだろう? そんな大した本でもないのに。まあ、小生が本を読んでいる時はしばしばこのように、関連するあっちこっちに考えが逸れていくものですが、それにしてもヨーロッパに行く前にこの分量。
 さすがに一端ここで切って、ヨーロッパ篇は次の記事に回します。
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by bokukoui | 2009-03-01 22:05 | 鉄道(歴史方面)