秦郁彦・西尾幹二「『田母神俊雄=真贋論争』を決着する」評 続き

 『諸君!』秦郁彦・西尾幹二「『田母神俊雄=真贋論争』を決着する」の続きです。この度休刊が決まった文藝春秋のオピニオン誌『諸君!』の2009年4月号の、秦郁彦先生と西尾幹二氏の対談記事「重鎮・直接対決! 捨て身の問題提起か、ただの目立ちたがりか 「田母神俊雄=真贋論争」を決着するについて、本文を引用しつつ、西尾氏の歴史を見る方法(それは西尾氏にとどまらず、それなりの人数の人が同様に思っているようですが)の問題点を指摘するというものです。
 前記事でかなりの量を引用をして、一つの記事の許容量に達しそうでしたので、記事を分割しました。で、本記事でも以下に比較的長めの引用を行い、しかる後に全体のまとめをしたいと思います。是非とも前記事から通してお読み下さい。

 それでは、引用部分に入ります。これは前記事の最後の引用部分の続きです。以下の引用は少し長いですが、重要な箇所なので敢えて引用します。
 前記事同様、青=西尾氏黒=秦氏と色分けしてあります。で書いてあるのは小見出しです。強調は引用者が施したもので、「・・・」は省略を、「……」は原文中の3点リーダーそのままを示します。



西尾さん、自分の領分に帰りなさい

 西尾さんは三月号論文で「実証を誇る歴史家の歴史より、真の詩魂を持つ小説家のノンフィクションのほうがよほど立派な歴史になっている」と書かれていますが、これはひどい。われわれの職業的レーゾン・デートルを全否定しているようなものです。せめて部分否定にしてくださいよ(笑)。

西尾 私は歴史の専門家を信用していないのでね。ことに日本史の専門家と聞いただけで眉に唾する習慣なんですよ。ハハハ。

 いや、歴史家にも色々ありましてね。もちろん間違えることもあるが、専門家にしか判別できないこともあるわけです。プロの歴史研究者は、史実として認定できないものはすべて斬り捨てて、とりあえず棚上げにしておきます。職人の仕事と同じです。職人にとって一番大事なのは、水漏れのしない桶を作ることです。
 現在、定説となっているのは専門家による第一次的な論証がなされたものであって、いまさら素人による議論では動かしがたい史実ばかりなのですから。そのへんは専門家にお任せください。
 一方、さきほどおっしゃっていた人物の性格や内面分析など思想史の領域というのは、われわれには手を触れにくい部分です。西尾さんは本来そちらの方の専門家の方なのですから、そちらを深めていただきたい。「餅屋は餅屋」ということもあります(笑)。


西尾 歴史については、「餅屋は餅屋」なんて世間ずれした台詞は通用しないんだ(笑)。私は近現代史の専門家の存在に疑問を持っている。現在の目で過去を見る専門家の視野では、正しい歴史が見えないといってるんです。秦さんは「確かな史実」とおっしゃってるけれども、史実を確認することはまだ歴史ではありません。いくら細かい史実が確定されても、これは年代記、クロニクルであって、歴史、ヒストリーではない。歴史はあくまで「物語」なんですよ。

 それはそれで結構です。西尾さんの仰る「詩魂」によって、史実の上に花を咲かせるのであれば、立派なものになる。ところがね、歴史研究者の専門領域である史実の認定にまで下ってきて、そこに予想や願望みたいなものが入ってくると、全体がごちゃごちゃになってしまいます。

西尾 私は本誌三月号の論文で、過去の事実を知ることではなく(そんなことはできないので)、過去の事実について過去の人がどう考えていたかを知るのが歴史だと言いました。現在の立場で過去を知るのではなく、過去を過去として知る。戦争の時代を今の平和な時代の基準で裁いたり告発したりするのではなく、あの時代にはあの時代に特有の善悪があり、幸福感があったことを知るのが歴史だと書きました。ところが専門家はそれをしないで、「確立した学説」とか「学界の通説」まどを当て嵌め、現在の価値観で決めつけてしまう。時間が経つうちに価値観は変わるのです。史実は時代によって大きく動くんですよ。新しい局面を迎えれば、価値の構造は変わってくるから、秦さんが史実といっているものが、史実でなくなるかもしれないんです。

 史実が大きく動くというのは承服できませんね。

西尾 厳密には史実の認定なんてできないんです。結局、近代の日本を把握する上で大事なのは、江戸時代からの流れをしっかりと掴むことなのです。大東亜戦争の歴史も、雄大な大河の一滴のごとくとらえるべきなのです。

秦さんの文章には腹が立つ

西尾 そのために、いつまでも「日本は反省しなければならない」というような、固定的な善悪を当て嵌めるような自虐的歴史観はやめてくれと、私は、歴史家、とくに昭和史研究家たちにいっているんです。大きな歴史の流れのなかでは、張作霖事件であれ、柳条湖事件であれ、日本を責める理由になどならないんですよ。歴史は道徳じゃない。私には彼らが歴史に道徳を持ち込んでいるように見えます。

 私は道徳など持ち込んでいませんよ。好き嫌いもです。歴史というのはあくまでも事実ですから誰の味方もしません。

西尾 秦さんの著作の中にもそういう部分が見られますよ。たとえば『現代史の争点』(文春文庫)の中に「『泥棒にも三分の理』というが、(中略)私は満州事変に関するかぎり、日本には『一分の理』も乏しい、と私は考えている」なんていう記述があります。善悪の判定をしています。これは日本の歴史を愚弄しているとしか思えない。
 それから「日本にとっては大東亜地域の資源確保が何よりも優先した。軍票を乱発して資源を徴収し、労働力の提供を矯正したので、占領地ではインフレが高進、現地住民の間では白人搾取の方がまだましだ、という怨嗟の声が起きる」(同)。これもひどいですね。秦さんの文章読んでるとね、だんだん腹が立ってくるんですよ(笑)。


 どこが違いますか。書いた通りでしょう(笑)。

西尾 いや、そんなことはない。一部にはこういう声もあったかもしれないけれども、たとえばASEANは戦後二十周年に日本のアジア解放戦争に対する感謝の声明を出しているんですよ。

 それは政治的な含みがあってのことでしょう。戦争裁判で一応、決着が付いた後だし、そのあと日本が多額の経済援助をつぎ込んでいますからね。

西尾 それはまた、日本を愚弄した話ですよ。戦死者たちに対して無礼ですよ。

 いや、死んだ人を盾にとるのこそ、不遜だと私は思いますよ。“死んだ人はこう考えたに違いない”とかね。死人に口なしで、なんでもいえるじゃないですか。実際に死んだ人が何を考えていたかは、実際には、だれにもわからない。

 西尾先生の言い分はますますヒートアップし、専門家を否定してしまい、「大きな流れ」で見ることが肝要だと言い出します。それにしても、「裁きの意志」など持ち出してヨーロッパ文明を批判していた筈なのに、なぜ「歴史、ヒストリーではない」と英語で言いたがるんでしょう。history だから歴史は story だと言いたいのでしょうが、何故わざわざ英語を持ち出して論拠にするのでしょう。諸橋大漢和で「歴史」を調べれば、また違った見解も出そうなのに。
 ところで、細かい事実はどうでもいい西尾先生にしても、「ASEANは戦後二十周年に日本のアジア解放戦争に対する感謝の声明」はどういうことかと思います。何となれば、「戦後二十周年」とは1965年ということになる筈ですが、ASEAN結成は1967年8月8日です。戦後20周年記念声明を出すことはできません。仮に年代が少しずれていた、あるいはASEANの前身・ASAだったとしても、この当時のASAなりASEANはアメリカ肝煎りの反共連合であり、ヴェトナムは戦争中という時代です。「政治的含み」は検討せられるべきでしょう。
 そして、秦先生の「死んだ人を盾にとるのこそ、不遜だと私は思います」とは、大変重要な指摘であり、小生も全くその通りと思います。「厳密には史実の認定なんてできない」と主張して、勝手な自分の思い入れを死者に仮託することこそ、死者を冒涜する行為になるでしょう。だからこそ歴史研究の場合は、史料を探索して間違いなさそうな事実を死者に対して積み上げるのです。「厳密には」できないからといって、事実を少しでも確からしいものにする努力を怠っていい口実にはなりません。

 この後、対談はまた東京裁判関係に話に移って、終わっています。

 ここまでの部分的な解説でも、西尾氏の発言が、およそ「歴史」とは呼べない独りよがりなものということは読み取れようかと思いますが、以下にもう一度整理して述べます。

 まず、西尾氏は専門家による歴史を否定しています。そして、細かい事実はどうでもいい、大きな流れが大事なのだと主張しています。西尾氏は対談後の自身のブログで秦氏について「細かなことをたくさん知っている方だが、肝心なことが分っていない」と主張しており、読者の中にはそれに感銘を受けているらしい人もいるようです。
 もっとも、対談中の秦先生の発言を読めば、歴史学が単に細かいことに拘泥するのみではないし、推測を否定するものでもないということは分かるはずです。まずきちんと史料を読み、そこから確実性の高い史実を構成する、そこから更に広い時代相、社会の様相を歴史学は描き出していきます。一歩一歩そのプロセスを積み重ねているかということが大事なのです。史料の吟味と議論を重ねた上で確からしいとされた史実という基盤を築き、しかる後に話を広げろということです。
 秦先生の「西尾さんの仰る『詩魂』によって、史実の上に花を咲かせるのであれば、立派なものになる。ところがね、歴史研究者の専門領域である史実の認定にまで下ってきて、そこに予想や願望みたいなものが入ってくると、全体がごちゃごちゃになってしまいます」というのは、言い換えればしっかりした史実なしに勝手なことを言っても通用しない、基礎工事である事実認定まで勝手なことを言い出したらしっちゃかめっちゃかになる、ということでしょう。

 歴史における「物語」の重要さというのは、現在歴史学の世界でも広く認識されていますし、過去の時代の価値観やものの考え方を探ることは、既に歴史学の重要な一分野となっています。心性史(マンタリテ)ということが唱えられだしたのは、アナール派以降のこととしても、その旗揚げは1929年らしいから・・・あ、今年はもう80周年なのか。
 話が逸れますが、リンク先の日本語版ウィキペディアの説明は、竹岡敬温『アナール学派と社会史』という本に主に拠っているようですが、アナール学派について一冊初学者が読むならば、やはり福井憲彦『新しい歴史学とは何か アナール派から学ぶもの(講談社学術文庫)がお勧めです。日本にアナール派を紹介した功労者は福井先生と思うので。でも絶版ですが・・・古本屋で探して下さい。
 アナール派の社会史の説明は、小生は高校の世界史で受けました。で、小生の学年の有志の間では、『新しい歴史学とは何か』を回し読みしたものです。いやあ、当時はさっぱり訳が分かりませんでした(苦笑)。具体的な歴史のエピソードは分かるのですが、抽象的なところが難しくて。知識もありませんでしたが(アンシャン=レジームというカタカナ語にまず戸惑った覚えが)。でも大学に入ってやっと分かりようになり、その後神保町の古本屋で結構な高い値段をつけた同書を見つけて、今も手元に置いてあります。
 話が逸れましたが、熱心な高校の先生(まあ、小生のいた高校はあまり普通ではなかったのですが・・・)でも教える程度の史学史を、西尾氏は果たして認識していたのか、疑わしい次第です。

 話を戻しまして。
 繰り返しますと、西尾氏が排斥する専門家の歴史学というものの特質を考えると、そこでは基礎としての史実が重視されます。大きな話をする上でも、基礎となる史実の認定がいい加減では相手にされません。その史実の認定に当たっては、史料を渉猟し、その性格を吟味批判し、内容を正確に読み取ることが求められます。秦先生の発言も、まとめれば概ねこのようなことになると思います。この手法は、日本の専門家のみがとる方法ではなく、広く世界一般で歴史学の手法として認められています。
 一方既に指摘しましたように、西尾氏の「歴史」では、「大きな流れ」のストーリーを読み取ることが大事で、細かいことはどうでもいい、そんなことに関わっている専門的歴史家の言うことなど話にならん、という主張です。この対談を読んだ読者の感想ブログ中でも、このように秦・西尾両氏の違いを捉えてなおかつ西尾氏を支持している方がおられます。

 さて、ここで一旦、「大きな流れ」重視という西尾説を認めるとした場合、一つの疑問が湧き上がります。
 大きな流れ、ストーリーの語り方は、可能性としては幾通りでも考えられそうです。実際、秦先生も対談中、秦先生なりに西尾氏に対して自分のストーリーを示しておられるわけですし。その場合、「正しい」ストーリーとはどのような基準で決められるのでしょうか。西尾氏は、如何なる根拠によって、自己の「歴史」の正統性を保証するのでしょうか。
 秦氏のような専門家であれば、正統性の基準は明快です。きちんとした史料の取り扱いによって得られた史実に基づいているか、です。しかし、このように細かいところから一歩一歩積み上げていく方法を西尾説では取らないとしています。

 史実を検証して確からしいのを積み上げる、という歴史の内部から根拠を作っていく方法が否定された以上、根拠は外部から持ってくるしかないのではないでしょうか。
 もし中世ヨーロッパであれば、あるいは今でもアメリカのファンダメンタリストではそうなのでしょうが、そのような社会では、絶対に正しくあるべき世界の基準として、聖書があります。聖書に合致するかどうかで決めれば良いでしょう。イスラム原理主義者ならクルアーンを振りかざすでしょう。文化大革命の中国なら、これは毛沢東語録の出番です。スターリン時代のソ連ならマル・エン全集(但し当局公認の版に限る)ですね。皇国主義史観全盛の日本では、記紀とか『神皇正統記』とか、あるいは本居宣長でも持ち出したのでしょうか。もっとも平泉澄といえど、史料を全く軽視したわけではないようですが・・・平泉の問題はむしろその政治的立ち回りが大きいかも知れませんが、小生はこのことに詳しくないのでこれ以上は止めておきます。無難な例で締めれば、現在の北朝鮮では『金日成全集』でしょうね。

 さて、では西尾氏は自分が正しい根拠というを、何か示してくれているでしょうか?
 対談を読んでも、どうもこれというのが見あたりません。「正しい歴史」とは言っていても、何で正しいのかは不明確です。むしろ、真珠湾のところで「カナダのオタワ大学の歴史学の教授」を持ち出してみたり、コミンテルンの話の箇所では「ホワイトらに関して、ご覧のように大河のごとく文献が溢れているのに、今さら否定は出来ないでしょう」と、やっぱり史料に依拠しています。でもそれでは、秦氏のような専門家の方法と同じことになってしまいます。
 大体、外在的な「教典」に正統性の根拠を求めては、西尾氏のような人が攻撃してやまない「教条的マルクス主義者」の方法論そのものであって、その裏返しのような手法をあからさまには取れないでしょう。なお、マルクス主義の歴史といっても、マルクス主義のために歴史を使うという例はもはやなく、あくまで分析のツールとして、手段としてマルクスを使っているのが現状です。そういった「マルクス史学」は、史料に基づき分析ツールにマルクスを使っているので、マルクス主義を標榜する政府が潰れたからといって、必ずしも全面的に価値を失うわけではありません。過去には酷いのがあったのも事実ですが。

 「正しい」という言葉に注意して西尾氏の発言を追いかけると、たとえば「日本の戦争は正しい戦争だった」なんて発言もありますが、根拠は曖昧です。
 小生がたどり着いた手がかりになるかもしれない箇所は、引用を省略した「裁きの意志」と東京裁判の箇所、秦氏が連合国から見て悪魔的存在であったナチスの「片割れ」だと日本は認識された、だから戦犯裁判の対象となったのだろうと述べたのを受けての、西尾氏の発言です。

西尾 お話を伺っていると、秦さんはどうも旧敵国、戦勝国の側に経って、まるで東京裁判のウェッブ裁判長のような目で日本を裁いている。やはり日本の戦後に特有の敗北史観にとらわれているという印象を禁じえない。日本はあなたの国なのに、ナチスの「片割れ」とまで言う。・・・

 ナチスの「片割れ」と日本を認識したのは連合国であって秦氏ではないのですが、細かいところは気にしないらしいので、そこは敢えてスルーします(「一事が万事この調子」ではありますが・・・)。

 日本は正しい。なぜなら、「日本はあなたの国」だから。

 結局、このような根拠にしかなりそうにありません。しかし、同じ論法で行けば、アメリカ人はアメリカの語りになり、中国なり韓国なりロシアなり、みんなこの調子でやっていった日には、お互いの正統性をどうやって主張するのでしょう。ついでに、「日本」の内部で沖縄のような地域の語りが出てきたらどうなるのでしょう。
 西尾氏は、明快な「教典」(聖書やマルクスのような)を掲げることを避け、曖昧に「日本人だから」とすることで、教条的ではない姿を装いつつ、史実を無視した「歴史」を唱えているのではないか、これが小生のたどり着いた結論です。

 有り体に言えば、自分は日本人だから正しいというのでは、循環論法にしかなりません。
 しかしその循環論法が、この西尾氏的「歴史」を「正しい」と認める人々の間でどのようにして正統性を獲得していられるのか、その過程を、西尾氏の本対談に関するブログから読み取ることができます。「4月号の『WiLL』と『諸君!』(二)」 / 「同(三)」がそうです。この二つの記事で、西尾氏は自分に対し寄せられた賛意の投書を4通も紹介しています。有り体に言って、自分に対する賞賛のメッセージを自分のブログの張り出すというのは、自画自賛でみっともよいものとは思われませんが(それこそ「武士道」的な価値観に照らして)、それはひとまず措いておくとしても、これら西尾氏を讃える声は、秦氏が日本への愛が足りないなどと批難し、史実の検証についても「それが事実であるのか否かの判断の基準は歴史の流れの中である視点、思想で検証、評価」されるなどと主張しています。
 しかし面白いことに、ではなぜ自分たちが正しいのか、検証評価すべき視点=評価基準は何なのか、ということは誰も言っていないということです。まるでそれは自明であるかのような。そして、これら投書を紹介した挙げ句、西尾氏は次なる仕事への意欲を語ります。
 ここが循環のポイントでしょう。

西尾氏が誰かを攻撃して自説を述べる→ファンが賞賛の投書を送り、自分の正統性を確認する→それを読んで自分が支持されていることに西尾先生は満足して次回作を書く→最初に戻る

 こうすれば、評価基準や正統性をぼやかしたまま、断片的な要素(「日本の戦争は正しかった!」「南京大虐殺はなかった!」的な)で人を引きつけ、このサイクルに取り込むことができます。このシステムは、西尾氏のブログでの常套手段であることは、「私信の紹介」タグを見ると推測されます。弁理士もびっくりの永久機関システム、と思いましたが、案外これは世の中によくあるシステムではないかとも思われます。
 実際、日本ではこのシステムがかつて、太平洋戦争を戦った日本陸軍でも行われていた、それも相当激しく、という指摘があるのです。以下に引用しましょう。 
・・・陸軍ぐらい、徹底した「仲間ぼめ」の世界はなかった。内部では派閥抗争、集団間のいがみあい、集団内の学歴差別と、あらゆる足のひっぱり合いをしていても、ひとたび対「外部」となれば、徹底した「仲間ぼめ」である。AがBをほめ、BがCをほめ、CがAをほめるといった形で、その「ほめ言葉」だけを外部に広める。乃木大将が陸大の講義では愚将でも外部には聖将、ノモンハンの小松原兵団長も外部には「精神力で戦車を圧倒した名将」等々々。「仲間ぼめ」による相互称揚をお互に着せ合い、その結果はみながみなキンキラキンの言葉の衣裳をまとって、それで威風堂々とそっくりかえって馬に乗って一般人を睥睨している。しかし、その衣裳にまどわされているのは「日本語」で鎖国している日本人だけ、しかし、それがいつしか彼ら自身に王様のような気分を味わわせるから、外地に来ても同じ態度になる。しかし、そのキンキラキンの衣裳は、原住民から見ればまさに「無」だから、「裸の王様」なのである。
 これは太平洋戦争に徴兵され、大学卒だったもので幹部候補生になって、少尉としてフィリピンに出征した人物の書いたものなので、ここでいう「原住民」とは直接にはフィリピンのことです。ですが、フィリピンの陸軍に限らずとも、「内輪ぼめ」とその帰結を的確に記している文章でしょう。

 慧眼な方はもうお気づきかと思いますが、この文章を書いたのは、その昔の『諸君!』の有名執筆者の一人であり、保守的文化人の一人としてその名が高かった山本七平です。これは『一下級将校の見た帝国陸軍』(文春文庫)のp.176からの引用です。
 『諸君!』が40年続くだけの評価を得られた要因には、山本の貢献も当然あったものと思います。地下の山本は、今『諸君!』文化人の「内輪ぼめ」ぶりを知ったらどう思うでしょうか。「廃刊になって当然」と言うのではないでしょうか・・・と勝手なことを書くのは、秦先生の仰る通り「死んだ人を盾にとる」不遜な行為になりかねませんので、これ以上は控えておきます。後はただ、西尾先生やその取り巻きが、「山本七平は、コードネーム『イザヤ・ペンダサン』というフリーメーソンのスパイで、ユダヤ議定書の実現に暗躍していたのだ」などと言い出さないことを祈るのみです。

 あとちょこっと書き足す予定があったのですが、諸般の事情により間が開いてしまい、また字数制限に引っかかりそうなので、一旦ここで切ります。
 蛇足的なおまけはこちらのリンク先に。
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by bokukoui | 2009-03-07 09:20 | 歴史雑談