ダイヤ改正前夜 「富士」「はやぶさ」廃止など夜行列車の思い出

 最近は諸事情によりめっきり旅行に出かけることもなく、ついでにここしばらくテレビも見てはいないのですが、明日のダイヤ改正で東京~九州間の寝台特急列車、俗に言うブルー・トレインが廃止されるというので、それなりに話題になっていたようです。ネットの記事を瞥見しただけでも以下の通り。

 <ブルートレイン>はやぶさ・富士にさよなら…最後の運行 
 <ブルートレイン>「扱った」誇り今も 廃止に万感の思い
 さらばブルトレ、拍手・涙で見送る人の波
 さよなら「富士・はやぶさ」 東京駅ホームに3千人
 ブルトレ、ラストラン 大分・熊本でも「ありがとう」
 「さよなら」ブルトレ 名古屋駅にも多くのファン

 ところで小生は、「引き籠もり系鉄道趣味者」だけあって、九州ブルトレには遂に乗る機会を逸しましたが、一度乗る直前までいったことがありました。中学生の頃、友人一同(=鉄研)と夏に九州に行って、帰りに当時走っていた「あさかぜ」で博多から帰ってこようとしたのですが、台風で運休となってしまい、やむなく「のぞみ」に振り替えて帰ってきた覚えがあります。すると、「あさかぜ」発車後の時間に博多を出る新幹線で、その日の内に東京まで着いてしまい、これはブルトレとは大違いだなと思ったら、数年を経ずして博多行き「あさかぜ」はなくなってしまいました。
 この時は台風でいろいろえらい目に遭い、これも今は亡き高千穂鉄道で高千穂に行って、高森までバスで抜けようとしたら、暫く走ったところで土砂崩れで道が通れず引き返しました。やむなく大分まで戻って豊肥本線で熊本まで行こうとしたら、その特急もまた台風や大雨の影響で大遅延しました。しかしそれでも着いただけマシで、我々の乗った特急を最後に、その後豊肥本線は数年間不通になりました。ズタズタになって一部区間は復旧というより作り直しに近かったのだとか。

 というわけで乗る機会を逸してしまったのですが、まあそれも巡り合わせでしょう。

 今回の改正では東海道本線の夜行電車「ムーンライトながら」が、不定期に格下げになるということで、こちらも鉄道夜行需要の減退を印象づけます。安いビジネスホテル(それこそアパみたいな)や安い高速バス(ツアーバス)の登場に対し、運賃が硬直的である鉄道は対応しきれなかったといえますし、またバスのように小回りが利かないこと、寝台車は昼間に使い道がなくて(国鉄末期に無理矢理使ってた例はありましたが)利益が上がらず、JR化後一部の例を除き新造されなかったことなどを考えれば、なるべくしてなったという感もあります。
 その「ムーンライトながら」がまだ座席指定でなくてただの375M電車だった頃、つまり上に書いた中高生の頃ですが、何度か乗って旅に出たものでした。そういえば当時はまだ421Mという中央本線の夜行電車もあって、それに乗った時の美談(珍談)があるのですが、それは今回割愛します。
 で、当時は指定ではないので、夜行で座ろうと思ったら早めにホームに来て並ぶ必要があったのですが、何せ阿呆盛りの中学生ですから、往々むやみやたらと早く来て待っていたのです。せいぜい1時間かそこらでいいのに、まだ日の出ている頃から。当時は東京駅の10番線(現在は新幹線ホームに改築されています)から夜行列車はすべて(ほとんど?)発車していましたので、その間「さくら」から「銀河」まで、全部のブルートレインを見送るという経験を何度もしました。それでおなかいっぱいになっていたのかもしれません(笑)。

 夜行列車の客車は品川の車庫から回送してきます。しかし品川から来た列車はもう一度品川方向に向かって出発するので、機関車を付け替えなければなりません。当時は夜行列車が結構あったので、確か最初は機関車だけを回送してきて新橋寄りの引き上げ線に留め、次いで別の機関車が客車(1列車「さくら」)を回送してきてホームに客車を据えると、最初の機関車が客車に連結されて出発します。回送してきた機関車は、発車後9番線を通って引き上げ線に入り、今度は次の列車(3列車「富士」)の牽引機になるという仕組みでした。以後、「富士」の客車を回送してきた機関車は次の「はやぶさ」の牽引機になり、次の・・・えーとあの頃まだ「みずほ」はあったっけかな? を回送してきた機関車は「はやぶさ」を牽引し、以下この調子で最後の「銀河」まで続きました。「銀河」の後はないので、「銀河」を回送してきた機関車は手ぶらで品川に帰ります。
 で、印象深かったのは、その最後の回送用機関車に、お召し列車の牽引機として有名だったEF58 61号機が出てくることがあって、あの頃でも現役でEF58が動いているのには結構感動したものでした。今では博物館行きですが。

 例によってまとまらぬ話ですが、まあ各人自分の思い出のシーンを心に抱えていてばいいのであって、それを打ち消しかねないような景色は反って見ない方が良かったのではないか、と負け惜しみ的に締め括ることとします。

※追記:などと言いつつも結局こうなりました
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by bokukoui | 2009-03-13 23:59 | 鉄道(時事関係) | Comments(4)

Commented by ヨブ(ゆとりの力) at 2009-03-14 04:26 x
消防の頃、鹿児島から那覇に行く船に乗るために、はやぶさに乗車した記憶があります。
乗車率の割に15両ぐらいの長い編成で乗客も数十人
程度、僕が乗った客車は僕以外いなかったのでなんか不気味な
気分でした。さらに運が悪いことに食堂車がついているのですが
休業中で自販機も故障中という有様、しょうがないから
車内販売で弁当でも食べるかと思ったら、スナック菓子くらいしか
なくて、しかたなく駄菓子とジュースで空腹を満たしました。

目的地西鹿児島に着くまで退屈でしょうがなかったのを覚えてます。

(たしか西鹿児島に着いたのが15時15分ぐらいな気が・・・)
Commented by 東雲 at 2009-03-14 21:11 x
東北・上越の東京駅乗り入れ工事で機回し線の11番線がなくなってから、客車列車全廃は既定コースだったのかも?
まあ15年間放置プレイ(食堂車廃止以来、減便と編成短縮しかなかった)だったから、よく今まで持ったものです。
Commented by 憑かれた大学隠棲 at 2009-03-16 03:30 x
バブルの時にグレードアップ改修をした上で、東海道筋の減便で捻出した車両で、同じ東海道筋の生き残った列車の延命をはかったわけで、大いなる共食いだったわけですからね。
あとソースは2chですがサンライズも採算がとれてないって話ですから、観光列車以外は夜行列車は破滅でしょうね。これも民営化以降の既定路線のような気がします

今は食料の調達に関してはコンビニのある駅で買い物停車ってのが答えのような気がします・SA休憩的発想ですが
Commented by bokukoui at 2009-03-17 23:06
>ヨブ(ゆとりの力)氏
随分面白いルートで沖縄に行かれたんですね。
食堂車休業以降の末期の「はやぶさ」であれば、確かにご指摘のようなお寒い状況だったでしょうね。西鹿児島到着時刻もご指摘の通り午後だいぶ遅くで、確か九州島内では電車特急に抜かれるなんてこともあったかと思います。

>東雲氏
現在進められている上野~東京延伸計画にしても、機関車列車には冷たそうですね。JR分割時に貨物を切り離したことで、旅客鉄道各社は機関車の使用に後ろ向きになったのでしょうか。

>憑かれた大学隠棲氏
上の東雲氏のご指摘とも繋がりますが、大きくは既定路線と考えて良さそうで、とすればむしろよく持ったというべきでしょうね。やる気がないならとっとと止めても良さそうなものですが、各社にまたがるだけ反って調整が難しかったのかも知れません(それは反面、改善がしにくいということにもなりそうですが)。

夜しか走れない寝台車で投資の回収は難しいとなれば、高速バス同様にサービスを抑えて安く上げるのが夜行存続の方策かも知れません。となればSA的発想も妥当と思います。
「買い物停車」といえば、中央線の421Mが懐かしい・・・