『諸君!』秦郁彦・西尾幹二対談の評論への西尾氏の批判について

 この記事は、

 『諸君!』秦郁彦・西尾幹二「『田母神俊雄=真贋論争』を決着する」
 秦郁彦・西尾幹二「『田母神俊雄=真贋論争』を決着する」評 続き
 「『田母神俊雄=真贋論争』を決着する」評 蛇足的まとめ


 の続きです。

※追記:以上一連の記事及び本記事が、西尾氏の著書に引用されました。
 「『西尾幹二のブログ論壇』をご恵贈いただく~ぜんざいの塩」

 正直、もう続きを書くつもりはなかったのですが、これらの記事で批判した西尾幹二氏が、先日ご自身のブログで小生の記事を取り上げて批判をされ、トラックバックも送られるという思いがけないこと(上掲記事のうち最初のもの参照。ちなみに管理者にだけ見えるコメントの内容は、西尾先生のブログの管理者の方からのご連絡でした。丁寧にありがとうございます)がありまして、小生の如き若輩者の記事に対してもお目通し下さったということ自体は、有難いことと思います。その記事は以下の通りです。

 西尾幹二のインターネット日録「『諸君!』4月号論戦余波(三)」

 (三)があるということは、当然論戦余波(一)論戦余波(二)もあります。

※追記:これらの記事は『西尾幹二のブログ論壇』収録に伴い、削除された模様です。詳細は以下の記事をご参照下さい。
 ・「『西尾幹二のブログ論壇』をご恵贈いただく~ぜんざいの塩」

 さて、西尾先生が小生の記事を読んで下さってコメントを下さったこと自体は大変ありがたいと思います。しかしながらそのコメントを拝読いたしますと、残念ながら小生の意図したところをご理解いただけなかったのではなかったかという印象を抱かざるを得ませんでした。ですがそれは、当ブログの記事がやたらと長くて読み取りにくかった(もっとも長くなった最大の理由は『諸君!』対談記事の引用ですから、西尾先生はそこは読み飛ばしていただければ良かったのですが)ことにも一因があるかとも反省し、以下に再度、なるべく簡潔に、ポイントとなる点を挙げておきたいと思います。

 まず一つは、歴史について自由な解釈はもちろん認められるにしても、その基盤として着実な事実の検証は必要不可欠ということです。これは歴史ならずとも、何事についても証拠なしに勝手なことをいうな、という意味では普遍性があると思いますが。
 歴史的事実というのは実験によって再現・検証することが出来ませんので、これは史料という証拠を吟味して「より確からしい」事実を積み上げ、議論を重ねて精度を上げていくことになります。この基盤なくしては、どんな議論をしても砂上の楼閣ということになってしまいます。
 もちろん、歴史の精華というのは、その事実を元により見事な解釈をしてみせるところにあります。事実の確認がしっかりしていても、その研究が直ちに高い評価に結びつくとは限りません(ただし、事実の検証がしっかりしていれば、一定の評価はちゃんとされます)。しかし、その材料があまりにいい加減では、出来上がった建物の見た目が派手でも、とても評価できたものではありません。出来上がりの格好さえ良ければ、それを構成する材料のいい加減さが正当化されるわけではありません。これも歴史に限った話ではない普遍性があると思います。何せ、今回の件のそもそものきっかけである、田母神「論文」を世に送り出したアパホテルは、耐震強度の偽装が発覚して使用停止命令を受けたわけで・・・

 繰り返しますと、「解釈」、事実の「意味」は時代によって論者によって変化するけれど、その拠って立つ基盤となる「事実」というのはそうではない、ということです。もちろん、新史料の発見によって事実が変わることはありますが、それは史料を基に実証を積み重ねる作業の一環です。秦先生が指摘されていることも、自由な解釈をするには拠って立つ基盤が大事、という点で同じと思います。
 つまり、コロンブスのアメリカ大陸到達の意義についてはさまざまな解釈が可能ですが、「新大陸を発見したのは鄭和だ!」(そういうトンデモ本があるそうな)とか言い出されると話にならない、ということです。アメリカ到達を当時のスペイン人は「神の恩寵が世界を広く照らした光栄なこと」と考えたかも知れませんが、今そう考える人は多くないでしょう。でも、コロンブスがアメリカに着いたことは変わりない事実のわけです。

 さて、しかし西尾氏は、「証拠なんてない」「細かいことはどうでもいい」と放言しておられます。また、上掲西尾先生のブログに登場する、西尾支持派の多くの方も同様の見解のようです。
 そこで、小生は以前の記事で、そのような見方に対し、以下のような疑問を提示しておきました。そしてそっちこそが、小生の主張したい批判点の核心だったのですが、西尾先生にしても、上に指摘した事実と解釈の関係についての倒立した見方にこだわって示されただけで、肝心のこちらにお答えいただけなかったことは残念でなりません。
 それは、仮に事実はどうでもよく歴史はストーリーなのだと考えた場合、「正しい」ストーリーとはどのような基準で決められるのでしょうか。西尾氏は、如何なる根拠によって、自己の「歴史」の正統性を保証するのでしょうか、ということです。

 秦先生にしても、歴史について一つのストーリーを最終的には提示しておられるわけです。秦先生の提示されたストーリーが正しいかどうかは、その拠って立つ膨大な検証された事実が支えています。秦先生のストーリーを覆すためには、その事実を再検証するのが一つです。事実に特に大きな問題点がなかった場合でも、同じ事実を基盤に、異なった解釈を示して議論することはできます。再検証と議論を通じて、歴史像は次第に形成されていきます。
 ですが、細かい事実は検証しない、解釈は勝手にやって拠って立つ基盤となる事実はどうでもいい、という場合は、一体そのストーリーの「正しさ」はどう判断できるのでしょうか。それが史料にこれこれの根拠があってこのストーリーは正しい、というのであれば(そして西尾先生も「ヴェノナ文書」などを示していますが)、それでは秦先生の指摘を無下にはできないことになります。

 小生は以前の記事で、「正しさ」の基準は示されていないのではないかと疑問を提示し、西尾氏のブログでの書きぶりを手がかりに、山本七平を引用しつつ、「仲間ぼめ」を繰り返すことでトートロージーとして「正しさ」を作り上げているだけではないか、と批判しました。
 今回の西尾氏が書かれた「論争余波」3件の記事では、合計7件の西尾氏への意見が登場します。うち批判は小生含め2件ですが、小生以外のもう一件というのは、以前の記事でも紹介した「元木昌彦のマスコミ業界回遊日誌」さんの3月3日付記事です。これへの西尾先生の評言がちょっと意味が分からなくて、分からないので以下にそのまま引用しておきますが、
 執筆者の元木昌彦氏は元『週刊現代』の編集長で、『現代』にもいた。もう定年退社している。年末に私は新宿のバーでお目にかかっている。
 偶然隣り合わせに坐り、知り合いの講談社の知友の噂ばなしなどをした。私が昨年『諸君!』12月号に書いた「雑誌ジャーナリズムよ、衰退の根源を直視せよ」を大変に面白いと言っていた。
 人間はみな心の中にどんな「鬼」を抱えて生きているのか分らない。老齢になるとことにそうである。また、若いときに一度刷り込まれた物の考え方は、どんなことがあっても消えることはないようである。
 意見そのものではなく、人間について語られても、知り合いでも何でもない読者には困るのですが・・・

 で、この元木氏の批判に対しては「年だから」みたいに流してしまい、残る小生の記事については、他に二つの意見をわざわざ引用して批判を加えておられます。もっとも、西尾先生のブログ記事中の文章の長さとしては他人の意見の引用の方が圧倒的に長く(引用の長さ自体も、拙ブログのものよりずっとその二つの意見の方が長い)、西尾先生ご自身の書かれた言葉が少ないのは多少遺憾であります。
 さて、これらの批判は、本記事で挙げた二つのポイントのうち、第一のそれに向けられているようです。それについては上で既に書きましたのでもう措いておきますが、第二の、小生の考える最も重要な点については何ら触れておりません。第二の点で、ストーリーの「正しさ」を史料に拠って証明できない以上、何によってそれを示すのか(「正しさ」が証明できないなら、何を言っても構わないことになり、議論自体成立しない恐れがある)、ということです。
 ですがこの点は無視され、小生が書いた記事があまりに長すぎたため、第二の点まで西尾先生にお読みいただけなかったのではないかと懸念しました。

 小生は、「正しさ」の基準は西尾氏の発言からは読み取れず、ブログの様子から、「支持してくれる人がいるから正しい」としているのではないかと疑問を提示しました。支持者の方は「西尾先生がこう仰ったから正しい」というわけです。これは山本七平の言葉を借りれば「仲間ぼめ」ではないでしょうか。
 西尾先生もさすがに多少気にしておられるのか、「知友だからといって格別に私に贔屓して言っているのではない」「知友だから私を応援している、という文章ではない」などと書かれていますが、こんな言い訳がましいことをつけるのであれば、最初から紹介しないか、違った形で紹介するようにするべきと思います。

 西尾先生は小生の記事に対し
私に対し「歴史を論ずるということ自体を根本から分っていない」とか「歴史でないなにかを論じようとしている」と決めつけていたときの「歴史」が非常に狭い、固定した一つの小さなドグマ、特定の観念にすぎないことがお分りいただけたであろう。
と書かれています。小生はなるほど、史料という証拠に基づいて発言すべきであるという歴史学の手法に則って発言しているつもりですが、では逆に西尾先生は何に基づいて発言されているのでしょう。
 歴史学は学問の手法として一定の認知を受けていますが、西尾先生はそういった学問手法に準拠することを「ドグマ」と呼ばれるようです。その手法は決して密教ではなく、誰にでも利用可能なものに過ぎないし、だからこそ普遍的な有用性を認められているのです。むしろ拠って立つ基盤、構築に参加することになる体系、それを支える定義といったことを「ドグマ」と切って捨てたならば、それはただの根無し草、妄想の集積に過ぎないと考えます。

 は、長いから短く同じ内容をまとめ直すだけのつもりだったのに、随分長くなってしまいました。これでは本来の記事の意図が損なわれてしまいます。この辺が我ながら駄目ですね。まだ補足したいことはいくらでもありますが、充分長すぎるのでこの辺で切ります。もし万が一、まずあり得ないと思いますが、本記事に西尾先生がまた何か反応して発言されたら続きを書くことにします。
 反応といえば、名だたる評論家の西尾先生が直々に小生のブログを取り上げられたからには、アクセス殺到・批判コメント続出で当ブログ初の「炎上」が起きるのではないかと期待・・・もといびびっていたのですが、蓋を開けてみれば特に何事もなし。むしろ西尾批判派の方がコメントを下さったくらいでした。西尾派の人もコメント一つ残していかないなんてなんだかなあ。まあ、ここは当ブログの「A-A基準」ぶりが健在であることを感謝することにします。
 アクセス解析してみれば、西尾先生のブログから来た人はここ二日間で30~40/日 程度にすぎません。西尾ブログの読者のうち何割がクリックして当ブログにお越しになったかは分かりませんが、もし1割としたら、西尾ブログの閲覧者は当ブログ較べても大して多くないということになります。西尾先生が拠り所としているらしい「支持者」の輪も、案外小さいのかも知れませんね。
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by bokukoui | 2009-03-24 22:18 | 歴史雑談