アメリカ本土にシャクティ・パット~野依秀市雑彙

 しばらく前に、当ブログで「高橋竹山『津軽三味線ひとり旅』を読んで余計なことばかり考える」なる記事を書きまして、その中でインチキ薬売りから有田ドラッグのことにまで話が脱線していきました。で、戦前の誇大広告の帝王にして詐欺的フランチャイズの元祖・有田音松については谷川健一・鶴見俊輔・村上一郎責任編集『ドキュメント日本人9 虚人列伝』(学芸書林1969)が詳しく、これをネタ本にしつつも古書市で発掘した有田ドラッグのビラを紹介している「兵器生活」のサイトがネット上では詳しいということを紹介しておきました。
 さて、その「兵器生活」さんのところにも書かれていますが、誇大広告を吹きまくって儲けていた有田ドラッグのインチキを激しく糾弾し、その商売に打撃を与えた雑誌があります。『実業之世界』という経済雑誌で、同誌を出していた雑誌社の社長にして主筆であったのが、野依秀市(1885~1968)という人物でした。
f0030574_115650.jpg
野依秀市像
野依秀市『戦争と選挙』秀文閣書房(1942)の表紙より引用

 『虚人列伝』でおかしいのは、有田音松の章では誇大広告の「虚人」有田音松を討つ役の野依本人が、『虚人列伝』の末尾を飾る「虚人」の一人として登場していることです。この野依なる人物も、一筋縄ではいかない怪しい人物なのです。
 彼は、一般には「右翼ジャーナリスト」と見られていたようですが、同時に堺枯川や荒畑寒村のような社会主義者とも付き合いがあったり、渋沢栄一の名を冠した神社を拵えたり、浄土真宗に帰依して仏教雑誌を出したり、大横綱・双葉山のパトロンだったり、戦後は紀元節復活運動やったり、とにかくものすごいパワーを持った人物――『虚人列伝』の野依の章を執筆した、野依の部下であったこともある梅原正紀の表現によれば、「モウレツ人間」だったのでした。著書は200冊を超えていたようです。その大部分は、日々雑誌や新聞の論説として口述筆記させたものを集めたもののようですが。

 さて小生、今書いている論文の史料として、野依が出していた(彼が最初に出した雑誌でもある)『実業之世界』をそれなりの年代にわたって読みました。もっぱら昭和初期のを読んでいたので、残念ながら有田ドラッグ糾弾記事は読んでいませんが、小生が目にした範囲でも、『実業之世界』では製薬会社とその経営者の糾弾をやっておりました。それは塩原又策という人物で、三共製薬(現・第一三共)の創業者でした。
 となると、何だか野依は薬屋と見ると噛みついていたように見えますが、彼は決してただの総会屋的人物ではありません。逆に誉めている記事を載せた製薬会社もありました。それは星製薬――つまり、SF作家星新一の父・星一の興した会社ですね。
 星新一といえばショートショートですが、毛色の異なった作品に、星一を描いた『人民は弱し 官吏は強し』があります。その中で、官僚と結びついて星一を陥れる敵役として登場するのが塩原(作品中では名前は変えてありますが)だったりするわけで、野依の評価基準は興味が湧くところですね。
 もっとも『実業之世界』、別な号では経営が傾いた星製薬の再建に疑問を呈し、次の号に星製薬の重役が反論をよこしたのを掲載したりとかしていましたが・・・

 では野依の主催する『実業之世界』は、医業という人の命を預かる大事な事業(製薬業は広告の一番の顧客という面もあります)に厳しい目を向け、その効用や広告の誇大さを厳しく検証していた・・・のかというとそうでもないようです。
 『実業之世界』昭和8年7月号では、「健康の泉・山下紅療法」なる記事を数ページにわたって掲載し、安部磯雄藤山雷太小汀利得などの著名人が「これで治りました」的体験談を寄せています。これはいかにも怪しい(笑)。検索してみたら、紅療法というのは今でもあるようで、植物から採った紅を患部に塗り、上から棒で叩いたりこすったりするような民間療法のようです。でも『実業之世界』に紹介記事を載せていた頃、この紅療法は大審院で「医療行為に該当しない」という判決を下されていたようで。
 しかし、野依はそんなこと気にしなかったようで、彼自身その後も紅療法にはまっていたようです。野依が主宰した雑誌に記事が載っていたからといって、野依自身がはまっていたことにはならんだろうというご指摘もあろうと思いますが、実際に野依が紅療法に「帰依」していたという史料があるのです。これも小生、論文執筆中にたまたま見つけたのですが、折角なので(論文中で使い道がなさそうなのが悔しいので)以下に紹介しましょう。

 その史料とは、大和田悌二(1888~1987)という逓信官僚から日本曹達の社長に転じた人物の日記です。大和田はいわゆる「革新官僚」の一員として第1次電力国家管理に活躍した人物ですが、彼が日本曹達に転じてのちの1944年8月、故郷の大分県(ちなみに野依も大分県出身)に行った帰途、船中で野依に出会った際のものです。引用文中、漢字は新字体に直し、下線は原文のままです。色づけは引用者。
三時半紫丸乗船。
野依秀市君同船、松山へ講演行途中とのこと。東条、後藤文夫、徳富蘇峯諸氏を貶し、五島慶太の如きは論外にて、九月八日の大詔奉戴日に、共立講堂にて彼の急所を衡く講演予定なり。奥村、石渡、岸、後藤国彦の諸氏を賞賛す。人を評して好悪の感情に囚わるる傾向あり、直情径行を念とするも、時に心を欺くことあり、念仏に帰依するも、到底極楽には行けぬと自嘲する所案外正直なり。四谷に紅療法を営む人同伴せり、紅を棒に着け、頭部を軽打して難病を治すと、野依氏は帰依者なりとぞ。
 ところで、野依は戦争中の旅行も不便な時期に、紅療法の人まで連れて、何を講演して廻ったのでしょうか。
 当ブログでも過去に何度かネタ元に使わせていただいた、戦時体制の面白い史料を発掘している、早川タダノリさんの「虚構の皇国」というサイトがあります。論文に一区切りついた先日、「虚構の皇国blog」をまとめ読みしていたら、何とここでも野依秀市の名前に偶然出くわしてびっくり。

 テポドン発射記念 米本土空襲

 野依が太平洋戦争中、国民が献納したお金で飛行機を作ってアメリカ本土を爆撃しよう、という講演会を全国で行っていたという話です。野依が大和田と出会った時の講演というのも、この「米本土爆撃」関係のものでしょう。で、野依は精力的にアメリカ本土爆撃講演をして廻る疲れを「紅を棒に着け、頭部を軽打して」癒していたんでしょうね。
 ・・・本日のブログの意味不明なタイトルは、そういう次第でつけました。いや、棒で頭を打って病気を治すって、一読即「ライフスペース」高橋グルの顔が浮かんでしまって。

 話を戻しますと、大和田の日記中の野依の言葉はなかなか興味深いものです。野依のこの時点の人物観(本人が「人を評して好悪の感情に囚わるる傾向あり」と言ってますが・・・)が伺えるわけで。
 東条、後藤文夫、徳富蘇峯、五島慶太に対して奥村喜和男、石渡荘太郎、岸信介、後藤国彦という対比軸が意味するものは、一考の価値があると思います。操觚界の重鎮であった蘇峯に対し、野依が噛みつくのは何となく分かるのですが、あとのいわゆる革新官僚・新官僚を分類する軸は何なのか。小生が一番唸ったのは、東急を作った五島慶太と京成を切り盛りしていた後藤国彦を並べているところですが、これも議論し始めると長くなりますので、今は控えておきます。

 野依秀市についての先行研究は乏しく、ネット上で取り上げている記事も、上の「兵器生活」や「虚構の皇国」を別にすれば、ざっと目についたところでは以下のようなものです。

・書物史片々「經濟誌に出版史料あり――『實業之世界』から」
・四宮正貴「この頃出した手紙・この頃思ったこと」
・天国太平の愛書連<全国愛書家連盟>「国民の敵・容共朝日新聞を衝く」

 さらに他には、どういう訳か「ネット右翼」("ヘタレ保守")の親玉・瀬戸弘幸氏のブログのコメント欄に出てきたり、野依が日中戦争で日本軍が占領した直後の南京に入って書いた記事を取り上げて「南京大虐殺はなかった!」と主張する人々(どこかにネタ元があるのか、似たような記事が複数あります)がいたり、といった状況です。

 野依秀市の活動は、相当に複雑で単純には割り切れません。しかし、ここに挙げたネットの記事のうち、「書物史片々」以外の記事は、野依のそういった複雑さを捨象し、ありきたりな「保守ジャーナリズム」の枠に押し込めてしまうきらいがあります。野依をそのように割り切ってしまうことこそ、おそらくは「ネット右翼」的な人々が憎んでやまない、マスコミ主流派が野依に対して取ってきた態度に他ならないのですが。
 野依はもっと面白いはずだ、というのが、『実業之世界』を一山読み通した小生の感想です。はっきり言って、「ネット右翼」の朝日新聞への罵詈雑言を正当化する根拠如きに使うのは、もったいないにも程があります。とはいえ、口述筆記で積み上げた二百冊の本の山を見ては、自分でどうこうするのはやはり二の足を踏むわけで。
 とりあえず、野依ワールドの雰囲気を比較的簡単に感じていただくため、上の野依の漫画の出典元である『戦争と選挙』の巻末広告3ページと、附録(野依の新聞で募集した、時事に取材した歌の入選作)の扉との、4ページを以下にご紹介します。クリックすると拡大しますので、ごゆるりとお楽しみ下さい。
f0030574_2222396.jpg
野依秀市『戦争と選挙』秀文閣書房(1942)巻末より

f0030574_223573.jpg
野依秀市『戦争と選挙』秀文閣書房(1942)巻末より

 ちなみに、本書の野依の著作目録は13ページあります。上の画像は、その最後の3ページと附録の扉を取り込んだに過ぎません。

 というわけで、最近野依秀市に興味を持っていたものの、自分で研究するわけには行かない状況だったのですが、いよいよ野依にも研究の手が及びそうです。
 季刊『考える人』という雑誌に、『八月十五日の神話』や『「キング」の時代』で著名なメディア史研究者・佐藤卓己氏が、「天下無敵 戦後ジャーナリズム史が消した奇才・野依秀市という連載を、この4月発売の号から始めたのです。いよいよ野依もメディア史の研究の俎上に上がったようで、連載の続きが楽しみです。

 小生、大学の図書館で早速第1回「野依秀市という「メディア」」を読んできました。
 記事冒頭のリード文で「昭和初期から戦後まで、『実業之世界』や『帝都日々新聞』を経営し言論活動を続けた野依秀市」とあり、『実業之世界』創刊は明治末(1905年)だぞとちょっとびっくりしましたが、本文は大変興味深いものでした。
 佐藤氏は、まさにこのような「混沌」とした野依の言論、しかもその多くを、口述筆記で自分で手を入れたとはいえ、他人に書かせていた、そのような野依は、オーソドックスな思想史のアプローチでは分かりにくいと指摘されています。佐藤氏は、野依は言論人(「何を言ったか」が大事)というよりもむしろタレント、メディア(「誰が言ったか」が大事)ではないかと指摘されます。野依自身が、メディア=広告媒体的な存在であったというのです。「メディア人間」とは、その発言内容が発言者自身の知名度(=メディアとしての価値)を高めるかどうかで、その発言の価値を決めます。つまり内容は二の次で、知名度が上がるかどうかが大事というわけ。
 なるほどと思いますが、しかしそれって、世論に反対する国士的論説(普通選挙反対とか)を部下に書かせて売薬広告にしていた、有田音松のやり方と本質的に同じことになるわけですね。あ、そうか、だから野依は有田のやり口を見抜いて攻撃できたのか。
 それはともかく、上に挙げたイラスト化された野依像なんかも、メディアとして読者に印象づける一手法(キャラクター化)だったのかも知れませんね。

 佐藤氏は「一流雑誌、全国誌の視点で書かれてきたメディアの歴史を、これまで「総会屋雑誌」「二流新聞」と目されてきた野依の『実業之世界』、『帝都日々新聞』などから逆照することで相対化したいと考えている。それは結局のところ、近代日本における「負け組」メディアの歴史を書く作業になるだろう。歴史の教訓は勝者よりも敗者から多く学ぶべきだと私は考えている」と記事を結ばれています。「負け組」という言い方を使っていいのか、何が「負け組」なのか、そこがちょっと引っかかりますが(『実業之世界』は現存しないのに、同誌立ち上げの際野依と協力してのち袂を分かった石山賢吉創刊の『ダイヤモンド』は今でもビジネス誌一の売上げを誇っているという点では「負け組」ですが)、野依を通じての方がその時代の風景は、確かによく見えそうです。
 同じ経済雑誌で言えば、『東洋経済新報』の石橋湛山の評論は今日読んでも通じる自由主義の筋が通っていますが、それだけ普遍性を持っているということは、言い換えれば時代を超えてしまっている面があるわけです。評論としては、時代を超えるというのは最大の賞賛の言葉ですが、歴史の史料としてはむしろ、時代の波に揉まれ載っかっていた、だから波が引いたら忘れられてしまった野依の方が、価値があるといえるかも知れません。

 『実業之世界』では他にも面白い誌面がいろいろありましたが、いい加減長いので、ひとまずここでおしまいにします。例によって纏まらない記事ですが、野依について語ってうまくまとめるのが難しいということはお分かりいただけようかと思います。
[PR]

by bokukoui | 2009-05-08 23:33 | 歴史雑談 | Trackback(1) | Comments(0)

トラックバックURL : http://bokukoui.exblog.jp/tb/11015867
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Tracked from 障害報告@webry at 2012-06-09 04:04
タイトル : ここは酷いメディア人間ですね
天下無敵のメディア人間: 喧嘩ジャーナリスト・野依秀市 (新潮選書)新潮社 佐藤 卓己 Amazonアソシエイト by いろんな意味ですごすぎワロタ 業界ゴロが何でもいいからかみついていた、というよりも 「俺の正義」に忠実すぎたんだろうなあ、という気がする 業界ゴロなら捕まるようなところまではいかないもんな 「俺の正義」さんは得てして電波化してフェードアウトするが このオッサンは雑誌や新聞を運営する能力に長けていた 特に清濁両面での広告をとってくるって能力がね そういう盤...... more
名前
URL
削除用パスワード