鉄道と衛生の話・補足

 前回の記事「アメリカ本土にシャクティ・パット~野依秀市雑彙」を書くに至ったきっかけは、そちらに書いたように「虚構の皇国blog」を久しぶりにまとめて読んだことも一つでしたが、そこでもう一つ、過去に「鉄道の話題」 / 「鉄道の話(主として衛生に関する話)続き」という、鉄道社内のマナーについて記事を書いた者として、興味深い写真が紹介されていましたので、メモがてらリンク。

 戦前の列車の中はすっごく汚ないっ!

 これはいい写真ですね。弁当殻が車内の床に積み上がっています。
 早川氏が、このような状況の理由として、ゴミ掃除は身分ある者のすべきではないという階級的道徳の存在を示唆しておられるのは鋭いと思います。鉄道職員自体が官吏なので厳密な身分制度があり、弁当殻掃除は正規の官吏ではない、傭員クラスの仕事だったでしょう。もっとも、こういった仕事が衰退したのは、価値観の変遷云々以上に、結局他にもっと有利な賃仕事が普及した(戦時中は軍需産業があり、戦後は高度成長で工場などが増えた)ことによるものだとは思いますが。人件費が安く賃仕事の少ない時代、弁当殻掃除のような雑業は、特に地方では農業と掛け持ちできるお手頃仕事として、掃除する側にも一定のメリットがあったはずです。そもそも鉄道職員に「半農半鉄」という人は戦後も結構いたし。

 で、このような車内の風習が変わったのは、やはり1960年代のことで、国鉄側も意識的にそう誘導したのではないかと思います。
 以前の記事で、ネタ本に使った星晃・米山淳一『星さんの鉄道昔ばなし』に、新幹線をきっかけに車内のゴミを片付けるようになっていったという話があることを紹介しましたが、実はゴミ掃除についてはもうちょっと前の車輌にも記述があったことに気がつきました。
 それは、1959年に登場した、修学旅行用電車155系の話です。ちょいと引用。
・・・それから、ゴミ箱があるし、掃除の道具が付いてるでしょ。躾のためですよ。自分たちが使ったら、ちゃんと掃除をしてから降りる。そういう躾をちゃんとやるように、と。(p.98)
 というわけで、国鉄側が車内マナーを子供に躾けようと考えていた節があったようです。この当時の大人は、まだ戦前の「座席の下」マナーの世代だったでしょうが、大人は駄目でも子供なら、これからは電車を綺麗に使ってくれる、という思いがあったのでしょう。
 その背景を考えれば、やはり高度成長期で人手不足であり、車内清掃要員も戦前ほどは確保できないから、掃除自体をなるべく合理化することで乗り切ろうと考えたのでしょう。本書巻頭10頁に、星晃氏の設計理念が箇条書きで列挙されていますが、その中に「清掃に便利な構造的配慮」というのがありますし。或いは、星氏が車輌設計を学んできた、スイスの影響もいくらかあったのでしょうか。
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by bokukoui | 2009-05-10 23:59 | 鉄道(歴史方面)