もっとも過酷な「鉄道むすめ」の仕事 8メートルの雪を除雪せよ

 前回の記事「鉄道と漫画・MATSUDA98篇 19才の『鉄道むすめ』はなぜ死んだか」の続篇です。というか、もはやマンガはあんまり関係なくなってきていて(苦笑)、当ブログでは以前にも戦前の鉄道業の従事する女性に関する記事を掲載し、原武史氏の謬見を正しておきましたが(サントリー学芸賞の鉄道本略論 番外(1) ~鉄道と女性・阪急篇~ / 同(2) / 同(3))、どちらかといえばその続きになるかも知れません。
 で、小生先日仕事であちこちの地方史をめくり倒しては鉄道関連の記述を集めるということをやっていたのですが、その中で大変よくできた地方史と鉄道関連の記述にぶつかり、大変興味深いので以下に簡単にご紹介する次第です。

 それは新潟県津南町が作った、津南町史編さん委員会編『津南町史 通史編 下巻』(津南町)というものです。津南町というのは新潟県の南西の端、長野県と県境を接する、信濃川沿いの地域です。そしてここは日本屈指の豪雪地帯として知られています。
 ここを走る鉄道はJR飯山線で、長野のちょっと北の豊野から、小千谷のちょっと南の越後川口まで、信濃川沿いに走っています。この路線は、豊野~十日町間が元々飯山鉄道という私鉄で、十日町~越後川口間は国鉄によって建設されました。
 建設に至るまでのさまざまな鉄道構想も興味深いのですが、本題から外れるので省略。このルートは東京~新潟ルートの候補だったことがありまして、それについては興味のある方は『津南町史』の記述が良くできているので読むといいでしょう。新潟連絡の鉄道構想全般については、今年交通図書賞を取った老川慶喜『近代日本の鉄道構想』(日本経済評論社)を参照のこと。

 では本題。
 このような豪雪地帯を走る鉄道にとって、冬期の除雪作業をどうするかは重要な問題です。除雪といえばラッセル車だのキマロキだのというのが有名ですが、結局最後は人海戦術です。これは豪雪地帯ではどこでもみられる話で、大体は地域の青年団とか消防団などが中心になって人を集め、除雪作業を請け負います。これはその昔では、豪雪地帯の住民にとっても、農業のできない冬に出稼ぎに行かなくても地元で現金収入が得られるメリットがありました。豪雪でどうにもならなくなると軍隊が出動します。旧日本軍の豪雪などの災害出動については、吉田律人さんの諸論文をご参照下さい(CiNii とかで調べてね)。
 で、これまで幾つかの文献で読んできたところでは、こういう作業は皆男がやっていたものでしたが、津南町の場合では女性も作業に参加していたという、これまでにあまり聞いたことのないことが記されていました。昭和初期の話です。

 飯山鉄道沿線の村では除雪組合を組織して、人夫の供給を請け負っていたのですが、その請負契約書では、人夫は身体強壮の18~45歳の男子、勤務時間7時~17時で賃金1日1円(当時の1円は現在なら3000円くらいかと思います)、時間外手当1時間10銭等々ということが定められていたそうです。ここでは「男子のみ」となっていますね。ところが実際には、1927~28年の冬の巻下集落(外丸村→現津南町)の場合、
・・・男子のみという契約にもかかわらず女子労働も認められ、80銭の日当が支給された。この年、巻下と外丸本村で男842人5分(賃金842円50銭)女111人(賃金88円80銭)計953人5分(賃金931円30銭)の実績になっている。
 
(註:除雪)組合は、(註:飯山鉄道)会社の支給する賃金から男子は1日15銭、女子は20銭を天引きして経費にあてた。この冬は総額148円57銭5厘の収入となり、交際費・監督の日当・事務費を控除したあと86円87銭5厘の残金が出たので、その半分を出動人夫に配当している。女子の賃金が一般に男子の半額といわれた時代だけに、天引き率も男子より高率に定められたのである。
(『津南町史 通史編 下巻』p.354)
 と、女性が除雪に動員されていたことが分かります。

 この後の推移を『津南町史』の記述を拾ってみていくと、1930~31年の冬には女子賃金の記載がなく、1933~34年の冬は豪雪で男子1704.1人・女子410.8人が出動し(端数は途中で帰った人などがいたのでしょう)、1936~37年の冬には少雪のため女子の出動はなかったようですが、1937~38年の冬には男子1873人、女子212人が出動したそうです。『津南町史』の資料編には詳しい資料が載っているそうですが、残念ながらそちらは未見です。
 出動人数に占める女子の比率からして、炊き出しみたいな補助作業ではなく、除雪本体の作業に従事していたのだろうと考えます。除雪作業は危険度も高く、これは近隣の『飯山市誌』に載っていた話ですが、橇に雪を載せて鉄橋から川に雪を捨てる際、雪が橇に凍り付いて橇ごと落っこちてしまい、それに巻き込まれて転落死したとか、除雪しているところに列車がやってきて、逃げ場がなく轢かれたといった事例があったそうです。
 戦時中車掌や運転士になった女性には、颯爽とした制服姿の乗務員の仕事に憧れをもってなった方もかなりいたようですが、全然颯爽としていない、危険で大変な、縁の下の力持ち的な仕事の従事していた女性もいたのだ、というお話でありました。
 いろいろ勘案すると、やはり雪が酷かったり(日本最大級の豪雪地帯ですから。もっとも、本当に雪が酷くなると除雪を諦め運休しますが)、発電所工事や戦争で人手が取られると、元々人口の多くないこういった地域では、女性の労働力も活用せざるを得なかったということでしょう。1935、6年頃は鉄道省に加え東京電灯の発電所工事も始まり、そして間もなく日中戦争となって、人手不足はますます深刻化したようです。

 ですが、折角なのでこれも、実際に若い娘がいたかどうかは別にして(やはり長野の製糸工場に出稼ぎに行ったんじゃ・・・)、フィギュアの「鉄道むすめ」シリーズを続ける際の案の一つに入れては如何でしょうか。
 「むすめ」の名前は「森宮のはら」を提案しておきます。何といっても飯山線の森宮野原駅は、1945年に7.85mという、日本の鉄道での積雪最高記録を樹立したところですので。ちなみにこの駅名は、最初新潟県の上郷村(現・津南町)羽倉に予定したところ、地形的に厳しいため長野県側の水内村(現・栄村)の森に変更したので、「森」に上郷村の地名「宮野原」も付け足して「森宮野原」になったそうですので(『津南町史』p.349)、この切り方はちょっとおかしいんですが、しかし何となく人名ぽくはあります。
 飯山線も経営状態がいいはずはありませんので、グッズでも何でも作って、除雪経費の足しにでもなれば、それはそれでいいのではないかと。

 ああそうそう、「森宮のはら」ちゃんの衣装ですが、これはもうもんぺしか。時節柄としても。で、藁靴にかんじきとかでどうでしょうか。

 ヨタ話は置いておいて、この『津南町史』の鉄道の記述は、この除雪組合の件のように、地元に残された史料をよく活用しており、興味が尽きません。全体の記述も、より広域の鉄道構想に目配りしつつ、飯山線と深い関係を持った東京電灯や鉄道省の発電所(鉄道省の発電所はJR東日本に引き継がれましたが、先日取水量を誤魔化していたことが発覚して水利権を没収されました)の建設とも関連づけ、地域にとっての意義を良く描き出しています。
 地方史の鉄道に関する記述については、以前当ブログでも青木栄一『鉄道忌避伝説の謎 汽車が来た町、来なかった町』(吉川弘文館)を紹介し、地方史にはあんまり検証もせず、「地元の反対で鉄道が来なかった」という、実際の史料上では発見できない話を書いてしまう、という問題点が指摘されていることを紹介しました。近年の地方史では、そのような記述はだいぶ影を潜めてきています。
 『津南町史』は1985年と結構以前の発行ですが、鉄道忌避伝説については、まず史料をあげて地域の鉄道誘致の熱意を示したのち、
・・・この時代は鉄道建設は総論賛成・各論反対(鉄道が自分の町を通るのは賛成だが自分の土地をつぶすのは反対)が一般的で、忌避伝説では「鉄道が通れば火事になったり風儀が乱れたりするから反対」という俗説が多いが、明治二十五年という早い時期に総論、各論とも賛成というのは見事であり、交通機関に恵まれていない津南郷住民の鉄道への協力が十分に察知される。
(『津南町史 通史編 下巻』p.343)
 と述べており、時期的にはかなり早い「忌避伝説」打破をした地方史ではないかと思います。

 『津南町史』でもっとも興味深いのは、飯山鉄道の寄付金強要問題です。
 ローカル私鉄の建設時は、株式を沿線の人に割り当て、あたかも「村祭りの寄付」のようにして資本を集めたというのはよく知られていることです。そして、株式応募以外にも、鉄道のために補助金を出したり、用地を寄付したりという話も全国各地に伝わっています。沿線住民の、「自分たちの鉄道」が欲しいという熱意で、この意識の残滓が、今になってローカル線廃止反対につながることもあるのではないかと思います。
 飯山鉄道もその例に漏れず、信濃浅野駅なんかについて用地を寄付したという話があります。ところが飯山鉄道はそれでもさらに金がなく、結局沿線の信濃川流域で水力発電所を計画していた電力会社に、建設資材の輸送を担うことを条件に出資して貰うことになりました。すると、
・・・信越電力の資本参加後、工事が信濃川・中津川の電源地帯に向かって進むにつれ、住民の考えも大分変わってきた。株式募集に応じたり、用地買収に協力するなどの通常の経済関係はみられたが、用地の寄附は少なくなり、また新潟県も南魚沼郡も補助金は支出していない。
 そこで飯山鉄道は、駅用地を寄附した地元とそうでないところとの間に公平を期するという理由で、停車場(駅)を設定する地域の地元から寄附金を徴収することにした。寄附に徴収とはそぐわない言葉だが、少なくともこの寄附金の実態は、自発的な寄附というよりは賦課金に近い・・・。
(『津南町史 通史編 下巻』pp.350-351)
 寄付金を徴収。確かにこれは、そぐわない言葉です。しかも会社が公然と要求したというのは、日本ではあまり例を聞いた覚えがありません。アメリカでは、「金払わないと線路つけないぞ」と鉄道会社が金を要求した例はよくあったようですが。
 実際、飯山鉄道は当初駅建設予定だった平滝を、寄附に熱がないからと横倉に変えてしまったのでした(のちに平滝駅もできますが)。そこで地元が払わされることになった寄附金、越後外丸駅6500円、越後鹿渡駅3500円。今のお金で外丸が二千数百万、鹿渡が一千数百万というところでしょうか。

 この資金調達と支払については、『津南町史』のこの部分の資料編を作成された瀬古龍雄氏が、「飯山鉄道と地元寄附金問題 不況期に金策に苦しむ零細山村の実態」という論文を『鉄道史学』1号(1984)に発表されています。

 それによれば、この寄附金は貧しい山村にとっては大金で、仕方なく当座は村が銀行から借りて払い、その後分割払いで鉄道におさめることになったのですが、折からの世界恐慌に農村不況でどうにもならず、すると鉄道会社の支配人から「はよ払え」と督促状が届きます。その督促状には、「払わないと鉄道省とかうちの社長が怒るよ」という趣旨のことが書かれていました。飯山鉄道の社長は、最大株主の東京電灯=当時日本最大の電力会社、というか当時日本最大の株式会社、の社長が兼務していました。
 これが多摩あたりで同じことをやれば、住民が逆ギレして鉄道本社が火の手に包まれたと思いますが(笑)、山村の住民はそれだけの力もなく、泣く泣く払ったようです。さらに金を借りていた銀行からも返済を迫られ、こっちは何とか利子を負けてもらって解決したとか。
 
 東京電灯の威光まで使って金を要求するとは、なんだかやってることがヤクザじみてますね。東京電灯はアメリカから電灯技術を導入して創業しましたが、アメリカから余計なビジネスモデルも学んできたんでしょうか。
 アメリカといえば、世界鉄道史上最悪の雪害は、アメリカの大陸横断鉄道の一つであるグレート・ノーザン鉄道が、カスケード山脈で雪崩に巻き込まれて96名の死者を出した事故だと物の本にあります。「ラッセル車」というのも、アメリカのラッセル社から買った車輌が最初だったのでそういう名前になったらしいです。
 で、アメリカ大陸横断鉄道といえば、太平洋岸では人手が少なかったので、中国人労働者を連れてきて働かせたことがよく知られていますが、飯山線の建設工事では、人夫の約8割が朝鮮人労働者だったそうです。
 ある意味飯山線は、「アメリカン」な鉄道だったのかと・・・


 というわけで、2回にわたって鉄道と女性関係の話をお届けしましたが、どちらの記事も実は後半にこそ小生の書きたいことがあったわけで、「鉄道むすめ」というワードに引っかかってここまで読んできてくださった方には期待はずれだったかも知れませんが、当ブログの仕様なのでご海容の程。枕にしてしまったMATSUDA98さんや読者の方には失礼いたしました。
 最後に一応話を元に戻してくるならば、「鉄道むすめ」的な話をもっとふくらますのだったら、観光案内的なものから地域に根ざしたものになることで、鉄道全体への好感度がもっと上がれば、そして交通体系への関心が高まれば良いと思います。それは物語作りの上でも手がかりになろうかと。
 それにつけても、鉄道の労働組合が暴走した挙げ句住民が怒る、という話を作った速水螺旋人先生のセンスにはほとほと脱帽する次第です。荒唐無稽なお話でも、ツボを押さえているから読者を唸らせるわけで、車輌の絵同様、知識に裏打ちされた速水先生のディフォルメの上手さだろうと思います。作品数が増えることで、こういった知識やツボの抑え方も、マンガの世界で広まっていけばと願います。

 「鉄道+女の子」もので、世界で一番流行ったのは、おそらくアメリカのMGM映画『ハーヴェイ・ガールズ』(1946)だと思います。ハーヴェイ・ガールズの話は当ブログでも何回かしましたが、この映画は、なんてったってアカデミー賞を取っているのです(ジュディ・ガーランドの歌による音楽賞ですが)。
 というわけで、「鉄道むすめ」も目指せオスカー! として、本稿をひとまず締め括ります。
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by bokukoui | 2009-05-13 23:59 | 鉄道(歴史方面) | Trackback | Comments(4)

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Commented by 無名 at 2009-05-14 13:41 x
小生の記憶では平成前後まで女性にとって、重要な現金収入の道でした。
男性は出稼ぎ及び、除雪組合の(道路や住宅地の)除雪を行うため、鉄道には女性が主としてかかわりました。
ちなみに、平成前後からは、ゴルフ場やN場Pホテルの室内清掃などが重要な現金収入の道になります。
しかし、えらく懐かしい話が出てきました。
Commented by 無名 at 2009-05-14 13:47 x
雪ん子ファッションは一部のマニアに受けるのでしょうか?。
御一考を。
Commented by 憑かれた大学隠棲 at 2009-05-16 06:46 x
一応は商品化されている模様ですね。URLのほうクリックしてみてください
Commented by bokukoui at 2009-05-21 23:54
>無名さま
いろいろと情報ありがとうございます。やはり豪雪の山村で交通を維持するためには、かなり広汎な労働力の動員が必要で、しかもそれが地域載って必要という状況だったんですね。
雪ん子は・・・先例はありそうですが。

>憑かれた大学隠棲氏
こりゃ面白いですね(笑)どういうつもりで作ったのか、ちょっとおかしいですが。
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