秋葉原通り魔事件から1年 とりとめもなく

 秋葉原で7名の死者を出した事件から今日で一年になります。
 あくまで管見の範囲ですが、新聞ではある程度、関連した報道がなされているようでしたが、一方ネットのニュースでは案外話題になってはいないようです。事件の性格上、むしろ逆の傾向を示して然るべき気もしますが、そんなものなのでしょうか。もっとも報道も、いまさらナイフの規制の話だとか、歩行者天国の話題だとか、防犯カメラを設置する話などで、何か新たな展開があるという様子でもなさそうです。また、犯人である加藤被告の公判も、昨年10月の起訴以降、まだ始まる時期は確定していないようです。
 さて、小生も、たまたまこの事件に当日居合わせて一年になったわけですが、一年を経て心に浮かぶことを、思いつくままに少し書いてみたいと思います。本来ならば、この事件を扱った書物を読んで感想などでも記そうと思っていたのですが、なかなかそのような時間的余裕もなく、それはまたの機会に。



 病気など諸般の事情により記事の完成が遅れに遅れ、時機を逸しましたが、何も書かないということも何なのでとりとめもなく。
 全くとりとめもないのでその点をご諒承下さい。


















 新聞を読んだところ、社会面で秋葉原通り魔事件一周年を伝える記事はそれなりの規模であったと思いますが、その内容は亡くなられた方のご遺族や負傷された方の動静を伝えるもののほかは、ナイフの規制云々というどう考えても本事件の副次的な要素に、小生が思うには、多くの誌面を割いている印象がありました。その他、秋葉原の街の状況や歩行者天国の復活如何に関しても、ある程度触れていましたが、その分、加藤被告の「派遣」労働問題や、顔と恋人などの事件後直後に話題となったことについて振り返った記事は、相対的に少ないように感じられました。
 この事件が世間の耳目を集めた主要な理由は、具体的・定量的に示すのは難しいですが、事件後に出版された「アキバ事件」を表題に冠した数冊の書物の内容からすれば、やはり労働問題と社会的認知の問題だったように思います。
 その印象からすれば、今回の一周年の報道は何だか肩すかしを受けたような、そんな印象です。一方、加藤被告自体がネット上の掲示板に多くのコメントを残していたことから、ネット上でも何か話題になっているかと思ったところ、これもそうでもないようでした。
 目に付いたのは、「アキバ系」の著名なブログが一周年の献花へのマスコミ取材の様子を批判したり、これは昨年一緒に秋葉原の中央通りを走った「革命的非モテ同盟」古澤書記長のブログ経由で知ったのですが、秋葉原通り魔事件の被害者中の特定の方への誹謗中傷がネットの一角で吹き上がったりしていた模様です。かつてネットでなされたような議論も、もうこの機会にされることはなかったようです。やや話が逸れますが、本件に関する古澤書記長の記事はなんだかなあ、といいますか、ラボアジェだの何だのと格好をつけ(て、ずっこけ)ないで、ひとことでも「自分の」言葉で書いて欲しかったと思います。折角加藤君と秋葉原で一期一会の出会いをしたわけですから。

 振り返れば、一年前はリーマン・ショック前でしたので(今こう書いていて我ながら意外な感がしますが、リーマン破綻は昨年9月でした)、まだ景気悪化が深刻ではなかったため、派遣云々などの問題を余裕を持って? 論じることができたのでしょうか。しかしその点では、この事件は「早すぎた」のでしょうか。時代のさきがけとなったという点では、後から振り返っての重要性はきっとあると思いますが、今まさに景気悪化の状況下では、かえってそのように振り返るには中途半端なのかも知れません。



 秋葉原の街については、事件による歩行者天国中止の影響について、今なお断続的に話題になっています。街の活気が無くなったという声は強くあり、綺麗なビルは出来ても、今一つ客足が・・・というようですが、それは一般的な景気悪化の影響もあり、歩行者天国の影響だけかは分からないですね。
 ところで、小生は事件後一年、秋葉原の街について多少の知識を得た結果、今現在思っていることは、「秋葉原は『魅力ある街』なんだけど、なんだか『最近は元気がない』から、何か活性策を打ちたい」と思っている主体がかなり沢山存在しているにもかかわらず、各主体間の連携がないというか、そもそも存在自体どれだけ互いに把握しているのか、そんなところがあるのだなあということです。「萌え」なゴミ袋を作った社会企業家の方だとか、事件前から区議が中心にやってる「おそうじ志隊」だとか、歩行者天国復活のために監視カメラの費用を募金していた方々、そして"地元"に行政。
 ですがまた思うに、これこそが「秋葉原」なのだと、つまり、神田明神のお膝元であることに誇りを持つ人と、「萌え」の聖地だと思っている人と、部品の豊かな狩猟場と見ていたコンピュータやオーディオマニアのような人とが、「秋葉原」という入れ物の中に同床異夢を託していて、そのさまざまな価値や夢を曖昧に受け入れていたことが魅力だったのだと、そんな気もします。だとすれば、加藤被告になしたことは、共存するつもりもない(互いに認知していない)さまざまなものを、等しく襲撃したことで、その同床異夢の「異」な部分を先鋭的に突いたことになるのかも知れません。加藤自身、そんなつもりはこれっぽっちもなかったでしょうけど。
 そして、これは気の回しすぎかも知れませんが、いわゆる「オタクブーム」の終焉を印す画期に、この事件はなりつつあるのかも知れないという気もします。


 とりとめないついでに、全く個人的にこの事件を振り返ることをお許しいただけるなら、小生自身はこの事件で何か人生に於いて重大な影響があったのか、思い出して恐怖に駆られたりするような心的外傷の類があるのか(ごく稀にメールなどで当ブログの本事件記事に関しコンタクトを取って下さる方々は、おしなべてそういった懸念を示されます。社交辞令なのかも知れませんが)、というと、全然ないんですね。
 上でちょこっと、秋葉原について知識を云々、とか書いてますが、実は小生は事件後の翌週に秋葉原に行ってます。その時、事件現場の交差点を通って思ったことは、「歩行者天国をやめると、自分が走った中央通りがえらく狭く見えるなあ、もっと広い空間だった気がするけど」ということでした。これは今も思っています。ただそれは、事件直後しばらく、附近を観察していたたため、広く感じたのかも知れません。パッと見過ごすものよりもよく観察したものの方が、印象として大きく感じられるというのは、間々あることです。
 ただ、本当に全然何も感じないと(以前、秋葉原事件に関する宮台・東その他諸氏のイベントに行った際、「事件に出会おうと出会わなかろうと、自分は同じようにこの議論を聞いただろう」と思って苦笑したことがありましたが)、かえってそれ自体が「ひとでなし」みたいで、何となく居心地の悪いような、そんな気分もします。或いは、関係者というには辺境で、部外者的立場を取るには直接的経験に富みすぎている、そんな自分の宙ぶらりんさを反映した居心地の悪さなのかも知れません。


 他に、「追悼」ということについてもとりとめもなく思っていることがありますが、既に時機を逸しており、これは別記事に譲って、ひとまず本記事はここで閉じます。
 裁判が始まればまた社会的関心が新たな形で立ち上がるかも知れません。小生も機会があれば、自分が見た人物が加藤被告なのか確かめるために、一度くらいは傍聴したいと思いますが、いつになるのでしょうか。
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by bokukoui | 2009-06-08 23:59 | 出来事 | Trackback | Comments(4)

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Commented by 孤板の住人 at 2009-06-10 18:49 x
秋葉原の通り魔事件、確かに世間で話題にされることは少なかったように思います。ただ、2ちゃんねるの「孤独な男性(仮)」板ではスレが立っております。過疎っている弧板で、8スレ目まで行くのは凄いことです。

秋葉原の通り魔事件、確かに世間で話題にされることは少なかったように思います。ただ、2ちゃんねるの「孤独な男性(仮)」板ではスレが立っております。過疎っている弧板で、8スレ目まで行くのは凄いことです。

マスコミ報道だけを聞いていると、充実した人生を謳歌していたようにも思えるのですが、スレタイにある通り、まとめwikiにある日記を読むと一言一言が寂しく、私としては孤独を感じざるを得ないです。

だからと言って、通り魔が正当化されることは断じてあってはならないのですが、犯行後の加藤には、彼の話を聞こう、理解しようとする者が、こうして大勢現れたわけです。

それこそが本人が長いこと切望していたものである気がして、超えてはならない一線を大幅に越えてしまってまでも手に入れようとしてしまったことが、切ないと、私は思います。
Commented by 孤板の住人 at 2009-06-10 18:51 x
誰だって注目されたい、理解されたい、話を聞いて欲しいものです。大半の人は一戦を超えることなく生活できているわけですが、なんだかんだで、語り合える友や同僚が居たり、理解のある親がいたり、恋人がいたりする。ペットだったりするかもしれませんが、まぁ大概誰かいる。

彼は、そこまで愛のない生活を送っていたのだろうか、と思ってしまいます。また、私達も社会を構成する一員として、そのような状況に追い込んでしまった面もあるかもしれません。

と・・・上は私個人の考えではありますが、「秋葉原の通り魔」と言われると、色々と考え込んしまい、実社会では中々話題にしにくいです。他の人も同じかもしれません。だから、決して、関心がないわけではないと思います。


すいません。実はURL欄のサイトを周知してまわってます。個人的に気になる記事だったので、長文コメントしてしまいました。申し訳ないです。

また来ます。続きをお待ちしております。
Commented at 2009-06-16 13:28 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by bokukoui at 2009-06-23 00:21
>孤板の住人さま
続きを随分お待たせしてしまい申し訳ありませんでした。その割にはどうにもまとまりませんで恐縮です。

加藤被告が人と関わり合いたくて、しかし携帯電話の掲示板ではそれに失敗してしまったということは、事件後かなり話題になったと思います。当ブログで以前レポを書いたトークイベントで、東浩紀氏や宮台真司氏らが「社会的包摂」について論じておりましたので、そちらをご参照いただければ幸いです。

ご紹介のサイトに関しては、「洗脳が解けた」と思い込んだこと自体が洗脳だったという事態も間々あるのではないかと思います。あまり軽々に、恐ろしい何者かが無辜な「われわれ」を陥れようとしている(そのような感覚を抱いてしまうのは、オウム事件の影響が大きいとも聞きます)と断じない方がよいのではないかと思います。
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