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筆不精者の雑彙

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くりでん(くりはら田園鉄道・栗原電鉄)の現況を見る 中篇

 くりでん(くりはら田園鉄道・栗原電鉄)の現況を見る 前篇

 の、続きです。今回は栗駒駅とその周辺、及び倉庫や車庫の中身をご紹介します。



 まず、栗駒駅の様子を。
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栗駒駅と駅前広場
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 前篇で紹介の若柳駅や沢辺駅と違って、随分と近代的で立派な駅舎です。この駅舎の正確な建設年代は失念しましたが、戦後しばらくのことであったと思います。その時代のこの規模の駅舎は、国鉄ならば準急停車駅くらいの地方都市の駅に匹敵するでしょう。もっとも、鉄道関係で使用していたのは一部だけで、2階や向かって右手の部分などはバス会社が使っていたそうですが。
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構内側から望む栗駒駅
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栗駒駅のホームの様子
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栗駒駅のホーム同士の関係

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片付けられた栗駒駅の待合室

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栗駒駅の事務室から待合室を見る 右手が出札口、左手は手荷物窓口か

 さて、ここで昼食を摂ったのち、バスが出るまで多少時間があったので周辺を散策していたところ、小生はたまたまくりでん関係の遺物を発見しました。それは栗原駅前の通りをまっすぐ進んで、クランクぽい交差点になっているあたりです。
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 上の写真の赤い矢印の先に、すっかり錆びて赤茶色になった鉄の柱が立っています。すぐ後ろに緑色の現役の街灯が立っておりますので、この錆びた柱は昔の街灯だろうと思われます。で、この柱をよく見ると、こんなプレートが取り付けられていました。
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「贈栗原電鉄株式會社」のプレート

 栗原電鉄の景気が好かった頃、栗原の町に街灯を寄贈したのでしょう。
 この前日のシンポジウムで、「宮城県の鉄道発達史とくりでん」と題して青山学院大学の高嶋修一准教授が報告された中で、1965年頃までのくりでんは三菱の細倉鉱山関係の輸送が盛んで利益を上げており、旅客輸送やバス部門を補填していたのみならず、鉱山以外の地元貨物輸送へも内部補助を与えていたらしいという話がありました。というのも、くりでんの文書中に輸送契約書が残されており、それによるとくりでんは貨物輸送の顧客に対し割引や運賃割戻などの特典を出していたことが分かります。そして1965年頃までは、特典の相手は日通で地元の肥料や原木の輸送などに対して主に特典を賦与していたのに対し、1965年頃以降は細倉鉱山に対して割引を行うようになるのだそうです。その頃から鉱山経営が従前よりも苦しく、また自動車輸送も次第に盛んになっていったのでしょうが、とまれ、くりでん最盛期にはそのような形で細倉鉱山の富が地域経済も潤していたのではないか、というお話でした。
 で、おそらくはこの街灯? も、多分そのように細倉鉱山から掘り出された亜鉛が回り回って、ここに立つに至ったのではないかと思います。鉄道そのもののみならず、このような地域にもたらされた影響を物語るものも可能な限り保存できればと思います。この街灯の柱程度なら、大して邪魔にもならなさそうだし。

 さてここで、くりでん廃止直後に、廃止時まで使っていたさまざまな用具類一切合切を収納しているという倉庫を見せていただきましたので、その写真も何点かご紹介。もっとも暗い倉庫の中でデジカメの性能が足りず、例によって曖昧な画像の点は何とぞご寛恕を。
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倉庫に収められた駅名板その他の品々
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ずらりと並んだ閉塞機

 この倉庫には他にも、ポイントの転轍梃子や踏切の竿、梯子やバラストをふるい分ける篩、箱いっぱいの回収した硬券やら車内補充券やら、駅の待合室に置かれていた文庫の本までしまってありました。くりでんがそのまま冷凍保存されているような。

 さらに話は前後しますが、若柳駅の車庫を見せていただいたのでその中もご紹介。
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ディーゼルカーを収める車庫
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 この写真に写っている車庫は、車輌を収納するだけのシンプルなものです。またこの車庫の右手に写っている建物は事務室のようで、中には黒い鉄道電話や木製のロッカーが置かれています。更にその背後に写っている、曰く言い難い赤紫のような色のトタンの建物が、中に工場というか作業場を併設した車庫で、電気機関車と貨車が収められています。車庫の中には他にも踏切の警報機やリレーボックスなんかも回収されたのが置かれていました。このようなところには「安全第一」なんて標語がよく掲げられていますが、この車庫には額縁に「嵌合は角を取れ」なんて言葉が墨書して掲げられていました。
 この車庫の作業場の設備が実に心惹かれるものだったのですが、なにせ光線状態が悪い上に十分な引きが取れず、いまいちの写真ばかりになってしまいました。それでも一応以下に何枚か挙げておきます。
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車庫の中に併設された作業場 天井の軸からベルトで動力を取っていた
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ベルトの様子

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工作機械と電気機関車

 このような、天井の駆動軸からベルトで動力を得る方式の機械は、蒸気機関から動力を得ていたり、電動機がまだ少なかった昔の工場では一般的でしたが、その後電動機が安くなって機械ごとに取り付けられるようになり、段々使われなくなったといいます。このような工作機械の話は、以前当ブログでL.T.C. ロルト(磯田浩訳)『工作機械の歴史 職人の技からオートメーションへ』の話を書いた時にコメント欄で盛り上がってました。ここで伺ったところでは、この設備はくりでんが電気運転を止めるまで、つまり1995年まで使っていたそうです。それ以降の車輌整備は外注した由。ベルト駆動式の設備としてはかなり後年まで現役だった部類ではないでしょうか。この場で出た話では、群馬のローカル私鉄(確か上毛だったかと・・・)でもベルト式の同じような設備が近年まであり、地方私鉄ではベルト式の作業場が長く使われた例が結構あるのでは、ということでした。とまれ、この設備は鉄道にとどまらず保存する意義が少なくないと思います。

 細倉鉱山の精錬所内に残る貨物線などについては、後篇に続きます。 

※追記:本記事の続きは以下をご参照下さい。

 くりでん(くりはら田園鉄道・栗原電鉄)の現況を見る 後篇
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by bokukoui | 2009-07-13 21:57 | 鉄道(歴史方面) | Comments(0)