東名の築堤は崩れても新幹線が崩れないのは 償却の意義と歴史

 なんだか今一つ夏らしい盛り上がりを欠いたまま気候が微妙に秋っぽくなっている今日この頃で、まあ暑すぎないのは夏場になるとひっくり返る小生の例年のパターンからすれば喜ばしいともいえますが、睡眠の具合が相変わらずおかしいままで、万事思うに任せずじみじみと過ごす日々ではありますが、しかし、どんなに小さくても、自分の名前が書店で一般に売られている書物の奥付に載っているのは、何となく嬉しいものです。

 さて、さる11日の地震では静岡県内で東名高速道路の築堤が一部崩れ、高速道路会社はお盆の帰省ラッシュ前の13日まで突貫復旧を掲げたものの、結局16日午前0時までかかってしまいました。一方、並行する東海道新幹線は、安全点検を行ったため当日のダイヤこそ乱れましたが、基本的には大事なかったようで、翌日は通常通りになっていたようです(東名に較べろくすっぽ報道がなかったのですが、まあ「便りの無いのは良い便り」だったのでしょう)。
 で、ニュースを聞いていて不思議だったのが、なぜ東海道新幹線の築堤はほぼ問題がなかったのに、東名高速の築堤は崩れたのかということでした。突貫工事というなら、オリンピックという明確な期限のあった東海道新幹線の方が突貫だったのではないかと思われます。ピンポイントな地盤や地質の問題だったのかと素人考えを巡らしていましたが、これについて大変興味深い説明をされているブログを見つけましたので、以下にご紹介させていただきます。

・鉄路的部落「地震で盛土崩落の東名高速、意外と脆かった物流インフラ」
驚いたのは高速道路の盛土の脆弱さです。(中略)それと比べると東名高速より古い東海道新幹線では盛土の崩落はなく、マニュアルどおりに復旧できたことが際立ちます。この差はどこから来たのでしょうか。

結論から言えば、減価償却がされていたか、いなかったかの差ということができます。鉄道事業は営利事業である前提で、事業用固定資産の保全による事業の継続性が求められ、東海道新幹線が開業した1964年から国鉄でも、民間並みに資産の減価償却が行われるようになりました。(中略)

その辺を踏まえれば、地震の被害が経営に重大な影響を及ぼすことが容易に理解される新幹線では、路盤の補強やP波を検知して本震前にき電を停止するユレダスの設置などの対策が取られたことは当然のことといえます。そのように仕向ける仕組みができていたわけです。

一方の高速道路ですが、道路公団の事業として民間の会計基準によらない特殊な基準で対応されておりました。特に通行料は諸経費を控除後に整備費用の債務償還に回さなければならないわけですから、見かけ上の利益を圧迫する減価償却の仕組みを取り入れることは強い抵抗があったわけです。(後略)
 なるほど、と一読膝を打ちました。事業者に投資するインセンティヴが働いていたかどうかなんですね。そしてこの「鉄路的部落」さんの記事の続きでは、このような相違をもたらしてしまった道路公団とその改革の、国鉄改革に較べた問題点が指摘されており、また来る選挙の争点の一つとなっている、民主党の高速道路無料化政策へと論が及んでいます。大変興味深い議論ですので、交通政策にご関心のある方は是非リンク先をご覧下さい。
 民主党の高速道路政策については、畏友・東雲氏のブログ「東雲の独語」でも以前に論じられており、こちらもご関心のある方は是非どうぞ。共に「無料化」という言葉への脊髄反射的反応を戒め、民主党の政策の実現性を検討しており、勉強になります。なにせネットでは、例えば東名崩壊のニュースにこんな馬鹿げたコメントが付いたり(「これまでの」政策が誤っていたから崩壊したのであり、予知以前に既に問題を起こした過去の政権を不問にしているのは何で?)、東雲氏のブログのコメント欄にも頓珍漢なコメントをした人物がいて東雲氏に一蹴されているなど、げんなりすることが多いだけに。

 さて、人様のご意見ばかり紹介するのも芸がありませんが、かといって現今の道路政策に関しては小生は全く疎いので、以下におまけ的鉄道昔話を一つ。新幹線の開業した頃から国鉄は減価償却を行っていたのに対し、高速道路は全然そんなことはしていなかったわけですが、民営の鉄道についてはどうだったか、というお題です。

 戦前の日本の会社では、減価償却は義務ではありませんでしたので、明治時代に最初に会社が出来る企業勃興の頃は、株主の多くは目の前の高配当を追い求め、減価償却だ将来への投資だということに関心のない場合が多かったようです。投資に積極的で配当に冷淡だった山陽鉄道の中上川彦次郎が、1891年その地位を去ることとなったのがその象徴でしょう。他業種もみんなそうだったようですが、同じ交通業でも、1887年大阪商船が政府の補助金を受けるに当たって船の4%以上の減価償却などの条件をつけているのに較べると、鉄道についてはそのような政策が強く取られることはなかったようです。ちなみに大阪商船株主には、「そんな償却させられると配当が減るから、補助金なんか要りまへんがな」という連中も多かったとか。
 とはいえ、会社に関する法制度が整備され、専門経営者も登場する明治終盤になってくると、紡績業や海運業の大企業では自主的に償却を行うようになります。大阪商船も補助金の条件以上に自主的に償却を積み増しています。が、鉄道ではあんまり一般的になりませんでした。
 日本の鉄道の会計はイギリスの流儀を引継ぎ、会計を「資本勘定」(会社が調達した資金をどのような資産にしているか)と「会計勘定」(事業の収支)とに分離して、施設の補修費はもっぱら会計勘定での経費で落とすようにしていたので、減価償却して資本勘定に計上されている鉄道施設の価格を直接減らすことは基本的にしていませんでした。

 鉄道国有化を経て私鉄の中心は電鉄に移りますが、斯界でも「償却不要論」が大部を占めておりました。そして償却を無視して全力で配当。これが基本。ノーマーク爆配当。
 今より貧しい、つまり資本の少ない当時の日本で大規模な資本を集めるには、具体的制度で言えば分割払込の株金を徴収するには、高配当は欠かせないものではありました。しかし、他業種と較べても償却不要がまかり通っていたのは、鉄道の土木設備が一度作ったら半永久的に使えるものという観念があったのでしょうか。このへんはもうちょっと調べないと。
 ところが、このような経営を長年続けていきますと、傷んできた設備がいつまでも簿価で残る一方、併用軌道の専用化だとか複線化だとかで追加工事をした金額が年々積み重なり、固定資本が際限なく膨張していきます。それでいて補修費は増える道理。そこへ世界恐慌とバスの台頭がやってきて、昭和初期の電鉄業者は苦しいやりくりを強いられます。まあ、小田急の利光鶴松のように、「蛸配は経営の基本」と豪語して、ちっとも売れない中央林間界隈の土地なんぞの評価益をでっち上げて配当していた経営者もおりましたが。
 ちなみに公営の東京市電も赤字と経営難がこの頃問題になっていましたが、震災の被害復旧やバスの台頭や高めの人件費などの要因に加え、震災復興の際に電気局が復旧費約1億円(今なら数千億)を一般会計から背負い込まされていたこともやりくりの苦しさの一因でした。「儲かる公共的事業の上がりを社会に還元する」というのは合理的なようでいて、必ずしもそうではないかもしれません。国鉄債務のJR追加負担にも一脈通じそうな話です。

 さて。
 このように、償却軽視の付けが廻ってきていた電鉄界でしたが、小生は戦後まではちゃんと調査していませんけど、結局過重な固定資本と償却不足の問題はうやむやのうちにハイパーインフレでやり過ごしてしまったということになりそうです。
 戦争は交通統制で電鉄事業者の自由な経営を妨げたように言われますし、戦争や戦後の混乱による傷手は大きいものでしたが、帳簿の上ではそんな見方も出来るのではないか、と最近思うのでした。
 そしてこれは、世界の他国に類例をあまり見ない、日本の民営電鉄の存在感の大きさを説明する、一つの歴史的要因になるのかも、とも思っていますが、この辺は今後の研究課題ということで。
[PR]

by bokukoui | 2009-08-18 17:21 | 鉄道(時事関係)