永田町でみたび「外国人参政権反対」な「草莽」に出くわす
時はちょうど午前11時頃、小生はこの日夕刻まで国会図書館に籠もるつもりでおりましたので、早めの昼食と思って、永田町の駅から地上に出たところにあるマクドナルドに入ったところでした。ちょうどランチタイムに入ったところで店はビジネスマン風の方々で雑踏しており、自動ドアも開きっぱなし状態でしたから、外の街宣車ががなり立てている声は店内にいてもよく耳に入りました。
「外国人参政権が実現すれば、押し寄せる数百万のチャイニーズに日本を乗っ取られます」「小沢民主党の陰謀(暴走だったっけかな?)を阻止しましょう」「常識ある国民の皆様に訴えます」とかなんとか、連呼していたように思います。写真は以下の通り。例によって携帯電話の付属機能なので画質は大したことはありません。
小生がこの街宣に関しいささか心中複雑にならざるを得なかったのは、その時マクドナルドのカウンターにいた女性店員の一人が、ネームカードから察するに中国系と思われたことで、さて彼らの連呼する「中国人の脅威」と、いまここに目の前にいる人とはどのようにつながるのだろう、ということでした。
外国人参政権問題について小生は関心も知識も乏しいことは以前の記事に書いたとおりですが、少なくとも今現にいる在日朝鮮人を問題とするのならば、問題とすること自体は否定すべきではないのだろうとは思えます(どれほど問題があるのか、実際のところ大してないのかは別にして)。しかし、現在日本所在の集団として政治的な勢力をなしているとは言い難い中国人を、「何百万人」(「何千万」とかも言っていたような気がする)も押し寄せるというのは、いくら何でも飛躍しすぎではないかと思います。それは現実に存する問題ではない、彼らの心中の中のなにがしかの情念の噴出という面が強いのではないか、そう思えます。
むしろ中国本国を居づらいと思っている人材のうち優秀な人材を招く方が、本当に「中国の脅威」に対抗し、しかも日本の発展にかなうと思うのですが、というのは小生が昔第2外国語の中国語を趙宏偉先生に習っていたからですが。趙先生は「中国は共産党でなかったらもっと発展した」などと力説されるので、学生一同てっきり台湾人だと思っていたら、あとで訳書の翻訳者紹介をみて「遼寧省出身、吉林大学卒」などとあり、驚くとともに趙先生国に帰る気ないんだなあと思った次第でした。確か日本人の女性と結婚されてお子さんもいたんだったっけかな。頭脳流出の一例と申せましょう。しかし趙先生、鼎談本の相手は選んでほしかったなあ・・・
まあこれは極端な例ですが、むしろ中国人の海外への視線に日本があんまり上がってこない方を心配すべきじゃないかと思う次第です。あと日本側の要因もあると思いますが、話が長くなるし面倒なのでこの辺で終わり。
もう一点、「草莽」という言葉をこのように使われることにも違和感を感じざるを得ません。やはり「草莽」という言葉を掲げるならば、色川大吉先生の本は読んでおくべきところではないかと思うのですが、おそらくあの「草莽」の旗を今掲げている人たちにそう言っても、色川大吉って阿佐田哲也の別ペンネーム? とでも思われそうな気がしております(←このネタは種村季弘が『書物漫遊記』でやったののパクリです)。豪農層は一応地方議員層につながらなくもなさそうなんですが・・・彼らの「草莽」イメージは『竜馬がゆく』の域をどれだけ出ているのか、出ているにしても司馬遼太郎の下にしか出てないでしょう。
「草莽」でちょいと検索をかけたら、以下のようなブログが見つかりました。
・遠方からの手紙(別館)さん「草莽とは」
「草莽」という言葉を外国持参政権反対のような文脈で使いたがる原因を、手短に論じており、小生の無駄に長い文章を読むより遙かに有意義と思いますのでご紹介する次第です。
よくまとまっているので今更小生が付け加えることもありませんので、以下は勝手な思いつきというか余談。遠方からの手紙(別館)さんの記事にこのような一節があります。
草莽とはほんらい無位無官の在野の人間のことを意味するのだから、いくら地方議会であるとはいえ、税金で養われている議員らが 「草莽」 などと称することじたい奇妙な気はするが、それはまあおいておこう。この箇所を読んで、小生はこれとよく似た表現を最近読んだ記憶がよみがえりました。それは、戦前期に政党の退潮と軍部の台頭の間隙で勢力を拡大し、戦時統制経済体制をこしらえた革新官僚・新官僚について、彼らが世間に知られるようになった1936年に書かれた文章です。
さて新官僚と称する役人の一団は、新時代のために新政治をもたらすべく、革新の道に邁進しているということである。彼らの志は常に政権の側に立って改革を行うということにあるから(略)生活の苦労なくして志士たるべくんば、天下の何人が志士たるを欲しないであろうか。かくのごとくして新官僚は、実に猛烈なる志士の一団なのである。(阿部真之助「奥村喜和男」、『現代世相読本』(1936)所収)この引用部は、橋川文三「革新官僚」(神島二郎編『現代日本思想体系10・権力の思想』筑摩書房(1965)所収)の孫引きです。最近革新官僚のことにいろいろはまっているので。
ところで、以前の記事で、この手の「草莽」団体の活動に対し、安倍晋三元首相がビデオでコメントを寄せていたことを記しましたが、この「志士」たることを称して戦時体制の強化に奔走した新官僚・革新官僚の大親分こそ岸信介に他なりませんから、その点ではそれなりに「志士」の系譜がつながっているのでしょうか。
ただその場合、看板は「保守」ではなく「革新」にすべきと思いますが。
※更新した時刻は下の時刻よりずっと後ですが、出会った日の日付にしたかったのでこうなりました。ご諒承ください。