季節の変わり目に毎度の如く体調を崩し、ここ十日程全く外出できずに引きこもるという惨憺たる状況で、
先に掲げた裁判の傍聴も果たせぬままに終わりましたが、いつまでもそうもしておられませんので、昨日あたりからようやく動き出したような次第です。
そんなわけで、当ブログも一週間放置し、最近定点観測を試みている交通博物館の最期の模様も調査していないのですが、最近当ブログに該記事を検索で探し当てて来訪される方も少なくない様子に鑑み、更新再開に際して表題の如き過去の画像を発掘してみた次第です。なお、関連する記事の増加に伴い、
「[特設]さよなら交通博物館」カテゴリを設けました。
神田にあった交通博物館が閉館したのは2006年5月のことで、建物の解体は昨年秋頃から本格的に始まった(別館は早くに撤去されていましたが)ようですが、その間の2008年7月、思いがけない機会で当時の交通博物館館内に立ち入らせていただく機会がありました。その際は館内を見て回れるとは思っておらず、カメラも持っておりませんでしたので、はなはだ画質の低い携帯電話附属機能のカメラによるものでしかありませんが、在りし日を偲ぶよすがとして、以下に掲げます。
これは1階のホール、蒸気機関車2輌が展示されていたところです。注目すべきは、閉館後2年を経たこの時点でなお、天井からヘリコプターがぶら下げられていることです。結局どこへ引き取られたのか・・・
この写真は、1枚目と同じ場所を反対側から撮影したものです。画面奥に受付(売店)だったところが見えますが、その右手が入口でした。
これは、交通博物館の発祥でもある、中央線の高架下の様子です(だったと思います)。周知の通り元々交通博物館は、鉄道博物館として旧万世橋駅の跡地を利用して設けられました。
これも旧万世橋駅の一部である倉庫だったと思います。今でも万世橋の上から、神田川に沿った旧万世橋駅跡にして交通博物館に使われていた煉瓦の構造物が見えます。その建物は川に面して窓が並んでいますが、交通博物館時代はその窓のある箇所は倉庫に使われていました。ところが、川沿いに窓があるもので湿気が入りやすく、展示資料の保存場所としては悪条件でした。そこで年中無休で除湿器をかけ通しだったそうですが、そのための電気は中央線から分けて貰っていたので、博物館としては電気代無料だったそうです。
これは閉館前に見に行かれた方も多かったかと思いますが、旧万世橋駅のホームに上がるための階段です。写真に見える戸を開けると中央線の電車が見えるはずです。
最後に、これは3階のかつての航空関係の展示フロアの様子です。壁のパネルがまだ残っており、展示品は箱詰めされた状態で積まれています。なかなか引取先が決まらなかったのでしょうか。閉館から2年経ってもこの様子だったのには、いささか驚きました。解体工事が始まるまで3年もかかったわけですね。
以上、写真のお見苦しい点はご海容の程。
交通博物館の建物の解体状況に関しては、今後も折に触れて見ていきたいと考えております。