「統一協会が秋葉原でデモ行進」に関連して纏まらぬ思い付き雑彙

 先週当ブログで報告した「統一協会が秋葉原でデモ行進 『児童ポルノ規制強化』を訴える」の件ですが、折からの東京都青少年健全条例改訂問題(上掲リンク先に解説あり)とも絡んで、望外に多くの方に閲覧いただいたようです。その後当ブログで、該当の件に関し多少の補足訂正記事を書きましたが、本来その際に本件に関する個人的見解やいただいた反響に関して書いてみるつもりが、多忙と体調不良で延び延びになっておりました。一週間経って今更の感もありますが、物言わぬは腹膨るるとも申しますし、適当に思い付きを挙げてみたいと思います。来るべき条例継続審議に際して、なにがしか議論の一助になればと思いますが、あまり役には立たないとは自覚しています。
 なお、当ブログではこれまでも、このような表現規制に関する記事をいくつか掲載してきましたので、関連する記事にタグを附しておきます



 以下は断片的思いつきなので、お暇な方のみどうぞ。





 まず、統一協会関係者のブログがもう一つ見つかりましたので紹介しておきます。

・私の統一教会に対する素直な思い
 小生はキリスト教の教えに詳しくはありませんが、上掲リンク先の主張「神様から始まった血統・・・ / 神様を親として生まれた私たちだから・・ / 聖き血統を守るため、 / 統一教会は「家庭」の大切さを伝え続けます・・・」というのは、キリスト教の概念から外れたもののように思われます。なお当ブログが「統一協会」の略称を使用し、「統一教会」としないのは、正式名称が「世界基督教統一神霊協会」だからということもありますが、多くのキリスト教教団から彼らがその一員として認められていないことも考慮しております(確かマスコミに対し「統一教会」としないような申し入れがあったということを昔読んだ覚えがあります)。

 さて、上掲サイトは「統一協会 秋葉原 デモ」で適当に検索していて見つけたのですが、それにしても驚いたのは、秋葉原くらいサイトやブログを持っている人がやってくる街もなかろうに、小生のブログ記事の他、参加者のそれ以外の書いたものが見つからなかったことです(ツィッターではあったのかも知れませんが)。人出自体は好天もあって(風は強かったですが)結構多かっただけに、水戸のコミケは次の日の筈だったし、そんなわけで個人的には一番驚いています。
 で、如上の検索語でぐぐったりしてみたら、トップがやや日刊カルト新聞さんの「統一教会がアキバでデモ行進。都の漫画規制問題に参戦か」の記事でした。アクセス解析からしても、こちらから当ブログに来られた方はかなり多いようです。ですのでご紹介いただいたこと自体は大変有り難いのですが、結果的には読者の方に"統一協会の陰謀"を過剰に印象づける形になってしまった懸念もあろうかと、忸怩たるものもないわけではありません(もちろんこちらのサイト自体はカルト関連の情報収集を中心とし、統一協会の布教作戦の一環ということを主な論点としているのですが)。

 デモのレポートのまとめとした箇所のうち、「・統一協会は秋葉原を『性的に問題がある』存在で、攻撃の標的と見なしている」というのは直接ビラ撒きの人に質問して得た内容ですので、少なくとも下部構成員にそのように教えていることは確かと思われます。「・統一協会が『東京都青少年健全育成条例』問題に関わっている / 関わろうとしている」というのも、ビラ撒きの人がこの件について知っていたこと、秋葉原をデモの場所とした理由の説明、統一協会がかねがね「純潔教育」を唱えていたこと、などからまとめたものです。
 ただ、実際の所の、今回の都条例改正の動きに統一協会が具体的にどう関与してきていたかについては、まったく分かりません。小生は、本件に関する情報は多少のネット閲覧とわずかなメディア報道で知ったのみであり、もしかするとどこかに何かあるのかも知れませんが、一応管見の範囲では何もありませんでした。それを踏まえて「関わっている / 関わろうとしている」と書いた次第です。

 で、このデモは、ネットでもメディアでもろくすっぽ報じられなかったもののようです。メディアへの宣伝としては、あんまり効果的とは評価しがたいでしょう。また秋葉原に集う群衆の人達に対しても、「?」という以上の効果を上げたかは甚だ疑問です。「統一協会だ」と感づいた人がどれだけいたかは分かりませんが、当ブログのデモレポに関し寄せられたブックマークの中にあるような、「純潔だの貞操だのだったら他でやれば?」あたりの第一印象が多かったのではと思います。
 では、このデモにはどのような効果があったのかといいますと、それはデモを行った人達自身の結束を固め、意思の統一徹底を図ることに対しての効果が中心だったと小生は考えます。デモのこのような効果はやってみないとなかなか分かりません(経験者談)。そしてこのようなことを、条例案の検討がいよいよ煮詰まってとりあえず継続審議で先送りとなった時にデモをしたというのは、考えてみれば後手に回っているともいえます。
 ここで仮説を一つ考えれば、ワンテンポ遅れて秋葉原に乗り込んできた彼らは、むしろこの、表現規制に踏み込んだ青少年健全育成条例問題に乗り遅れていて、とりあえずこれから関わっていこうと思ってデモを決めたけど、動員をかけて手続きしているうちに先送りが決まってしまった、ということかも知れません。といって、「純潔教育」の看板を掲げ続けている統一協会にとっては、このような問題に関わらないということもできないでしょうし、関わること自体は合理性があります。なので秋葉原でデモった、ということもありえない想定ではないと思います。
 つまり、「統一協会が表現規制推進派とつるんでいる!」というネガティヴ・キャンペーンは、安易に行うのは諸刃の剣であろうと申し上げたいのです。なるほど「純潔教育」的価値観と、保守政党のさらに一部に見られる価値観に通底するものはありそうです。だからといってそのようなレッテル張りは、自己満足にしかならず、無闇な排外意識の暴走に繋がったりする危険性を帯びています。今回の条例の話は突然だったので、告知のためにまず衝撃的な情報を広げる意義がないわけではなかったかも知れませんが、継続審議のやり直しという次のラウンドまでそれを続けることが良いこととは思われません。

 通底するといえば、表現規制に対し反対の烽火をあげる「オタク」の側にしても、統一協会にも通底するような精神を有している場合は決して例外的ではないと思われます(概して「オタク」の自民党支持率は、全有権者中のそれより高いと言えそうです)。例えば「昨今の女は腐敗堕落している、だから現実の女に用はない」とミソジニー(女性嫌悪)に走り、碌に勉強もしていないフェミニズムの悪口ばかり言っているような「オタク」連中は、小生もいささか身近に見聞してきました。
 あまりこのことについて追及するのも何ですが、あまりにネガティヴ・キャンペーンを激しくやっていると、的にしなくても良いものまで敵に回すのみならず、自分自身の身にも跳ね返ってくる弊害があり、その結果自身の精神にも好ましくない影響があろうと小生は考えています。

 さて、小生は諸事情により本条例改正関係の報道やネット上の議論を逐一追っているわけではありません。ですのであまり認識が正しいか分かりませんが、当初ネット上で「これは大変」と反対派がいろいろ運動を盛り上げていったのに対し、継続審議が一応見えてきた頃からでしょうか、「規制がよいとは思わないが、反対派の言ってることもひどい。こんな反対運動はだめだ」的な言説もちらほら見えてきたように思います。
 で、小生が本記事でここまで書いたことも、その系譜に連なることのように受け取られるのは致し方ないことですが、そして小生自身、反対派の言論に無茶なものが混じっていることは承知しているつもりですが、しかしこのような時に、一人高みに立って公平さと理性とについて自らが優位にあることを誇示するような言説は、率直にいって事態の改善にほとんど寄するものではないと考えます。問題点を改善のために指摘することは大変有意義ですが、「こんなんじゃ反対派は成功しないから、自分は身を引く」と公言して自らの優位性を維持しようとするのは、かっこよくありません。本当に失望した人は、ただ黙って去っていくでしょう。これは、小生自身が、往々そのような弊に陥りがちな故の、近親憎悪なのかもしれませんが。

 ので、単なる批判ではなく、問題点を改善するための案を一つ以下に述べることとします。実現性の程はまったく考えていませんが。
 問題は、表現規制に反対する運動を行う際に中心となる圧力団体がないこと、言い換えれば利害代弁者として行動するロビイストが乏しいことにあると考えられます。このような反対運動に際し、特にネット上では、中枢がないために、過激な言論が一人歩きして、時として足を引っ張りかねない事態を招くのだろうと思われます。いわばコンテンツの消費者団体があり、その存在が認知されていれば、このような表現規制を伴う法的規制を行うことへの歯止めともなります。
 ですが、だいたいそのようなものがこれまで存在しなかったのは、社会一般にはそのような集団が集団として認知されず、熱心なコンテンツ消費者は概してそういった政治的行動に関心も適性もなかったのでしょう。小説でも映画でもマンガでも、コンテンツを鑑賞し批評するセンスと、政治的センスは別ですから。批評ならばとことんまで突き詰めて考えるのもいいことですが、政治的駆け引きには向きません。
 結局、政治的センスのある団体のあることが大事で、これは世界にも日本にも数多ある同種の団体を検討すれば、なにがしかの手がかりはつかめるものと思います。小生は政治学に全く疎いのでほとんど何も思いつきませんが。難しいのはこのような団体のトップで、コンテンツの熱心な消費者(オタク)の傾向かrすれば、誰がなっても文句は絶えないでしょうが(苦笑)、コンテンツも分かって政治的センスもある、特に「オタク」に際してはサイレントマジョリティとでもいうべき女性の声を汲み上げられるような、そんな人材が望ましいわけですが、それにつけてもつくづく米やんの死が惜しまれるばかりです。

 とまれ、政治的なセンスとは、外部にも通じる「玉虫色」な「もっともらしい」説得が出来る所にあろうかと思います。
 今回の条例改定問題に即していえば、根本的問題は思想信条の自由にあり、条例を介して表現規制という手法で恣意的な道徳の押しつけをすることが問題と小生は考えます。ただ、このような大上段な説得ばかりでは功を奏しないでしょう。もちろんそれを主張することは大事で、また矢鱈と「健全育成」して子供を無菌室状態にしてしまうと、一体どうやって「大人」になるのだという問題もあります。長い目で見ての青少年の自立(自分の頭で考える)機会さえ奪いかねず、結局は「健全育成」の目的を達成出来ないわけです。これは規制派の「健全」のビジョンの貧困さであるとか、そもそも「自立」して親の思い通りにならない子供となる事への恐怖などがあるのではないかと思いますが、これはまた別の機会に。
 政治的に重要な争点となる、具体的論点としては、「非実在青少年」や「性的な表現」などの認定基準や手法が極めて恣意的であることでしょう。これは当局によって表現が恣意的に狙い撃ちされるという危険があると同時に、まじめに規制しようとしても、曖昧すぎて運用する方も困るから使えない、という問題もあります(これは小生がいつも法律関係で教えを乞うている方の指摘されたことです)。このあたりで、規制推進派も反対派も、過激派をどけて意味のある議論が成立しそうです。
 また、これらの基準を決める場に、偏った関係者しかいないことも問題で、さてこそ漫画家のみならず、消費者代表のような団体をつくって参加させることが、将来の目標となりましょう。
 ・・・しかし、肝心の青少年の代表者っていないよね、ということを、先日小生はバイト先の塾の個別指導の時間に、高校2年生(♂)と議論をしたのでした。ちなみに彼は、春休みに某エロゲをやるとかやったとか言ってたような気がしますが、ああ昔の自分とこういうところは変わらないなと、おかしく懐かしく思いました。それでまあそれなりに“健全”に育っていくわけで。

 思いついたことをとりとめもなく書いていたら、えらく長くなってしまいました(これでも当初思いついたことの半分くらいなのですが)。書くのに時間もかかり申し訳ない次第です。ここまで読んで下さった方はほとんどおられないとは思いますが(苦笑)、最後くらいはもとのお題に戻って、笑えるネタで締めくくります。
 宗教と表現についても考えてみたいのですが、それはまたの機会に。

 今回の、当ブログの統一協会デモレポに関し寄せられたブックマークの中で、最近は統一協会の認知度が下がっている旨の指摘が複数ありましたが、小生はそのことになるほどと思って、手近な高校生(バイト先の)などに聞いてみました。すると、最近の高校生はどうも統一協会を知らないようです。90年代には、統一協会が霊感商法や合同結婚式でマスコミを騒がせていましたが、確かに最近は報道されることが少なくなっている感はありました。
 ですが、今もなお彼らはこのように活動しており、大学などでサークルを装って勧誘される事例もなくなっていないようです。小生の世代が大学に入った頃は、統一協会=原理研究会の最盛期は過ぎていたとは思いますが、それでもかなり勧誘を行っていました。小生のようにスレた連中(苦笑)は、統一協会はじめ怪しい団体の存在を周知しており、むしろ観察して喜んでいましたが、情報を得る機会に恵まれなかった人は、危険性を知らない場合もあったでしょう。小生が入学した頃、東大であったとされる事件は、地方から上京して東大に入った男子学生が、早速女の子に声をかけられたので嬉しくなってついていったら、実は統一協会と分かって逆上、刺してしまったというものです(多分、世代的には有村悠氏も聞いたことがあると思います)。
 もちろんこのような統一協会の存在について、大学内でも情報の提供は行われていました。特に、共産党系の学生自治団体は、統一協会=勝共連合への敵愾心が強く、その脅威をたびたび強調していたものです。一方、小生が入った某サークルでは、先輩から後輩に統一協会の恐ろしさを伝えるために、歌を作って啓蒙しておりました。歌といっても替え歌です。今でもキャンパスのどこかで歌い継がれているものと思いますが、統一協会の認知度が下がっているらしい昨今の若人にも裨益するところあらんと思い、以下にご紹介します。

 元歌は、「ウルトラマンタロウ」のオープニングテーマです。



レーガンのロンがいる
中曽根のヤスがいる
そして文鮮明がここにいる
壺を買え 塔を買え 人参を買え
彼方から 迫り来る 先祖の霊
不幸が誰かに 起きる時
販売員が現れて
壺は一千万 塔は三千万
人参 人参 人参
人参は八千万

 小生が入ったサークルでは、新歓コンパの二次会でこの歌が先輩方によって合唱され、新人教育の一環をなしておりました。統一協会の霊感商法といえば、壺とハンコが有名ですが、その他多宝塔や朝鮮人参も売りつけてたんですね。それにしても、ブッシュ(小)も小泉も去った今、「ロン・ヤス」なんて時代を感じますな。
 なお、この手の怪しい替え歌に関心のある方は、当ブログの五月祭関係の告知にご注意下さい(笑)
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by bokukoui | 2010-03-27 23:59 | 思い付き | Trackback(1) | Comments(0)

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