天理ギャラリー展示略感~汽車の窓から釜を投げないで下さい

 今月は寒さがぶり返したせいなのか、全く何事も思うに任せず、半日はだるさでへばっているような毎日で、僅かに残った体力も予備校バイトの春期講習に吸い取られてしまいました。そんなわけで肝心の研究が進まず、しかし用事が不良在庫をなし、ますます心身共に懈くなる有様です。ブログの方もそんなわけで、途中まで書きかけていた記事「松田裕之『ドレスを着た電信士 マ・カイリー』略感」「『統一協会が秋葉原でデモ行進』に関連して纏まらぬ思い付き雑彙」も月末になって漸く完成した体たらくです。出来栄えは・・・前者はそこそこと思いますが、後者は書いた当人も・・・?

 それはともかく、書こうと思って溜まっている記事もいくつもあり、とりあえず月内に一つ急いで片付けます。それは一月程前に「【備忘】『鉄道旅行の味わい 食堂車メニューと駅弁ラベルに見る旅の食文化』」と題して紹介した、天理ギャラリーの第139回展「鉄道旅行の味わい―食堂車メニューと駅弁ラベルに見る旅の食文化―」を見に行った件です。

 結論を先に書いておくと、数的にはそれほどの展示でもありませんが、面白いことは面白いし、何よりタダとあれば、近くまで行く用のある人は見る価値があるでしょう。今週の土曜日までですので、お急ぎ下さい。感心したのは、図録というか展示品解説の小冊子が結構よくできており、しかも天理ギャラリーが過去行った鉄道関連の展示会のそれも合わせた「鉄道関係図録小冊子詰め合わせパック」とかも販売所に用意されていて、なかなか行き届いていることです。
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天理ギャラリー・鉄道関係冊子詰め合わせと今回の図録
(この写真はクリックすると拡大表示します)

 展示品は食堂車関係(メニューや領収証、ビラなど)と駅弁関係(古今東西の駅弁ラベル)からなっておりまして、それはそれで楽しめますが、個人的に一番関心があったのは、天理教の博物館が何でこんなものを「交通文化資料」などとして集めているのか? ということでした。民俗資料などを集めるのであれば、何となく納得できるのですが。最初は、天理臨で全国からやってきた臨時列車の中から集めたのかと思いました(笑)。
 ちなみに天理臨とは、天理教の祭典に参拝する信者を全国から運ぶための臨時列車群のことで、いまは大部分観光バスになってしまっていますが、往時は西の天理臨・東の創価臨といえば相当な本数が運転されたもので、その受け入れのため桜井線天理駅には長いホームが幾面も設けられています。普段は2両編成の電車とかしか来ないのですが。

 で、天理ギャラリーには学芸員の方によるギャラリートークの日を狙って行ったのですが、学芸員の方の説明を聞いてその理由が分かりました。これは、戦前以来の切符の大コレクターだった山本不二男という方のコレクションを受け容れたものなのだそうです。山本氏は既に戦前、そのコレクションを大阪市に寄贈しようか考えたそうですが、当時の大阪市長・関一にまだ当分は自分で集めた方が良いと忠告され、結局戦後になって天理参考館が、山本氏のコレクションを受け入れるだけでなく今後も収集をすること、整理の嘱託に山本氏を迎えるという条件で引き継いだのだとか。
 そんな次第で天理参考館には何万点もの(数は伺ったのですが失念)鉄道関係の資料が所蔵されており、しかもその数は年々増えているそうです。ちゃんとこの分野担当の学芸員の方もおられ、整理を進めているそうですが、数が多くてなかなか大変だそうです。鉄道関連の文書資料もあるらしく、ひろく一般の閲覧に供されるよう、整理が進むことを祈念します。
 ちなみに切符などのコレクションは、元々の山本氏のそれは台紙に糊でべったり貼り付けて保存管理していました。そのため今回の展示も、台紙もろとも展示されておりました。ちょっと面白いのは、戦前既にコレクターとして名を馳せていた山本氏は展示会などに資料貸与を求められることも多く、その際貸し賃代わりに台紙を作ってもらって保存に使っていたそうです。ので、今回展示されている資料の台紙にも、何とか博覧会記念・何とか交通局、というような(確か熊本だったけかな?)借りた機関の名前が入っていたりしました。
 台紙に糊で貼っていると聞くと、糊が劣化したり変質して資料に悪影響を及ぼさないか心配になりますが、何でも和糊を使っていて、これは粘着力が弱って剥がれることはたまにあるものの、資料を傷めることはないそうです。

 とまあ、展示品より「天理教が何でこんなの持ってるの?」という疑問とその解明が印象に残った展示でした。とはいえそれでは本末転倒なので少々内容に触れますと、一番印象に残ったのは信越本線横川駅の「峠の釜めし」の、昔の包装紙でした。おぎのやの釜飯といえば駅弁業界最大手といっても過言ではない有名駅弁、ご存じの方も多いと思います。それのどこが印象に残ったかって? それは、こんな言葉が印刷してあったからです。

  「お願い
    危険ですから窓から釜を投げずに
    屑物入又は腰掛けの下にお捨て下さい」


 ・・・。小なりとはいえ釜飯の釜は陶器ですから、それなりに重さも強度もあります。これを走行中の列車の窓から放り投げて、万一沿道の人に当たったりしたら命に関わりますね。マナー以前に危険です。
 以前当ブログでは、鉄道と衛生・ゴミ捨てを巡る話題を何回か取り上げ(「鉄道の話題」「鉄道の話(主として衛生に関する話)続き」「鉄道と衛生の話・補足」)、昔は鷹揚というか、衛生に関する水準が低くマナーもそれ相応だったということを紹介しましたが、安全についても似た傾向があったのかも知れません。ちなみにこの包装紙には、「国際観光年 1967」と印刷されていましたので、その頃まではこんなもんだったと推測され、新幹線開業以降、乗客にゴミをゴミ箱に捨てる習慣が出来たという星晃氏の回想とも大体符牒が合います。

 その他の展示として、1905(明治38)年に東海道線の各駅で15銭(今なら1500円くらいか?)の幕の内弁当を買って食べ比べてみた、という雑誌『食道楽』の記事が紹介されていました。おお、テレビ東京旅番組的企画の元祖か? と思って読んでみると、いきなり「腐敗の患なし」などと書いてあって、グルメレポどころか保健所の報告書状態でした。冷蔵庫の普及しない、伝染病も多かった時代を反映しています。もちろん旨いと褒めている駅もあって、その記事では静岡と大阪を東西の優秀駅としています。まあ乗降客が多ければ、品の周りもよく、古いものが紛れ込む危険性も減るでしょうね。
 ところで、上に挙げた図録には、この記事は全文収録されていません。展示会場には全文記されていたのに。「中略」扱いとなった駅は、有り体に言えば「腐敗」してて旨い不味い以前の問題だった各駅なのです。百年も前の話で今の駅弁とは違いますし、腐敗していたのはたまたまだっただろうと、展示でも図録でも断り書きを丁寧に付けており、天理ギャラリーの気の使いようが伺えます。
 このことは小生、帰宅して買った図録をチェックしてから気づきましたが、記憶に頼って図録の欠部分を補うと、堀之内駅(現・菊川)が「鰈の煮物が腐敗してた」、岡崎だか蒲郡だかが「蒲鉾が腐ってる」、京都は「鱧の煮物は昨日の使い回しだろう、六大都市の一つのくせに酷い」とか書かれておりました。かまぼこは幕の内弁当に必須ですが、練り物は足が早いだけに管理も大変だったでしょうね。しかし京都人はやはり伝統的にケチ、もとい、もったいない精神に富んでいたのでしょうか。

 なんだかんだで結構楽しみ、記念品として硬券の切符そっくりに作った入場証まで貰いました。先着順とサイトに書いてあったけど、3月22日まで残っていたのか・・・そういえば展示品解説の時、来場者は30人くらいいたかと思いますが、平均年齢は相当高そうで、小生と同行者の2名のみ年齢が20や30は飛んでそうでした。今後鉄道ものは人が来ないと思われても困るので、気になった方は是非。今週土曜までなので、お急ぎ下さい。
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by bokukoui | 2010-03-31 23:58 | 鉄道(歴史方面) | Trackback(1) | Comments(0)

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Tracked from 障害報告@webry at 2010-04-03 20:13
タイトル : ここは酷い高みの見物ですね
暴かれるハイチの秘密、国連派遣団の宿舎はクルーズ船 写真6枚 国際ニュース : AFPBB News http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/disaster/2715387/5516368 事実関係だけを見ると高みの見物ですなw 地獄へ働きに出ているだけマシだとは思うんだがなw カリブ海は内海専用のクルーズ船が腐るほどいるからな 資材を持ち込んで整地してインフラ作ってプレハブの宿舎を建てて ということを考える...... more
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