ニアミス事故の判決に思う

 表題の件について、月曜日の話ですが、管制官に無罪の判決が下りました。
 交通に関し人より多少の興味を持っている身としては、この判決には関心を抱かざるを得ませんでした。
 率直な感想としては、まことに妥当な判決であり、事故に関する司法の判断もやっとここまで来たかと思いました。交通のような高度で複雑なシステムの場合、現場の人間の能力に多くを負わせるのは不合理だと考えます。しかるに今までの日本の事故の事後処理では、現場の担当者の刑事責任を問うばかりで、その背後のシステムの問題を見据えた判断は少なかったように思われます(航空事故の文献などを読む限りでは)。その点、今回の判決は進歩といえるでしょう。検察が控訴しなければいいのですが。

 と思っていたら、日経新聞の21日付朝刊のこの判決を報じた記事に、白鴎大学法科大学院の土本武司教授が以下のようなコメントを寄せていました。
「事故の根本原因を作ったのが便名取り違えである以上、管制官の過失責任は認めるべきだ。負傷者を出した事故に誰も責任を負わないという結論で国民は納得するだろうか」(強調引用者)
 ・・・。事故の処理の至上課題は、原因を究明して二度とその事故を起こさないようにすることであるはずです。誰かの責任を問うのはその後の課題に過ぎません。そして既に述べたように、交通のような大規模で複雑なシステムの場合、現場の人間の責任のみで事故の原因の究明になるほど簡単な場合は決して多くないように思います。
 なにより、人間はミスをする存在です(と、この記事にコメントを寄せていた航空工学者加藤寛一郎氏も指摘しておりました)。その点を踏まえたシステム作りをせず、現場の人間の能力(ミスが起こりうる)に多くを依存して、それでいて事故の責任も押し付けるというのは、不合理でしょう。それは事故の解明をむしろ阻害してきたと考えられますし、昨年の尼崎にける鉄道事故の遠因もそこに求められるでしょう。
 この法学者の言い草は、事故の究明よりも「国民を納得」させるために誰かに責任を取らせることに重きを置いているように読み取れます。それは――極論すれば――生贄を差し出してまじないをするような、見当違いの行為のように思われてなりません。法律家とはこのような考え方をするものなのでしょうか。
 ・・・納得しない国民が悪いのか? ひとつみんなで『アクシデンツ』を読むとかどうでしょう。いっそドラマ化とか映画化とか。
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by bokukoui | 2006-03-21 23:58 | 時事漫言