久我真樹『英国メイドの世界』発売を祝し11月11日付けで一筆

 いろいろあってブログの更新が滞っておりますが、何とかリアルでは動いて仕事を片付けようとしています。とはいえなかなか思うに任せないのは例の通りで、ブログに回す余力もしばらく乏しそうですが、それでも本日付でどうしても更新しなければならない話題ですので、特に一筆を。

f0030574_23483911.jpg メイドについての知識系同人誌の書き手として夙にその方面では有名な、サークル「SPQR」の久我真樹さんが、これまで発行した同人誌を集大成して、商業出版されました。その本が、本日発売されたのです。

久我真樹著 / 撫子凛・宮鼓画
 小生も随分以前から存じ上げておりましたもので、このような形でまとまるということに大変感慨を覚えます。何より、倦まず弛まず、これだけの資料を集めまとめられたことに、心からの敬意を表します。小生は歴史系メイドの同人活動を諸事情によりフェードアウトしてしまったヘタレなもので、より一層そう感じる次第です。商業出版となったことも、その成果の大きさが広く認められた現れであり、「メイド」のみならず、同人文化全体の興隆にとっても喜ばしいことと思います。

 さて、小生は久我さんのブログで本書の発売が11月11日であるということを知った時に(ちなみに奥付の発行日と実際の発行日が前後することはよくありますが、本書は奥付も11月11日です)、いささかの感動を覚えました。もし久我さんがこの日付を指定されたのでしたら、その慧眼には頭が下がりますし、もし偶然でしたら、それは――神の啓示かもしれないと、半ば真面目に思います。
 そういうわけで、なんとしても本書をこの日に手に入れなければならない、という強い思いに駆られましたが、所用を済ませて大学に向かう途中神保町に立ち寄り書泉や三省堂を探索しても発見できず、そこで大学に行った帰途、秋葉原に脚を伸ばし、アニメイトで漸く発見しました。どうも書泉などは12日に置くようです。

 さて、本来なら内容紹介や感想を書くのが筋ではありますが、なにせ久我さんの十年の活動を詰め込んだ、650頁(!)になんなんとする大作だけに、とても一口に述べられませんし、そもそも久我さんの同人誌のあまり良い読者ではなかったと自覚している小生には、適当な任務ではありません。より直截には、そもそも時間がない上に、「積ん読」本の山が順調に隆起しているということもありますが・・・。
 で、なぜ「良い読者でない」かについては、これまでメイド趣味界の長老・酒井シズエ翁のところでやっていた「新春メイドさん放談」各年次をご参照いただければ幸いです。

 そんなわけで、直接内容紹介や書評にまで踏み込むことは小生の手には余ることなのですが、大変恐縮なことに久我さんのブログで、今夏小生の書いたものを取り上げて下さったことが何度かありまして(「メイドブームの終焉は『衰退』か、『定着』か」「補足・メイドブームの断続性と連続性を考える」など)、それと絡めて、このような書物が今出版されたということはどんな意味があるのだろうか、それは「歴史」が如何に現代社会で「消費」されるのか、という一歩引いたレベルで一筆しておきたいと思います。それがまた、小生が「11月11日」という日付に感じるところがあった理由でもありますし。なお、これらのテーマについても、以前に「新春メイドさん放談」の、特に昨年度や今年度のそれで語ったことと重なっていると思いますので、やはりご参照いただければありがたいです。

 大雑把に言えば、現在ブームとしての「メイド」は終焉を迎えており、創作物の範囲では「メイド」であること自体に重点的価値を置いたような作品はあんまりない代わり、作品中のキャラクターの「属性」としては定着したのではないかと思います(というほど漫画とかアニメとか見てはいませんが)。あと、美少女だの美女だのが登場する漫画やアニメでは、大体一度は展開上の必然性を欠いた「水着回」があったものですが、今では学園モノで展開上の必然性を欠いた「メイド回」があったりしますね。昔の「土曜ワイド劇場」の温泉シーンみたいなもんですか(笑)
 しかしてブームが去った今、「メイド」関係で一番、ブーム以前と後で変化が生じてしかもその影響が世間に広く残っているのは、やはり「メイド」喫茶だろうと思うのです。何よりそれは、「オタク」のコンテンツの中にとどまらず、一般のメディアにも広く取り上げられて認知されるに至ったからです。
 そして「メイド」喫茶の多くの運営状況や顧客の行動を忖度するに、言ってしまえば日本の「メイド」にとってヴィクトリア朝の史実の具体的様相は、ほとんどどうでもいいわけです。僅かに背景世界としての意味があったとしても、それはファンタジーRPGの世界設定程度の意味も持っているかどうか、という、本質ではないフレーバーの域にとどまっており、フレーバーとしてすら史実にどれだけ基づいているのか怪しいモノです。「戦国居酒屋」もまたその類例ですよね。

 ですから、こういった受容のされ方をした「メイド」について、微に入り細をうがって史実を解説した書物が広く世に問われた時、この本自体がどのように受容されるのか、それが大変気になるわけです。「オタク」な人々が「メイド」について何か認識を改めるのか、改めないのか、「オタク」でない人々にどんな影響を与えるのか、その展開に注目していきたいと思います。
 現在のところ、ヴィクトリア朝と現代日本の「メイド」のつながりは、極めて稀薄かつ間接的なものにとどまっている(小生はアメリカの1950年代文化が間に挟まっていると考えていますが)といえますが、このような本の登場が、つながりをどう変えるのかということは、歴史と社会の関わりとして、大変興味深い実例といえます。
 「メイド」ブームというのは終わって、新たな時代が始まる――かもしれない、そんな節目にこの本は登場したのではないか、そんな歴史的使命があるのではないか、そんな風にも思われるのです。

 しかしまたそれと同時に、別な形でのヴィクトリア朝と現代日本文化との共鳴は存在する、とも小生は考えています。それは以前に「わたしのリコネクションズ~メイド・非モテ・倒錯の偶像・高山宏など」の記事などで書いたのですが(MaIDERiA出版局サイトにも類例のコンテンツがあると思いますが、夏以来読めなくなっているので早急に復旧します)、全体像より細部にこだわり、悪趣味に畸形化していくという、『ヴィクトリア朝の宝部屋』の指摘する文化のパターンにおいて、ヴィクトリア朝とオタク文化は似ているんじゃないか、ということです。
 で、例えば、今年度の「新春メイド放談」で酒井翁が「男の娘」メイドの隆盛に戸惑いを述べておられますが、ロリ→男の子という流れはまさに『倒錯の偶像』でダイクストラが指摘している19世紀の文化的傾向と同じなわけです。そしてその流れは世界大戦のカタストロフに繋がるのであります。世界大戦で「英国メイドの世界」は崩壊するわけですけど、オタク文化もカタストロフに近づいているのではないかなあ、なんてことも感じたりするわけです。
 更に妄想を逞しくすれば、小生は「メイド」ブームの残した最大のものは「メイド喫茶」で、その「メイド喫茶」的文化の行き着いた一つの帰結が「今田なお」なんじゃないかと最近思っています。そして彼女の発言に垣間見られる、ジンゴイズムや黄禍論を彷彿とさせる主張(これはネット上の「オタク」の少なからぬ範囲に共通するでしょう)もまた、まことカタストロフ前夜を連想させる訳ですが、これは流石に妄想が過ぎるかもしれません。

 なんだか例によって話が逸れつつあり、おまけにもはやこれ、出版お祝いの文章じゃなくなってますね(苦笑)。久我さんには無礼の段を重ね重ねお詫び申し上げます。
 ただ、「メイド」をブームに押し上げたオタク文化がカタストロフを迎え、歴史が一度目は悲劇として二度目は喜劇として繰り返されるのであれば、オタクたちがお笑い沙汰のヴェルダンやパッシェンデールに屍の山を築いたとしても、そんなことになっても絶対に、久我さんの本の価値は変わることなく後世の必要とされる人々に受け継がれることは間違いありません。その時になって初めて、本書の真価は大きな輝きを見せるのかもしれません。

 なお、11月25日に、秋葉原の異色の「メイド」喫茶・シャッツキステで、本書の出版を記念し久我さんも登場されるイベントがあるそうです。小生も余裕があれば是非見学したいと思いますし、出来ればその日までに、以上のだだ漏れ妄想をもうちょっとまとめた記事にしたいと思います。それよりMaIDERiA出版局サイトの復活の方が先でしょうが。
 また、既にエキサイトニュースでも取り上げられていて、更にアキバBlogでも記事になっていて、今後の反響も注目です。
 改めて、『英国メイドの世界』出版を祝い、久我さんの積年のご努力を心から讃える次第です。


 以上、話が千々に乱れ無闇と長くなってしまいましたが、斯様な妄想を小生が抱くに至ったのも、11月11日という日付のなせる魔術と、何卒ご海容下さい。
 蛇足ですが、11月11日は、第1次世界大戦の停戦記念日です。
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by bokukoui | 2010-11-11 23:59 | 制服・メイド