電気代と市場経済~計画停電の歴史・続篇

 本記事は一応、前回の記事「日本の『計画停電』の歴史を振り返る~真の『無計画停電』とは」の続きです。当ブログの例に漏れず、やや時機を逸した感もありますが、なかなか書くのが思うに任せませんのでご諒承下さい。



 まず、小生にとって考えるきっかけとなった、数日前の小生の友人のツイッター上の発言を幾つかご紹介します。
まあ釣りなんで別に良いですし、一定程度ピーク時の電気料金を値上げする対策が妥当でないとも言いませんが、何というか暴力って知ってる?って感じではある。 「金融日記 東京電力は直ちに電気料金を大幅値上げせよ」 http://t.co/Rv49uIi
9:26 PM Mar 15th
bando_alpha
坂東α
災害時の値上げの話はマンキューにも出てるんだ http://bit.ly/gFRe1O ま、物には限度があるという話でしかないのですが。
9:29 PM Mar 15th
bando_alpha
坂東α
渇きに苦しむ被災者にペットボトル一本千円と言ったら、価値を認めて払ってくれる…訳は無くて袋叩きで焼き討ちだよね、としか。
9:31 PM Mar 15th
bando_alpha
坂東α
 ここで坂東α氏が紹介しているブログ記事は以下のものです。

 ・金融日記「東京電力は直ちに電気料金を大幅値上げせよ」

 このブログ記事については、前回の記事をトラックバックして下さった憑かれた大学隠棲氏のブログの記事でも取り上げられ、関連するリンクもありますので、是非ご参照下さい。

 で、上掲記事の、「某米系投資銀行勤務」という藤沢数希氏の意見の核心であろうところを、一応引用しておきます。
(前略)世界最大のメガロポリスである東京圏の電力を担う東京電力の原発がストップしてしまい、広範囲に電力不足が発生しています。ここで東京電力がするべきたったひとつの正しかったことは電気代を上げることでした。電気代を上げる、上げる、みんなが電気代が高すぎて優先順位の低いことに電気を使わなくなり、停電しない程度に電気の使用量が減るまで、電気代を上げればよかったのです。東京電力のマーケティング部は電気代と電力使用量の価格弾性値など詳細なデータを保有しており、電気代をどれだけ上げればいいのかなどすぐに計算できたでしょう。そうすれば計画停電もする必要はなかったのです。
(中略)
命がかかっている被災者に物資を速やかに供給するのは当然です。しかし東京のように被災しなかった地域で、価格メカニズムを否定するような言動を多くの日本人が取っていることは問題外でしょう。これこそ民度の低さによる二次災害だといわざるをえません。(後略)
 いかにも話題を呼びそうな記事です(坂東α氏のご指摘通り、それこそが論者の目的なのかも知れませんが)。
 当然、該記事のコメント欄も大爆発していて数百のコメントがついており、小生も面倒なので全部丹念に読んだわけではありませんが、結構論者に賛成しているのが多かったり、また「正論だけど感情の面で受け入れられないのでしょう」的な意見も多く、それを裏付けるかのような感情的な批難コメントも確かに多数見受けられます。

 で、先に小生が以下に述べることの結論を書いておきますと、鈍才引き籠もりの小生には、藤沢氏や天才中学生が信奉する、きっと素晴らしいもので現実がそれに従属すべきでそうでないのは民度が低いという、高邁な理論はさっぱり判りませんが、ただ過去の事例を見て素直に考えれば、電気代を市場メカニズムで値上げすることで最適な解決が得られるという主張は、感情にそぐわないどころか、経済的にもおよそ不合理ではないかということです。
 それでは、昔話を始めましょう。

 前回の記事の末尾で、第1次大戦直後に京阪神地方で深刻な電力不足が生じ、策に窮した宇治川電気が勝手に停電させてしまっていた、というお話を書きました。大戦バブルに湧く中、工場を動かす電気が足りない、という電気の取り合いになっていたのですね。前回の記事で書き忘れていましたが、もちろんこの事態に宇治電も最初に需要家へ「節電のお願い」をしたのですが、「需要家の大半はこれに応じなかった」(林安繁『宇治電之回顧』、『関西地方電気事業百年史』p.149の孫引き)のだそうで。それと比べ今の日本の民度は、この1世紀が無駄でなかったと思わせるものがあります?
 で、実はこの頃、まさに藤沢氏が説かれるような、「市場メカニズムに基づく電気のコスト」というシステムが自然発生的に生まれ(神の見えざる手?)ていたのです。再び『関西地方電気事業百年史』をひもときましょう。
 多大な未供給があり、そのうえ停電という非常手段がとられたにもかかわらず、電力需要は潜在的にはいっそう大きかった。それを端的に物語るのは、「大阪方面にて電力の使用権は、一馬力百円又はそれ以上のプレミアムで売買せらるゝの奇現象さえ呈するに至った」という記録であろう。これと同じ現象は京都でも起こった。「京都市営の供給区域の如きは遂に一馬力の電力使用権に数百円のプレミアムが付き、その権利が市中で売買されるといふ奇観を呈し」た。このプレミアムは、大正12年まで見られたというのである。(pp.150-151)
 今回の停電同様、供給に対し需要が間に合わないという状況のことですから、今次も電気代を上げるより使用権をオークションにした方が、より徹底した市場原理になっていいかもしれない!? ちなみに当時の百円というと、今の数十万円・・・50万円くらいでしょうかね。
 電話加入権なんかみたいな話ですが、過去には電気に関しこのような市場原理主義的な解決手段がとられたこともあったというわけです。

 で、その後の日本電力業の歴史を概観すれば、その解決もまさに市場メカニズム的。藤沢氏がご存じでしたらさぞお喜びでしょう。すなわち政府は1919年、卸売電力会社の設立と大口需要家への重複供給を認めました。でかい水力発電所を設けて安く大量の電気を生産させ、それを都市部に先行して供給区域を持つ会社に卸売させるか、直接工場や電鉄会社に売り込むことを認めたのです。こうして競争させることで、電力開発を促進しようとしたのですね。
 その結果、1920年代には「電力戦」と呼ばれる壮烈な電力会社間の競争が発生し、その余波で「日本史上最大の喧嘩」鶴見騒擾事件なんかも発生しますが・・・この辺、面白い話がいくらでもありまして、以前当ブログでも遊郭を巡る電力会社の闘争の話なんかを書きましたが、あまりに長くなるので涙を呑んで省略します。ただ競争の結果、過剰な設備投資を招き、電力会社の経営を圧迫する事態も生じてきます。それでも投資を続けるためには株価を維持しなければならず、そのためには配当しなければならず、そこで銀行から借金して右から左へ配当にして社外放出、帳簿に利息は載せません。てなことが実際行われました。
 なお、大正時代の「電力戦」はあくまで大口顧客の争奪戦でしたが、明治時代には小口の電灯需要でも競争がありました。有名な東京市の「三電競争」では、競争の結果何でも、一軒の家で1階の電灯は東京電灯、2階は日本電灯、家の前の外灯は東京市電気局、みたいな話もあったそうで。どう考えても不合理、ということでさすがにこれは協定を結んで競争を停止しました。類似の話は他にもあります。

 「電力戦」の結果電気料金はおおむね低下しました。これにより日本の電源開発が進み、電気の普及が促進された功績は大きなものがあります。ただ、競争の激しい電力料金の低下に比べ、電灯料金の方はそこまで下がりませんでした。電灯は前述の「三電競争」なんかの結果、基本的に区域独占が認められており、流石に電灯一つ一つを巡っての競争はしなかったのです。その結果、料金は大口の電力ほどは下がりませんでした――少なくとも、当時の人々はそう思いました。
 そして年号が変わって昭和になり、金融恐慌が発生します。すると庶民の不満が爆発、割高な電灯料金を押しつけて高配当なんかしてるんじゃねえ! と全国的に電灯料値下げ闘争が勃発します。ちなみに米騒動同様、この騒動も富山県から全国に波及しました。
 この運動については結構先行研究もありますので詳しくはそちらをご参照して下さればいいのですが、エピソード的なことだけちょっと書いておくと、高すぎる料金は払わないと町ぐるみ村ぐるみで電灯料金を滞納し(適切な料金は払うとその分は供託している)、それに対し電力会社が電線切断という強硬策に出ようとしたところ、村人と作業員が喧嘩になったとか、そんなこともあったそうです。まさに坂東α氏の仰るとおり、「暴力って知ってる?」ですね。

 だんだん書くのにくたびれてきたので以下簡略に。

 つまり昭和初期でも、電気が大いに普及していた結果、電灯は既に生活必需品になっており、それは公益事業として適切な料金が定められるべきである、という観念が浸透していたのですね。
 そしてそのような電気事業は、在庫することは出来ないし、競争優先で二重投資すると無駄が大きいし、独占を認めれば利用者の不満を招き、と様々な問題を招くに至りました。そこへ世界恐慌が襲いかかり、電気事業は公益事業として公的な規制が強化され、業界もカルテル結成して事態の打開に当たります。その背景には外債と金輸出再禁止がどうこうというお話があるのですが、敢えて省略。大事なことは、需要者のみならず業界自体も散々壮絶な競争をやった挙げ句、ある程度規制は必要という結論におおむね達したことです。わかりやすい例でいえば、それまで届出制だった電気料金は、認可制に切り替えられます。これはむしろ業界が望んだことで、際限ない電灯料値下げ運動への打開策という面も持っていたのです。
 そして1930年代半ば、電気業界は自主統制と公的規制の両輪で比較的好調(値下げ運動は収束し、会社の業績も回復)を維持するに至ります。このような公益事業としての規制の下でも、民間企業としての自立性は維持され、経営の合理性は保たれていた、そんな民有民営体制こそが、戦後の高度成長を支えた9電力体制の先駆的存在だったのである、と経営史上では指摘されています。詳しくは橘川武郎『日本電力発展業のダイナミズム』などをご参照下さい。

 つまりですね、市場メカニズムに任せれば最適な結果が出る、ということは、こと電気事業においては、歴史的にみてどうもそうでないんでないかい、という経験が過去に存在しているということです。
 電気は代替の財があるかというと難しいところです。既に停電対策で、ろうそくは火事に注意、なんていわれてますが、電灯をけちってランプに戻して火事を起こした、なんて話も過去にあります。大規模な工場なら自家発電も出来ますが、家庭ではそうもいきません。節電といっても、何でも電化している今日、限度があります。代替手段も価格交渉の余地もない家庭により不利となりますし、仮に事態が長期化した場合、ヤマハあたりが家庭用小型発電機でも発売しそうですが、みんながそれを買い込んで一家に一台ガソリン発電するよりは、大規模火力発電所で重油焚いた方が、どう考えても社会全体の効率は上です。
 過去の事例に学べば、消費者が供給者を自由に選べる(重複供給)という状況は、普及の初期の勢いづけにこそなれど、ある程度電気が普及して生活必需品となった時代には、むしろ不合理となりました。それに対応して公的規制が強化され、更に戦時中は国家管理に突き進むのですが、国管もまた必ずしも良い結果をもたらしませんでした(実のところ、公的規制強化=1931年電気事業法改正・1932年電力連盟結成と、その後の国家管理の間は連続しているのか断絶しているのかは議論が分かれており、小生も目下研究中です。拙稿を掲載して詳細を説明しても良いのですが、長さが半端なくなるので控えておきます。なお小生は断絶説に立ちます)。

 戦後の再編成後の9電力は、設立の直接のきっかけがGHQの指令だったこともあり、当初の立場は不安定で、「電力再々編成」なんてことも言われました。しかし前回の記事のようなドタバタを乗り越え、結果的にはおおむね低廉に豊富な電力を供給して高度成長を支えました。公的規制を課せられた公益企業というシステムは、結構うまく機能したのです。もっともそれは、不安定な立場であるが故に存在意義を示そうと緊張感を持ってがんばったことがあるのかも知れません。
 上に挙げた橘川武郎先生は、日本電力業の自立性を高く評価される立場ですが、それでもオイルショック以降はその自立性が弱まっている(役所と関係が深くなっている)と指摘されています。そして、その傾向が改まらないと、またもやその形態を改めるべきという議論もわき起こるのではないかと。今回の計画停電はともかく、原発トラブルについてはその可能性は大きいかも知れません。東電だけでは到底解決できていませんから。ただ原発については小生は無知なので、これ以上のコメントは控えます。

 長々書いて参りましたが、電気事業と市場メカニズムについては、以上のようにとんでもない自由競争から国家管理まで、過去の日本では一通りやってきた経験があります。そこから考えれば、少なくとも市場メカニズムを徹底することが最適な解決ではないし、適切な規制は企業の活発な活動をむしろ支える場合もある、といえます。そのことを是非知って戴きたいと思います。
 そして小生がいささか憂鬱たらざるを得ないのは、経済の専門家と称する藤沢氏も、そのブログに賛否のコメントを付けた多くの人々も、誰もそういった過去の事例を参照にした形跡が見られないことです。
 藤沢氏がブログ記事上で引用している中学生のツイッターがありますが、この名前に思い至るところがありまして、ちょっと考えたところ少し前に憑かれた大学隠棲氏が紹介していた、タクシー規制についてのツイッター上のやりとりが、この天才中学生(であることは確かだろうと思います)のコメントが発端だったことを思い出しました。

 ・togetter 「タクシー規制の是非」

 憑かれた大学隠棲氏はこのツイッター上のやりとりに直接参加されては居ませんが、この togetter のまとめ自体にコメントされています。面白いので是非下までスクロールして氏の長めのコメントをお読み下さい。
 で、このやりとりを見てやはり思ったのが、誰も昔の円タクや神風タクシーの話をしておらんなあ、ということでした。戦前の交通調整に関する書物や委員会議事録なんかを見ても、円タクをどうするかということに交通業関係者はかなり頭を悩ましています。タクシー規制にはそれ相応の歴史があるのです。然しそう言った具体的な話はろくすっぽされていません。憑かれた大学隠棲氏のコメントを小生が面白いと思ったのは、そんな中で数少ない、具体的で地に足の付いた情報から議論を展開している(もちろん決して個人の経験を単純に一般化しているわけではない)ことにあります。

 要するになんと申しますか、「経済学」と「経済史」って別物なのかなあ、というあたりに何がなし索漠たる感じを覚えたわけで・・・でも、今話題になっている論点も、案外似たようなことに我々の曾祖父の世代あたりが一渡り論じていたりするものです。そういうことを知っておけば、なるほど時代が変わっているから直接その議論を今に当てはめるのは難しいとしても、教科書に書いてある原理原則に反すると無闇に腹を立てることもなく、そして今回のような時にも矢鱈と慌てずに済む、その程度の効果は充分あるでしょう。
 そして、今のような時にはどうしても心がドタバタしてしまうことは避けられませんが(小生の友人諸氏のネット上コメントを見てもそのような例が散見されます)、そんな時に多少は慌てずに済む効果というのは、結構大事なことと思います。

 最後に、このような時に読まれる歴史の書物として、以下の本をお勧めしておきます。

 鈴木淳『関東大震災 消防・医療・ボランティアから検証する』ちくま新書

 題名が地味なので?絶版になってしまった本ですが、地震についての多くの書物の中では、まさに今読むに相応しかろうと思います。もっとも、元値が1000円しないのに古書価がアマゾンで2000円近いとは・・・筑摩がここで復刊するのは、まさに市場メカニズムに叶ったことだと思いますし、社会的にも妥当でしょう。

 追記:日本の電気料金の歴史、特に総括原価方式の導入について書きました。
 →「日本の電気料金の歴史 総括原価方式の誕生(1)」
   「総括原価方式の誕生(2) 逓信官僚・平沢要の電気行政構想」
   「総括原価方式の誕生(3) 公益規制と私企業精神の両立」

 また、本文中で触れた橘川武郎先生の、原発事故後の著作についても書評しました。
 →「橘川武郎『東京電力 失敗の本質 「解体と再生」のシナリオ』『原子力発電をどうするか』略感」 

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by bokukoui | 2011-03-17 23:59 | 歴史雑談 | Trackback | Comments(10)

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Commented by 坂東α at 2011-03-18 03:33 x
取り上げていただきどうも。
 レヴィットの「ヤバい経済学」に出て来るような「道徳的インセンティブ」の話でもあるかもしれませんがね。値上げだけに頼ると、それさえ払えば幾ら使っても良いと誤解されるという。実際には札束を積み上げてもその場で発電量は増えないので結局破綻しそうな。
 そもそも長期的なイメージ戦略の上でも悪手ですし、本当に困窮した相手には怒らせるだけなので、災害時でも何割か価格が上がる程度が全体最適として穏当なラインなんでしょうね。
Commented by luckdragon2009 at 2011-03-20 06:46 x
例えば、将来予想される夏季の停電で言えば、体温調整が難しい老人に、エアコンをつけるな(点けたければ高額金を払え)、と言えるのか、とか。

ちなみに、今から気になっているのは、夏季の定期停電の、各家庭のエアコンと冷蔵庫(留守宅で停電すれば、リアルタイムに対策もできず、モノが腐り、食中毒が発生する。へたすりゃ、電気会社への訴訟も起こる。)の対策。

冬季にもあるのなら、暖房への対策(まあ、暖房だけは防寒着でどうにかなりますが。)。
Commented by WURE(アメリカ旅客鉄道史) at 2011-03-20 19:40 x
 ご無沙汰してます。
 電力を価格メカニズムでコントロールと言っても、消費者が1分ごとに価格を確認したうえで、電気の消費量を決定・・・と行動できるわけではないので、停電抑止には使えないでしょうね。多少なりとも現実を知っているエコノミストならこの点はわかる筈(普段毒舌の池田信夫もこの点に気づいたらしく「緊急対応としての停電はやむをえない」「30%固定の電力消費税」という控えめな提案にとどめているhttp://agora-web.jp/archives/1279213.html)ですが、楽観的に考えている方も多いようです。

 経済学者が価格メカニズムを信奉する理由は色々と奥が深いのですが、一般的にこんな話が広まるのは、「市場メカニズムの万能性」を説明した後、「その例外を説明する」という構造になっていて、前半で力尽きると「市場メカニズムは万能なんだ」というところだけ強くイメージに残る経済学の教科書や教育プログラムのせいかもしれません。マルクス経済学者でも、資本論の頭の「商品と貨幣」あたりで力尽き、そのあたりの研究に一生をささげる人がいる、なんて冗談を聞きますので、近代経済学でもそんな傾向がもしかしたらあるのかもしれません。

Commented by 憑かれた大学隠棲 at 2011-03-22 22:53 x
市場メカニズムが働くはずです、というだけでは専門家ではありませんね。障壁を探して出してどうするか議論して初めて専門家
Commented by bokukoui at 2011-03-23 09:54
>坂東α氏
こちらこそ、坂東αさんのコメントのお陰で記事を書くきっかけができまして、感謝しております。
ご指摘の通り、カネを積んでも電気が増えるわけでなし、払える者が好き放題使うという配分が適切とは思えません。
藤沢氏の記事に電気代を「5万や10万払う覚悟はある」云々の記述がありますが、みんなが覚悟を決めて10万払ったら、電力不足で大停電になるのがオチです。
Commented by bokukoui at 2011-03-23 09:58
>luckdragon2009 さま
コメントありがとうございます。
今夏も電力不足が問題になることは不可避でしょうから、ご指摘の通りのことが必ず問題になるでしょう。その解決は単純な市場メカニズムではどうにもならないでしょうね。
Commented by bokukoui at 2011-03-23 10:26
>WURE さま
懇切なコメントありがとうございます。こちらこそご無沙汰しております。

ご指摘の通り、電気代の支払いシステム上も単純な値上げでは解決しないと思われますが、すると今度は「スマートグリッドで全て解決!」みたいな技術万能論を唱える人々もいたりします・・・どうなんでしょうか。

経済学そのものには実は全く疎いので、教育プログラムのお話は大変興味深く感じました。例外の方が、個別の話になる分一言で言えないので、より印象に残りづらいのかも知れませんね。

>資本論の頭の「商品と貨幣」あたりで力尽き
えーと、小生は『資本論』どこまで読んだっけな・・・(汗)
Commented by bokukoui at 2011-03-23 10:28
>憑かれた大学隠棲氏
その通りですね。もとより藤沢氏は「経済学の専門家」ではないですよね。
もっともこのような方々に「専門家の見解」を持ってくると、「専門家は『現実』を知らない」などと言い出すことも多い気がします。今次の地震に関する様々なネット上の反応を見ても・・・
Commented by WURE(アメリカ旅客鉄道史) at 2011-03-24 13:10 x
 憑かれた大学隠棲さま

>市場メカニズムが働くはずです、というだけでは専門家ではありませんね。
>障壁を探して出してどうするか議論して初めて専門家

 自分の専門では、市場メカニズムの例外を追求するのに、全体としては市場メカニズムを信奉する思考習慣が経済学者にはあるような気もします。色々理由は考えられるのですが、興味深いところです。

 bokukouiさま
>「スマートグリッドで全て解決!」みたいな技術万能論を唱える人々
>もいたりします・・・どうなんでしょうか。

 スマートグリッドは計画停電には非常に有益だと思いますが、問題は、今回問題が解決した後、我々が生きている間にもう一度問題が起こるかどうかわからない点でしょうか。自然エネルギーと組み合わせたシステム構築にはいいと思いますが。

>えーと、小生は『資本論』どこまで読んだっけな・・・(汗)

 実を言うと、私も第四巻(剰余価値学説史)を大学院の輪読で読んだだけで、他はあまり読んでません。
Commented by bokukoui at 2011-03-26 21:56
>WURE さま
コメントありがとうございます。
自然エネルギーは大規模送電線に組み込むのは難しいので、スマートグリッドでないと扱えなさそうですね。
もしかすると、発送配電一貫を宗としてきた日本の電力業も今回の件で業態の変更を強いられ、そこでスマートグリッド登場の余地があるかも知れません。

資本論は古本屋で3巻本を買った覚えがありますが、箱から出したのは1冊だけだった気がします(苦笑)
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