鍋焼うどんの探求(22) 満留賀@九段下(神保町満留賀めぐり)

 未曾有の災害から間もない時機に悠長な記事を書いているのではない、という発想の方もおられようかと思いますが、被災地から遠く離れた人間が(よしんば意図は善意であるにせよ)そのことに関する十分な知識や見識もなしに適当なことを発信することは好ましいことではなく、どんなしょうもないことでも自信と責任と根拠を持って発信できる情報を送り出すことが大事なことであり、後世にも資するところがあるのだと小生は考えております。これが、ここしばらくのネットを見て得た個人的教訓でした。

 食欲を減らす話はここまでにして、神保町界隈の「満留賀」という名前の蕎麦屋さんを巡る企画、最後は地下鉄の隣の駅である九段下まで足を伸ばします。小川町-神保町-九段下と、都営新宿線の駅では3つ巡ったことになりますが、このあたりは駅間距離が大変短いので、距離としては初回(探求18)から今回まで、靖国通りを1キロ半くらい歩いた勘定になります。この間に5軒の満留賀が存在するわけですね。
 「神保町満留賀めぐり」の締めは、そんなわけで九段下の交差点に面した満留賀で、「なべ焼」(1050円)をいただきます。
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 場所は大変便利な駅の真上ですが、1フロアのみの比較的小さな、テーブルのみのお店です。
 価格設定はもりかけ480円、天もり1050円天ざる1150円、鍋焼以外に「みそ煮込」950円「天とじうどん」1200円などが存在し、また丼物のセットが豊富です。一番高いのは天重とうな重の1500円か。

 それでは早速本題の具の調査を。

 ・えび天
 ・卵(煮てある)
 ・豚肉(薄切りを煮たのがけっこういっぱい入っている)
 ・かまぼこ
 ・なると(2枚)
 ・麩(大きいのが2切れ)
 ・椎茸
 ・わかめ
 ・太ネギ(けっこうたくさん)
 ・薬味のネギ(別添)

 特徴としては、豚肉がなかなかの量入っていることでしょうか。豚肉から脂が出たためか、麺と具とだしの一体感が割と感じられたのは結構でした。結構盛りだくさんでいい感じ。ただわかめはちょっと浮いてたかな?
 麺は平太で柔らかめで、個人的には結構好みです。だしは少し甘めのような気がしました。

 それでは、例の如くお店の外見と場所を示しておきます。
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 さて、これで神保町周辺の満留賀めぐりはひとまず終わりですが・・・結論としては、店名以外共通点はあんまりないですね(笑)。まあ満留賀静邨は店名からも判るように路線が他と異なっていますが、同店を除いても、こと鍋焼うどんについて探求した場合、具のバリエーションといい、鍋の材質といい、価格設定といい、もののみごとに異なっています。蕎麦屋の場合、蕎麦そのものについてはのれん分けに際して守るべきものがあっても、鍋焼うどんはフリーダムなのでしょうか。
 なお、神保町周辺に満留賀という名前の店が多いことについては、ネット上で以下のような記事を見つけました。
千代田区地域サイト・chiyoda-day's ちよだでぃ!より

「蕎麦屋の神田」
・・・付近には「満留賀」の屋号の蕎麦屋が多いので、何か関連があるのか伺った。諸説はあるが、愛知県出身の方が四谷にお店を出し、そこから次第に枝分かれしていったそうだ。そして、鈴木さんの祖父母も愛知県出身だ。
 愛知系なのでしょうか。蕎麦屋などでは、ある地方から出て成功した人を頼って同じ地方から更に上京する人が現れ、頼ってきた人が修行を済ませるとのれん分けして独立、というケースは多いようです。今後とも何か資料を見つけたら追記しておきます。もちろん他の満留賀も、機会があれば探訪の予定です。 

※以下加筆(2011.3.26)
 ほしひかる「暖簾めぐり3 満留賀」(『蕎麦春秋』16号)によると、満留賀という名前の蕎麦屋の源流は、1897(明治30)年に愛知県宝飯郡佐脇村(現豊川市御津町)から上京してきた加藤豊蔵という人物に遡るそうです。彼は現在の台東区にあった「三河屋そば店」で修行し、4年後に現在の浜松町あたりで「(加)三河屋」(※(加)は「加」の字を丸で囲ったもの)という蕎麦屋を始め、その後親しかった当時『東京日日新聞』にいた安藤正純なる人物と相談し、「満留賀」という屋号に変えたんだとか。「まるか」は「丸に『加』の字」って意味だったんですね。
 で、その加藤豊蔵を頼って、愛知県から縁者が続々と上京し、豊蔵の元で修行をしては暖簾分けしていったのが満留賀一党なのだそうです。満留賀一門には「満留賀道徳会」なる会があって、毎月識者の講演を聴かされたということですが、今の経営セミナー的なことを自主的にやっていたんですね。それが戦後、満留賀会麺業協同組合なる組織に発展、現在94店舗も加盟しているそうです。そういう伝統があるので満留賀一門は結束が固いそうですが、しかし理事長曰く「うちの会は、各店が自分の考えで信念を持って、思い通りに、自分の店をつくっていく」のだそうで、なるほど鍋焼うどんを食べ比べただけでも各店の個性は頷かれます。
 それにしても94店舗って・・・あと89店あるのか(笑) ちなみに神保町界隈でも、白山通り沿いに水道橋に近い西神田(日大経済学部のちょっと南)にももう一軒満留賀があったようですが、今は居酒屋か何かに変わってしまっています。

 ちなみに出典の『蕎麦春秋』なる雑誌、如何にもオサレぶった中年サラリーマンが読みそうな、とかいうと偏見がありますが、結構ネタにはなります。しかし、そんな雑誌が何故大学の総合図書館にあったのかが、どうも謎です。
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by bokukoui | 2011-03-23 23:59 | [特設]鍋焼うどん探求 | Trackback | Comments(0)

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