鍋焼うどんの探求(27) 巴屋@本郷(二丁目)

 これまで3回に亘って台東区池之端方面の蕎麦屋さんを巡った当企画、前回は「巴屋」という蕎麦屋さんを探訪しましたが、この屋号の蕎麦屋さん自体は本郷周辺に数多くありまして、前回の記事にも書いた通り、(7)で本郷五丁目、(8)で本郷三丁目のお店を探訪しました。で、本郷界隈にはまだ更に「巴屋」という屋号の蕎麦屋さんがありまして、そこで店名つながりということで今回からは再度大学東方から南方の探索へと転進し、本郷二丁目の交差点にある巴屋「鍋焼きうどん」(950円)をいただきます。
f0030574_10534884.jpg





 この巴屋はビルの1階にあり、そのビルが「巴屋ビル」というまんまな名前です。昔からあった店舗をビルに改築したのでしょう。店内はテーブル7つと小さなお座敷があります。
 お品書きを見ますと、もりかけ450円に始まり、天ぷらそば950円天せいろ1000円と、場所からすれば比較的お手頃な方でしょうか。最高値でも天丼の1100円です。このお店は、あとで外見の写真を掲げますが、ビルの1階にあって如何にも蕎麦屋です的ではないというか、食品サンプルなどがあるでもなく、何となく入りにくいような感じもあるのですが、実際のところはごくシンプルな町の蕎麦屋さんでした。お茶以外にセルフサービスの水がありましたが、それがウォータークーラーとかではなく、でかい薬缶を置いてあるのがちょっと面白いです。

 さて、具の内容を確かめましょう。

 ・えび天(あまり煮てない)
 ・かまぼこ
 ・なると
 ・鶏肉×2
 ・卵(煮てある)
 ・麩
 ・椎茸(1/4、でもでかい)
 ・筍
 ・ほうれん草
 ・別添の薬味のネギ

 こんなところです。ラインナップ自体は至極穏当なところで、950円としては充実した方ではと思います。個人的には鶏肉など肉系のものが入っていると、だしの味が深くなり、脂で全体をまとめる役割も増すので好みです。天ぷらはあまり煮込んではいませんで、衣はしっかりして剥がれにくいものでした。卵は結構よく煮込まれている方だと思います。
 しかしなんといってもここの具の特徴は、椎茸が馬鹿でかかったことです。あまりの巨大さに驚いて、思わず食べている途中に写真を撮りました。
f0030574_11123340.jpg
 厚みは一番厚いところで3センチくらいあったんじゃないでしょうか。しかも驚くべきことに、この大きさでもなお、四分の一に切った一片に過ぎなかったということです。よほどでかい椎茸なんですね。これは当然、干したのを戻したのだと思いますが、干椎茸もだしの味に加わっているのでしょう。
 麺はやや細めで、柔らかめに煮てありました。吸い口に柚子が添えられてあり、それも結構大きめの皮の欠片が2片も添えられていました。

 例によってお店の外見と場所を掲げておきます。
f0030574_12172599.jpg
 このお店が入っているビルの全景はこんな感じです。
f0030574_1219745.jpg
 赤で印をしたところが今回の巴屋ですが、お店の上がそのままビルになっているだけかと思ったらどうも奥まで続いていたようです。


 さて、このように本郷周辺に4軒もある巴屋ですが、以前この企画で「神保町満留賀めぐり」をやった際に満留賀一門について解説しました際の資料に使った『蕎麦春秋』の、これは昨年10月発行の vol.15 に、巴屋についての記事がありましたので、それに基づいて店の多い事情について簡単な解説をば。
 ほしひかる氏執筆の「暖簾めぐり」第2回の記事によりますと、巴屋という蕎麦屋の発祥は1820年、近江の神崎郡御園村(現東近江市野村町)出身の山本庄左衛門なる人物が江戸に上り、蕎麦屋を始めたことによるものだそうです。当初は屋台だったのが、1830年四谷見附に店を構えたのが発祥とのこと。そしてその山本を頼り、近江から新たに上京した人々が巴屋で修行し、暖簾分けで増えていったという展開は、満留賀と同じです。満留賀が愛知県なら、巴屋グループは滋賀県なんですね。江戸文化の代表みたいな蕎麦屋が、こういう地方出身者グループによって支えられていたわけで。
 で、巴屋の本店はその後新宿区の下落合に移転したものの、戦時中の強制疎開で東村山に移転させられ、本家筋はそちらで店を開いて今でもやっているそうです。本郷界隈の巴屋グループは明治時代に上京してきた人たちがルーツらしく、今回の本郷二丁目店は1892年独立、探訪(7)の本郷五丁目店は1900年独立なんだそうです。何でもない普通の蕎麦屋に見えて、実は一世紀越えの老舗。この二店は親戚関係だそうで、更にそこから本郷周辺に暖簾分けが増えていったのでしょうね。(※註:もしかするとここでいう「本郷〇丁目」は住居表示以前の旧表示で、現在のと違っているのかも知れない。その辺誤解しているかも知れない)
 ちなみに巴屋という屋号は、初代山本庄左衛門が忠臣蔵が好きで、大石内蔵助の家紋にあやかって名付けたのだとか。巴屋一門には1897年から「巴屋同盟会」なる連合組織があるそうで、今でも数多くの加盟店があるそうです。まだまだ巡り甲斐がありそうですね。とはいえやはり満留賀一門同様、鍋焼うどんについての有意な共通性は見いだせませんが(笑)
[PR]

by bokukoui | 2011-05-14 23:59 | [特設]鍋焼うどん探求 | Trackback | Comments(0)

トラックバックURL : http://bokukoui.exblog.jp/tb/15972987
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
名前
URL
削除用パスワード