当ブログの剽窃被害疑惑 個別検証篇 附:日本発送電について補足

 本記事のタイトルの後段は、当ブログの以前の記事「日本の「計画停電」の歴史を振り返る~真の「無計画停電」とは」について若干の補足説明を行うというものです。しかし、残念ながら本記事の本題は前段にあり、補足説明を行う前にこの剽窃疑惑について述べなければなりません。




 小生は当ブログにアクセス解析を設置し、時折どのようなワードで検索されているのか見てみるのですが、その中に「計画停電の歴史」などというワードが見られることがあります。何となく、他にそんなことを書いているネット上の情報とかあるのかな、と思って検索したのがきっかけでした。その結果、当ブログの記事が何らの断りなく大幅に流用されているブログ記事を発見したのです。
 問題の記事はこちらです。

 ・海を往く者「計画停電の歴史」(念のために:ウェブ魚拓

 このブログ記事は、当ブログで過去に執筆した「日本の「計画停電」の歴史を振り返る~真の「無計画停電」とは」および「電気代と市場経済~計画停電の歴史・続篇」の相当部分を、何らの断りなく流用したものではないでしょうか。
 以下に対比させて検証を試みますが、煩瑣を避けるため、「海を往く者」の「計画停電の歴史」「問題記事」「日本の「計画停電」の歴史を振り返る~真の「無計画停電」とは」「元記事(1)」「電気代と市場経済~計画停電の歴史・続篇」「元記事(2)」と略称します。また対照のための記事の引用に際しては、問題記事からの引用を青色、元記事からの引用を黒色とします。携帯電話などからの閲覧では、本来の地の文の色も黒になってしまい差が分からなくなってしまいますが、仕様のためご寛恕下さい。

 それでは検証に移りましょう。
 問題記事は年代順に、1~4と番号を振って日本の電力業の歴史を述べています(表題の「計画停電の歴史」とは裏腹に、計画停電の話そのものは一部しかありません)。順を追ってみていきます。

 まず、問題記事の「1.第1次大戦時」は、冒頭の2文はオリジナルかも知れませんが、「第1次大戦で、日本は戦場にならず、連合国への輸出をきっかけとした大戦バブルという経済状況にあり、~大阪で火力発電中心に電灯・電力とも供給している大阪電灯と、琵琶湖から流れ出す水で発電を行い、大阪電灯などに卸売りをするほか、大口顧客への供給もやっていた宇治川電気の2社体制であった。」の箇所は、元記事(1)の下段の方の箇所、「第1次大戦時は日本は戦場にならず、連合国への輸出をきっかけに大戦バブルという経済状況にありました。~大阪で火力発電中心に電灯・電力とも供給している大阪電灯と、琵琶湖から流れ出す水で発電を行い、大阪電灯などに卸売りをするほか、大口の供給もやっていた宇治川電気が大きなところでした。」の箇所の、文末を敬体から常体に改めた程度ではないでしょうか。この間に、全く同じ表現が幾つも見いだせます。
 更にそれに続く箇所、問題記事「ちなみに戦前の電気事業法では、第1条の「電気事業」の定義で、~としており、電力会社と電鉄会社は法制上一緒にされていた。」というのは、元記事(1)のコメント欄の小生の書き込み内容そのままです。
 問題記事のその続き、「この爆発的な工場動力の~両者狎れ合いで停電を推進する有様。」の箇所は、元記事(1)で三宅晴輝『電力コンツェルン読本』から引用した部分を要約したものと思われます。「狎れ合い」なんてあまり使わない表現はコピペを疑わせます。
 更に続き、問題記事1.の残りの箇所、「このため政府は1919年、卸売電力会社の設立と大口需要家への重複供給を認めている。~そこで銀行から借金して右から左へ配当にして社外放出、帳簿に利息は載せないなどという自転車操業が続いていた。」の部分は、元記事(2)の上三分の一くらいの、「すなわち政府は1919年、卸売電力会社の設立と大口需要家への重複供給を認めました。~そこで銀行から借金して右から左へ配当にして社外放出、帳簿に利息は載せません。てなことが実際行われました。」の、これまた文体を変えたりした程度の、大部分をそのまま転用したものではないでしょうか。

 問題記事の「2.昭和初期」に移ります。
 この節については、その全体が、元記事(2)の真ん中あたり、「ただ、競争の激しい電力料金の低下に比べ、電灯料金の方はそこまで下がりませんでした。~電気業界は自主統制と公的規制の両輪で比較的好調(値下げ運動は収束し、会社の業績も回復)を維持するに至ります。」の箇所の、一部を削除し、残余部分の表現をそのまま流用したものと思われます。「ちなみに米騒動同様、この騒動も富山県から全国に波及」「競争優先で二重投資すると無駄が大きいし、独占を認めれば利用者の不満を招」といった表現はそのままですね。

 問題記事の「3.戦争中」に移ります。
 この節の冒頭から、「「新体制」のかけ声と日中戦争の泥沼化の中で、1938年国家総動員法と共に第1次電力国家管理が決定~日本発送電は既存電力会社の発送電設備を強制(現物)出資させて成立したが、当初は重要送電線と大規模火力のみで、水力の出資は見送られていた。」の箇所は、元記事(1)の後半、「さて、久しぶりに長文を書いて疲れたので、以下は前に読んだ文献からのうろ覚えのお話を」とインターミッションを入れた後ろの、「「新体制」のかけ声と日中戦争の泥沼化の中で、1938年国家総動員法と共に第1次電力国家管理が決定~日本発送電は従来の電力会社の大規模火力を強制出資させ、大規模水力を管理下に置きました(この辺ややこしいんですが詳細は面倒なので省略)。」のあたりを流用したものと思われます。
 で、問題記事のその続きの箇所がある意味面白いので、ここは全文引用します。
おそらく水力発電を行うには水利権の問題とか、巨額の資本が要るため、大消費地と水力電源地帯を結ぶ際に、消費地側も電源側も複数の事業者が存在する場合には、利害調整といった事情から系列の別会社を作るか配電部門を持つ複数の会社がJV方式にして建設・発電させていたことから公益を重視する日本発送電は高い売電価格を設定しにくかったのだろう。
 ここは小生の書いた記事にはなく、問題記事執筆者のオリジナルと思われます。これは、水力発電所を第1次電力国家管理で強制出資の対象としなかった経緯についての箇所ですが、小生が元記事(1)で書くのをサボったため、問題記事執筆者が自分で推測して付け加えたのでしょう。ここだけネタ元がないので「おそらく~だろう」となっているのは、ある意味正直ともいえますが・・・。
 で、折角のオリジナル部分なのですが、悲しいかな知識と調査の不足で事実とはかけ離れています。というかそもそも、前の文章とのつながりが分かりにくく、何が言いたいんだか分からないのが正直なところです。出資を見送ったことと売電価格との間に何の関係があるのでしょうか。その辺がコピペの限界でしょう。
 今、元記事(1)で小生が「詳細は面倒なので省略」したところをなるべく簡単に補足しておけば、電力国家管理案には幾つもあって、当初案では水力発電所も出資対象だったのを、事業者の強制出資の抵抗を少しでも減らすため、出資の際の評価額の計算が大変なのでその作業量を減らすため、といった理由でのちの案が対象から外したものです。その代わり主要水力発電所の電力は全て日本発送電が買い上げることとなり、これまで自社の水力発電所で発電して自社の配電網で配電していたものであっても、一旦日発に売って買い戻す形になりました。このような水力発電所を管理水力といいます。所有者は別でも日本発送電が管理しているからです。これも幾つもの国家管理案が作られる中で、当初は国が直接買い上げ卸売をする構想だったのが、日発が行うように改められたのですが・・・その辺の詳細はまたの機会に。

 剽窃の検証に戻ります。
 問題記事の上掲オリジナル?部分の続き、「ところがその冬は大渇水、それでも軍需生産の拡大で電力需要はうなぎ登り、石炭も軍需との取り合いで足りず、~第2次電力国管で配電も地域ごとの特殊会社に統合し、民間・公営の電気事業者を軒並み消滅させるという更なる統制強化に出ている。」の箇所は、元記事(1)のやはり続き、「ところがその冬は大渇水、でも軍需生産で電力需要はうなぎ登り、石炭も軍需と取り合いで足りず、~第2次電力国管で配電も地域ごとの特殊会社に統合し、民間・公営の電気事業者を消滅させるという更なる統制強化に出たのでした。」のまんま転用ではないでしょうか。

 問題記事の更にその続き、「電力管理法の施行により、日本国内における発電・送電施設はことごとく日本発送電の管理下におかれた。だが配電事業に関しては~」のあたりは小生のブログ記事には見当たりません。それではここから先はオリジナルなのでしょうか。
 残念ながら違います。ここから先は、Wikipedia の「日本発送電」の項目の、「配電統制令」のくだりと全く同じものです。さらにこの節をコピペした先は、同じ項目の「施設の接収」のところのコピペに続きます。この辺は、もはや文章をいじった形跡すらありません。
 「施設の接収」を最後の1パラグラフを除いてコピペし終わると、問題記事「こうした戦時体制による電力国家管理は戦後の9電力体制に結びついているが、もしこれがなければ、民営主導のインフラ事業のあり方もかなり変わっていて、可能性が失われた民間活力によるインフラ事業のあり方もあっただろう。」という文章で3.の節を結んでいます。締めくらいはオリジナルかと思いきや、小生がツイッターで以前書いた文章からの流用が疑われます。
(承前)似たようなことは阪神もやっていた。つまり、戦時体制による電力国家管理がなければ、民営主導のインフラ事業のあり方もかなり変わっていて、例えば阪急印のオール電化住宅がもっと早くに現れていたかも知れない、ということ。(続く)
(承前)昔話と仮定の話ばかりも何なので、今に通じそうな話を無理繰り考えると、戦後の9電力体制は民間活力によるインフラ事業の責務を一定は果たした。その代わり可能性が失われた民間活力によるインフラ事業のあり方もあっただろう。(続く)
 これら一連のツイッターで書いた内容は、憑かれた大学隠棲氏が togetter 上で「発・送・配電分離時代昔語り、あと周波数を東西で50と60で統一しただけでもすごいんだぜ話」としてまとめて下さっておりますので、ご関心のある方は是非ご覧下さい。で、これだけの長さの文章が偶然一致するとも考えにくいところなので、やはりご丁寧に、ツイッターまで含めてコピペして下さったのではないか、と思われるのですが・・・。

 なお、日本電力業史を些か勉強した者として、Wikipedia の「日本発送電」の項目は、極めて偏頗な内容と見えます。簡単に言えば、あまりにも内務省の河川行政に偏った見方であり、本来電気事業の監督官庁であった逓信省の動向が極めていい加減にしか扱われていません。
 そもそも日本発送電を生んだ電力国家管理は、基本的に逓信大臣・逓信官僚によって推進された施策で、小生の管見の範囲では、内務省の影響というのはさほど大きくはありません。1931年の電気事業法改正のあたりを現在小生は研究しておりますが、この時期逓信省と内務省は電気行政を巡り大きく二つの点で対立していたといえます。一つが河川行政の主導権争いで、発電と治水で対立しているところへ農水省が利水を要求してきて更にややこしいことになっていたようです。もう一つが電気事業の公営(県や市町村による電気事業経営)の問題です。
 内務省は河川行政のイニシアチブを何とか守り、1931年改正電気事業法には第29条で国だけでなく地方公共団体が電気事業を買収できるという規定が設けられました。この時代は電灯料値下げ運動が全国に波及し、電気事業公営化を求める動きも各地で発生しましたが、ここの条項で公営化が推進されるということなのでしょうか。条文上はそう見えます。しかし逓信省は、この法律が施行される時、「電気事業法の29条は電気事業の公営化を推進する訳じゃないんだからね! あんまり事業の形変えるつもりないんだから!!」と全国に通牒を発しています。
 他にもいろいろありますが、長くなるので別の機会に譲ります。とにかく、電力国管といえば革新官僚の代表選手・奥村喜和男の活躍は当時から有名で、革新官僚に関する先行研究も等しく大きく取り上げているのに、その名前が全く出てこないというのは信じがたいことです。国管に尽力した頼母木桂吉永井柳太郎両逓相も出てこないし・・・。例えば日本の鉄道創業史を語る際、エドモンド・モレルも井上勝も、はたまた大隈重信も登場せず、ひたすら「英国公使パークスの進言が鉄道建設の要因で~」という文章があったらどうでしょうか。そういうレベルだと思います。

 話を戻しまして、問題記事の「4.戦後」に参りましょう。
 まずこの節の最初の方、第1・第2パラグラフは、これも Wikipedia「日本発送電」の、「財閥指定と集排法の適用」のコピーですね。
 その続き、問題記事の4.戦後の第2パラグラフ末尾の、「これを受けて1951(昭和26)年5月1日、戦時下の電力国家管理によって従来の電力会社を強制出資して設立された日本発送電および各地域の配電会社とが解体され、現在の9電力会社(沖縄復帰後は10電力)体制が成立した。」は、元記事(1)の最初の方、「1951年5月1日、戦時下の電力国家管理によって従来の電力会社を強制出資して設立された日本発送電および各地域の配電会社とが解体され、現在の9電力会社(沖縄復帰後は10電力)が成立しました。」とほぼ同じ文章ですね。
 問題記事の更にその続き、「ところが設立早々、電力会社は深刻な電力不足に見舞われた。当時は朝鮮特需で国鉄や進駐軍などの電力需要が伸びる一方、主力だった水力発電が異常渇水で発電できず、火力用石炭の入手もままならず、~などを主な内容とする電力使用制限を行っていた。」は、やはり元記事(1)の先程挙げた箇所の続き、「ところが設立早々、電力会社は深刻な電力不足に見舞われます。当時は朝鮮特需で電力需要が伸びる一方、主力だった水力発電が渇水で発電できず、火力用石炭の入手もままならず、需給調整を行わざるを得ませんでした。」の箇所を転用し、更にそれに続く『関東の電気事業と東京電力』からの引用部分を適当に圧縮したもののように思われます。

 そして問題記事の更に続き、「戦後の電力逼迫状況関連の書物を読んだ印象では、電力の逼迫に対し需要側を減らすことで対応すること全般を「電力使用制限」簡単には「電力制限」と呼び、その手段として「節電のお願い」広告にはじまり、大口の工場の使用量抑制、更に強硬策として停電に至る休電日(「休電日振替」とは、工場の休日を日曜日に揃えず分散させて需要を均衡化することのよう)を設けたり、昼間の電灯への供給を止めたり、更に緊急策として輪番停電したり、という段階を追って電力の需給制限を行っている。」という箇所は、元記事(1)の真ん中あたり、「ざっと上掲2冊の書物の、戦後の電力逼迫状況の項を読んだ印象では、電力の逼迫に対し需要側を減らすことで対応すること全般を「電力使用制限」簡単には「電力制限」と呼び、その手段として軽いものとしては「節電のお願い」広告にはじまり、大口の工場の使用量抑制、更に強硬策として停電に至る休電日(「休電日振替」とは、工場の休日を日曜日に揃えず分散させて需要を均衡化することのよう)を設けたり、昼間の電灯への供給を止めたり、更に緊急策として輪番停電したり、という段階のようです。」を、僅かな修正のみで転用したといって良いでしょう。それにしても、「戦後の電力逼迫状況関連の書物を読んだ印象では、」とはまあ何とヌケヌケと・・・どんな本をお読みになったのかご教示いただきたいところですな。元記事ではもちろん、それが関東と関西の両電気事業史だということを明示してあります。
 問題記事問題記事はその続き、「これは54年まで続けられていた。」としていますが、これは元記事(1)で関西の電力使用制限について54年度まで行われていたことを書いたのでしょうか。でも、その上に小生が引用した関東のでは、55年度の制限の話も書いてあるのですが。そもそも関西だって、「54年度」の「2月」とは、1955年2月のことになるはずですが。
 そして問題記事の4.の末尾、「戦後の再編成後の9電力は、設立の直接のきっかけがGHQの指令だったこともあり、公的規制を課せられた公益企業として設立当初の不安定なドタバタを乗り越え、結果的にはおおむね低廉に豊富な電力を供給して高度成長を支えていた。」ですが、これは元記事(2)の後半の、「戦後の再編成後の9電力は、設立の直接のきっかけがGHQの指令だったこともあり、当初の立場は不安定で、「電力再々編成」なんてことも言われました。しかし前回の記事のようなドタバタを乗り越え、結果的にはおおむね低廉に豊富な電力を供給して高度成長を支えました。」の微修正というか改悪(文意が通じなくなってる)ですね。

 最後に指摘しておけば、問題記事の巻頭の「ピンチの中に将来へのバネがある。」も、締めくくりの「計画停電は戦後初でも東京電力初でもなく、高度成長期初期までやっていた」も、小生のブログの記事中に、全く同じ表現を見いだすことが出来ます。
 格好をつける最初と最後も、見事にパクリものでした。

 検証が長くなりすぎて一つの記事に収まらなくなってしまったので、続きは後篇の「総括篇」に回します。

※続きはこちら→「当ブログの剽窃被害疑惑 総括篇」
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by bokukoui | 2011-10-09 12:00 | 身辺些事 | Trackback | Comments(2)

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Commented by 大名死亡 at 2011-10-09 19:38 x
いや、盗作されるのはやっぱり腹が立つものですよ。
うちのサイトでも「ペ・ジンホ」をいまだに載せたままですしね。
Commented by bokukoui at 2011-10-09 21:56
大名死亡さんも被害に遭われてましたね・・・正直、我が身に降りかかってくるとはあまり思いつきませんでした。もっとも小生の場合、翻訳の手間すらかけられていないので、もっとしょうもない話でした。ますます、何がしたいのかなあという感じです。「計画停電の歴史」でぐぐると、パクられ元とパクりが並んで出てくるので・・・
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