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神保町の「神田天丼家」(旧「天丼いもや」)移転 および天丼の雑談

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 当ブログでも以前、その改称をお伝えした、神保町B級グルメの雄・「天丼いもや」改め「神田天丼家」ですが、先月移転していたことが判明しました。




 小生はここんとこ、めまいとだるさが酷く、夜寝ようとすると眠れず、昼起きて何かしようと思うと意識が飛んで寝ている日々が続き、午前中は稼働率ゼロでしたが、今日は大事な用事もあって何とか午前中に神保町に出掛けることが出来ました。それにしても11月とは思えぬ温暖な気候で、妙に汗をかきます(この発汗ぶりが異常と言われればそうかも知れません)。
 そして何とか用事を片付け、昼過ぎでしたので昼食を摂るべく附近を歩き回ります。神保町といえば古書店のみならず安くて(例外もあるけど)うまい店揃いということでも有名で、更に最近は「神田・神保町中華街プロジェクト」なんてイベントもやっているほどですが、ここはしばらくご無沙汰していた「天丼いもや」改め「神田天丼家」にふと足が向きました。なぜ「いもや」を思い出したかといいますと、当ブログのアクセス解析を先日見たら、「いもや 閉店」などという穏やかならならぬワードが入っており、まさかと思う心がいくらかあったのだろうと思います。
 ところが行ってみると、悪い予感が当たったのか、暖簾が出ていないどころが看板も撤去されています。驚愕しつつ店の跡を見てみると、移転のお知らせが出ていて一安心。先月10日頃に移転していたようです。早速新店舗に向かいました。
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「神田天丼家」の新店舗


「神田天丼家」新店舗の所在地

 というわけで新店舗でいただいた天丼がトップの写真です。店は以前より少し広くなってはいましたが、白木のカウンターと椅子はそのまま転用したのか、席数は変わっていないような気がしました。働いている方々も、天丼の内容も味も、サービスの味噌汁も以前と変わっておりませんで、値上げもされていなかったのは何よりです。こまめにお茶を注いでくれるのも、そして大盛や中盛にしてもご飯粒を残さず食べれば大盛・中盛代50円は無料になるというサービスも、そのままでした。
 なおトップの写真は、天丼の大盛です。つい頼んでしまったのですが、さすがに大盛にするとご飯と天ぷらの量が均衡を失する傾向にあるので、中盛が一番いいかなと思います。えび・いか・きす・野菜(かぼちゃ)・海苔の組み合わせも以前のままです。どれもうまいですが、特に海苔が好き。えびはしっぽまでバリバリと食します。

 さて、なんで移転したんだかはよく存じませんが、前の場所が再開発でもされるのでしょうか。前は脇道で分かりにくい場所でしたが、店自体は有名でいつも賑わっていたので、特に集客目当てとも思えませんし、新店舗もやはり脇道です。前の場所はかつて、天ぷらととんかつの「いもや」もありましたが、既に閉店してしまっていました。これでかつての「いもや」密集地帯は完全に姿を消すことになり、昔ながらの味と風情を伝える、懐に優しい「伊峡」のみが以前の風景の孤塁を守ることになりそうです。あのあたり、他のお店はあまり続かない傾向があるような気がします。
 で、移転先なんですが、ここは上の地図でも示しましたように、靖国通りから一本脇道に入ったところにあります。その脇に入る角も、実は天ぷら屋で、天丼も扱っていたりします。
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「天ぷら革命 ふじ好」の角を入ると「神田天丼家」(青印)

 なんだか思いっきり競合しそうですが・・・ちなみに、入ったことがないのでうろ覚えですが、「天ぷら革命 ふじ好」の店も昔は「いもや」の天ぷらを出すお店だったと思います。もしかするとその関係なのか、どうなんでしょうか。

※追記「ふじ好」に関しては「天ぷら革命いまだ成らず(前篇後篇終篇完結篇)」をご参照ください。

 さて、お店移転の話はひとまず措いて、天丼に関する余談を。
 以前ナヲコ先生の作品の書評を紹介したことでご縁が出来たブログ「鳩の切り売り・量り売り」で、少し前にこのような記事が掲載されていました。

 「天丼」
 ・「マメ(腎臓)と関西の天丼」


 「鳩の切り売り・量り売り」の執筆者・とびさんは関西の方だそうで、関東と関西の天丼の違いについて感想を物されています。それぞれ、抜粋させていただきます。
さて、今日の本題は天丼である。

なぜ天丼なのかというと、「越後家」で天丼を食いながら、「オレの心の抽斗にこの料理はないよなあ」と思うからだ。丼飯にてんぷらを乗せた料理が関西にないわけではなかったと思うが、この、あえて言えば「うなぎのたれ」みたいな、濃い色なのに全然塩辛くない(むしろ甘い)たれをかけて食うという料理をぼくは関西で見たことがない。天丼のチェーン店は大阪にも埼玉にも横浜にもあり、いずれも入ったことがあると思うが、こうやって「越後家」で食うものとはまったく違うものだったように思う。本当に、何だろう、「ご飯にてんぷら乗っけてもなじまへんやん」ぐらいにしか今まで思ったことがなかったのが、ここではちゃんと調和しているのである。とにかく、このたれに、他所で出会ったことがない。そしてこれがたぶん、蕎麦屋にしかないものなのだ。
「天丼」より引用)
ところで、こないだ逗子・越後家の天丼の話を書いてからとあるところで天丼チェーン店「てんや」に入ったのだが、越後家の天丼と基本的に同じものが出てきてあわてた。何が同じかというとタレが同じなのである。「関東で天丼というとこのタレなのか」と思い、関西に戻ったとき地元でビールの飲める店と思って古くからある天ぷら屋に入り天丼を注文してみたところ、見た目では分からないがふつうの天つゆがご飯にかかっているのが出てきた。「そうだろう、やっぱりそうだろう」と思う。これが関西ではふつうなのだ。そして、単独で食べると塩味のきいている天つゆだが、ご飯にかけてしまうとぼんやりした味にしかならない。これだから、関西では天丼はあまりごちそう感がないのだ。
 関東の(蕎麦屋の)天丼と、関西の(天ぷら屋の)天丼との違いが明快に語られています。関東の(蕎麦屋の)天丼は概して、天ぷらを甘辛いつゆ(たれ)にくぐらせた(時には煮たような)のが多いのに対し、関西では天つゆを天ぷらにさっとかけるという違いのようです。小生は関西で天丼を食べたことはあまりありませんのでそちらの事情は分かりませんが――いや、宇治電ビルを見に行った時食ったような気もするけどあまり記憶がないのですが、でも甘くはなかった気はします。

 で、「いもや」系の天丼は神田という江戸っ子の総本家みたいなところにありながら、関西風のつゆの使い方をしています。もっとも蕎麦屋ではない、天ぷら屋の天丼なら、関東でもそのようにしているのかもしれませんが(貧乏学生は天ぷら屋とは縁がないので)。今でも「いもや」の屋号で残っている白山通り沿いの「天丼いもや」は、天つゆをかける方式です。
 ところがこの旧「いもや」、現「神田天丼家」の方式はさらにちょっと違います。こちらもつゆに天ぷらをくぐらせるのではなく、上からかける方式なのですが、このつゆがすっごく「辛い」のです。「甘辛い」のではなく、「醤油辛い」というのが適切であろうと思います。つゆの色の濃さは上の写真でお分かりいただけようかと思いますが、味もそれに見合っていて、そして香りも醤油の香りを強く感じる気がします。
 小生も天丼は甘めのものという先入観がありましたので、最初この天丼を食べたときは「何だこれは」と驚きましたが、食べ終わる頃にはむしろその辛さが魅力に思えるようになり、食べ慣れるとむしろ「甘ったるい天丼なんて食えるか」状態になってしまいます。つゆがこれだけ辛いので、関西式の天丼の問題点としてとびさんが指摘されている「ぼんやりした味にしかならない」という問題点が解決されているわけです。それがおそらく、コストパフォーマンスもさりながら、このお店の天丼の大きな魅力になっているのだろうと思います。他に同じような天丼があるのかどうか、小生はよく存じませんが、どうなのでしょうか。天ぷら屋の流儀と蕎麦屋の流儀が違うのでしょうか。

 さらに余談ですが、「神田天丼家」はじめ天丼専門店や天ぷら屋ではもちろん天丼の天ぷらは揚げたてですが、立ち食いそば屋の天丼なんかですと、揚げおきの天ぷらを使うことになります。その場合、天つゆで天ぷらを煮て温めてご飯の上にのせる、という形を取るところもあります。元々江戸時代以来、蕎麦屋の天ぷらは揚げおきで、それをそばつゆで煮て温めてそばにかけて供するのが本来の「天ぷらそば」だったと、物の本で読んだことがあります。だから実は、「天ざる」「天せいろ」の歴史は意外と新しく、戦後になってからの登場だったりするとか。となれば、この「揚げおきを煮て温める」方式こそが天丼の歴史的原型? なのかもしれず、その系譜を受け継いで関東の天丼はつゆ(たれ)に天ぷらをしっかりくぐらせる、というスタイルを取っているのかもしれません。
 そこからさらに考えてみると、現在蕎麦屋では多くの場合最高値メニューであるところの天丼ですが、実は残った天ぷらの再利用法が発祥ではなかったのかという疑念も浮いてきます。残りの天ぷらを煮て温めて食べていた、そんな賄いメニューだったりするのではないかと。だとすると賄いメニューが気がつけば最高級メニューに出世していた、という面白い事例になりますが、そこんとこどうなのでしょうか。蕎麦屋の歴史研究はいっぱいあるけど、天丼研究って今まで見た覚えがないので・・・

 さらに余談を付け加えると、残った天ぷら再利用法には、炙って衣が少し焦げるくらいまで温めてお茶漬けにする、という方法もあります。この際は、天つゆのような甘みがあるものをかけるのは不可で、塩だけにするのがコツだと、北大路魯山人が書いていたのを読んだ覚えがあります。魯山人は京都出身なので、これは関西の技法なのでしょうか。ちなみにお惣菜で買ってきた天ぷらも、食べる前にオーブントースターか何かで炙ってやると割と旨く食えるので、小生も余裕があるときはそうしています。
 ちなみに、一部ツイッター上で話題の、@Im_Weltkriege / Study Hard 氏率いる社会不適格者の廃兵院・アジトは、立ち食い蕎麦屋の上にあって、店休日前に残り物の天ぷらをもらってきたことがありました。それをどう食うかというとき、「天つゆで煮てご飯にのせる」派と、「炙ってからご飯にのせて天つゆをかける」派とが先鋭的な対立をしましたが(笑)、前者を唱えた無名氏は東日本での生まれ育ちで、一方後者を唱えた小生は西日本系の家に生まれ育ったもので、天丼概念の東西対立を表していたのかもしれません。
 もっともこのアジト天丼話のひどいところは、無名氏と小生以外の連中は天ぷらを再加熱するこれら技法の存在を知らず、冷たいまま食っていたらしく、「食育」というものは大事だなあと痛感させられた次第です。ただ、エコだロハスだ地産地消だとか、そういうことを「食育」とするのが間違いだとまでは言いませんし大事なこともあろうかと思うのですが、このような残り物の活用法だとか、出来合惣菜・冷凍食品・缶詰などの賢い利用法なんかを教えるのもそれに劣らず大事なことなんじゃないかと思います。

 B級グルメのニュースの筈が、話がどんどん変な方向に発展していってとりとめがなくなりましたが、まあ当ブログの平常といえばそれまでです。関東の天丼が天ぷらそばの天ぷらを煮る技法から発展したもので、関西の天丼が天ぷらを炙ってご飯にのせた技法から発達したものとすれば、方法は異なれど残り物活用術がご馳走に出世したとして、話としては面白いのですが、あるいは天ぷら屋系と蕎麦屋系の違いかもしれず、この辺は今後も文献を気をつけてみることにしていこうと思います。
 で、とっちらかった話を終わらせるのに、小生が天丼にいささかの興味を抱くきっかけとなった、種村季弘の『食物漫遊記』の一節を引用して締めに代えさせていただきます。
 つまりはそういうことだ。人生は地獄だというのに、天どんを食えばうまい。人生は地獄でも、天どんというものがちゃんとある。残る問題は、と私はつぶやいた、そう、残る問題は、地獄にも天どんがあるかどうかだ。
「天どん物語」(『食物漫遊記』筑摩書房(1981)149-150頁)

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by bokukoui | 2011-11-07 23:59 | 食物 | Comments(8)

Commented by とび@鳩の切り売り・量り売り at 2011-11-08 23:01 x
天ぷらを天つゆというかめんつゆで
煮てしまうタイプの「天丼」は、
それを玉子でとじた「天とじ丼」とあわせて
関西でも昔ふうの大衆食堂では見かけますけど、
あれがまた美味くないんですよね。
せっかくの天ぷらが台無しですよね。
ぼくはそう思うんですけど、いっぽう
同じことをカツや油揚げでやると
美味いと思うのはなぜなんでしょうね。

種村季弘さんの好まれた天丼って
どういうタイプのものだったんでしょうね。
「地獄に天丼」「天丼こそわが救い」。
うーん。ちなみにこの方の本というと
むかしヒルデガルト・フォン・ビンゲンの
話を読みましたが面白かったです。

メールありがとうございました。
お返事はほとんど書き上げたのですが、
かんじんの病理検査の結果を踏まえ、
あす完成させてご返送します。
Commented by bokukoui at 2011-11-09 18:14
天ぷらをつけるのは「天つゆ」としても、天丼にかけるのは「つゆ」か「たれ」か迷います。関西風のは「つゆ」でいいと思いますが、関東のは「たれ」という言い方が多いようです。とはいえ鰻とかと比べるとまだ「つゆ」っぽいしなあ、と迷って本記事では「つゆ」に統一しました。

「天とじ丼」、ありました。蕎麦屋のメニューとかで時折見かけます。これも煮込みタイプ(関西にもあるんですね。揚げおきのところなら当然か)同様、残り物有効活用なのかなと思います。
あと、もしかすると昔は、今ほど天ぷらの価値として「パリパリ」なのを求めなかったのかもしれません。カツ丼同様、味のしみた衣がいい、というような。

種村氏は「天どん物語」中で、天ぷらは関西風のあっさりのが好みだが天どんは関東風のがいい、と書かれてます。
種村季弘は一時期そこそこ集めて読んでいたのですが、途中で息切れしてしまったような・・・今でも続けて読もうと何冊か積んでいるのですが。

いつも返信が遅くて済みません。
メールのお返事お待ち申し上げております。
Commented by Rose at 2011-11-10 10:21 x
しばらく前のブログに書かれていた『ドレスを着た電信士 マ・カイリー』ですが、その最後の章でローラ・インガルス・ワイルダーの娘のローズとマ・カイリーを比較している、ということでした。ローズはウェスタン・ユニオンで働いていましたが、彼女の研究はアメリカでもあまりされていません。著者の松田さんは執筆にあたって、どのような資料を使われたか、記載されていますか? また、どの程度、ローズについて書かれているのでしょうか? 私はローズに興味があるのですが、海外在住のため書店で確認することができません。お手数ですが教えていただけますか? もし興味深い記述があるようでしたら、本の購入を考えてみますので。どうぞ宜しくお願いいたします。
Commented by bokukoui at 2011-11-12 21:22
>Rose 様
コメントありがとうございます。

お問い合わせの記事は「松田裕之『ドレスを着た電信士 マ・カイリー』略感」 http://bokukoui.exblog.jp/13143236/ ですね。
同書巻末の参考文献一覧を見ますと、ワイルダー関係らしき参考文献は

ウィリアム・アンダーソン著(谷口由美子訳)『大草原のバラ ローラの娘ローズ・ワイルダー・レイン物語』東洋書林(2006)

ウィリアム・アンダーソン著(谷口由美子訳)『ローラ&ローズ 大草原の小さな家・母と娘の物語』NHK出版(1993)

の2点のようです。英文の参考文献では、直接それらしいものを見つけることは出来ませんでした(見落としているかも知れませんが)。

本書では、第III部の「荒野のバラと電鍵」の節がもっぱらローズについての記述に宛てられていますが、ざっと十数ページという所です。もっとも本書自体約200ページですから、その中では結構ページを割いているともいえます。

直接的なローズ・ワイルダーのご研究の役には、どれだけ立つかは分かりませんが、ローズも勤めていた電信士という仕事、及びそれと女性との関係を知る上では知る上ではまたとない文献と思いますので、是非ご一読されることをお勧めします。
Commented by Rose at 2011-11-13 19:29 x
ローズは政治評論や母親のワイルダーとの関係で話題になりますが、電信士の関係からローズが取り上げられるとは思いませんでした。面白そうな本ですね。興味をそそられます。興味深い書評をありがとうございました。
Commented by bokukoui at 2011-11-13 23:07
>Rose 様
たびたびありがとうございます。
何かお役に立てましたら、こちらとしても嬉しく思います。多分、ローズの時代のアメリカにご関心があれば、きっと面白いと思いますので、ぜひぜひ。
Commented by パティ at 2011-11-18 01:21 x
神保町のB級グルメといえば、キッチン南海とか、スヰートポーヅとかを思う私は邪宗門でしょうか?

それと、現・天丼家のすぐ近くの靖国通りに面したところにも「いもや」があったはずですが。
Commented by bokukoui at 2011-11-19 10:36
>パティ様
ご無沙汰しております。コメントありがとうございます。
神保町はもう、B級グルメの宝庫ですね。仰る通りキッチン南海にスヰートポーヅもありますし、さぶちゃんとか徳萬殿とかカレーもいろいろ、巡り飽きません。

現・天丼家というと移転後の現在地でしょうか。でしたら、写真を掲げた「ふじ好」はご指摘の通り、「いもや」だったようです。その後ちょっと調べたところ、「ふじ好」は最近創業したチェーン(まだ2軒しかないけど)で、別に神田天丼家のような「いもや」とのつながりがあるわけではないそうです。