総括原価方式の誕生(3) 公益規制と私企業精神の両立

 本記事は、

 日本の電気料金の歴史 総括原価方式の誕生(1)
 総括原価方式の誕生(2) 逓信官僚・平沢要の電気行政構想

 の続きです。
 前回の記事が中途半端なところで終わってしまいましたが、(2)に引き続き、区域独占と総括原価方式の構想を立てたと考えられる逓信官僚・平沢要の電気事業観を検討し、現在諸悪の根源視される総括原価方式の意義を考え、現在にくみ取れる教訓を得たいと思います。特に今回は、平沢が電気事業者の利潤やインセンティヴについて、また監督行政のあるべき姿について、どう考えていたか、を中心に見ていきたいと思います。




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上掲AAと本文はあまり関係ありません。


◆平沢要の電気行政観 『電気事業経済講話』より(承前)

◇平沢の電気事業論:電気事業者の組織形態について

 現在、総括原価方式への批判として、「儲けが決められているのは怪しからん!」というのがありますが、前回ちょっと述べたように、平沢は原価の中に利潤を認めています。また、革新官僚のような立場からすれば、平沢が唱えるような、しちめんどくさい料金監督で業者を導くよりも、国で一元化して管理してしまえばいいのに、という発想も出るでしょう(実際、この時の平沢の構想は電力国家管理によって一旦は抹消されるのです)。

 平沢は著書で、電気事業の組織について、株式会社・公営・国営などを比較検討しています。
 まず、日本で多数を占めていた株式会社については、大資本を集め経営の円滑さを妨げない、「株式会社は電気事業に頗る適した企業形態である」(上巻295頁)とし、これまで効率よく電源開発を進めてきたことを評価しています。ただし単一の会社ではなお理想的な供電組織の完成は難しいとも指摘し、資本力の強化と組織の統一を進める企業合同や持株会社の意義を認めています。

 また地方公共団体による経営は、これは既述のように当時公営化運動がかなり起こっていたのですが、小規模な発電所の乱立を招く恐れがあり、大規模な水力発電と遠距離送電の行われる時代には不経済であるなど、あまり積極的な評価はしていません。大規模な供電組織が完成した時代ならば、配電事業専門であれば意義はあるだろうとは認めています。

 国営形態については、この時代電気事業に国が関与すべきとする風潮が世界的に高まっていることを指摘した上で 、水力の開発が完全に行えること 、統一供電組織を確立し原価を安くできること 、公益事業としての使命が果たされやすい などの利点を挙げ、「理論の上に於ては電気事業を国営とすべきもののやうである」(上巻341頁)としています。あれ、国家管理の官僚と同じように一見みえますね。
 しかし、理論上そうであっても、平沢は直ちに電力を国営化すべきとは唱えず、その重大な欠点を指摘します。というのも国営は、「この事業部門に於て私企業精神を全く麻痺せしむる」(上巻346頁)ことになり、技術の進歩を阻害する恐れが高いことや官僚的弊害などを挙げ、なお電気事業については「私経済的利益慾を主要動機として・・・充足と進歩を企図せねばならぬと云ふ見解は、充分に樹て得る」(上巻347-348頁)としています。
 平沢は、国営による非営利の経営が合理的となる時代とは、「全経済生活は今日よりも余程安定し、もはや技術的成功及経済的進歩は余り起らぬ場合」(上巻350頁)であり、発展途上の経済では、国営はむしろその障碍となるのではないかと指摘しています。となると、この指摘から80年あまり経っても、脱原発に自然エネルギー云々と技術的経済的に大きな進歩が必要そうな現在、やはりまだ国営が理想となる発展段階ではなさそうな・・・まして1940年代の国家管理を支持するものではなさそうです。

 このように、民間事業者の存在を高く評価しているところが、平沢の議論の特徴といえます。電気事業法改正に際しては、国営論を唱える声も一定存在していましたが、平沢の考えはそれとは異なるものでした。

◇平沢の電気事業論:電気事業者の利潤とインセンティヴについて
 前節で述べたように私企業精神を評価する平沢は、事業者のインセンティヴについても配慮しています。具体的には、事業者や株主が利益を得ることを認めています。平沢は著書でこう述べます。
 「電気事業は企業である。従つて、企業に特有な企業の危険を伴ふものであるから、事業財産に投下された資本に利子を与ふるを以て足るべきでなく、その企業危険の存する限り、之に対応して或程度の利得が許さるべき筈である」(下巻179頁)
  とし、企業家や株主にも「正当なる報償」(下巻182頁)が与えられるべきとしています。この当時、慢性的不況を背景に電灯料値下げ運動が頻発していたことは既述の通りですが、平沢は、電気事業というのは不況でも底堅い一方、好況だからといって大儲けできるわけではないから、不況時にも電力会社が配当していることを批難するのは「過酷である嫌ひがある」(下巻195頁)としています。

 平沢がこのように述べたのは、莫大な資本投下を必要とする電気事業の性格上、民間による投資のインセンティヴを削いではならないとの考えがあったものと思われます。平沢は著書で、日本の電気事業が英米と比べ利益率が高いのは、必ずしも不当な利益をむさぼっているわけではなく、資本に乏しい国情では「電気事業の資金の調達を円満ならしむるため」(下巻197頁)必要なことだと指摘しています。
 そして、企業が資本を調達し投資すること自体は自社の利益のためであっても、結果的にそれが電源開発を速やかにし利用の能率を上げることにもつながる、とも評価しています。
 また平沢は、料金制度として総括原価方式を認めつつも、利潤率を完全に公定してしまうことには、そこまで決めることは慎重な姿勢を示しています。料金制度において需用家の合理的な利用を導こうのとしたのと同様に、事業者の企業心をより発揮させるには、負荷率を上げれば(設備を効率よく利用すれば)より利潤が増えるような、そのようなシステムが望ましいとしています(ので、一章を割いて負荷について検討しているわけです)。

 平沢の著書は、料金政策に関する章の終わりがそのまま終わりになっていて後書きも何もないのですが、とまれ、平沢はこの上下二巻の著書をこう結んでいます。
・・・経済は動いて居り、事業は活きて居る。料金政策は、常に事業の生命力を絶対に害ふことなく、その活動を倫理化するに向かはねばならぬ。斯の原価主義に帰順する料金監督と雖も、事業財産評価の原則が、或は再生産費により、或は歴史的経緯より、事業の生産力を尊重するに余念なきものがある。
『電気事業経済講話』下巻484頁
 引用に際し、明らかな誤植は修正してあります。
 で、いわばこれが平沢の主張のまとめとも取れるのですが、すなわち「事業の生命力」を尊重しつつ、料金政策などの監督により、事業活動を「倫理化」するということになります。つまり、公益規制と私企業精神の両立を、平沢の電気行政は志向しており、総括原価方式はその一環として設定されていたのです。

 以上の平沢の構想が、改正電気事業法およびその運用にどの程度反映されたか、ということを引き続き述べると論としてはまとまるのですが、ここまでで既に引用が長くて誰も読まないであろう長さになってしまったので、(1)で紹介した電気委員会の議事録を参照すれば、平沢が直接関わっていた頃は少なくとも、この精神の反映が読み取れるということを指摘するにとどめます。
 少しだけ再録すれば、(1)でも引用した通り、料金認可の基準決定に際して「事業の活力」を萎縮させないよう配慮した、という原案の文言は、「事業の生命力」を尊重するという平和の著書の末尾に通じるものであり、民営を否定して国家管理を推し進めた革新官僚の発想とは対照的といえます。



◆平沢要の監督行政方針

 さて、最後に、そのような行政を行う際、平沢は行政の取る態度としてどのようなものが望ましいと考えていたでしょうか。

 平沢についての同時代の評価では、「水辺まで馬を連れて行く事は出来るが、馬に水を飲ませることは出来ない」のだから「進んで水を飲ませる様に仕向ける事が電気行政の真髄」としていたといいます(吉田啓『電力管理案の側面史』交通経済社、1938年、212頁)。強権的な権限の直接的発動よりは、事業者の精神を尊重した、いわば間接的な監督を行うことに眼目があったのではないかと思われます。

 先に挙げた電気委員会の議事録の中で、第5回の議論では、電気事業者間の紛争を裁定する際、「大臣が公益上の見地から高飛車に命令するのだらうと思ふ」と強権発動を求める吉野信次商工次官に対し、大橋八郎逓信次官が「幹事から御話があつた通り・・・自制をやつて行くべきものだと云ふやうに考へます」と、それよりも事業者に自制を促すような間接的手法を好ましいとしています(35頁)。ここで大橋が言う「幹事」とは平沢のことで、この大橋次官の発言は平沢と同じ意図であるということになります。少なくともこの時点では、平沢の電気行政観は逓信省の方針であったと思われます。
 また第3回委員会では、利益の上がった電気事業者に対して、配当よりも設備充実に回すよう命令できるようにしたいと主張する石黒忠篤農林次官に対し、清水電気局長が「法律にさう云ふ明文がございますから、事業者としても注意しなければならぬと思います」と、直接的に権限を発動するよりは、事業者の注意を促す方針であったことが伺えます。
 これは、「事業の生命力を絶対に害ふことなく」という発想により、事業者の自主的統制を尊重する方向性を体現したと考えられます。当時は電気事業者も、電力連盟を組織して、自主的な業界の混乱収拾に乗り出していましたので、それと相俟って効果を発揮することが期待されていたものと思われます。

 いい加減記事が長くなりすぎて、読む人がいなくなってしまいそうなので、議事録の引用はこの辺で止めておきますが、全体をお読み戴ければ、平沢が出席していた頃の電気委員会では、おおむね事業者の活動を肯定的に捉え、強権的な行政による急激な変動を懸念する傾向があったといえます。
 そんな中で先に挙げた吉野と石黒は、官僚の中で革新派に属するといわれており(古川隆久「革新官僚の思想と行動」『史学雑誌』99編4号、1990年)、平沢の電気行政に対し手ぬるいとか公益をもっと重視すべきというような文句をつけています。のち、「平沢イズム打破」を唱えて電力国家管理を進めた大和田の、いわば先駆的な傾向も存在していました。それが数年ならずして、この体制を覆してしまうことになります。



◆まとめ

 以上、手短に述べれば何でもないことを、ついついかつて取ったノートから、論文で没にした内容をせっせとコピペしていたら、無闇と長くなってしまいました(苦笑)。
 改めて全体を箇条書きで要約しますと、

 ・総括原価方式は、1931年改正の電気事業法に基づく電気行政の一環として導入された。
 ・その電気行政を設計した中心人物は、逓信官僚の平沢要であった。
 ・平沢の構想では、区域独占と料金認可制の組み合わせにより、公益規制と私企業精神の両立を図った。
 ・当時は電気の国営・公営を求める声もあり、電灯料値下げ運動が起こっていたが、平沢は電力会社のこれまでの成果を評価し、事業の活力を重視した。
 ・その行政では、監督に際し強権発動よりも、事業者の注意や自制を促す間接的な手法を用い、事業の活力をあまり妨げないようにした。
 ・それに対し、革新派官僚は不満を持ち、公益性第一で私企業精神を軽視し、国家管理を志向した。

 ということになります。
 すなわち、現在徹底的に批判の対象とされ、自由化によって廃止されるべきと批判されている総括原価方式は、「電力戦」という激しい自由競争経済の反省から生まれた、公益規制と私企業精神の両立を図る策だったということです。この点は現在、ほとんど認識されていないようですので、強調しておきたいと考えた次第です。

 もちろん、80年も前と現在は電気事業の様相も異なりますので、総括原価方式が以上の経緯を以て誕生したからといって、それを維持するという根拠にはなりません。
 しかし、平沢が追求した方向、すなわち電気事業において公益規制と私企業精神とを両立させる、という課題は、今日もなおそのまま存在している問題です。
 小生は電気事業の戦後史については専門的な研究を行っておりませんし(もともと戦前の電鉄業の研究から電力業にも手を伸ばしたので、戦後までまだ及んでいません)、近年の自由化についてもあまり知識はありませんし、最近の電気技術や自然エネルギーについても門外漢です。ですから、この公益性と企業性の両立という課題を今日解決しようとする場合、総括原価方式を廃止するか大幅に改訂する、という解決法も、充分あり得るのだろうとは思います。その具体的解決法については、小生はそれを論じるに十分な知識を持ち合わせている自信はありません。

 ですが、歴史的教訓から、以下のことは指摘できようかと思います。
 公益性の高い電気事業は、しかし同時に(平沢が80年あまり前に指摘したように)企業であるから、公益規制と同時に「事業の活力」を尊重しなければなりません。1920年代までの日本の電気事業は自由競争万能で、圧倒的に「事業の活力」側に傾斜しており、それが結局電気の普及後は問題を招き、公益規制が求められるに至りました。しかし一方、戦争を背景にしたとはいえ、徹底的な公益重視を唱えて私企業精神を排除した電力国家管理体制は、それもまた日本の電気業の活力を奪ったと考えられています。
 従って、電気事業の望ましい形態は、自由競争でも企業性排除でももたらされないでしょう。電源開発になぞらえていえば、公益性と企業性のベストミックスが必要なのです。

 この両者のベストミックスということに最初に気づき、ある程度実現したのが平沢要だったと、小生は考えております。平沢は、事業の活力を重視し、間接的な(注意や自制にとどめる)監督行政を志向しました。しかしこれは、電力国家管理に破れました。この政策は自由競争の弊害から導かれたのですが、自由競争を完全否定する方向へ結局向かってしまったのです。
 ですが戦後、民有民営地域独占の9電力体制が成立し、高度成長期にはおおむね、公益性と企業性のベストミックスに成功したと考えられます。石油ショックからはそれが次第に陰ってきた傾向はあるかも知れません。殊に原子力を中心に、震災前後の東京電力のオペレーションには問題があったことは残念ながらそのようです。
 しかし、小生が思うに、その解決手段として単に、東電憎しの東電解体や自由化や発想電分離では、問題の本質を見失う恐れがあります。公益規制と企業のインセンティヴとを両立するという、バランスの難しい舵取りの必要性は今でも変わらないわけで、その先例としてこの歴史に学ぶ意味は大いにあろうと思うわけです。

 さて、以上を踏まえて、なぜベストミックスを志向した平沢的な監督行政は国家管理に押し切られてしまったのか、またその国家管理が失敗した理由はいろいろあるにせよ、私企業精神を無視したという性格が極めて強く、それが問題の一つではないか、これはある意味現在の電気事業を巡る議論のコインの裏返し的な面があるのではないか、という、実はこちらが本題の話へと続けていこうと思うのですが、その前提の話で既に三部作になってしまいました。
 続きも、現在の研究に関連するブレーンストーミングもかねて、必ず書こうと思いますが、いつになるかは分からないので(苦笑)気長にお待ち戴ければ有り難く存じます。


 あと、参考文献一覧でも最後につけようかと思いましたが、もう面倒なので、「事業の活力」≒ダイナミズムを軸に日本電力業史を総括し、自由化後への展望も示した、とりあえず歴史を踏まえて日本電力業を語る上ではこれ一冊読んでおけば、という本を1冊紹介して、締めくくりに代えさせていただきます。

橘川武郎『日本電力業発展のダイナミズム』
 本書はもちろん東日本大震災前の発行ですが、本書の最後で示されている、電気事業の自由化の形と原発に対する認識と展望は、震災後の今日においても有効さを全く失っていない、むしろ説得力を増していると小生は考えます。ご関心のある方は是非。
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by bokukoui | 2011-11-15 23:59 | 歴史雑談