百合アンソロジー『dolce』雑感 附:百合における「革新派」論

 このところ鉄道や電力などのインフラ系の堅い(?)話題が続いておりましたが、今日は華やかで軽やかでほのぼのとした話題をご提供しようかと。

 というわけで、本日発売の


 でございます。公式サイトはこちらをクリックして下さい。『amaro』というアンソロジーの新シリーズという扱いのようで、百合業界も新しい雑誌やアンソロが着実に増え、活発なようで何よりです。
 『dolce』の概要についてはむしろ、公式サイトよりコミックナタリーの記事「百合アンソロ「dolce」誕生、表紙は「ゆるゆり」のなもり」の方が、手短で分かりやすいかも知れません。帯付きの書影画像もありますのでどうぞ。



 で、当ブログでは以前、同様の百合アンソロジー『つぼみ』について感想を書いておりましたが、今回も『つぼみ』同様に、ナヲコ先生の作品が載るということで買い込んだ次第です。それに加え、以前当ブログでも記事「鉄道と漫画・MATSUDA98篇 19才の「鉄道むすめ」はなぜ死んだか」『鉄道むすめ~Terminal Memory~』を取り上げたMATSUDA98氏が作品を描いているというのも、注目した理由でした。



 それではまず、掲載作品の概要を以下に紹介します。
カバーイラスト  なもり、小梅けいと
カラーイラスト  ひびき玲音、加茂、みずのもと、ソウマトウ、八色、しらび

茉崎ミユキ「デュエット」
真西まり「百合星人」
水瀬るるう「風邪、その後に」
飴沢狛「離れられない世界」
ナヲコ「乙女さんと少女ちゃん」
たまつー「境界線」
ぴかち「ヒミツのトビラ」
百合原明「綴る秘め恋」
水本正「いずみの選択」
ミズタマ「サリニティガール」
渡まかな「ワガママなセカイ」
やまもとまも「嘘吐きシガレット」
黒井みめい・稀周悠希「LisBlanc」
ささきあきら「告白」
MATSUDA98「The pace of two」
ベンジャミン「放課後トイレ妖奇譚」

Creator's Voice
 百合アンソロについては以前当ブログで、『つぼみ』『ひらり、』の比較論をやりましたが、それを踏まえて『dolce』全体の印象を述べますと、『ひらり、』に近い感がありました。つまり「百合のテンプレートに忠実な作品が多い」ということです。
 「百合のテンプレート」とは、「女の子が女の子に『恋愛感情』を抱き、告白する」ということがストーリーの背骨となっているもの、というくらいのつもりです。この『dolce』には16本のマンガが掲載されていますが、まず少なくとも半分はテンプレートに忠実な作品で、同性に恋をして告白できずに悶々とするような話となっています。それはそれで、同じテンプレートの中でも作家さんの個性の違いを読み比べられて、自分の好みに合わせて楽しめます。
 ちなみに、『dolce』というイタリア語は、"sweet"という英語と同じような意味だそうで、そのようなタイトルに相応しく、あまりビターエンドな味わいの作品はありません。それもまたひとつの、このアンソロジーのポリシーなのだと思います。

 で、小生思うに、このテンプレートは古典的な少女漫画の恋愛ものの系譜を引いているのかなあ、ということが浮かんだのですが、どうでしょうか。漫画の伝統に疎い者がこういう話をするのも何ですが、少女漫画の古典的パターンとしてある、「障碍を乗り越えて告白し恋愛を実らせる」というものの、後継ということです。こういうのは概して、告白に至る障碍を乗り越えるところに読者は燃えるわけですが、今では恋愛に関して障碍となるような要素は昔と比べかなり減っているようにも思われます。
 そこで思いついたのは、そんな恋愛に対する障碍の減ってきた時代に、「同性」という新たな障碍を持ち込むことで、古典的少女漫画告白ストーリーのテンプレートに新たな生命を吹き込んで再生させたのかな、ということでした。このような言い方をすると、ホモをヘテロと比べて差別するのか! というお叱りも来ようかとは思うのですが、そしてそれは正論ではあるのですが、しかし考えようによっては、乗り越えられる程度の壁であり選択肢の一つとして受け入れられるぐらいには一般化した(語ること自体が避けられるほど嫌悪されタブー視されるほどではない)というようには言えようかと思います。ゆっくりとは時代は動いているのであり、その一つの過程に今あるのだと考えればいいと思います。

 更に思うに、このような事情で「百合」なテンプレートが形成されたところに、なぜそれがこんな風に流行っているかといえば、「燃える」じゃなくて「萌える」方の影響があるんじゃないかと。「萌え」な女の子の一杯出てくるコンテンツ、というのが近年氾濫しているわけですが、それとこのテンプレートの相性が良かったのではないかと考えついたわけです。
 「同性」の壁、というのなら別に女の子同士でなくてもいいわけで、それこそ「やおい」な世界があるわけですが、「百合」の方が広く浸透したのは、「萌え」と結合したことで読者層が広がったこともあるのではないか、そこが「やおい」との違いではないかと思います。
 というわけで、このテンプレートは「百合」分野の普及確立に大いに貢献しましたし、今後ともその重要性は引き継がれていくだろうと思います。『dolce』も今号はおおむね、その線を忠実に受け継いできているものと思います。

 全体の話はこの辺にして、個別作品の感想を思いつくまま、なるべく簡単に述べてみたいと思います。

・ナヲコ「乙女さんと少女ちゃん」
 ここまで書いてきたことをすべてちゃぶ台返しにするような感想なのですが(笑)、そういう「百合のテンプレート」と遠く隔たってしまった代わりに、普遍的な「あるひとをだいじにおもうこころ」を鮮やかに描き出した名篇、だと思います。
 転校生の山田乙女さんは、美人で性格も良くて成績優秀でみんな(男女問わず)のあこがれの的。でもそれは転校デビューで装った姿だった。どういうわけか、そんな装いが崩れた瞬間ばかり、美少女の佐々木さんに目撃されてしまって・・・というお話。これは恋愛というわけではなさそうで、一応「友情」ということになりそうですが、かといって単純にそう割り切ってしまうと何かが漏れてしまいそうな、そんなややこしい想いが伝わって来ます。
 で、山田さんが転校デビューを決意した時の台詞が何というか面白いので、引用しておきます。

「大体日本人はロリコンなのよね どこ見ても同じ顔のぷりぷり美少女
 みんなと同じことしても意味ないよね 目指すはずばり 美人

 まさに「みんなと同じことしても意味ないよね」な作品でした(笑)
 巻末にご本人も「『百合=恋愛』だとしたら、わたしのは百合じゃないかもしれないけど・・・」と描いているように、百合のテンプレートを、外れているけれど、しかし外れることで描けたものがあったのだと思います。

 テンプレを極めることにも大きな意義はある、そのテンプレを踏まえたからこその面白い独自な作品が生まれることはよくあるだろうと思うのです。それはもちろん当然とした上で、しかしなお思うには、テンプレート型の百合は結局、男女間の恋愛と構造が基本的に同じなのです。もちろんヘテロとホモの恋愛で構造に差がないのは当たり前と言えば当たり前なのですが、しかしそれは、恋愛における男女間の性別役割分担的な構造を百合になってもなお受け継いでいることになるのではないかと思います。
 そこに於いて敢えて「百合」を描く根拠は、先に述べたような幾つかの事情があるのだろうかと思うのですが、一方、そのお話の骨子は百合、つまり女性キャラクター間の関係である必要はないのではないか、という疑問が浮かぶこともあるのです。
 そこにおいて、ナヲコ先生の百合作品のなどは、むしろ男女のキャラクター間の話にしてしまうと、ああこれは恋愛関係だな、で片付けられてしまうことになってしまう可能性が多分にあり、そこで、女性キャラクター間の話にしなければ描き得ないような「あいてをとくべつにおもうきもち」を、百合の形にすることで、描き得ているのだと思うのです。
 もちろんここで、理屈としては男女でなければいいのだから、男性同士の話でも理論上良いことになります。ナヲコ先生が実際、ショタ作品などでも大きな足跡を印されていることは周知の通り(だよね?)です。でもやはり、男性同士よりは女性同士の方が対象を描くにより適している、そんな関係はあるだろうし、そのような関係をこの作品に限らずナヲコ先生の百合作品は、描き出せている、そこになかなか類例のない価値があるのだと小生は思っています。

 あと細かい話ですが、この作品は小道具としての眼鏡の使い方が素晴らしく冴えていて、うるさがたのめがねっ娘好きの方にも感銘を与えること間違いなしと確信します。ネタバレとなるので細かくは書けませんが・・・

 さらに蛇足ですが、「大体日本人はロリコンなのよね」という台詞ですけど、当のナヲコ先生が作品の力によって、日本人にロリ趣味やショタ嗜好を何百人かは増やされた実績をお持ちなのではないかと思います(しろめ)

 話が脇道に逸れて長くなりました。他の作品も一口評を。

・水本正「いずみの選択」
 田舎で幼馴染みのいずみと鳴美子。鳴美子は何かあるといずみに「究極の選択」を迫るのですが、もちろんそれは学校に行くのにバスに乗るか自転車を漕ぐか、学校帰りの買い食いのアイスのブランドを何にするかといったたわいもないものがほとんどなのですが、中学の時に「恋人と友達どっちを選ぶ?」と聞かれて・・・。テンプレの百合に近い作品ですが、平穏な日常と引きずる想いとのつながりがよく、敢えてあっさりとしたエンディングもかえってさわやかで良い読後感でした。
 あと、本質とは関係ないんですが、告白シーンで重要な役割を果たす場面の橋が、コンクリートのラーメン橋で、ちゃんとした欄干がなくて低いコンクリートの駒止め(鉄パイプ付き)なところが、なかなか田舎っぽい雰囲気が良く出ている感じで、印象に残りました。

・渡まかな「ワガママなセカイ」
 「百合男子」ならぬ「百合女子」? でしょうか。女の子同士のキスシーンを目撃してしまった女の子の動揺しに突っ込むクラスメイトの女の子。そんなドタバタに勢いがあって、楽しめました。

・黒井みめい・稀周悠希「LisBlanc」
 雑貨屋さんの店員さんに憧れの感情を抱く女子高生を描いた掌編。恋愛よりもまだずっと手前そうな微妙な感情を描いた佳作ですが、ただ本誌よりも前にどこかで読んだような気がしてならないのですが、思い出せなくて現在悶々としております。

・水瀬るるう「風邪、その後に」
 テンプレートに則った作品の中では、小生の好みにあったものの一つです。柔らかな絵柄と丹念な描写とが、よく調和してほんわかとした世界を形作っているように思います。

・百合原明「綴る秘め恋」
 タカハシマコ作品のような不可思議な味わいが印象に残ります。もっとも、もうちょっと説明が親切でも良かったかな、とは思います。

・やまもとまも「嘘吐きシガレット」
 女子高生(?)と喫煙という一見微妙な組み合わせから、こんなにほっこりな展開に・・・と感心しました。『苺ましまろ』の伸恵姉も巻を追うごとに喫煙頻度が下がっているような。

・飴沢狛「離れられない世界」
 双子の姉妹の危うい依存関係の百合模様。ページ数は少ないけれど、重く濃いめでなかなかです。絵にはトーンを一切使っていないと思われますが、その雰囲気が話の内容とよくそりが合っていて、一層情感を深めてくれます。

・MATSUDA98「The pace of two」
 これもテンプレート系ですが、幼馴染みでなかよしの、ちの・もか(ともか)ですが、てきぱきしたちのに対し、もかはおっとりマイペース。そんなもかに憧れの先輩がいて、しかも進路相談をしているということを初めて知って、心揺れるちの――と、二人の性格の対照ともども、王道直球の良さをしみじみ味わえる感じです。個人的には、もかがちのも先輩も好きだけど、「好き」が違っていると言うところも印象に残っています。相手を大事に思うから、かえって言えないし相談もできないことって、あるよねぇ。
 ただ、『鉄道むすめ』でMATSUDA98さんを知った身としては、ちのともかがバスに乗るシーンがあるのに、バスの絵が車両どころか二人が座っている車内の背景ですら無しなのは、ちょっと残念でした(苦笑)。

 まずまず、思いついたのはこんなところでしょうか。

 全体の感想としては最初に書いたとおり、テンプレートに忠実な作品を中心に集めている感があり、しかしその中でナヲコ先生の作品が異彩を放っている、という印象です。個人的にはその異彩なところが好きなのですが、他の「百合」読みの方からの支持はどうなるのか、気になります。支持が低いとこういった異彩ある作品発表の場が減ってしまいかねないので。
 以前にも当ブログで、「百合」テンプレートにあまりにこだわり、「百合度」なる謎の指標を振りかざすことで、かえって作品鑑賞の視野を狭めているのではないか、という批判を書いたことがありました(「えばんふみ『ブルーフレンド』雑感 「百合」の空虚な「反動」的性格について」)。今回は幸い、良い意味でテンプレートを守る、それを踏まえつつ独自の発展をさせている作品が多くて良かったと思いますが、ただ読者の側がテンプレートをどれだけ守っているのかばかりに気を取られては、テンプレ型の作品であっても、その味わいを充分受け止めることができなくなってしまう危険もあるのではないかと思います。

 更に、これも以前から思っていたことで先にも書いたことですが、テンプレート型の百合は多くの場合、既存の(異性愛の)恋愛の形をそのまま女性同士に置き換えた痕跡を留めており、キャラクターの役割分担にもその影響のある場合がままあるように思うのです。言い換えれば、キャラクターを男女に置き換えても充分成立するように思われます。以前聞いた話でうろ覚えですが、同性婚をしたカップルでも、カップル内の役割分担は男女のカップルの分担と同じだったりすることはむしろよくあるようです。
 それに対し、ストーリーを仮に男女に置き換えると、そのキャラクター間に生じた感情が恋愛と間違えられてしまうため、微妙な感情を描き出すためには同性のキャラクターにする必要性がある、そういう作品もあります。

 で、小生がこんなことをつらつら考えていて、突然電波が降ってきたのは、百合作品を

  ・「百合」というテンプレートにこだわる←→こだわらない
  ・主要カップルを男女に置き換えてもストーリーが成立可能←→不可能
   (女性同士の関係性でなくても描写可能←→不可能)


 という軸を立てて、百合を4分類すると見通しが付きやすいんじゃないかと。
 この軸を格好良く言い換えると、

  ・「百合」における保守派←→革新派
  ・「百合」における復古派
←→進歩派


 とかするとなかなかもっともらしい(笑)。
f0030574_22333124.jpg そうすると、『dolce』は「保守派・復古派」であるところの第Ⅳ象限に属する作品の多い傾向があるといえます。『ひらり、』もそれに近いと思われます。
 一方の『つぼみ』は結構、「革新派」で「進歩派」な第Ⅱ象限的作品も多いように思われます。それだけとりどりで面白いところはあると思いますが、一歩間違えると散漫なものになってしまってアンソロや雑誌の性格を見失う危険もあります。個人的には、「百合」ブームの発端の『百合姫』なんかも結構、パイオニアとして幅広く扱っており、重心は案外第Ⅱ象限に偏っていると思われます。

 さて、それ以外の場合はあるのでしょうか? まず「革新派・復古派」の第Ⅰ象限となりますと、小生の考えですが(かなり異論もあろうかと思いますが)、女の子キャラクターが一杯でゆるふわな日常を過ごしているような、「萌え4コマ」とかは大体この象限になるのではないかと思います。
 女の子じゃなきゃゆるふわなのは描けないよ、という作品も確かにあると思うのですが、しかし例えば楽しく部活をみんなでやっているようなマンガなら、それこそ古くは『究極超人あ~る』だとか、近くは『げんしけん』だとか(これでも結構古いか)、男女混合で面白い作品はあり、そういう世界を全部女の子にしたので結果的に「百合」になっただけ、というのも少なくないように思えるのです。さらに皮肉を言えば、そのような「萌え」女の子ばっかりマンガの中で、「百合」なカップルが成立していて、「これは『百合度』が高い!」なんて安直に言われそうなのに限って、それは『げんしけん』の田中と大野さんみたいな、サークル内男女カップル的役割を女の子二人で分担しているだけで、余計このマトリクス上で「復古」な方に近づいてしまう場合が少なくないのではないかと思うのです。
 逆に「保守派」で「進歩派」な第Ⅲ象限、となりますと・・・うーん、小生の乏しい読書経験ではいまひとつ浮かんでこないのですが、例えば「女の園」をこだわって描き、その特殊な世界の中でこそ成り立つような感情の動きを描いた作品、ということになりそうです。あ、ということは『マリみて』ってここになるのかな? とりあえず、『少女セクト』はこの象限に分類していいんじゃないかと思います。

 以上を総括すると、もっとも「百合」らしいとされる作品は第Ⅳ象限であり、「百合」世界の保守本流を形成していますが、反面ワンパターンに堕する可能性もあります(様式美がクリエイティビティを生む可能性ももちろんあります)。第Ⅱ象限は多様な作品が展開する可能性が最も高いのですが、反面「百合」である必然性が特になかったりして、根無し草になってしまうかも知れません。第Ⅰ象限は「萌え」と結びつくことで、現今の「百合」ブームの拡大、特に男性読者層の拡大に多大な貢献をしましたが、これも結局は記号的な「萌え」の羅列に堕する危険性があります。ある意味第Ⅲ象限こそ、もっとも先鋭的な「百合」といえるかも知れませんが、たぶんに読者を選びそうです。
 乱暴に言えば、「百合」の普及にはまず、第Ⅳ象限という基盤が連綿とあって、そこに第Ⅲ象限に時代を画す作品が生まれ、そして第Ⅱ象限の新たな血が加わることで開花し、第Ⅰ象限で市場が拡大して定着した、という流れになるのでしょうか。

f0030574_22414932.jpg と、突然変なことを考えついてしまった理由は何かと考えると、小生が『dolce』を買う資金にも汲々としている現状から、ちょうど発売日前日に某資料収集機関でバイトをしていたところ、上の分類の元ネタである日本近代政治史における「『革新派』論」を提唱された、伊藤隆先生がいらっしゃって大変お元気なご様子だった、ということが影響しているのだろうと思います。
 というわけで、上のマトリクスの元ネタである、伊藤隆先生の「革新派」論のマトリクスを、そのご著書・中公新書の『近衛新体制』の17ページから引用しておきました。「革新」とか「復古」とか、用語がどぎついと思われた方もおられるかも知れませんが、それは伊藤隆先生のお顔を拝した帰りの足で『dolce』をフラゲしたという運命が、必然的にもたらしたものなのであります。
 それにしても、『近衛新体制』絶版だったのか・・・これは是非とも復刊ドットコムに1票入れねばならぬところですね。

 あれ? ほんわか甘くてかわいいマンガの話をしていたはずなのに、何でファシズムのようなその出来損ないのような話になっているんだろう? どうも「百合」の話を扱うと変な方向に行くのは当ブログの仕様のようです。
 でもまあ、これは本気で書いていますが、小生は「百合」コンテンツ評なんかをするときに、おフランスの哲学者なんぞ引っ張り出してかっこよさげな用語を振り回すより、伊藤隆先生の用語を使ってみせる方が、「かっこいい」と信じているのです。

※2012.11.18. 追記
 このアンソロジーの続き? にあたる本の感想を書きました。→禁忌アンソロジー『feroce』雑感

※さらに追記
 このアンソロジーの続刊が出ましたので、感想を書きました。→百合アンソロジー『dolce due』略感
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by bokukoui | 2012-05-25 20:29 | 漫画