『エマ』が最終回を迎えたそうで

 昨日のように、人様の記事を引用して紹介するような記事だと書くのが楽だなあ。

 というわけで今日も手抜きをしてやろうというわけですが、今日のお題はこちらの読売新聞のブログ(執筆者はオタク方面に詳しい方として著名だそうです)です。これを読んで、初めて森薫『エマ』が完結したことを知りました。7巻はいつ出るのかと思っていましたが、完結を待って出すのでしょうね。
 それはともかく、該当記事に関して、以下の部分はなかなか興味深くもあるのでちと引用して検討してみましょう。
 「エマ」を読んで痛感するのは、当たり前のことではあるのですが、メイドという存在はヴィクトリア朝にあってこそ、その真価を発揮するということです。一昨年の「電車男」のヒット辺りから「メイド喫茶」のブームが起こって、店舗も秋葉原を中心に林立。一時期はテレビで毎日のようにメイド服を着た女の子が「お帰りなさいませ、ご主人様~」などと言っている姿が見られたものですが、個人的には正直言ってちょっと辟易してました。メイドがご主人様と一緒に遊びますか? ネコ耳つけますか? 「萌え~」なんて言いますか? それじゃ単なるコスプレ喫茶と何も変わらないじゃないですかッ!

 もちろん、そういうお店の楽しさを否定するつもりは毛頭ありません。しかしながら、客が「ご主人様」を演じ、店員は「メイド」を演じるという密やかで一時的な共犯関係と、そこから生じる穏やかで厳かな時間と空間こそが、メイド喫茶の本来的な魅力だと思うのです。エマの清楚さ、素直さ、かわいらしさに思いをはせつつ、ヴィクトリア朝時代の雰囲気を疑似体験したい――。私が求めるのは、そんなメイド喫茶です。
 なるほど。なかなか熱の籠った記事ですし、また『エマ』の読者層の少なからぬ部分からは支持されそうな意見と思われます。
 小生も同意する点がないわけではありませんが、しかしここはこの記事の作者が新聞記者であるということに鑑み、些か慎重にこの記事を検討してみようと思います。

 確かに最近は「メイド」を冠した新商売が矢鱈と増え、風俗に限りなく近いようなものも少なくなく、それに対し批判的な意見も現われています。「メイド喫茶」のバブル状況以前から追っかけていたような方々には、そのような意見をウェブ上で明言されておられる場合がままあるように思われます。小生も一応その系譜に連なる、のでしょうか。
 実は先日、池袋の「メイド喫茶」Wonder Parlour を覗いて来たりもしたのですが、このお店はそのコンセプト自体が上記のような「メイド」商売バブルへのアンチテーゼであるようで、ヴィクトリア朝時代へのこだわりを打ち出しており、おそらく上記引用の記事を書かれた記者氏の考えと共通する点は多いように察せられます。
 というわけで、原点回帰というか、ヴィクトリア朝的なメイドさんらしさを大切に! というメイド趣味の一セクトが存在することは確かだといっていいでしょう。

 しかし、そこでどうにも気になって仕方がないのが、この記者氏の言う「ヴィクトリア朝時代の雰囲気」とは何ぞや? ということです。この記事からでは、それが何であるかは読み取れません。一方でメイドが持つ、ヴィクトリア時代にあってこそ発揮するという「真価」であるとか、或いは「メイド喫茶の本来的な魅力」というものが、果たしてヴィクトリア時代の社会や文化と如何なる関連性を持つというのでしょうか。そのことを記者氏はお考えになったことがあるのでしょうか。
 『エマ』に描かれるヴィクトリア時代は、かなり限られた一面を、しかし見事に切り取って、著者が愛情と情熱を注ぎ込んで作り上げた、やはり一つのファンタジー世界です。ヴィクトリア時代を語るのに、『エマ』の世界観のみで語るのはあまりにも偏頗で(しかし作品としての面白さはむしろその偏頗さから生まれており、その徹底した偏頗ぶりそのものが「ヴィクトリア朝的」ともある意味評価しうると小生は思います)、それを「ヴィクトリア朝の雰囲気」といわれても、それは勝手な思い込みでしょう、としか言いようがありません。
 そう、ヴィクトリア朝時代の物を例に出せば、この記者氏の思う「メイド喫茶」に一番近いのは、19世紀の万博での(19世紀後半は著名な万博がいくつも開かれました)日本の展示ではないかと。当時の日本に国際的に展示するものなんて大してないので、芸妓が接待サーヴィスをさせたところ、えらく好評だったといいますが、一方で「日本=ゲイシャ」という偏頗なイメージを欧米に広める結果にもなったのでした。
 ちと(かなり?)意地の悪い突っ込みですけど、マスコミの方でしたらその辺の言葉遣いには慎重になっていただきたいと思います。

 ともあれ『エマ』完結との由、森先生お疲れ様でした。7巻が出たら、早速「墨耽キ譚」にて取り上げようと思います。
 しかし、『エマ』に完結されてしまっては、「墨耽キ譚」のその後のネタがなくなってしまいそうですね。殊に小生は最近漫画を読んでいないので(元々そんなに読んでいませんが)、新しい題材が見つかるかどうか。
 そんな中で、珍しく最近買って読んだのは、ぼちぼち集めている駕籠真太郎先生の著作で、今まで持っていなかった『パラノイアストリート』の1巻と2巻でした。1巻は頗る面白かったのですが、2巻はやや迷走気味か? とはいえまだ一度しか読んでいないので、軽々に評価は下せません。駕籠作品は一齣一齣舐めるように読んで堪能するものですから。そうそう、『六識転想アタラクシア』を読んだ直後に『ローゼンメイデン』の漫画を読んだので、精神世界というか、抽象的な「心の中の世界」を描く想像力の点で、PEACH-PITは駕籠真太郎先生の足元にも及ばないと思い、『ローゼンメイデン』を読む気がしなくなったんですよね。
 考えてみれば、小生の好きな漫画は、『さよなら絶望先生』とか『ディスコミュニケーション』(注:『夢使い』は読んでいません)とか、一齣一齣堪能する読み方に向いたものが結構多いようで、そういう点では森薫先生の作品も共通性があるのかもしれません。

 ついでに。
 駕籠真太郎『駅前浪漫奇行』に収められている「駅前英国」という作品は、森先生と180°反対に偏って英国を切り取ったブラックユーモアな漫画です。「娼婦切り裂き体験コース(ナイフ貸し出し可)」・・・これで笑った方はお読みになられてもいいかもしれません。万人には勧めません。
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by bokukoui | 2006-04-14 23:52 | 制服・メイド | Trackback | Comments(0)

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