鉄道の日記念企画(続・複合機導入記念)お蔵出し鉄道写真 高松琴平電鉄と野上電鉄

 本日は、日本に鉄道が正式開業して140周年の記念日、鉄道の日です。
 というわけで何かそれらしい企画をとも思うのですが、なかなかその余裕もないので、先日やったばかりの企画の二番煎じであり、おまけに数年前にやった企画の残り物でもありますが、先日部屋を掃除して出土した写真を、これまた先日入手した複合機の操作慣熟ということでスキャンしてみた次第です。
 今回はもっぱら、小生が1998年に訪れた四国の高松琴平電鉄と、1994年に廃止された2年後ぐらいに訪ねたと思われる和歌山県の野上電鉄と、まとまった数があったこの二題でお届けします。撮影とスキャンの腕の都合でお見苦しい所もありますが、ご笑覧いただければ幸いです。

 それではまず、琴電の方から。
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高松琴平電鉄長尾線(1998年3月)




 戦前の京浜・湘南電鉄(現・京浜急行)の名車として知られた、230形が譲渡されたものですね。窓が大きく軽快な車輌として名を馳せました。もっとも車内で地元の方に聞いた話では、窓が大きい分座席の背ずりが低く、あまり評判は良くなかったそうです。
 それにしても、わざわざゴミ焼却炉の前で写真を撮らなくても良かったのに、と今にして思います(苦笑)

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高松琴平電鉄長尾線(1998年3月)

 これも同じ長尾線だと思いますが、車輌は琴電オリジナルの旧型車輌だと思います(確か現在も保存されていたはず)。鉄橋で撮影、というのは定番で、遮るものがないので電車の形がよく分かり、水面に上手く影が映ると絵になるのですが・・・タイミングがずれているのは撮影者の腕の限界ですな。
 それにしても、いくらローカル電車とはいえ、横から見ると鉄橋の桁が非常に薄いのが印象的です。桁は10メートルくらいの長さがありそうですが、重い機関車が走ることを想定していなければ、これで良かったのでしょう。

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高松琴平電鉄志度線(1998年3月)

 これは琴電でも海沿いを走る志度線です。車輌は先程と同じ元京急230形ですが、この車輌は前面に貫通扉が設けられています。元祖「湘南電車」でもあることだし、海を背景に撮影してみたのですが、いまいちバランスが悪いのは撮影者の(以下略)。

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高松琴平電鉄志度線(1998年3月)

 上の写真と同じ地点での撮影ですが、これは架線柱に焦点を合わせてみました。レールを組んだような、スマートなスタイルですね。この種の架線柱は、以前はコンクリート柱、近年は鋼管柱のものに置き換えられ、最近では見ることも少なくなりました。

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高松琴平電鉄のブリル27MCB台車(1998年3月)

 これは上に挙げた230形の台車であったと思います。ブリルとは、戦前のアメリカの鉄道車輌メーカーで、ボールドウィン社(蒸気機関車メーカーとして有名)と並んで電車の台車で有名でした。戦前の日本の電車の多くは、車体は日本で製造していましたが、モーターや制御器などの電気機器はだいたいアメリカのGEかウェスティングハウス(空気ブレーキでも有名)の製品で、モーターを取り付ける台車はブリルかボールドウィンであることが多かったものです。台車は次第に国産化されるようになりますが、しかし戦前日本の電車の台車というのは、国産でもブリルやボールドウィンの設計をコピーしたものが大半でした。
 で、このブリル27MCB台車というのは、1910年代から製造されたベストセラー商品で、当時としては高速に対応し、乗り心地の良い優秀な台車として名を馳せました。この台車の特徴の一つは、台車枠を鍛造(材料に金型を当ててプレス)して一体成形していたため、長年使っても緩んだりせず、ぶつかって曲がっても焼き鈍して曲げ直せば元通りになるという、優れた耐久性だったといいます。で、これは高度な金型などの技術を要するため、とうとう戦前の日本ではコピーできなかったそうで・・・同じく鍛造で造るダイムラーのエンジンのクランクシャフトがコピーできず、日本陸軍の戦闘機「飛燕」が首なし状態で大量待機になってしまった逸話を思えば、無理からぬ話です。
 この台車を履いた電車は、2007年まで現役だったそうで、たぶん原設計から1世紀近く走り続けたことになるのではないかと思います。ブリル27MCB台車は戦前電車界の名作でしたが、おそらくはこの車輌が世界最後の商業運行だったのではないかと思います。アメリカのマニアが引き取る話とかはなかったようですが・・・。
 それだけの意味ある台車なのに、何で半分しか撮していないのか自分でも分かりません(苦笑) オリジナルのブリル台車はブレーキが片締めで、各車輪の台車中心部寄り(上の写真でいえば左側)にしかブレーキシューがついていないそうですが、この写真では車輪の右側にもブレーキシューがついています。これは多分、日本でブレーキ力強化のために後付けで改造したのだと思いますが、それを撮ろうとしたのかな? でもこの当時の小生、そのこと知ってたのかどうか。

 余談が長くなりました。琴電の方はこれでひとまず措いて、廃止後しばらく経った野上電鉄の写真を何枚かご紹介します。同社は営業廃止と共に解散し、その後自治体などが施設の撤去を行って、現在は残っているものはほとんどないようですが、廃止後数年のこの当時は、一部撤去しかけたくらいで放置されており、最近作業した形跡もあまりなかったように思います。
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野上電鉄連絡口の廃線跡を紀勢本線海南駅から望む

 野上電鉄は紀勢本線の海南駅から内陸へ延びていた電車ですが、この電車の方が紀勢線開業より古かったもので、正式な起点は日方という別の駅で、すぐそばの海南駅との間に「連絡口」という乗換用の駅を設けていました。書類上は日方駅構内の別なホーム扱いだったそうです。この写真は廃止後の海南駅から、かつての乗換用構内踏切を見たものです。

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野上電鉄連絡口を車庫側から望む

 これはその連絡口のホーム(上の写真の乗換口は、この写真の左手奥に写っている建物だと思います)を、紀勢線と反対方向から見たものです。連絡口と日方の間は僅かな距離ですが、その間が野上電鉄の車庫になっていました。駅は現役時代とあまり変わっていませんが、線路は剥がされてしまっています。

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野上電鉄の車庫(日方駅構内)

 この写真は、その日方駅構内の車庫の一角です。紀勢線と反対側のところで、写っている電車は晩年の主力だった、富山地方鉄道射水線からやってきたデハ10形です。レールで簡素に組まれた、検査や洗浄用と思われる台に惹かれて撮影したものと思います(ドアと台の高さが合っていないのは、高いところに手が届くようにするためでしょうか)。
 なお、この写真の左手前に写っている台車は、先に挙げた琴電のと同じブリル社製の台車で、多分27Eというタイプだと思われます。これも日本で広く使われた台車ですが、27MCBよりはローカル向けというか、そこまで高速でもないような車輌に使われたものだそうで、まあ最高時速40キロぐらいだった野上電鉄(ちなみに、同社の車輌には最後まで速度計がありませんでした)には充分だったのだろうと思います。

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野上電鉄の車庫の内部

 これは以前の記事でお蔵出しした写真と同じ車庫ですが、車庫内部の記録に重きを置いて、先の写真とは反対側から撮影したものと思われます。

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野上電鉄重根駅駅舎

 これは、日方・連絡口から3駅目の重根駅の駅舎です。記憶がないのですが、多分ここまで歩いたんでしょうかね。まことに昔ながらの木造建築で、駅名の看板の文字も古式豊かですが、その看板が傾いていたり、ガラスが欠けていたり、廃屋の悲哀も感じさせるものです。これらの建物も、今では撤去されたと聞いています。
 そういえば、この時線路側から駅構内に入ったら、ホームに残されていたベンチでアベック(死語)が肩を寄せ合って黄昏れていて、そこへ闖入した感じになって気まずいような雰囲気で互いに知らんふりをしたような、そんな微かな記憶があります(違う駅だったかも知れません)。聞くところでは、駅舎を撤去した理由は、そういった若い連中が溜まり場にするから、というのもあったようです。
 にしても、せっかく駅舎を撮るのに、なんでもっと全体を撮すようにしなかったのか・・・。

 以上、写真だけ張って済ますつもりでしたが、存外長くなりました。資料的にも鑑賞としても価値のない写真ですが、自分では懐かしく・・・ではなくて、いつどういうつもりでどうやって撮ったのか、まったく思い出せずに頭を抱えております。まあ皆様の暇つぶし程度にはなろうかと思いますし、とりあえずめでたい日なので、細かいことには目をつむっていただければ有り難く存じます。
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by bokukoui | 2012-10-14 22:21 | 鉄道(その他) | Trackback | Comments(0)

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