今日も思いつくまま・当てもなく教育について語ろうとする

 以前に村上ファンドが阪神株を手放すという情報で下らぬ憶測記事を書きましたが、結局は阪急が引き取るという話がここ数日出ています。阪急単独で全部引き取れるのか疑問の余地は大きいですが、どの私鉄が引き取るかという点では妥当な話でしょう。やはり岩下清周は正しかった?

 それはともかく、少し前に教育について何か書こうとして挫折しましたが、もしかするとそこで語りたかったことに繋がるかもしれないコラムを日経新聞本日の夕刊に発見。それは金田一秀穂氏の「にほんごチェック」という記事です。表題は「『〇〇力』安直な造語飛び交う」。ちょっと引用してみましょう。
 「力(りょく)」は今一番はやっている造語成分といってよさそうだが、なんでもかんでも、力をつければいいというものではなかろうとおもう。
 少し前に、老人力ということばを赤瀬川原平氏が発明した。老人特有のゆっくりさ加減、力の抜け具合を表したことばで、マイナスの力のようなものであった。そこでの力というのは、決して強いものではなく、それをあえて「力」と言い当てたところに、センスのよさがうかがえた。しかし、昨今の「力」には、その洗練が見られない。
 なるほど、言われてみれば最初は赤瀬川原平氏だったかも。「力」とは通常決して見做されないものを敢えて「力」と呼ぶところにセンスがあると金田一氏は指摘し、しかし最近のにはそれが欠けていると批判、「(最近の「力」は)何らかの積極的な価値のことであり、力さえあればいいだろうという安直な思想が見え隠れする」とまとめています。
 この手の安直な「力」の最高峰に「人間力」が位置します(アマゾンのカテゴリ「和書」で「人間力」と入れて検索し、発売年月日順に並べてみるとなかなか楽しいです。どうも教育現場で生み出されたらしい言葉が、加藤諦三センセイや船井幸雄大センセイあたりによってビジネス界に導入され、ゴキブリのように繁殖していく過程を見て取ることができます)が、ともあれ、この手の安易な「力」使いを流行らせたのは、まず間違いなく齋藤孝でしょう。
 アマゾンで彼が本のタイトルに使っている「〇〇力」という言葉を調べると、「作文力」「質問力」「国語力」「少年力」「日本語力」「コメント力」「潜在力」「集中力」「眼力」「英語力」「段取り力」「読書力」・・・他に「~チカラ」なんてのも幾つかありましたが、これだけ書いていればこいつが安易な「力」をはやらせた張本人である可能性はかなり高いでしょうな。齋藤の著作に「体育会系的な明朗さと健康至上主義」を日本文学の研究者・坪井秀人氏が指摘したと、香山リカの本に書いてあったけど、齋藤の言説の背後にあるのが「力さえあればいいだろうという安直な思想」であることは、かなり確かなのではないかと思います。
 さて、話はここから本題に入りますが、今日はこれ以上考えていないので続きは明日。
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by bokukoui | 2006-04-18 23:59 | 時事漫言 | Trackback | Comments(9)

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Commented by 労働収容所 at 2006-04-20 10:06 x
「力さえあればいいだろうという安直な思想」という表現はパワーポリティーク批判なんでしょうか。シンプルな思想を安直と批判するのは安直ではないかと妄想。
ところで体育会系ってどんなイメージの単語なんでしょうか。日頃軍隊のことしか考えていない私としては「体躯だけ鍛える中途半端な連中」というイメージなのですが、どうも世間様とは違う評価のようで。

あと軍事力って造語じゃないですよね。
Commented by らくた at 2006-04-20 18:09 x
「力」をつけることが至上とされる社会の中では、「努力」が絶対のものとして肯定され、そのためには多かれ少なかれ「理不尽な忍耐」を要求される。「君の力をつけるため」「われわれの組織の力をつけるため」が支配・管理する側に都合のよい、理不尽を説得するための論理的な根拠となる。また社会にさまざまな理由で適応できない人々は「努力できない奴ら」として、嘲笑・侮蔑の対象となる。
Commented by 労働収容所 at 2006-04-21 00:37 x
らくた氏。
本来は墨東さんが返信するところですが、気になったので幾つか伺いたく存じます。

努力が肯定されるのは何故でしょうか、むしろ「力だけが物を言う世界」は結果しか求められないように思います。結果だけが求められる世界では如何に結果を出すよう努力したかが重要であり、努力自身が賞賛されることはないと思われます。また理不尽な忍耐とは何でしょうか。具体的にご教示願えればと思います。
また支配・管理する側とは何者でしょうか。
加えて社会不適応と努力は一般に関係無いと思われます。

何よりオチがついていないように見えますが。論旨は「全体」ということでよろしいのでしょうか。
Commented by bokukoui at 2006-04-23 01:05
>ラーゲリ緒方氏
パワーポリティークは「力」そのものについてもそっと考えるはずで、そこら辺何かある大変限られた一面のみ恣意的に切り取って「〇〇力」と名づける安直さとは一線を画していることは間違いありますまい。

「体育会系」についてはまた機会を見て論じたいと思います。とりあえず『機関銃の社会史』をご参照ください。

軍事力は安直な造語ではありませんが、「軍隊力」なら造語になりそう。「若い奴等を徴兵して鍛えたら立派になる!」みたいな老人の妄想として。
Commented by bokukoui at 2006-04-23 01:23
>らくた氏
若輩者の書生論に書き込みありがとうございます。
下でラーゲリ緒方氏がああいってますが、小生はご意見を『ニートって言うな!』の指摘の如く、社会や政策で論ずるべきことも個人の責任にすり替えてしまうという問題に連なるものとして理解しました。そういった風潮に、安易な「〇〇力」も密接な関係があると思われます。

努力できるということほど天才的な才能はない、と天性のナマケモノの小生はいつも思わずにはいられません。そんな時の支えはホルスト・ガイヤーの名言。
「勤勉はバカの埋め合わせにはならない。勤勉なバカほどはた迷惑なものはない」

そういえば、エジソンの例の台詞も、どうも「ひらめかない奴はダメ」という意味らしいです。
Commented by らくた at 2006-04-25 03:26 x
>労働収容所様

少々舌足らずな表現が山積みですね。いくつか補足させてください。

確かに努力そのものが肯定されるのではないかもしれません。僕が言いたかったのは「結果を出すための努力が必要以上に奨励される」って言った方がいいのかもしれません。僕は教育らしきものを生業としているんですが、自分がやりたいこと、生きたい道筋も何もも見えないまま、とにかく目の前にあることの意味も考えることもゆるされないままに「力」をつけることだけをよしとした「努力」だけを強制されているように見える子供たちをずいぶん見てるんですね。それぞれのいろいろな「力」(一見それは「力」と呼ぶに値しないように見えるにしても)の種を持っているのに、それを学校教育の中で一つの尺度で計られていき、場合によってはそれで「劣等」とされることに甘んじる・・・僕にはこれは「理不尽な忍耐」の一つとして考えられるような気がするんですね。
Commented by らくた at 2006-04-25 03:26 x
「支配・管理する側」といったのは、具体的なイメージとしては会社社会。「支配」という表現はあまり適切でなかったかもしれませんが、三十路も半ばになってくると、ずいぶん「企業の論理」に飼いならされてきた自分に気が付きます。「企業の理不尽な要求」が、僕らには「君の力をつけるんだ」とか「われわれの組織に力をつけるため」という形で要求されてくることは結構多いんじゃないかと思うんですよ。
僕が「社会に適応できない」といったのは、墨東さんも上げているニートの問題もそうですね。ホームレスなんかの問題も同じようなコンテクストで捕らえている人も実は多いんじゃないかと思います。
確かに思うまま書き綴った感じなので、オチというか、まとめらしきものはありませんでしたね・・・。

>墨東さん

僕の言わんとしたところはまさにおっしゃるとおりです。しかし・・・努力の才能がない…耳が痛いですわ。
Commented by bokukoui at 2006-04-28 02:20
>らくた氏
丁寧なご説明ありがとうございます。
特に後段については、らくた氏がここ数ヶ月間お感じになっておられたであろう重圧とまったく無縁でもなかった場にいた者からすると、お悩みであろうことは容易に推察できます。当時、全くお役に立てなかったことをお詫びするより他にありません。
Commented by bokukoui at 2006-04-28 02:20
パンドラの箱の神話がありますよね。ありとあらゆる悪いことが箱から飛び出してしまい、慌てて蓋を閉じたら一つだけ箱に残った、それは未来を知る能力であった、だから人は未来に希望を持って生きることができる、という。未来が分からないことは素晴らしいことであり、予定調和であることほど詰まらなく苦痛なことはないのかもしれません。しかし、先が見えないということを悪とし、将来を明らかにすることを良しとするのがこの国の状況なのかもしれません。とすれば、お説のように、年齢を重ねたものがそうでない者に対し、「力」をつけることによりお前の将来を明らかなものにしてやるのだ、と強要する状況を生むのかもしれません。

 このような状況を生む理由を、例えば「規則正しく季節が巡ってくる風土」などに帰してしまうのは、しょうもない日本人論みたいでやりたくはないのですが、ただ、電車が3分遅れたことを車掌に放送で詫びさせる、ということとどこかで通底しているのかもしれない、とぼんやり思うのでした。
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