恋と革命vs.国と革新 『斜陽』モデルの太田静子と大和田悌二の日記を読む さらに続き

 本記事は

桜桃忌によせて 『斜陽日記』の太田静子と「和田の叔父さま」のモデル・大和田悌二
『斜陽』「かず子」太田静子・「和田の叔父さま」大和田悌二の日記読み比べ 続き


 の続篇です。えらく長くなってしまいましたが、さすがに今回で完結します。



 前回の記事の末尾で、太田静子のお母さまが亡くなる場面の『斜陽日記』と大和田悌二の日記を読み比べ、お母さまの最後の心残りが静子と未帰還の末子(静子の末弟)にあり、それを大和田に託したという記述の一致を確認しましたが、それではその後はどうなったのでしょうか。
 『斜陽日記』はお母さまの死で終わっていますし、『斜陽』もその後のお母さまについては「叔父さまたちのお世話」で葬儀を済ませたことが簡単に記されているのみの扱いです。そして大和田の日記も、この1945年末までしか公開されていないのですが、前回の記事で引用した、大和田の最後の見舞いとなった12月6日付の記事の次のところに、このように書かれています。日付はなぜか書かれていないのですが、7日のことと見て間違いありません。
太田姉死去の電報来る。昨日余の見舞をうけ、安心せられし風なりしが同夜九時安らかに永眠せられし由。余も三人同胞中孤独となれり。姉兄の餘命を貰ひ受け一段と活動を期す。
 幼くして親を失った三兄弟も、ついに一人になってしまった哀切の念が記されてはいますが、同時に「一段と活動を期す」ともあります。そこは『斜陽日記』から感じる静子像よりは、『斜陽』で太宰が創造したかず子のイメージに近いでしょうか。実際、大和田はこの後40年以上も長生きして98歳で亡くなるので、たしかに相当の「餘命を貰ひ受け」たのでした。

 そして、翌日の日記には葬儀の様子が簡単に綴られています。
 十二月八日(土)
十一時半下曽我着。妻同伴。姉の死顔真に眠れる如く安らかなり。
上ノ畑姉、周二、加来金升、矢部馬城生諸君詰めらる。
城前寺住職読経す。葬儀を済ませ夜帰る。費用を受持つこと当然なり。明夜火葬の手配済ます。
 城前寺とは大雄山荘付近の下曽我のお寺で、曽我兄弟の菩提寺でもあるそうです。「費用を受持つこと当然なり」という記述に、最後に姉から託された使命を果たそうという意志を感じます。

 ですが、屡述してきたようにこの数年後、太田静子が太宰の子を産んだことで、大和田らは静子と絶縁したようです。今回小生は、『斜陽日記』と大和田の日記以外の資料を特に読んでいませんので、詳しい事情は存じませんが、考え方の堅苦しい大和田からすればむしろ、静子を勘当することが自分の使命と考えたことは、大いにありそうに思えますし、親族の中でもそういったことの中心となる人物は彼しかないだろうと思われます。
 ちなみに、太宰の『斜陽』では、かず子の弟の直治が、「和田の叔父さま」についてこんなことを言います。
 「(前略)叔父さんは、すぐあとで来るはずだが、あいつは、昔からケチで、頼みにも何もなりゃしねえ。ゆうべだってもう、ママの病気はそっちのけで、僕にさんざんのお説教だ。ケチなやつからお説教されて、眼がさめたなんて者は、古今東西にわたって一人もあった例がねえんだ。姉と弟でも、ママとあいつはまるで雲泥のちがいなんだからなあ、いやになるよ」
 「でも、私はとにかく、あなたは、これから叔父さまにたよらなければ、・・・・・・」
 「まっぴらだ。いっそ乞食になったほうがいい。姉さんこそ、これから、叔父さんによろしくおすがり申し上げるさ」
 「私には、・・・・・・」
 涙が出た。
 「私には、行くところがあるの」
 モデルとはいえ、小説と実際はもちろん違いますが、特にお金の点に関しては、ことあるごとに見舞金を包んだり、葬儀の費用を当然のこととして受け持った大和田が、こういった親類縁者のことについてケチであったとは全く考えられません。
 ただ、前々回の記事で引用した『斜陽日記』の静子と英ちゃんのやりとり、「叔父さんは、いい弟だなあ。叔母さんに、よくつくしているよ」「それは当たりまえじゃないの。肉親の姉弟だもの」からすると、何がしか温度差があったような感触もあります。

 小生が参考にした『斜陽日記』は小学館文庫版ですが、同書には静子と太宰の子である太田治子の「母の糸巻」と、小森陽一氏による解説が一緒に収録されています。その解説の一説を引用すると、
 『斜陽日記』は・・・一人の女性が、太平洋戦争の末期に近代の家父長的な家族観や、結婚観から必死になって脱け出そうとする軌跡であるといえよう。又、夫、兄弟、息子といった、あらゆる家庭内的男性たちから離脱した母と娘の葛藤が、この日記の軸になっているのである。
 というわけですが、静子がそこから終局的に脱け出すには、太宰との交流と子を授かるという、戦争にもまして個人的には大きな事件を経なければならなかったのでした。
 『斜陽』は滅び行くものの美しさを描いた小説と言われますが、なるほどお母さまは亡くなり、直治は自殺し、そして作者の太宰自身がまもなく自殺しているくらいですから、それは至極もっともです。しかし、ヒロインのかず子は、作家に捨てられ私生児の母となっても、自分は新たな道徳の革命に従って生きていく決意の手紙を認めます。それはモデルの太田静子の生き方そのものにも、結果としてなりました。太宰は死んだけれど、静子は戦後を生きたのです。
 そんな新しい時代の生き方に立ちふさがるのが、家父長的な家族観や結婚観というわけですが、それを静子の周辺で最もよく人格化した存在こそ、大和田悌二であったというべきでしょう。たとえ母が自分を託したからといっても、そこから脱け出すことなくして、静子の戦後はありえなかったのです。
 『斜陽日記』にはないけれど『斜陽』にあるお母さまの台詞に、「私は、生まれてはじめて、和田の叔父さまのお言いつけに、そむいた」というのがありますが、小森氏の解説を参考にすれば、お母さまも死ぬ前に叔父さまにそむこうとする、というところに、太宰もまた『斜陽日記』の「家庭内的男性たちから離脱した母と娘の葛藤」という面を感じていたのではないか、という気もしてきます。

 さて、太宰が死んでも、自らの道徳革命を成し遂げた静子でしたが、一方の大和田はどうだったのでしょうか。
 大和田は危篤の太田きさを最後に見舞った日、用事があって帰京し、『斜陽』でも「叔父さま叔母さまは、どうしても今夜、東京へ帰らねばならぬ用事がある」とあります。この大事な用事は何か、大和田の日記から推測するに、大和田が社長を務める日本曹達が財閥の指定をGHQから受けたので、それに対して解除を要望する折衝や書類の作成だったようです。なるほど、重大事です。
 さらに姉が亡くなったころ、1945年11月から12月の大和田は、財閥解体指令の他にも、大きな問題二つに関わって奔走していました。一つは以前当ブログでも取り上げた、敗戦後の10月に急死した京成電鉄社長・後藤国彦の後任問題で、もう一つは戦後の大争議として名高い読売争議の調停委員でした。正力松太郎とも縁があったのです。
 『斜陽』といえば、戦前戦中の日本でエスタブリッシュメントだった大和田自身、国は破れ、知り合いは自決したり(阿南惟幾とは同郷でもあり知り合い)巣鴨に引っ張られたり(岸信介は革新官僚として知り合い)、会社は財閥指定されて解体されそうで、古巣の役所も進駐軍にいじりまわされ、そこへ姉が亡くなるとは、自分自身「斜陽」な気持ちだったのでしょうか。のちには自身も公職追放を受けるわけですし。

 ・・・とはやはり言えないように思います。今日、大和田悌二は革新官僚研究でもさほど注目されず、評価も定まっているとはいえませんが、大和田が中心の一人であった電力国家管理については、経済の戦時体制への重要な一歩(議会を通ったのは国家総動員法と同時です)であったことは間違いありません。そして、日中戦争初期の役所で次官を務め、太平洋戦争中は軍需を担う重要企業の社長を務めています。
 というわけで、広い意味で大和田は「戦争責任」を感じるべき立場にあるべきはずなのですが、日記を読んでいてもそういう感情を抱いた形跡は全くありません。ある意味、戦後で価値観が変わったからといって自分の信念を変えなかったのは筋が通っているともいえますし、従って日記をまとめるときに筆を曲げた可能性も低いだろうと思われます(史料価値はおそらく高い)。大和田には戦後の京大の同窓会で、進歩的とされた先生を叱咤したエピソードもあるくらいでして。
 大和田の日記は、戦争末期に和平工作へ動いた鈴木貫太郎内閣のことを批判的に書いています。鈴木首相が御前会議の「聖断」という形でポツダム宣言受諾を決めたことを、大和田は「承詔必謹ではあるが、聖断を仰ぐとは輔弼の任を果たしていない」と批判します。ではどうすれば良かったのでしょうか、こういう勢力を何とか抑えるには「聖断」という手法が必要だったのではないか、そんな印象を拭えません。

 敗戦後の大きな混乱の中、お母さまは亡くなりました。太宰治は心中しました。静子はひとり子供を育てる道を選びました。そして大和田悌二は・・・何も変わらなかったようですし、自分の過去を反省したようにすら思われません。大和田は戦後もしばしば政治がらみの活動をしているようですし、日本曹達の社長にも復帰し、京成の役員も長く勤め、電電公社の経営委員長(無給のお目付け役のような立場ですが)にも就任しています。ギロチンの刃が彼の首をシュルシュルシュとかすめることはありませんでした。
 とはいえ、それを無責任と非難したいわけでは毛頭ありません。むしろ戦前と戦後で何もかも変革したわけではなく、変わらなかったものもあるということを、重層的に理解して初めて、時代を認識することができるでしょうし、大和田が彼なりに筋を通した有能な人物であったことは小生も強く感じています。自分の正しいと思うことに忠実だった、という点では、姪の太田静子と似ているとすらいえるかもしれません。ただ静子は、自分の信じていることが「世間」で支持されていることではない、という認識を持っての行動でしたが、大和田はそこに齟齬を感じることは、あまりなくて済んだのは、幸いだったというべきなのでしょうか。

 ネットジャーゴンで、有村悠氏が造語したと伝えられる「太宰メソッド」というのがありますが(定義例1定義例2)、『人間失格』の一節に依拠して自分の個人的好悪を「世間」というようなあいまいで大きなものに置き換える、権威主義的で欺瞞的な論法ということになっているようです。今の人間の感覚では、大和田の態度は「太宰メソッド」的と移りそうですが、むしろ彼は自分と「世間」の距離に悩まずに済む時代の人だった、という風にいえるかもしれません。それが戦前と戦後の違いでしょうか。
 もっとも彼は、そんじょそこらの「世間」ぶる人間と違い、本当に権力によって世の中を変える力の一部を有してはいました。そして、自分の価値観と違う陣営に対しては、先に挙げた鈴木貫太郎しかり、革新政策に反対した官僚の派閥しかり、日曹を彼に追われた創業者の中野友礼一派しかり、日記のみならず時にはメディア上でも「非国民」くらいの勢いで批判して対立し(電力国家管理のときにラジオで国管反対論者を激しく批難し、賛否両論を得たという件があります)、しばしば優位を勝ち取っています(失敗したこともありますが)。まさに「戦闘、開始」という勢いでした。
 これらの意味については今後更なる研究が必要ですが、少なくとも太宰が小説の中で事実と変えて「ケチ」な役のように設定したり、太田静子が微妙に含むようなことを書いているのには、それなりの意味があるのかもしれません。

 話がまとまらずにだらだら長くなるばかりなので、とりあえずこの辺で。
 とりあえずの教訓は、先に当ブログで取り上げた平泉澄の話になぞらえて言えば、日記史料も使いこなすのは結構大変、ということになるでしょうか。
 小生は、革新官僚としての大和田研究は今後も続けますが、文学研究をすることはないと思いますので、どなたかご関心のある方は取り組まれてはいかがでしょうか。小生は、歴史研究の過程で大和田の日記に出会う→大和田が『斜陽』登場人物のモデルと知り何か載ってないかと太田静子『斜陽日記』を読む→ここまできたら一応読んでおくかと太宰治『斜陽』を読む、という、多分他にありえない経路をたどっておりますので、太田治子さんの書かれたものなどは読んでおりません。ですので、既知の事実や頓珍漢なことを触れ回っていないか恐れるばかりですが、どなたかご関心のある方の手掛かりとなれば幸いです。
 なお、以下に参考にしたウェブサイトを挙げて置きます(敬称略)。

 ・愛しの太田静子【大雄山荘と太宰治】
 ・定年時代「生まれてきて、本当によかった  作家/太田治子さん」
 ・ペンギン・ビート急行「『斜陽日記』~日記考(2)」
 ・nozawa22「太宰治と愛人太田静子」
 ・衿Diary「太宰治と家族たち」
 ・定年再出発「斜陽を考える」
 ・偏屈文化人のブログ「旅行記  太宰治ゆかりの地を巡って」

 それでは最後ぐらいは、太宰に敬意を表して『斜陽』の一節を引用します。
 人間は、みな、同じものだ。
 なんという卑屈な言葉であろう。人をいやしめると同時に、みずからをもいやしめ、何のプライドもなく、あらゆる努力を放棄せしめるような言葉。マルキシズムは、働く者の優位を主張する。同じものだ、などとは言わぬ。民主々義は、個人の尊厳を主張する。同じものだ、などとは言わぬ。ただ牛太郎だけがそれを言う。
 「へへ、いくら気取ったって、同じ人間じゃねえか」
 なぜ、同じだと言うのか。優れている、と言えないのか。奴隷根性の復讐。
 大和田悌二は、いつも国のことを熱心に考え、革新政策を実行した、有能で精力的な人物でした。彼は自らの信念に誇りを持ち、恩義をこうむった人々への敬意をいつも忘れず、プライドは敗戦にも揺るがず、目標の実現には努力を惜しみませんでした。でも彼は、例えば「日本人だから革新政策に協力するのは当然」と、異なる事業観を持っていた民間の有能な経営者を時として激しく敵視もし、戦後もそれを考え直した形跡はありません。一君の元に人はみな同じであるべきだ、と考えていたのでしょうか。
 彼ほどの人が、そのことの問題点に気がつくことができなかった、そんな時代だったのか――などと、今にして思うのです。
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by bokukoui | 2013-06-24 22:59 | 思い付き | Trackback | Comments(1)

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Commented at 2013-07-25 08:29 x
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