ヒンデンブルク80回忌記念まとめ~こなたま氏と高須克弥氏のやりとりを中心に

 このところいくら薬を飲んでも夜眠れず、日がな呆然となりながらよろよろ論文を書いているような感じですが、昨晩は特に酷い有様で全く眠れず、空が白んでくる時間に、気がついたらこんなまとめを作成しておりました。

「ヒンデンブルク80回忌記念まとめ ナチスをめぐる、こなたま氏と高須克弥氏のやりとりを中心に」

 面倒なので、このまとめに付けた説明をそのまんま引用しておきます。
1934年8月2日、ドイツ(ワイマール共和国)大統領ヒンデンブルク元帥が亡くなりました。首相ヒトラーはただちに「指導者兼帝国宰相」、つまり総統に就任し、独裁体制を打ち立てました。これはそんな記念日の直前に起こった、麻生太郎副総理のワイマール憲法とナチスをめぐる「失言」をきっかけとして、ネット上で生じたやりとりをまとめたものです。
主な発言者は、戦間期のドイツ史を専門とし、名編「やる夫がフューラーになるようです」をネット上に発表された、こなたま氏です。かたや、メディアによく登場する有名美容外科医院・高須クリニックを経営する高須克弥氏など。

この両者のやり取りは、「歴史修正主義」的な感情を抱く史学の基礎教養を欠いた人が、如何にして自説の正当性を主張するのかという点で一つの典型と考えられたため、煩瑣をいとわずまとめを作成しました。また、同様の事例として、手前味噌ではありますが、小生(墨東公安委員会)が西尾幹二氏と「ブログ論壇」なるもので接触した際の記事を上げておきます。

『諸君!』秦郁彦・西尾幹二「『田母神俊雄=真贋論争』を決着する」
『諸君!』秦郁彦・西尾幹二対談の評論への西尾氏の批判について

歴史専門家を「細かいことにこだわって大局を見ない」と批難しながら、その「大局」自体の正当性の根拠を明確にせず、ただ賛同者を集めて互いに正しいと信じあっている、という状況が同様の事例と考えます。




 これで説明は大体尽きてしまっているわけですが、まとめを作成したのは単に高須氏をあげつらいたいわけではありません。こなたま氏のツイートされる内容の濃さがまず前提であって、そして上のリード文でも書いたように、高須氏の態度には、西尾氏と共通するものが伺え、そこに何がしかの普遍性を看取する手がかりとなるのではないか、という思いがかなり大きな要因です。
 歴史修正主義については、ごく最近神奈川で、中学生向け地域史副読本の、関東大震災に際して起こった虐殺事件の記述が、歴史修正主義的な主張の議員のために書き換えられたという件もあり、そういった考えがかなり広く偏在していることは残念ながら事実です。それにあきらめずにどう自らが進むか、その手がかりとしてもこのまとめを生かせればと思います。

 という普遍的な話とは別に、個別の論点として、なぜ美容整形外科医として功成り名遂げた高須氏が、ナチスにシンパシーを覚えるような発言をしつこく繰り返したのか、ということについて思い付きを一つ指摘しておきます。この思い付きを得たのは、まさにこのまとめ中の、こなたま氏のツイートにありますので、特に以下に再引用します。
 ナチスの「福祉政策」が一見良さそうに見えても評価はできない、それは国民の幸福増進のためではなく、ナチス首脳が国民をいじくりまわして、自分たちが勝手に考えた「理想のドイツ」を実現するための手段に過ぎないのだから、という痛烈な指摘です。ここでナチスの国民への態度を盆栽いじりに譬えた警抜な比喩に、小生はいたく感銘を受け、そしてはっとなりました。
 高須氏は美容整形外科医です。そう、氏もまた、美容外科医として多くの業績を上げて成功を積み重ねるうちに、自分の考えた理想の「美」に向かって人々をいじくることが「正しい」ことなのだと、思うようになったのではないでしょうか。

 元医師の小説家・渡辺淳一に「黄金分割」という短編があります。
 見た目が悪く人生の展望が開けないある若い女性。一念発起して彼女は整形手術を受ける決意をし、とある医師の元を訪れます。「黄金分割」の理屈を説明し、理論的に美人の顔が作れると説明する医師を彼女は信頼して身を任せ、一躍美人に変身、夜の街で出世を遂げます。そんなある日、店のお客にやってきたのは、彼女を整形手術した医師でした。動揺する彼女は、結局医師の誘いに応じて一夜を共にします。ところが医師は最後にこう告白します。最初はあなたが自分の手術した女性だとは気づかなかった、と。
 医師はこういいます。「整形する前の顔なら、覚えているんだけどね」
 「どうして?」
 「整形したあとはみんな、黄金分割になるから」

 もうこれ以上、付け加える必要もないでしょうし、その気力も乏しいのですが、もし美容整形がその人の持っている可能性を押し広げる手段ではなく、偉大なる医師が定めた「美」を与えてやるものだという思いがどこかにあるのならば、国民の肉体にも深く干渉したナチズムに、高須氏が何がしかのシンパシーを覚えるようなことも、理屈ではありうるのかもしれない――ふっと、そのように思いました。

※2013.8.3. 追記
 もう一言なにかリンクしておこうと思って、疲れてそのまま寝てしまったのですが、思い出したので追記しておきます。
 ここで小生が、高須氏がナチへシンパシーを覚えそうな要因として考えたような懸念の問題意識の根っこは、過去にツイートしたことがありまして、それを憑かれた大学隠棲氏がまとめて下さってましたので、以下にリンクしておきます。

 戦時体制の中で生まれた東京都と後藤新平の立ち位置

 熱心で有能なテクノクラートが時として陥る危険性、ということで、近代に普遍的な問題のようにも考えられます。
 もちろん、後藤新平は「ヒラメの目を鯛の目にすることはできない」ということも同時にちゃんと考慮していましたから、今回の記事本題であるナチスやそれにシンパシーを覚えるような技術者のように、この問題をあからさまに露呈させるような真似はしませんでした。だからこそ、孕んでいる危険性の面が看過されやすいということもある、とは言えるかもしれません。
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by bokukoui | 2013-08-02 22:18 | 歴史雑談 | Comments(0)