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筆不精者の雑彙

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「マリア・テレジアとマリー・アントワネット展」に行く

 タダ券を貰ったので、表題の「マリア・テレジアとマリー・アントワネット展」を見に行ってきました。
 この展示会、展示物は質量ともにマリア・テレジアのそれの方が見応えがあり、マリー・アントワネットの方はつけたしに近い感じだったのですが、やはり日本ではハプスブルク家の知名度が低いのか、マリア・テレジア一人で展示会を開くのが困難と判断してこのような企画になったのでしょうか。

 会場は横浜そごう内部の美術館でしたが、結構な賑わいでした。やはり中年以上の女性が中心のように思われましたが、時期と会場のせいか家族連れも多く見受けられました。小生のようなマニアはあまりいなかったような気がします(笑)。
 展示物はマリア・テレジア陛下ご愛用の品々、所蔵のお宝、肖像画類、娘宛の書簡(のコピー)、などなどでしたが、小生にとって嬉しかったのは、マリア・テレジアの事跡として、軍事面での改革にそれなりに力点が置かれて紹介されていたことでした。複製ながらオーストリアの軍服であるとか、息子のヨーゼフ2世の「士官用ステッキ」だとか、1752年に開設されたという「テレジア軍事アカデミー」関連の展示など、なかなか興味深いものでした。中でも小生が感心してその前にしばらくへばりついていたのが、「1742年9月27日の戦闘計画」という史料で、イシュルという町の民家で発見されたものだそうです。(もっともけしからんことに、この「イシュル」がどこか説明がないのでどこか分かりません。ザルツブルクの近傍に「バートイシュル」という有名な温泉地があるそうですが、そこなんでしょうか。バイエルンに近いので、オーストリア継承戦争中という状況からすればなくもなさそうですが)
 小生はこの史料(図)が載っていたので、2000円出して図録『マリア・テレジアとマリー・アントワネット』を買ってしまいました。この図をこの図録の50ページから引用します。(この図録、引用に関する規定がどこにも載っていないのですが・・・一応、踏み外してはいない積もり)
「マリア・テレジアとマリー・アントワネット展」に行く_f0030574_23565273.jpg
 画像はクリックすると拡大しますが、テジカメ撮影のため(スキャナーがない)お見苦しいのはご容赦を。
 小生は英語が多少読める(と称している)程度で、ドイツ語やらラテン語(当時のハンガリーの公用語)やらはさっぱりですが、辛うじて軍事用語を推測してみると、この図の上段と中段の表で一番大きな幅を取っている欄について、左側に英語の Regiment(連隊)と類似した語が書いてあることから、多分連隊の名前なのだろうと思われます。
 連隊の名前らしき下に数字一文字を入れた欄が二つありますが、この欄のうち上のものは左の凡例に Bataillon(大隊)みたいな単語(ここは自信がない←まあ全部ないけど)と squadron(騎兵中隊、今では空軍の航空隊などに使う)みたいな単語が書かれていることから、おそらく各連隊所属の大隊数(歩兵の場合)か中隊数(騎兵の場合)が記載されているものと見られます。基本的に各歩兵連隊は2個大隊、各騎兵連隊は6個中隊で構成されているということのようです。
 下の数字の欄は、凡例に Grenadier(擲弾兵)と Carabiniers(騎銃兵)とあるようです。
 擲弾兵は本来手榴弾を投げる兵士のことですが、この時代の手榴弾は黒色火薬に導火線をつけて投げる(『ボンバーマン』の爆弾みたいな感じ)もので、それを投げるだけの力の強いガタイのよい兵士のことです。しかしこの手榴弾はあまり効果がないので廃れてしまいましたが、兵士の種別としては残り、優秀な兵士として連隊の切り札として中隊に編成され、しばしば各連隊から引き抜かれて総予備みたいに運用されたそうです。
 騎銃兵は、こちらのサイトによると、フランスではカービン銃(騎兵銃)とサーベルを両方装備した騎兵のことだそうです。オーストリアでは多少違うのかもしれませんが、やはり騎兵の中の比較的特殊な兵科だったのでしょう(普通の騎兵は槍を装備していたのかな? ハンガリーも統治下なことだし)。今じゃ憲兵のことみたいですが(ガンスリに出てたっけ)。
 で、この欄はこれら特殊な部隊が各連隊ごとにいくつあるのか、表示しているものと思われます。

 これ以上は筆者の手に余るので、詳しい方のご教示をお待ちします。ご入用なら図録持参しますので。もっとも図録の写真もちと読みにくく、やはり展示の現物を見に行くのがよいようです>大名死亡様

 マニアックな話(「軍事マニア」でも関心のある人は少なそう)が続いたのでちとインターバル。
 この展示会に来た人はおばさんや家族連れが目立った、と書きましたが、セーラー服の女子高生二人連れ両方ともめがねっこ、という珍しい組み合わせの来訪者もいました。特徴ある襟の切り返しや袖のライン、地理的状況から見て、横浜共立学園の生徒であることは間違いないでしょう。進学校としても著名です。同校はミッション校なので、セーラー服の彼女たちは、敬虔なカトリック信者であったマリア・テレジアの遺徳を慕って来た・・・って共立はプロテスタントか。うむむ。
 実はこの展示会、『ベルばら』の池田理代子先生が関っているので、ことによると彼女たちはそれで見に来たんじゃないかな・・・同校に公認の漫研はないみたいですけど、イラスト部とか美術部とか文学部とか、可能性を感じさせる組織は存在しているようです。
 セーラー服の女子高生がオーストリア軍の制服を眺めている情景はちょっと微笑ましいものでした。あ、ウィーン少年合唱団もセーラーでしたっけ。

 閑話休題。
 さっきの表に戻りますが、小生の当て推量が当たっていれば、あの表は第一線と第二線、予備に分けて部隊配置を書いたもののようにも思われるのですが(もっともそれにしては兵力が多すぎる)、そうすると、表を見れば連隊を二つごとにまとめ、さらにそれを二つまとめる、という部隊編成が一部で行われていたように読み取れます。これは連隊―旅団―師団編成のさきがけに当たるのでしょうか。1740年代にフランス辺りでは師団編成の萌芽が現れていたとかいう話なのですが・・・

 以上の戦史関連ヨタ話の参考文献は、主にオスプレイの『オーストリア軍の歩兵1740‐1780―マリア・テレジアの軍隊』と、そして何より戦史研の大御所である久保田正志氏が著された『ハプスブルク家かく戦えり―ヨーロッパ軍事史の一断面』であります。
 後者の本は、ルイ14世の敵役とか、プロイセンの餌食とか、ナポレオンのやられ役とかでしか登場してこず、専ら文化的な話題が多かった(この展示会もそうですが)ハプスブルク家について、軍事面での経緯を中世から第一次大戦まで600年余に渡って網羅した大著です。西欧軍事史に関心のある方には絶好の一冊です。
 追記:戦史関連ヨタ話は当ブログのこの記事も参照。

 この展示会の会場には、百貨店だけに充実したお土産コーナーがあり、図録ほかアンティークやアクセサリなどのみやげ物(この展示会の狙いの客層がどこかを如実に反映しています)の他、関連書籍を数多く置いていました。池田理代子先生はもちろん、菊池良生や江村洋、鹿島茂などから、澁澤龍彦まであるという賑やかさでしたが、それだけに本書が置かれなかったことが残念でなりません。
 余談ですが、この展示会と本書の関連で一つ気になったのが、同書278頁の図18と、展示会の会場に展示され図録125頁に掲載された地図が妙に似ていることです。どっちも同じ地図をネタにしたんでしょうかね。でもこの地図、初心者にはちと分かりにくい箇所があるので、本書はともかく展示会には不適当だったかも。
 正直観覧者が歴史に関する知識をどれだけ持っているのか怪しいのは致し方ないところで、例えばマリア・テレジアとフランツ1世の結婚契約書(複製)が展示されていたのですが、それに赤い蝋で印を捺してあったのを「血だ」とか騒いでいる女の子がいたので、思わず「それは蝋です」と突っ込んでしまいました。どこから見てもイタいマニアです。ありがとうございました。

 長々書いてきましたが、この展示会はなかなか面白かったので、関心のある向きは是非どうぞ。会期は・・・あ、明日までだ。
Commented by ma at 2006-11-02 21:43 x
こんにちは!ウィーン少年合唱団で思いましたが、こんなHPがありました。http://mgs.uic.to/dorama.cgi?room=Wiener
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by bokukoui | 2006-05-06 23:57 | 歴史雑談 | Comments(1)