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筆不精者の雑彙

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谷内正往『戦前大阪の鉄道とデパート 都市交通による沿線培養の研究』略感

 ぼちぼち復活してきた当ブログですが、現在博論執筆酣でなかなか記事を新規に起こす余裕がありません。書きたいことは色々あるのですが。
 というわけで、小生はしばらく前にとある学会誌に書評を掲載してもらいましたので、それの省略版をブログ記事に転用しようかと。内容をもとの書評より減らしてあるので、学会にご迷惑となることはないでしょうし、また一方で今回取り上げる本についてネット上での書評はないようなので、多少の意義はあろうかと思います。

谷内正往『戦前大阪の鉄道とデパート 都市交通による沿線培養の研究』略感_f0030574_22270103.jpg そんな前置きで今回ご紹介するのは、

谷内正往
『戦前大阪の鉄道とデパート  都市交通による沿線培養の研究
 です。
 電鉄会社のやっている副業といえば、バスや不動産と並んでデパートが挙がります。現在、日本の大手私鉄のほとんどは系列に百貨店を持っていますし、南海電鉄のように持っていない会社でもターミナルビルがデパートだったりしています。ことほどさように関係の深い電車とデパートですが、その関係を最初に作ったのは、これも周知のように小林一三の経営する阪急が梅田に設けたデパート(1929年)でした。
 本書は、戦前の大阪を主な舞台に、阪急はじめ関西の有力電鉄=阪神、京阪、大軌(現在の近鉄)、南海、さらには大阪市営地下鉄とデパートの関係を縦横に論じ、いわゆる「電鉄系デパート」の誕生と戦前の展開を述べた研究です。



 最初に本書の構成をご紹介。
 まえがき

第Ⅰ部 ターミナル・デパートの誕生
 第1章 阪急百貨店~鉄道会社がつくったマーケット
 第2章 阪急百貨店の大規模化とターミナル・デパートの特質

第Ⅱ部 鉄道とデパート経営
 第3章 京阪デパート-白木屋の影響を受けた経営
 第4章 大鉄百貨店-後のあべのハルカス近鉄本店
 第5章 大軌百貨店-現、近鉄百貨店上本町店前史
 第6章 阪神の百貨店構想
 第7章 地下鉄と百貨店

第Ⅲ部 沿線培養の諸方策─教育事業と観光客誘致
 第8章 昭和初期、大阪の百貨店女子店員とその養成
 第9章 電鉄系百貨店の女子商業学校
 第10章 観光整備と情報発信

 あとがき
 と、実に盛りだくさんです。

 盛りだくさんなので大変なのですが、なるべくかいつまんで内容を紹介しますと、まず第Ⅰ部では、ターミナル・デパートの始祖とされる阪急百貨店を論じます。第1章では、前史として宝塚新温泉の食堂やみやげ物の石鹸、さらに1925年に開業した梅田駅の阪急マーケットについて、『ダイヤモンド』の石山賢吉による記事などを引用して詳しく述べます。また、「マーケット」という名前の業態はどういうものを指したのか?という参照例として、三越がやっていた三越マーケットについても検討しています。
 第2章では電鉄系百貨店の代名詞・阪急百貨店について述べます。百貨店の収益は、多岐に渡る阪急の兼業の中でも大きく「ドル箱」であったこと、また呉服店系百貨店と比較した客層や広告の相違、さらには周辺の小売商との衝突、小林一三の流通への誤解、通販や卸売への進出とそれに連携した製薬業の展開、劇場や食堂を集めた「アミューズメント・センター」構想、商品券についてなど、さまざまな角度から描写されます。阪急デパート自体はよく知られていますが、小売商との対立や小林の失策なども触れているのは、あまり今までなかったように思います。

 第Ⅱ部では、阪急以外の電鉄系デパートが対象となります。まず第3章は、京阪電鉄による京阪デパートを取り上げます。これは、昭和恐慌で経営再建を余儀なくされた京阪が、呉服店系百貨店の白木屋(現在は東急百貨店)と共同して創業したものでした。
 さらにこの章では、京阪デパートと同じく白木屋と電鉄の共同事業であった関東の京浜デパート(京浜電鉄との共同事業)についても述べていまして、特に京浜デパートの川崎分店に対し、地元の小売商たちが出店に反対して起こした襲撃事件を詳しく紹介しています。この事件は小生もはじめて知りましたが、実に興味深いエピソードです。

 第4章は、大阪鉄道(現在の近鉄南大阪線等)が設立した大鉄百貨店について検討しています。大阪鉄道も昭和恐慌以降深刻な経営難に陥っていまして、再建策の一環として1937年に大鉄百貨店を阿倍野橋に開きました。この前身となった1927年の「大鉄アーケード」にはじまり、再建中の大鉄が百貨店設立の資金調達に苦労したこと、開業後の順調な業績(ただし阪急には及ばない)などが詳細に述べられます。

 第5章では、大阪電気軌道による上本町の大軌百貨店を取り上げます。大軌百貨店は1936年に開店しましたが、駅ビル自体はその十年前に建てられており、その時点では三笠屋百貨店をテナントに迎えていました。この前身ともいうべき三笠屋百貨店の経営状況にはじまり、大軌が百貨店を直営する経緯、開店後の業績までが述べられます。開業に当たっては白木屋の人材を迎え、阪急や東横のシステムを参考にしたこと、大軌沿線への無料配達が広く行われており「沿線培養」が実践されていたこと、業績は好調であったが会社全体の収益にはあまり貢献していなかったことなどが指摘されています。

 第6章は、戦前には実現しなかった阪神電鉄の百貨店構想を取り上げます。阪神も1926年梅田に白木屋の出張店を設け、1933年阪神マートを開業し、1937年には梅田への阪神百貨店建設を表明しました。しかし大阪ではデパートの発展が著しく、1930年代には既に店舗が過剰だといわれるようになっていました。先の阪急や京浜デパートであった小売商と百貨店の対立のみならず、百貨店間の競合も問題となりつつあったのです。そのため、阪神の百貨店構想には阪急が激しく反発し、大阪駅前の土地を買占めて対抗するという騒ぎになります。
 結局、阪神の構想は百貨店法(小売商保護法制)と、日中戦争による資材統制で挫折してしまいますが、今見るように、戦後に実現したのでした。

 第7章では、地下鉄と百貨店の関係について述べています。まず、東京地下鉄道(今のメトロ銀座線)で三越などが費用負担し、店舗と直結した駅を設けた有名な事例にはじまり、大阪の地下鉄御堂筋線での同様の例を紹介します。具体的には、梅田で阪急百貨店、心斎橋でそごうと大丸、難波で高島屋とが接続していました。
 これらを通じ、百貨店と地下鉄が相互に刺激しあって発展したことを描き出しています。そして、御堂筋の地下鉄と道路の整備は、大阪の百貨店を御堂筋沿いへ集中させる効果を生み、それは今日まで続いていると指摘されています。

 第Ⅲ部は百貨店の周辺へ話題が及びます。第8章と第9章は百貨店の店員養成について論じていますが、第8章では呉服店系百貨店を扱っています。特にそごうでは、パート店員や女子店員向けに高等女学校卒業相当の学歴を与える「実務女学校」を設けるなど、独自の取組が見られたということです。
 第9章では、阪急・大鉄・大軌の電鉄系百貨店が、女子店員養成と「沿線培養」をかねて女子商業学校を設立した事例を紹介します。これらは、新興の電鉄系百貨店は大勢の店員が必要としたため、従来の縁故採用に対する学校紹介ルートの開拓を図ったものと指摘されていいます。自社によるもの以外にも、電鉄は沿線へ積極的に学校を誘致していました。
 第10章はデパート以外の「沿線培養」として、近畿日本ツーリストの源流である大軌参急観光協会について、また箕面有馬電気軌道の箕面動物園を中心とした私鉄経営の動物園について、さらに阪急の広告手法として沿線向けの広報紙『阪神毎朝新聞』や広告ビルについて、そして小林一三が1933年に新聞へ発表した「プロペラ電車」構想についてと、さまざまなトピックを取り上げています。

 と、まさに関西の電鉄系デパートを網羅するだけではなく、大阪の呉服店系百貨店や関東の事例も数多く参照された、実に浩瀚な研究です。
 研究史上の位置づけを考えますと、日本のデパートについての歴史研究はけっこう活発に進められてきているのですが、もはや古典といっていい初田亨『百貨店の誕生』をはじめ、主に文化史的な観点からの研究が多かったといえます。さらにその多くは、江戸時代の呉服店に起源を持つ百貨店、とりわけ三越を主に研究対象としており、電鉄会社が兼業として始めた、いわゆるターミナル・デパートについての研究は主流とはいいがたかったのでした。
 もちろん、日本独自といわれる業態のターミナル・デパートが無視されていたわけではありません。しかし、三越中心に描かれてきた百貨店の歴史に、おまけのように割り込んできたような感じで描かれることが多かったように思います。そして阪急を紹介し、小林一三を賞賛して、あとは同じようなのが増えました、という感じにとどまりがちでした。近年になって、末田智樹『日本百貨店業成立史』などが出て、呉服店系と電鉄系とを同じ土俵で「百貨店」どうしとして比較検討するようになりました。
 そしてこのたび、電鉄系百貨店を中心に据えた研究書が出たと、そのような歩みになろうかと思います。真正面から電鉄系百貨店に取り組んだパイオニアとして重要な研究であるのみならず、呉服店系百貨店や地下鉄などの並び立つ存在にも十分目を配ったところに、本書の価値があります。
 
 本書を読んで圧倒されるのが、当時の新聞や雑誌を中心とした膨大な史料の引用です。これがどれも選び抜かれたものなのでしょう、単純に読むだけで楽しいです。百貨店や電鉄のみならず、都市史や文化史に関心のある方々にも応えられるものでしょう。読むうちに昭和初期のデパートや大阪の様子が感じられる、そんな楽しさがあります。
 研究書としては、脚注がたいへん懇切で、後学の者にとってたいへんありがたいものになっています。本書が、電鉄系百貨店をめぐる史料と研究状況を総合してくれたことにより、本書を新たな起点として今後の研究がいっそう進むであろうと期待します。小生もすでに、現在執筆中の博士論文に反映できそうな論点や史料を見出しておりまして、ありがたいことこの上ありません。

 その上で、今後の研究を進める上で手がかりとなりそうな点を中心に、本書の課題――とはすなわち今後の電鉄系百貨店史の研究の課題ということなのですが、それも幾つか感じたので、以下に述べてみたいと思います。
 それは、言葉の定義についてです。実のところ本書は、ターミナルデパートの実例について事細かに述べているのですが、「ターミナル・デパート」自体の定義を明確に下してはいないのです。本書が取り上げた事例でも、阪急や大軌のような電鉄直営のデパート、大鉄のような電鉄子会社、京阪や京浜のような呉服店系百貨店との共同事業、南海難波駅ビルに進出した高島屋や地下鉄御堂筋線と連絡したそごうと大丸など、さまざまなパターンがあります。これらを網羅して、同じ土俵で把握してみせたところが本書の大事なところです。
 なのですが、であればその成果を生かして、「ターミナル・デパート」とは何であるのか(あったのか)についての見通しがあっても良かったのではないか、とは思うのです。「ターミナル・デパート」の定義を検討しなおすことによって、ある電鉄は百貨店を直営し、ある電鉄は子会社を設立し、ある電鉄は駅ビルのテナントに既存の百貨店を迎えたという、それぞれの経営判断の違いが何故起こったのか、そんな経営史的な分析にも通じるはずだと考えられます。

 さらに、本書で副題となっている「沿線培養」についても、著者は明確な定義を与えていないように思います。「沿線培養」関係で取り上げられる、大軌百貨店の無料配達や、店員養成学校の設立など、紹介されるエピソードはどれも興味深いものばかりですけれど、結局何を以って「沿線培養」されたといえるのかは、残念ながらあまりはっきりしないのです。ターミナル・デパートの業績が好調であっても、それが沿線の発展を示すとは断定できないでしょう。
 もちろん、郊外を直接発展させるのは交通の整備や土地の開発であって、ターミナル・デパートの影響はそれに比べれば間接的です。ですから、ターミナル・デパートと沿線の発達の関係をを示すのは、容易ではないでしょう。思いつきですが、沿線住民の消費行動について、日記や回想録のような史料から断片的にでもターミナル・デパートの位置づけが見えれば、ある程度「沿線培養」の意義付けもできるかも、なんて思います。

 なお、これは個人的に掘り下げてほしいところでしたが、私鉄の百貨店という兼業が、不動産や電力のようなほかの兼業とどのようなシナジーを発揮したか(しなかったか)という観点がもうちょっとあっても良かったかなあと思います。というのも、百貨店では電化製品や家具を売っているので、阪急が他にやっていた(そして京阪も大軌も南海も阪神もやっていた)電力供給業や不動産業とも関係があります。
 本書でも実際、阪神がデパート計画の前にやっていたマーケットは、電化製品を売って阪神が大規模にやっていた電力業の発展につなげる意図があったと指摘されています。こういったエピソードがいくつも読み取れ、大いに刺激になったのですが、それだけにもっと触れても良かったのではと思います。

 全体の印象ですと、本書では概して著者の姿勢は抑制的で、史料をして語らしめようという考えかと思います。小生は幾つかの学会で著者の谷内さんとお話させていただいたこともあるのですが、その印象からしても謙虚なお方のような印象を持っています。
 ですが、先にも述べたように、本書は電鉄系百貨店を真正面から取り上げた(多分)初の歴史研究書で、パイオニア的存在です。谷内さんも今後、関東の事例などさらなるご研究を進められるように仄聞しておりますので、パイオニアとして先の言葉の定義のような課題に、指針を示してくださればと思います。

 というわけで、本書は研究者のほか、私鉄マニアや百貨店フリーク、大阪の近代史や阪神の生活文化史に関心がある方など、広い層にご一読をお勧めします。気軽に買って読むにはさすがに専門書なのでお値段が張りますが(でも情報量からすれば超特価です)、ぜひ手にとってみて下さい。
 小生も先に書いたように、本書から啓蒙されまた刺激をうけた点がいくつもあります。せめてネット上で本書を紹介することで、谷内さんからの学恩の一端にお返しできればと、本記事を執筆した次第です。
Commented by Ta283 at 2015-12-02 19:45 x
阪急百貨店が私の死んだ祖父母が若かった頃の話ですね
父方そして母方の祖父母も百貨店が好きで阪急阪神の百貨店にはよく行っていたようです
父方は阪急沿線、母方は阪急沿線に住んでいましたので当然と言えば当然なんですが・・・母方は岡山から出てきて大阪で仕事をして阪急幹線に住む、祖父は宝塚歌劇も良く見に行ってたようです、小林一三の商売に乗せられたような生活です〔戦前のお話〕
と言うわけでこの本には興味がありますね、一読したいですね・・・余裕があれば買いたいです
Commented by bokukoui at 2015-12-05 10:07
>Ta283さま
コメントありがとうございます。
なんといっても、地元の方からコメントいただけたのは嬉しい限りです。
ちょうど御祖父母様方の世代が、小林の商略とマッチした世代だったのですね。
乗せられたというか、その世代の人びとが求めていたものをもっとも的確に見抜けたのが、小林だったのだろうと思います。

関西の電鉄沿線居住の方にはきっと面白い本とは思うのですが、気軽に勧めるには確かにお値段が・・・
阪急や近鉄などの沿線の図書館は必ず備え付けるべき本と思いますので、図書館に購入依頼を出してみるのも一案化と思います。

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by bokukoui | 2015-12-01 23:28 | 鉄道(歴史方面) | Comments(2)