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大正時代のプリンセスメーカー~「七歳の女房」はどう報じられたか

 今日まで有明ではコミケットが開催されていましたが、小生もすっかり同人からは遠ざかっております(このブログは本来、メイド系同人サークルの広報用として始まったのですが・・・)。もっともこの夏は某サークルに電波な原稿を寄せたりもしましたが・・・。
 さて、少し前に事情あって部屋の押入を漁って探し物をしていたら、十年以上前に出した同人誌が発掘されました。2001年10月に、小生がMaIDERiA出版局名義で作成した同人誌『大正でも暮らし』です。制服系イベントに参加しようということになって、売物を増やそうと、図書館や蔵書から適当に大正時代を中心とした女学生・女給・女中などの小ネタを集めるなどして、小生が突貫作業ででっち上げたコピー誌でした。しかし、でっち上げの割にはそこそこ評判が良かったように当時の小生たちには思われ、その後の同人への深入りの一歩となった一冊でもありました。その後も確か、何年間かはコピーして増産し続け、累計で百数十冊くらいは売ったでしょうか?
 で、懐かしさのあまりつい読み返してしまったのですが、裏表紙のネタにした新聞記事が今読んでもなかなか興味深いので、お蔵入りは忍びないと、ブログのネタとして復活させてみる次第です。
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1921(大正10)年1月5日付『東京毎日新聞』より引用




 この新聞記事は、元記事のマイクロフィルム?からコピーしたものを拡大コピーして原稿とし、更にそれをコピーして同人誌にしていました。そして今回、同人誌をスキャンしてアップしたので、何度もコピーを重ねた見にくさはご寛恕ください。そこで、以下にこの記事を書き起こしておきましょう。なお書き起こしに際しては、漢字を新字体、仮名遣いを現代のものにし、一部の漢字や記号を分かりやすいものに置き換え、送り仮名や句読点を若干加えています。
 理想の妻は自分で養成すると
 三十歳の男が七歳の女房を

    女権拡張の女性解放のと理屈を
    捏る七面倒な跳っ返りは嫌だと


お目出度い初春早々の珍生活故に、年も新たにお目出度い、家内安全の珍物語をお披露に及ぶ事とする。芝は白金三光町の○○番地に佐藤某と称する、本年
男盛りの三十歳、某省の判任官の椅子にござるお人、近頃のような女性解放の、やれ女権拡張のという七面倒臭い、いや女性美を無くしたような女は、我々無産者の女房には到底なり申さずとあって、理想の妻は自分で養成するに如くはないと、遠い縁者から芳紀正に七歳の少女を貰い、お下げに結うてやるから食事の世話は更なり、弁当箱にお昼の食事を持たせて付近の
小学校へ送り込み、自分はその足で役所通いをする。人あって忘年会、新年宴会に誘うものがあれば、彼曰く、極めて真面目に「僕は可愛い女房が家で泣いて待っているから」と仰せある。聞く人あまりに真面目なる自惚(うぬぼれ)話に二の句が継げず呆然として、その可愛い妻君の事情を探れば、若い男の日頃の癖とは事違い、正しく泣いて待っているも道理、寝るにも
夜具を出すさえ出来ず、飲食も出来ない、いたいけな幼いお下げの妻君と知れては、妻君が可愛そうだ、誰も脱線組が誘惑しないとは、嘘のような事実で、御当人曰く「新しくして理想の妻のために下らぬ遊興のお付合いをせぬから、非常な経済だ」とほくほくしてござる。記者質問して曰く「その妻君は貴下の事を何と呼ぶんです」と奇問によって
疑問の中心を問うてみれば「時に依って違うのです。貴下と呼ぶこともあれば、又小父(おじ)さんとも言いますよ、本人は僕の妻になるんだという事を、無邪気な間にも理解していますよ」と目出度し目出度し。
 十数年前にたまたま(どういう機縁だったかは覚えていません)この新聞記事を見つけて、時代柄思ったのは「これは本当に『プリンセスメーカー』をやっていた奴がいたのか」ということでした(小生はこのゲームをやっていませんが)。というわけで単に面白いネタとして、同人誌の裏表紙にコピーを載っけたのでした。
 今この新聞記事を読み返して思うのは、百年近く前の大正時代半ばでも「最近の女は生意気だから結婚したくない!」なんて男がそれなりにおったのか、アンチ・フェミニズムの歴史は深く長いものであるなあ、ということでした。特に昨今はフェミニズムに対するバックラッシュが激しく、当ブログの先の記事「『日本会議の研究』を読んで、ミソジニーとオタクについて考える」ミソジニーとオタクに関する補遺(『日本会議の研究』感想おまけ)にもそういった反応が散見され、小生程度でも一部ツイッターなどで「フェミ気違い」「まなざし村入村志願者」などと呼ばれているようですが、そういった反応はある意味「伝統的」に続いているものであったのです。しかし少しづつ世の中は動いてきたのであって、一時のアンチ・フェミニズムの暴走に対し過度に悲観的になってはならないと、自らを励ますためにも思う次第です。

 ただそれにしても、この大正時代の判任官(ものすごく大雑把にいえば、現在の国家公務員二種に相当します)の場合、「理想の妻は自分で養成する」と意気込んだのはともかくとして、この時点では事実上シングルファザーとやっていることは変わらず、生活上の面倒はずいぶんと増したんじゃないかと思わざるを得ません。もっとも昔の公務員は、どうも今ほど忙しくなかったらしい(それでいて役所の人間は今よりずっと少ない)ので、何とかなっていたのでしょうか。
 ちなみに夏ですと、冷房がなかった昔、8月の役所の勤務は、特に忙しくなければ午前中で終わりでした。「半ドン」というこの美風はしかし、日中戦争勃発後、銃後も戦地を思って励めということで廃止されます。ああ、戦争は絶対にいけません!

 それはともかく、今だったら「自分は将来この子と結婚するんだ!」と主張して、29歳ぐらい(昔は数え年なので)の男が6歳の女の子と同居していたら、児童相談所の介入を招く事態ではないかと思います。それが、新聞記者が「めでたしめでたし」と正月の呑気な記事にしている(ここでの「おめでたい」は馬鹿にした意味をおそらく含んでいるのでしょうが)あたりに、時代の一番大きな変化が見受けられるでしょう。子供への社会のまなざし(!?)が大きく変化しているということですね。もっともこの当時の日本人でも、例えばインドのような国での幼児婚に対しては、「遅れた植民地の蛮習だ」と評価したでしょうが・・・。とはいえ、フェミニズムへの反発が今と大して変わらないのに、こっちは大きく変化したといえるでしょう。
 だから、今のバックラッシュで「女が生意気になって少子化が進んだんだ」とか言っている連中を、この判任官氏と比べて、いやあ昔の人は行動力があって有言実行で偉いもんだw、などというのは多分違うと思うのですが、それはまあうっかり行動力があっても困るし、とまれ元来は正月の記事ですけど、いろいろ読んで考えてみると、暑さも引いていくお話ではないかと思い、お蔵だしして紹介した次第です。

 今後は、放ってある「MaIDERiA出版局」サイトもだんだんに復活させ、昔の同人誌のデータも公開しようかと思っていますが、目の前のことを追っかけるのが精一杯な日々で、いつのことになるのやら・・・。

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by bokukoui | 2016-08-14 22:55 | 歴史雑談 | Comments(0)