「散宿所」についての覚書~電気事業史の忘れられた言葉について

 今月に入ってブログの更新が進んでいないのは、例によって書き手の心身の問題のほかに、機器のこのところの酷い不調もあった(ネットになかなかつながらない)のですが、そんなに引き籠ってばかりいても進展がないと、関西へ史料調査に出かけていたのも一因であります。関西では主として、戦前の電気事業について昔の雑誌などを調べておりました。
 そんな中で、昔の電気関係の資料を見ているとしばしば目に付く「散宿所」という言葉について、ふと思いついてツイートしました。
 散宿所とはこのように、今なら電力会社の営業所とでもいう時、戦前で使われている言葉です。ちなみに電器屋が昔はなかったというのは、もちろん全くなかったわけではないのですが、一昔前によくあった街の電器屋さんのようなのがまだ少なかったということです。都市部ではともかく、郊外では少なかったようで、この調査で出会った池田市の郷土史の本によると、戦後はいっぱい出来た電器屋も、昭和10年ごろの池田(当時は池田町)には一軒もなかったそうです。ちなみに池田には阪急宝塚線が通り、その総帥・小林一三の家がありました。郊外住宅地としては戦前からかなり発展していた地域です。
 さて、小生のこんな呟きに、ありがたいことにご自分で調べて教えてくださった方が二人もおられました。以下にそのツイートを引用します。
 まことにありがとうございます。n=1(@manga_koji)さんとダービー(@darbyz80)さんに、ここで重ねて御礼申し上げます。
 というわけで、なるほど法令に「散宿所」が記されているのか、と小生は、帰宅後手元の資料を調べてみました。以下ツイッターで既に流しましたが、再度まとめて書いておきます。



 ダービーさんにご指摘を戴いたように、「散宿所」という言葉の広まりには電気事業取締規則が一因となってそうです。
 そもそも、1896年5月に制定された逓信省令第5号の電気事業取締規則は、日本初の全国的な電気事業の規制でした。日本の電気事業は1883年の東京電灯の開業に始まりますが、当時はそもそも電気というものがあまり知られておらず、役所でもどこがどう監督するか決まっていませんでした。そこで当初は、地方の府県ごとに、主として事故防止のための規則を設けることで対処しました。東京では警視庁が1891年に電気営業取締規則を作っています。
 そして次第に全国へ電気が広まっていくと、地域ごとにばらばらではなく、統一的な規則を作るべきということになり、国による監督も逓信省が行うことになりました。今にして思えば、監督官庁が農商務省(→商工省→通産省→経産省)でなかったのは不思議ですが、当時お役所の中で電気と関係あるのは、電信をやっている逓信省だったからといいます。鉄道も運行管理に電信を使いますが、当時は鉄道も逓信省が監督していました。当時の逓信省は戦後の郵政省と違って、郵便・電信・電話のほか鉄道や船舶の監督も担当しており、情報・人・モノのコミュニケーションを一手に担う官庁だったのです(1906年の鉄道国有化で、鉄道は逓信省から独立しますが)。
 というわけで、1896年の電気事業取締規則(ダービーさんがツイートしてくださったのは1902年の改正版)を、『電気事業法制史』(電力新報社)から見てみましょう。

 まず、この規則は第一章総則・第二章電灯及報告・第三章電気鉄道・第四章雑則・第五章罰則・第六章附則からなります。「散宿所」に関する規程は、第四章の雑則にあります。以下に引用します(原文はカタカナ交じりですが適宜修正します)。
第99条 地方長官は必要と認むる場合に於ては線路の各要所に技術者又は工夫の散宿を命ずることあるべし
第100条 散宿所には屋外衆人の賭易き所に其の標札を掲ぐべし
第101条 散宿所の技術者又は工夫は其の担当区域の電線に送電中は濫りに他行すべからず
第102条 散宿所の技術者又は工夫疾病又は其の他の事故に因り業務を執ること能わざるときは相当の代人を置くべし
 以上が、1896年の電気事業取締規則における「散宿(所)」に関する規程です。これによると、n=1さんのご指摘のように、まず要員を「散宿」させるべしとされ、その場所として「散宿所」が定められたようです。そして要員を散宿させるのは本来、送配電線網(「線路」)を常時監視するためで、散宿所とは電気事業者が作業要員を常駐させる保守拠点であったようです。
f0030574_23273722.jpg しかし昭和初期の電力会社の宣伝なんかを見ますと、「電熱のお申込はお近くの散宿所へ!」といった感じの使われ方をしています。つまり、散宿所はサービス拠点という感じで、この規則と意味合いが異なっているようです。左に掲げたのは、たまたま目に付いた1929年4月発行の雑誌『電気経済時論』に掲載された、「電気需要家に親切なビラの作り方に就て 阪神急行電鉄株式会社の例」という記事のコピーです。これは阪急が配布した、新聞折込広告の文面を宣伝の参考例として雑誌に掲載した記事です。ここから昭和初期に「散宿所」という言葉が、地域の営業拠点の意味合いで使われていることが分かります。
 これについて、昭和初期のベテラン電気屋さんの回顧を見つけたので、以下引用します。出典は、このたびの調査で閲覧した、大阪市電気局の内部報『サービス』7巻第8号(1937年)掲載、卜部菊造「昔と今(その十三)」です。
散宿所とは元来府令―明治35年10月1日大阪府令第37号―に基づいて設けられた電灯、電力等の電線路巡視保守員の在宿所であったのですが、是れに電灯の故障修繕係員をも併置されたので、これが即ち現今の出張所の濫觴でありまして、後に線路の巡視員に代わって修繕係員の主席者が常駐するに至ったのです。(中略)散宿所は後に派出所と変り、次に修繕係出張所と称し、更に修繕所と改まりまして、市営になった(引用註:大阪で創業した大阪電灯は1923年市営化された)翌年の大正13年8月8日営業所が電灯営業所と変ると同時に出張所と改称されまして現今に及んでいます。
 散宿所は当初電線の監視目的だったのが、やがて故障修理を兼ね、サービス拠点へ変化して「出張所」となっていったことが伺えます。
 なおツイッターで当初、この卜部の回想の府令は、もしかすると「明治25年」なのではないか、全国的な規則である電気取締規則より前の地方長官による規則の可能性があるのではと思い付きを述べておきましたが、大阪府公文書館の検索システムで調べてみたところ、「電灯線路、電力線路及電気鉄道用電線路ニ於ケル散宿所設置ノ件(府令第37号)」というのが1902年の記録でありましたので、明治35年で正しいと判明しました。府独自の規則で散宿所の設置を規定したのではなく、逓信省の規則に基づいての府令であったようです。つまり、1902年になって大阪府では散宿所の必要性を認め、「地方長官は必要と認むる場合に於ては線路の各要所に技術者又は工夫の散宿を命ずることあるべし」によって散宿所設置の規則を設けたということのようです。

 さて、では「散宿所」という言葉はいつごろまで使われていたのでしょうか。
 小生の感覚では、先の阪急の広告のように、昭和初期でも時折見るけれど、大正の方がよく見る感じがします(明治の紙誌面はあまり見ていません)。そこでこういう場合の目安をつけるのに頼りになる、神戸大学附属図書館の新聞記事文庫で検索してみましょう。このデジタルアーカイブは、戦前の神戸高商が神戸の新聞から経済を中心とした記事をせっせと分類してスクラップしていたのを、全面デジタル化したという、大変便利かつ面白いものです。
 これを「散宿所」で検索したら、こんな画面が出ました。
f0030574_23382103.jpg
 一番古い記事で1913年、新しいのは1939年――にしても他の記事と比べるとずいぶん飛んでいるなと思って見てみたら、これは内容からして昭和14年ではなく大正14年の誤入力ですね。前年に大阪市域が拡張したとあるし、京阪の和歌山支店は1930年に三重合同電気に譲渡していて1939年には存在しません。というわけでこれを訂正すると、新聞紙面に「散宿所」の言葉がよく見られたのは大正時代ということになります。明治末年に「散宿所」の設置が進み、電気が普及して市民に身近な存在になるに連れて紙面にも登場したけれど、性格が変わって「営業所」「派出所」と名前も変わり、昭和になるとあまり紙面に出なくなった――という感じでしょうか。
 ちなみに今ネットで検索すると、バス停の名前に「散宿所前」というのが今でも愛媛県にあるようです。昔の電力会社の拠点があったんでしょうね・・・と思ったら「ばらしゅくしょまえ」と読むんだって!? じゃ違う語源? は、「散宿所」は「さんしゅくしょ」と疑わずに読んでいたけど、ほんとは「ばらしゅくしょ」なのか? でも「散宿」って言葉を「さんしゅく」と読む以上は、まあ「さんしゅくしょ」でいいはずです。愛媛のバス停の語源の方が気になりますね。

 以上、「散宿所」という言葉について、ざっと今気付いたことをまとめてみました。まだ他にも、逓信省の規則制定以前に地方の規則で「散宿所」が出てこないかとか、ガス事業の方でも使われていないかとか、愛媛のバス停は何なのかとか、課題はいろいろありますが、ひとまずここで一区切りとします。
 改めて、n=1さんとダービーさんに、深く御礼申し上げる次第です。
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by bokukoui | 2016-09-28 23:56 | 歴史雑談 | Trackback | Comments(2)

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Commented by つらね at 2016-09-29 11:10 x
はじめまして。いつも楽しく拝読をしております、つらねと申します。
「散宿所」という言葉がいつごろまで使われていたかですが、どこかで読んだような記憶があって調べましたところ、加島篤「日本における定額電灯制と電球貸付の変遷」(『北九州工業高等専門学校研究報告』第46号(2013年1月)9-26頁)の19頁に「配電会社時代、東北、中部、中国、四国の各社は末端の出先機関を散宿所、北海道と九州の2社は電業所と称していた。電気事業再編後、これら出先機関は電力各社に継承されたが散宿所や電業所の名称を残した会社も多かった」との記述がありました。また同論文の20頁の表12「電力各社による出先機関の再編成(昭和30年頃)」には中国電力の項で「都市周辺の出張所、散宿所を廃止し、サービス店に改変」とありますので、この頃までは「散宿所」という言葉があったのではないかなと考えられます。同論文が参照されている文献について私は未読なので詳しいことはわかりませんが…。
Commented by bokukoui at 2016-09-29 21:36
>つらね様
コメントありがとうございます。こちらこそツイッターではお世話になっております。
論文ご教示ありがとうございました。さっそくダウンロードして読んでおります。小生はもっぱら関東と関西の都市圏ばかり注目していたので、地方のシステムには疎かったため、大変参考になりました。重ね重ね御礼申し上げます。
電気製品の普及が遅く、定額電灯が多かった地方では、散宿所が営業の拠点という性格をあまり帯びず、散宿所の名前のまま変化しなかったのかな、などと思います。
どうもありがとうございました。
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