システムに萌える人々

 昨日書いたように、森薫先生インタビューの【メイド・鉄道・ミリタリーの微妙な関係】に一筆ものそうかと思っていましたが、それと関連してそうな興味深い記事を発見。
 それは『「ニート」って言うな!』『いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体』の著者である内藤朝雄氏のブログ6月27日付け記事です。以下引用します。
国家観には二種類ある。

 一つは、国家を、一人一人の人間の共存と福祉のための公共財である機械装置(機械装置に「からくりしかけ」とルビ)と考えるものである。国家は水道や電気や医療や交通網のように、人々の生存にとってきわめて重要なものだ。その意味で、危険なメンテナンス業務を行っている自衛官は、高圧線の上で危険業務をしている技師と同様に、尊敬されて当然である。この私にしても、大切なインフラストラクチャーとしての国家をよりよいものにするために、この文章を書いている。しかし、いかに国家が重要であるとはいえ、それを「愛する」などというのは、水道管や電線をぺろぺろ舐めまわし、女性の靴や下着のにおいを嗅ぐのと同様、変態である。この第一の国家観からいえば、愛国心はフェテシズムの一種である。愛国心ではなく、苦労して磨きあげた公共財機械装置(「機械装置」に「からくりしかけ」とルビ)の性能のよさに対するプライド、という意味での国家プライドはあるかもしれない。国家が愛国心などという変態心性を万人に要求する制度は、日本国装置の性能の悪さとして、国家プライドを大いに傷つけるだろう。
 『図書新聞』に全文が載っているそうなので、大学で探して読んでみることにしようと思います。

 なお、内藤氏が高校時代に経験したことを書いた手記はこちら(Web Archive)。愛知県に戸塚ヨットスクールや海陽学園が存在することと、この事態とは何がしか関連性があるのかもしれません。
 以前、「熱血教師を排す」などと称して教育について駄弁を弄し、その中で内藤氏の諸説を参考として引用しましたが、教育の暴力装置ぶりがここまで臆面もなく発揮されていたということを、小生は愚かにも碌に知ってはいませんでした。自分が書いたことの内容自体は全く頓珍漢ではない、位の言い訳はしますが、お気楽な評論と言われても仕方ありません。

 教育について自分の無知をこれ以上さらけ出す気もないので、今日は内藤氏の言う「変態」について考えてみたいと思います(そして、できれば「愛国心」の問題についても考えが繋がればいいと思いますが・・・)。なんとなれば、内藤氏の所論に従えば、小生は正真正銘、足フェチ並に変態だからです。鉄道というインフラを「愛して」いるからです。
 そうして考えてみれば、広義のインフラ愛者というのは結構多いようにも思われます。鉄道趣味者はもちろん、軍事マニアもそれに含まれるでしょう。鉄道趣味者との兼業者が多い郵便貯金マニアというのもいます。全国各地を回ってマンホールの蓋の写真を撮っている人がいます。電力マニア、というか、送電線の鉄塔マニアなんてのもいたりします。そういった人々を、インフラという巨大なシステムに愛着を抱く人々――として一括りに考えることは、そう乱暴でもないでしょう。
 最後にあげた鉄塔マニアについては、鉄塔に取り憑かれた少年の心情とひと夏の冒険を描き出して日本ファンタジー大賞を取った銀林みのる『鉄塔 武蔵野線』という小説があります。映画化もされました。この作品については我が畏友たんび氏が、多分日本で一番愛読していると思うので、詳細の説明は氏に譲ります。小生以下数名の友人は、彼に付き合って実際に武蔵野線(そういう名前の送電線が実在する)を見に行ったものです。以上余談。

 で、これら内藤氏的に言うところの「変態」な連中と、「愛国心」とはどういう関係があるのでしょうか。彼らは同じなのでしょうか、或いは何か違っているのでしょうか。

 その点についての記述は、既にこの内藤氏のブログにトラックバックを送っているカマヤン(鎌やん)氏のブログ7月4日付記事にあります(実は、カマヤン氏のブログを読んで内藤氏の記事を知りました)。以下引用します。
 もちろん私は変態だから変態の思考様式にはわりと明るい。「ネット右翼」に欠けるのは「自分は変態である」という覚悟である。「自分は普通のはずだ」というのはヌルイ変態が言いたがる自己欺瞞であり、これが最も性質(タチ)が悪い。というか、変態として三流である。三流の変態は他者を嫉み、他者の陰口を言うことだけに全エネルギーを投入し、結果、変態としての幸福すら掴み損ねる。もちろん変態だから「普通」の幸福とは生涯縁がない。
 これは示唆に富む指摘です。これを踏まえつつ、鉄道趣味・軍事マニアなどについて検討してみましょう。
 カマヤン氏が如何なる「変態」かといえば、皆さん周知の通り「ロリコン」です。他の「変態」ではないロリコンだというところが、おそらく氏の見解の特質を生み出しているのではないかと思われます。つまり、「自分は普通のはずだ」という自己欺瞞をすることが困難であり、自らの「変態」に常に相対し続けなければならない、というところです。
 その点、鉄道やら軍事やらのマニアはどうなのでしょう? 恐らく、そのような自己欺瞞によりひっかかりやすい傾向にあるのではないかと思われるのです。

 もっとも、ふとここで小生が書架からカマヤン(当時のペンネームは「鎌やん」)氏が1996年(もう十年も前だ!)に、『花右京メイド隊』の作者もりしげ氏と組み、多くの協力者を集めて作ったロリータ系成年向同人誌『萬歳突撃&おもいつき6号』を引っ張り出して、鎌やん氏による解説・コメントを読むに、ロリータと軍事趣味について以下のように関連性を指摘しておられるのです。このコメントは、直接は志崎月魚氏の作品につけられた解説です。
 不思議なもので、ロリータ作家で旧日本軍に愛情を持つ人は、意外に多く、それもかなり熱烈な嵌り方をされていらっしゃるのは、「ロリータ」というジャンルとなにか共通するものがあるのでしょうか。(中略)
 ロリータも旧日本軍も、「過去」にこだわる点において共通しています。このへんのことは、実は「コラムニスト鎌やん」の秘蔵のネタの一つでして、相当深く掘り下げることができると思うのですが、今この文章を書いている私にはあまりにも時間がなく、準備もまだ乏しいので、残念ながら匂わせておくだけで我慢しておきます。(同書pp.59-60)
 小生もカマヤン氏の同人誌をコレクションしているわけではないので、氏がこの後掘り下げられたかどうかは残念ながら存じません。『アニマル・ファーム』所収の「制服考」なんかが繋がっていそうな気はしますが。このカマヤン氏の指摘は、『花右京~』の内容をちょいと思い出せば、なるほどさもありなんと思われはします。

 さらに話が逸れていきますが、この同人誌『萬歳突撃&おもいつき6号』にロリータ漫画の評論を寄稿しているのが更科修一郎氏で、その更科氏は『嫌オタク流』の中で、今時のオタクの教養について「今だと、軍オタとかが一番デフォルトに近いような気がします(同書p.170)」などと発言していたり、なんだかますます話が煮詰まってきていそうな状況証拠が出てきますね。

 とまあいろいろ材料が出てきたものの、長くなりすぎたので続きは明日ということでご容赦を。
 まずは頭を整理しなおして、そしてインフラを愛する「変態」精神について、できればそれと「愛国心」の関係について、何か書くことにします。
[PR]

by bokukoui | 2006-07-06 23:52 | 思い付き | Comments(4)

Commented by 労働収容所 at 2006-07-07 01:37 x
続きを書いている段階で投稿。
引用の部分について。別に二種類じゃないだろうという話をするのは中学生までとして、最後の方にある国家プライドという単語における国家って何の事なんでしょ。公共財機械装置プライド?
何それ。
Commented by 某後輩 at 2006-07-07 12:37 x
私もラーゲリ氏と同様の疑問を感じました。引用部の機械装置としての国家とはstateとのことだと思いますが、昨今の「愛国心」論議で推進側が唱えているのはnation、ないしは共同体に対する愛着の筈なので、何となく議論が噛み合ってないように思われました。
Commented by 労働収容所 at 2006-07-07 21:44 x
良く分からないが、私は至って平常であるということで一つよろしくお願いします。
Commented by bokukoui at 2006-07-14 00:47
>某後輩氏
共同体に対する愛着を主張しつつ、それをインフラ的側面への忠誠とすり替える、もしくは無意識的に混交してしまっている側面はあるのではないかと思います。
まあ、部分的な引用なので、また機会を見て全体を読めれば、もうちょっと建設的な話ができるのではないかと思います。

>ラーゲリ緒方氏
「平常」な緒方氏というのは語義矛盾ではないかと愚考します。