お茶の本とコーヒーの本を読む

 ただでさえ積読本が堆く積み重なっているところに、先日研究室にて定価の半額で本の放出をするというのでつい数冊引き取ってしまい、このままではいかんと数冊片付けました。
 今日はその中から二冊を取り上げて比較しつつ感想など。

 その二冊とはどちらも中公新書で、
角山栄『茶の世界史 緑茶の文化と紅茶の社会と、
臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る 近代市民社会の黒い血液です。お茶とコーヒーの対決というわけですな。

 それぞれの本の著者は、角山栄氏といえば説明するまでもなくイギリス社会経済史の研究者で、というか当ブログを読まれる方ならば『路地裏の大英帝国』の著者としてご存知でしょう。一方の臼井隆一郎氏は、ドイツ文学の研究者のようです。
 本としてはそれぞれの著者の立場の違いからか、前者は史料に基づいた実証的な話が、特に日本茶の輸出とその挫折について細かいのが特徴で、一方後者は独特の語り口で上手にコーヒーの歴史の各時代で面白いところをピックアップした読み物となっています。なので単純に、前者を話が細かい割に全体像としての茶の「世界史」がフォローし切れていない(中国の話が少ない)だとか、後者は実証的な面(数値的データなど)が弱い、とあげつらっても始まりません。どちらも、叙述にそのような個性があることを承知で読めば、結構面白い本だと思います。

 さて、18世紀の英国ではコーヒーハウスが大流行していたのですが、世紀半ばには衰退してクラブに取って代わられてゆき、同じ頃からイギリス人は紅茶へと傾斜していきます。その原因はいろいろとありますが、『コーヒーが廻り世界史が廻る』にあった面白い指摘によると、「ロンドンのコーヒーはあまりに男の飲み物であった」(p.86)ために女性の反発を招いたのもその一因であるといいます。そしてその背景に、この時代から形成される近代市民社会の構成要素である「近代家族」とコーヒーがそぐわなかった、女性(主婦)が仕切る家庭では紅茶が好まれた、という事情があるといいます。
 家族論の観点からこの指摘がどれほど信憑性があるかは寡聞にして存じませんが、確かにコーヒーよりも茶の方が「家庭」に親和的なイメージがあります。或いは、家でお客をもてなす時にも、お茶の方が日本でも英国でも多そうです。逆に、外で飲むものとしてはコーヒーの方が茶よりも優位にあるような気がします。なんとなれば、喫「茶」店といいながら、飲んでいるのはもっぱらコーヒーですよね。そして、喫茶店は家族の団欒で行くところではあまりないですね。
 だとすれば、メイドさんが淹れるのはコーヒーより紅茶が相応しいといえる、のか・・・?

 どちらも面白い本ではありますが、しかしこの二冊の本には共通した食い足りない部分もあるように小生には思われます。それは食文化との関連性がほとんど触れられていないことです。日本が緑茶で英国が紅茶である理由も、様々な文化的相違が関与しているにせよ、米かパンかの食生活がもっとも大きな理由だと思うのです。コーヒーについても、アラビアとヨーロッパで受容のされ方が異なっていた理由にそれがあるのではないでしょうか。競合していた飲料(酒類)についての言及はありますが。
 特に日本のお茶の文化について、今回紹介した本は日本の茶道文化の重要性を世界史レベルで力説していますが、小生はそれに若干の留保をつけたく思います。なんとなれば、日本人の内部において、茶道という文化がどれだけ浸透していったのか、正直なところ疑問に思うからです。大多数の庶民の日常生活に浸透した、まさに日常茶飯事となったお茶の歴史に注目するならば、そして飲料である茶の歴史と密接な関連性を持つ食文化との連携も含めて語るなら、やはりここはお茶漬けの歴史について一筆する必要があるのではないでしょうか。

 なんてことを考えたのも、小生が最近『魯山人味道』の影響で、海苔の茶漬けなぞに凝っているせいかも知れません、というかきっとそうだ。
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by bokukoui | 2006-07-22 23:58 | 食物 | Trackback | Comments(2)

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Commented by ゆん at 2006-07-23 20:14 x
>臼井隆一郎

わたしが教養で独語を習った先生です(笑)。
Commented by bokukoui at 2006-07-24 01:11
何たる偶然(笑)。
臼井先生は今尚駒場で教鞭をとっておられるようですね。
ところで2005年に『榎本武揚から世界史が見える』なる本をPHPから出しておられるようですが・・・なんかちょっと微妙。
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