わたしの「靖国問題」

 昨日の記事の補足。
 「ヴィクトリアンカフェ・エミリー」でそれはどうよ、と思ったことがもう一つあったので追記。
 メニューで、いろいろなお茶に独自の愛称名をつけているようなのがあるのですが、「真紅」だの「雛苺」だの「翠星石」だの「蒼星石」だのつけているのはどんなもんだろうかと。

 昭和天皇の発言を記した侍従長のメモが出たとかでここ数日ニュースになっており、新聞の紙面で秦郁彦や御厨貴など日本近代史専攻者にとってはお馴染みのお名前を拝見するということになれば、やはりここは何か書くべきであろうかと思いつつ、正直関心の乏しい方面であったのでスルーしていたのですが、何となく新聞社のサイトやカマヤン氏のブログなどからネットをうろうろしていると、「捏造だ」とか「陰謀だ」とか言う話を持ち出す人が結構いたりしてなんだかなあと思ったりしたので、少しばかり書こうかと。
 歴史とは多くの人々の様々な営為が積み重なってできたものであり、それを解明するとは史料という断片を元に営為の重なり合いを解きほぐしていくことだと思うのでして、「犯人探し」では決してありません。「犯人」におっかぶせて終わり、という単純な解決で済む問題ではないからです。しかし世の中には陰謀論を持ち出したがる人もまた多く、それは混沌とした歴史、ひいてはこの世というものに明快な解決を求める心境があるからなのでしょう。それは何日か前に書いた「全能感」を求める心境と類似しているのかもしれませんが、今は置いておきます。

 単純化の問題点、という話は、歴史がらみで前にもしたことがあるのですが、今回の問題についても同じようなことを感じた、というのが率直な感想です(今回も、やれ「アメリカの陰謀」「中国の陰謀」という言辞を弄する連中は決して少なくはなかったように思います)。貴重な史料が見つかったという点では実に喜ばしい話で、史料を探索し分析することなしに史学はありえないのですが、その根本の史料に対し安直に「捏造」だの「陰謀」だの書く人たちは、きっと歴史とは関係のない何かを論じたいのであろうとも思います。そして、いわゆる「靖国問題」は、歴史的なものとは無関係ではありえないと思うのですが。

 なんだか書いているうちに自分でも詰まんなくなってきました。
 まあ要するに単純化の不毛さを批判したかったのですが、小生の単純な頭ではそれは難しそうで、こういった問題に巻き込まれた時に「公式参拝是か否か」の二択の踏絵を突きつけられるような、白黒つけたがる人々とうまく渡り合う自信もありません。
 ならばここは先賢に学ぶが宜しかろうと思い、陰謀論的単純化の欲求に対して、果てしなき混沌の世界に読者を誘う文章を探しました。靖国ネタでこの手の文章といえば、内田百閒「遊就館」しかないだろう、と思ったら、文庫で持ってたはずの『冥途・旅順入城式』がどこへもぐりこんだか行方不明。困った。そこで代わり、というのは失礼だけれども、「遊就館」を扱った種村季弘「九段の怪談」を引用しておきましょう。
 靖国神社には学校行事などで昼間行くとかならず付属の遊就館を見せられた。二万数千点を収納するという武具のことはもうよく憶えていないが、玄関前に古い大砲がごろごろしていたのは憶えている。招魂社は、もともと靖国神社が明治初年には東京招魂社と呼ばれていたのだから、私の小学生の頃は春秋の例祭が特にそう俗称されていたのだろう。一般の人間には、しかし鎮魂の儀式そのものよりは神社の境内に小屋掛けした、見るも俗悪なおどろしい見世物の方がお目当てで、聖をもっとも遠ざかった地平に現われるその無惨なスペクタクルが「招魂社」と思われていたのではなかったであろうか。
 断片的な記憶しかないが、夜祭には父に連れられて何度か行った。兄が名古屋幼年学校に入ったので、その武運長久を祈るために、一家がにわか靖国熱に罹っていたのである。
 九段の坂を上ると、押しかぶさるように、夜目にも黒々と巨きい大鳥居がそびえている。大鳥居下の暗がりを抜けると、夜店、小屋掛けのぎらぎら光る裸電球がパッと目にまばゆい。闇のなかでその一帯だけが、鋏を入れたようにくっきりと切り取られている。その向かい側にはふたたびふかぶかとした夜闇に没している。闇の奥のどこかから「おおっ、おおっ」とおそろしい声がやってくる。招魂(たまよばい)である。
 真黒な人垣の向こうに何か車のようなものが通るらしい。ギギィーッと車軸の軋む音が耳に立つ。怖ろしくて目を開けていられない。やがて人垣は崩れて、三々五々、けたたましい照明のなかに浮かび上がる極彩色の小屋掛けの方へ散ってゆく。
 父は子供に毒々しい見世物を見せたがらなかったが、それでも帰り道は内臓をぶちまけたような呼び込みの垂幕の前を通らないわけにはいかない。紺や緑の地の上にのけぞった人体から真っ赤なものが迸っている。布の色が薄汚れて褪せかかっているのが、なおのこと迫真の恐怖をかき立てる。有田ドラッグの衛生博覧会、アルコール漬けの胎児、蛇娘、丹波の山の奥で獲れた因業な熊女、お化け屋敷、玉乗りの曲芸……。
 敗戦を境にわが家の靖国神社詣での習慣はなくなった。満洲の特攻隊で戦闘機に乗っていた兄がその愛機でいち早く帰還してきてからは、武運長久祈願の必要がなくなったからである。いまも招魂祭がおこなわれているのかどうかは知らない。しかし、どういう種類の祭礼か、戦後になっても靖国神社境内に露店や見世物は立つらしい。そのことを私は、吉行淳之介の『祭礼の日』という小説を読んで知った。
(『書物漫遊録』pp.145-146)
 有田ドラッグの衛生博覧会@靖国神社、絶妙の組み合わせですね。
 これを読んで、小生は靖国について一般的な議論の世界から外れた位相を見出せたことを面白く思い、さる公式的な日本史の試験問題を作る仕事を請け負った時、以上の箇所を問題のリード文に使いました。その試験を受けるのは中学生ぐらいが多いらしいですが、中学生に社会科資料集に出てくるような、新聞に出てくるような、そんなのと違った「靖国」を読んでもらって印象に残れば、と思ったからです。

 というわけで、本日の記事の表題の「靖国問題」とは、「靖国神社を巡る政治的・歴史的問題」という意味ではなくて、「靖国神社をネタにした試験問題」のことなのでありました。
 でも、日中韓問わずネットで靖国神社をネタに文章を書いている連中の相当部分だって、靖国そのものより、それに託した己の心的な何かをぶちまけてるだけでしょうけど。
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by bokukoui | 2006-07-24 23:57 | 歴史雑談