続地歴教育雑感

 昨日の続きです。
 この話題、元々はコミケでカマヤン氏のブースを訪問し、新刊はなかったものの多少話が出来て嬉しかったということがあった直後の16日に、氏が「「我々は現代史を教わっていない」のか? 「学校は現代史を教えない」のか?」という記事を書いておられ、小生も夏期講習後半の準備をそろそろ考えるべき時期が迫りつつあるという折、表題のようなことを考えてみようという気になったものです。それが日経新聞の記事を見てちょっと脇道に逸れた次第。

 カマヤン氏は小学生の中学受験向け塾で教鞭を取っておられる由で、大学受験対策で高校生の相手をしている小生とは状況がかなり異なりますが、「頭の中にバラバラな知識として入ってはいる。問題は、その、頭の中にあるバラバラな知識を、自分の力で自分のものに咀嚼し直すこと、自分のものとして整理し直すこと、これが欠けている。」というご指摘は、一般論としてはかなり妥当なのではないかと思います。
 もっとも、いってしまえばそれは「現代史」(カマヤン氏はこう書いておられますが、「近現代史」という方が普通でしょう。或いは中学受験の業界はそうなのかもしれませんが)に限ったことではなく、日本史全体でも、世界史でも、似たようなことが言えるのではないかと、小生も指導していて思うことがあります。
 夏ごろになると、生徒たちも危機感が出てきて取り組もうとするようになって、それはいいのですが、「世界史を覚えるのにどうすればいいんですか」といきなり聞いてこられても、こちらも困るのが正直なところで、個人の学習状況などを勘案してアドヴァイスしてはいるのですが、その際にそういったことを感じるのです。 
 具体的に述べれば、一生懸命覚えようとして、勉強自体はしているのだけれども、やることの多さに自爆している、ようなパターンの生徒がいます(だから君、「アルバニア史」のまとめノートなんか作ってどうするの?)。或いは、一問一答式に誘導尋問したら答えを出せるけれども、「この時代について大雑把に説明して」というと詰る、とか。
 で、いろいろ考えた結果、あまり細かい参考書とかを見るのは止め、教科書を復習して「大雑把に」(この加減が難しく、他に適切な表現があればと思うのですが・・・)流れを一通りつかむこと、というように指導しています。それがいいのかどうか、正直自信があるというわけではないのだけれど、細かい年代や用語にとらわれて挫折するよりはマシだろうと思います。

 社会科、ことに歴史というのは試験の形式上、知らなければお手上げという場合が多いのは事実ですが、大雑把な全体像を覚えておけばある程度答えの選択肢を絞ることが出来る(「正しい用語を選べ」だったら通用しませんが、正誤判定ならば効果があります)ものです。そして、最終的にある程度細かい用語や年代を覚えるにしても、大雑把な像が入っていれば、その中に用語や年代を位置づけることで「バラバラな知識を、自分の力で自分のものに咀嚼し直すこと、自分のものとして整理し直す」という作業をすることになり、記憶が効率的に進められます。
 ですが、ここが問題で、大雑把に流れを覚える方が細かいことを覚えるより楽だろうというとそうでもない、ということです。大雑把な把握には、ある程度抽象的な理屈を知る必要がありますが、いきなり理論を言われても分かりにくいですから、具体的なイメージを喚起させる手がかりとなるような知識が必要になってくるという相互的な関係があるから、というのが理由の一つです(だから、軍事マニアは世界史の理解に有利です。軍事技術という普遍的なテクノロジーのイメージがありますから。一方、キャラクターに入れ込んでいるだけで社会一般へのイメージに乏しい三国志厨は役立たず、というのは小生の偏見)。
 もう一つは、これはカマヤン氏の記事と関連している話ですが、入試の出題の形式上大雑把な流れの理解そのものを問う出題形式が少なく、従って大まかな構造の理解に眼目を絞った教材が少ないから、ということが挙げられます。バラバラな知識をとりあえず詰め込むことで対応しちゃおうとするんですね。そしてそれがもっとも分かりやすい対策ではあります。

長くなったので続きは次回
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by bokukoui | 2006-08-20 23:59 | 歴史雑談