続々々々地歴教育雑感

 バイト先の予備校では、夏期講習が終わって通常授業になりましたが、そんな折急遽世界史の個人指導の依頼が。受験対策ではなく、赤点続きで危機的な状態にある世界史を何とかしてほしいという期末試験対策です(2期制の学校だとちょうど今月半ばごろが期末試験ですね)。

 で、先日授業をして、というかその生徒の話を聞いてみたのですが・・・なるほど、これは大変だ。しかし彼女が世界史を嫌いになったのも無理からぬような、そんな事情があったようにも推測されるのです。
 学校の試験対策ですから、学校の授業で配布されたプリント類を持ってきてもらって見てみたのですが、これがかなり細かい。また、実力試験みたいなのがあって、そこで一問一答形式の問題を数百問やらせています。これは問題となる一問一答形式の対応表、というか、世界史用語集の解説を簡単にした単語帳のようなもの、というのでしょうか、そういったものを事前に配布して覚えさせ、それを試験しているというものでしたが、当然その生徒は全くチンプンカンプンで、到底口外できないような(こんなこと書いていること自体個人情報保護にひっかかりそうですが)点数を取っていました。まあだから小生が呼び出されたのでしょうが。
 ただ、そのように用語が細かいといっても、説明のプリント類等を見る限りでは、地図を活用した解説や因果関係の説明などはあまりなく、ただ用語術語が洪水のように流れ出してきている、そんな感じなのです。で、世界史があまり分かっていないその生徒は、当然のことながらよく分からない→理解できない→覚えられない→ますます分からない→理解できない・・・というループに陥っている様子でした。
 それらと同時に「世界史の学習」みたいなプリントもあって、しかし結局のところ「ひたすら反復学習して覚えろ」という趣旨のことしか書いておらず(無論、世界史はある程度覚えないとどうしようもない科目であることは間違いないのですが)、夏休みに覚えないと取り返しはつかないよ、と生徒を脅す調子で書かれていました。ですが、この生徒は、そのようにして送られてきた情報の洪水に流されて溺れてしまったようでした。
 しかも、(彼女の言を信ずるなら)その学校の世界史教師は生徒に対し、これらの用語類を覚えられなければ「人間ではない」程度の"暴言"を発しているとか。

 その生徒の話を聞いて、多少思い当たるところがあったので聞いてみました。
「その先生、授業について『喋りたいことはもっと一杯あるけど、時間がなくて喋れない』とか言ったりしてない?」
 彼女は首を激しく上下に振っていました。
 それで何となく想像がつきました。ああ、その先生は同類なんだなあと。
 何と同類かって? もちろん、筆者のような歴史マニアと、です。

 そもそも歴史の教師になろうってくらいですから、その科目が「好き」であろう人間が多いことは容易に予想がつきます。そしてそういった人間というのは、好きな話題についてはいくらでも話したがるものです(我が身を省みて)。そして学校の授業の場合、自分が持っている知識をなるべく多く伝えることが「生徒のため」でもあるという、そのような思考パターンになり易いのかもしれません。
 しかしながら、それは基礎の出来ていない生徒に対しては、この場合のように悪循環をもたらす危険性があります。それは小生自身、重々承知せねばならぬところではあるのですが・・・(言い訳すれば、受験対策の塾では、世界史が出来ない/やる気がないなら現代社会でもやって下さい、と志望校次第では開き直ることも出来ますが)。そのためには、要領よくポイントを絞って指導する必要があります。とはいえ、先日も述べたように、世界史を「大雑把」に解説するということは実は結構難しいものです。何を喋るかより、何を喋らずに済ますかの選択の方が難しいんですね。また、細部のディティールを全く捨象するのは、歴史に対して(そして授業そのものに対して)無味乾燥な印象しか抱かなくなるという懸念もあります。

 結局のところ、この生徒に対しては、学校の授業とは反対の方針を採って、なるべく覚える量を減らして赤点を回避させるように指導するつもりです。しかし、それでも最低限は覚えてもらわなくてはどうにもなりません。知識というのは相互に関係しあっていますが(それが断片化しているのを先日の拙文では検討しました)、ということは手持ちの知識が少ない人間は、新たな知識を与えられても既存の保有する知識が少ないために新たな知識をうまく受容できず、結局覚えられない、という問題があります。最低限の知識を覚えるためには最低限の前提(小生は世界史の指導に関しては地理的な知識に重きを置いています)が必要ですが、それも通じない場合は・・・。
 小生の場合、自分自身が歴史マニアだったから、歴史事項を覚えるのに苦労したという覚えは余りありません。歴史の学習相談に来る生徒は、よく「まとめノート」なるものを作っていますし、また一般的にそういった指導を行う場合が多いようです。しかし、小生はそんなものを作った覚えはありません。教科書やプリント自体が既に充分よくまとまっているのにそれ以上何をまとめるのか(だから小生は教科書や参考書にマーカーで線を引いたことが一度もありません)、ということですね。そのまま読み直して頭に入れればいいだけの話です。「まとめノート」は労多くして益少ないように思います。
 ただ、それが一般化できるかは難しいですね。前提となる知識が自然に身についている者、さらに言えばマニアな連中の場合はそうなりますが、そうでない人の場合は「まとめノート」は有効なのかもしれません。そこら辺の感覚は正直分からないので、生徒の反応を見ながら個別に対応するしかありません。歴史マニアにとっては話を一度聞けば済むことを、普通の人はそうではない、ということをよくよく考えなければなりません。しかし、この生徒の世界史の教師のように、この手の科目を教える人間の多くはマニアなので、ついそのことを忘れてしまうか、或いは自分のようにあるのが当然だと思ってしまうのでしょう。

 ゲームを歴史の教育に使えないか、という話は、結局のところここでいう前提を身につけることができるから、ということだと思います。優れたゲーム(何を以って「優れた」とするのは様々ですが、この場合は教育効果として「優れた」意味)とは、そういった前提が少ない人間でもプレイして面白く、それを通じて前提となる知識を逆に吸収していく可能性が開ける、そういったものだということになりましょう。
 もっとも実際のところは、ゲーマーを世界史に詳しい人間にするのは比較的容易であるのに対し、世界史の不得意な人間がその手のゲームをやって歴史を面白いと思えるかはまた別問題であるような気がします。ゲームに対し積極的で、関連した情報を取り込むことに関心を示すような、そういった人間でないと結局は効果が上がらなさそうだから。(これが本当のゲーム脳?)

 ここで話のある程度の一般化を試みると、「マニア」とか「オタク」とか、或いは「サブカル」などと呼ばれる人たちとは結局、情報処理能力に長じた面を持っている人たち、というような括り方ができるのではないかということです。なお情報処理に際しては、大雑把にインプットとアウトプットがありますが、個人的な勝手なイメージでは「マニア」はインプットに重きを置き、「サブカル」はもうちょっと饒舌な、つまりアウトプットにも相対的に大き目の比重をかけているような気がします。
 で、「高度情報化社会」という言葉も、「IT革命」という言葉も死語になっていますが、しかし現在の世の中は情報化がどんどん進んでいて、洪水のような情報に流されている(特にネット)という状況自体は継続しています。そういった世の中で「マニア」「オタク」に意味があるとするならば、彼らはやや一般化し辛い方法とはいえ、この情報化社会に対応する方法を見出して、この社会に適応している(しようとしている)のだろう、ということになるのかもしれません。
 『嫌オタク流』で高橋ヨシキ氏が「そもそもオタクっていうのは『博識で筋道を立てて物事を語ることができる』人のことだと思っていたけれど、そうでもないみたいですね。(p.118)」と語っているように、「博識」とは情報のインプットは豊富であるということで、「筋道を立てて物事を語る」とは情報を整理してアウトプットすることですから、その意味で「オタク」やら「マニア」やら「サブカル」やらを情報化社会に適応するやや特異な方法を実践している人たち、とでも括ることは可能なように思います。
 もっとも、高橋ヨシキ氏の末尾の言葉の如く、最近の「オタク」はあまりその能力を磨かなくなっているのではないか、そんな懸念はなしとはしませんが。

 あれ、教育論が「マニア」「オタク」論になっちゃった。まあ、「マニアが教育をする際に気をつけるべきこと」というお題だからこれでいいのか。
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by bokukoui | 2006-09-06 23:59 | 歴史雑談 | Trackback | Comments(2)

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Commented by 任意労働収容所 at 2006-09-07 01:24 x
マニアが高じも高じると、最早喋るべきことなどほとんどない、という境地に行き着くような気がしてならないのですが、それはもうマニアではないんでしょうか。
Commented by bokukoui at 2006-09-07 12:34
緒方氏はアウトプットよりもインプットと整理による独自体系の構築に重きを置かれるという戦略方針を取っている、ということでいいんじゃないでしょうか。
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