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よりぬき「筆不精者の雑彙」
このブログの過去の主要な記事の一覧です。初めてご来訪の方は、是非ご覧ください。 MaIDERiA出版局 このブログの元サイトです。 MaIDERiA さらに大元のサイトです。 管理者 墨東公安委員会 (墨公委=bokukoui) 連絡先:rshima*nk.rim.or.jp (*にアットマークを入れて下さい) カテゴリ
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<書物復権>企画に英国史関連書籍が登場
先日書店に行ったら、学術書を多く扱う幾つかの出版社が連合して毎年行っている<書物復権>という古い本の再版企画の一環として、小生が以前MaIDERiAのサイトの「今週の一冊」で紹介した、水谷三公『英国貴族と近代 持続する統治1640-1880』(東京大学出版会)が再版されていました。
ちなみに今回の復刊書物リストはこちら。『両大戦間の日本外交』も、『祖国のために死ぬこと』も絶版になってたのか・・・なんてこったい。 この本は、英国貴族とは一体如何なる存在であったのか、そしてまた他国のそれと比べどのような特徴があったのか、ということを解説している書物で、イギリスの貴族のお屋敷だのなんだのに関心がある方には読まれることをお勧めします。カントリーハウスだの執事だのといったものが、なぜあのような形をしているのかという、政治的および社会経済的背景について、示唆されるところが大きいでしょうから。 殊に最近の日本の一部では、「英国貴族」的な世界(お屋敷・執事・メイドさん)に何かと幻想を抱かれる向きが多いようにも思われますし、また日本の別の一部(前の「一部」と重なっていないわけでもないのかもしれませんが)は、「武士道」と「ノブレス・オブリージュ」をくっつけて、「国家の品格」がどうこうなどと幻想を抱かれる向きもあったりしますので、この本の価値はいよいよ大きなものとなるのではないかとすら思います。これは小生の幻想。 『英国貴族と近代』の著者・水谷三公先生の著作で小生が他に所有している本に、中央公論社(中央公論新社)の「日本の近代」シリーズ第13巻『官僚の風貌』という本があります。本書は、日本の官僚の歴史について概説として述べられた、おそらく唯一(だと思う)の書物で、日本の官僚についてその歴史的形成過程を知りたい場合にまず読む本としてお勧めできます。このシリーズは、中央公論社が社運を賭けて発行し、結果会社を潰しただけのことはある、読み応えのある本が多いです(潰したのは「世界の歴史」の方が責任重大だったと聞きますが)。 さて、英国貴族と日本の官僚、一見かけ離れた題材のようですが、社会の指導層とされる存在という点では共通しています。では相違点は何でしょうか。それは、貴族は土地という世襲の財産を持ち、基本的にそれで生計を立てている存在ですが、官僚は俸給に頼って生活している存在であるという違いです。官僚は国家運営という重責を担う存在でありながら同時に国家に依存している身分なのです。 で、昔ゼミで読んだ論文に書いてあったことで、今現物が見つからないのでうろ覚えなのですが、確か故坂本多加雄の「独立・官吏・創業 ―明治思想史における「政治家」と「官僚」―」という論文で(『年報近代日本研究8 官僚制の形成と展開』(1985)所収)、マックス・ウェーバーが説くところに拠れば、俸給に縛られた存在である官僚は経済的に自立した存在ではないため(経済的に自立、とは有産階級であること)、国家の指導者としては相応しくない、という考え方があり、これは西洋の伝統的な発想だったそうです。そしてウェーバーのこの指摘を同時代の日本、つまり今から百年前の、官僚制度が整えられつつあった当時の日本の知識人(福沢諭吉とか幸徳秋水とか)も認識しており、明治維新のような「創業の精神」を失って硬直化・閉塞化していく当時の日本をどうするか、官僚層による「所有なき支配」のもとでの国家運営をどうするのか、という問題が問いかけられていたそうです。当時はこういったことを論拠に、官僚に恩給を与えるべきだ、なんて議論もあったようで、それが制度改革に結びつくこともあったようです。 というわけで、貴族の義務、「ノブレス・オブリージュ」の背景には、貴族層が財産という基盤を有するという前提があるはずでありまして、ただの給与所得者である国家公務員に「武士道」と重ね合わせている(武士は職務に対する給与ではなく、家禄を得ていたのですが)「ノブレス・オブリージュ」的な「エリート」精神を求めることが合理的かは一概には言えない、というかかなり問題があるのではないかと思います。無論この問題は、貴族的な財産所有と収入獲得の状況が好ましいものとは決して見做されない現在の社会状況において、「エリート」とされる対象の人の大部分にあてはまるかと思います。 2冊の水谷著を読み合わせると、こういったことがおぼろげにも見えてくると思いますので、ご関心のある方はこの機会に2冊とも揃えられてはいかがでしょう。 貴族は義務を負うってのは、戦争になったら真っ先に駆けて行けよというような(程度の)話だった気がしてるんですが、何だか随分ご立派な意味で使われがちですね。むしろ私は「ノブレス・オブリージュ」に対する幻想が酷いのではないかと妄想します。 あと我が家は決して官僚に主導されない一家でした。代々「神様商売」に足を突っ込む割合が非常に高いですからね(笑) 「日本の近代」は「逆説の軍隊」を愛読していましたが、そちらも中々面白そうです。読んでみようかな、日本史学科に内定したことだし。 うろ覚えですが、アメリカ建国期においても統治に参加する主体は有産市民であるべきだという議論が有力であったように記憶しています。 一般に知られている通りアメリカ独立革命は植民地諸邦において旧大陸的な封建諸制度の一掃をもたらした訳ですが、独立後の政治体制として各邦が選択したのは『共和政体(republican form of government)』であり、必ずしも『民主主義(democracy)』が望ましいとされた訳ではありませんでした。当時の支配的な観念では民主主義とは市民としての自覚や責任感に欠ける(主として財産を持たない)民衆が、数を恃みに権力を好き勝手に濫用する(「多数者の専制」)可能性が高い危険な体制と考えられていました。換言すれば「democracy」という言葉には「mob rule(暴民支配)」という負のニュアンスが伴っていました。 これに対し当時のアメリカの知識人や名士達が理想と考えたのは『共和主義』でした。政治思想史に疎いので正確に理解している訳ではないのですが、社会の統治は徳のある市民同士の理性的な議論を通して行われるべきである、という理念です。この「徳のある市民」というのが鍵で、政治に参加する者は統治の当事者として必要な自覚や能力、属性を備えていなければならない。その証しの1つが独立した生活基盤=「財産」の所有であり、「財産」を持つ者はその社会において『失うべきもの(=stake)』を有していることになる。即ち、『失うべきものを持つ者(=stakeholder)』はその社会の在りように対して責任ある態度をとることが期待される。共和主義における「徳のある市民」とは、その社会の「責任ある利害関係者(stakeholder)」であり、彼らの公共精神が各邦の「共和政体」とその下での「自治(self-government)」を支えるのである、という訳です。 旧大陸との決別によって誕生したアメリカ新国家ですが、統治階層に一定の資格を求めていた点では意外にもヨーロッパとの類似性が見出せそうです。事実、合衆国憲法を起草するためにフィラデルフィアに集まった「建国の父」達は絵に描いたような名士(教養と広大な私有地の持ち主)ばかりで、初期6代の大統領は彼らの間から輩出されたため「ヴァージニア王朝」と呼ばれるほどです。また独立革命後しばらく間も多くの州では参政権に財産資格が設けられていたりしました。アメリカ合衆国が<名望家市民たちの共和国>から<普通人(common man)たちのデモクラシー>に変貌するのは、ジャクソン大統領登場によるヴァージニア王朝の終焉と男子普通選挙制度の普及が進んだ1830年代前後になってからではないでしょうか。 勢いに乗ってコメントを書き始めたらやたらと冗長なレスになってしまい失礼しました。私のぐだぐだな長文よりも斎藤眞『アメリカとは何か』の前半を読む方が余程も参考になる気がしますが、院試明けのハイテンションの産物ということでご寛恕ください。 >ラーゲリ緒方氏 的確なご指摘ありがとうございます。ご指摘の論点から次の記事へと発展させました(9.19.付けと9.20.付け)ので、そちらにもご意見をいただければ幸いです。 >S竹氏 日本史進学内定ですか。ひとまずはおめでとうございます。 近代で軍事史に取り組むというのは、現在の日本史学研究室の布陣を考えれば他のどのテーマにも比しても相当の覚悟が必要になると思いますので、今のうちにいろいろと本を読んでおくのが宜しいかと存じます。 昭和の軍事史をやるのなら、まず加藤陽子先生の『模索する1930年代』などから。 >某後輩氏
院試終了お疲れ様でした。 アメリカを「新興国」呼ばわりする連中は我が邦などにも見られますが、近代国家体制と考えればアメリカは英国と並ぶ「古い歴史」を持つ国かもしれませんね。 ご指摘の内容は大変興味深く、随分前に読んだホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』にもそういった指摘があったように思います。アメリカにはそういった名士的なものを高く評価する向きと、そういったものを批判する傾向と、二つが時代に応じて綱引きを繰り返してきていたのかもしれませんね。 大変お力を込められたコメントですので、貴殿のブログにて記事にされては如何でしょうか。
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