本日は

 書きたいことはあれど所用山積に加え発熱中につき断念。
 代わりに引用一つ(一部表記修正)。
精神の振興とは  災後の復興事業の第一の要件は、精神の振興にあると説く人がある。いかにももっともの主張、小評論子も、そのいう所の「精神」の意味次第では、一議もなく同意する。しかし実際においては、精神とか、魂とかいう言葉ほど、はっきりしないものはない。用いる人によって皆その色合いが違う。保守派に精神といわせたら、復古的精神を指し、社会主義者に精神といわせたら、階級闘争的精神を意味するだろう。小評論子は、かようの或る型にはまった――あたかも馬車馬の目の両側に覆いをして、ただ一本筋に尻をはたいて飛ばせるような精神の振興には賛成が出来ない。もしそれ、単に元気を出す位の精神の振興なれば、改めて論ずるがものはない。亡び行く国民なら知らぬこと、いやしくも伸びる力を持つ国民が、この位の災害で意気沮喪してたまるものではない。心配はむしろ無用だ。
自由の精神の振興   が、小評論子は、災害で国民の意気を沮喪させる憂いは毛頭ないと信ずるけれども、その精神に自由を与えられざることは必ず国民の元気を衰えしめ、その性質を陰険陰鬱、しからざれば自棄自暴に導くであろうと思う。精神に自由を与えられぬとは、例えば或る型にはめた思想を以て、国民各自が信ぜんと欲する所、いわんと欲する所を圧迫せらるるの類である。小評論子はこの点について、近来の我が国家の上に深憂を禁じ得ない。而してもしこの際精神の振興すべしとせば、そは自由の精神の振興でなければならぬと確信する者である。
自由討議の精神  自由の精神とは資本主義でもない、社会主義でもない、軍国主義でもない、世界主義でもない、その他一切の型によって固められない、而して他の説を善く聴き、自らの説を腹蔵なく述べ、正すべきは正し、容るべきは容れて、一点わだかまりを作らざる精神をいう。言を換ゆれば、自由討議の精神だ。この精神こそ、今の日本に最も必要、而して最も欠乏しているものの一つである。この頃山本首相は、我が教育方針を改むるの必要を痛感し、目下それぞれの専門家の意見を徴しつつあるとのことであるが、その方針はまた実にこの自由討議の精神を根底とする所のものでなければならぬ。自由討議の精神を欠ける哲学・科学・芸術は、社会の進歩を妨げこそすれこれに貢献するものではないからである。普通教育の年限延長などはかえって、善い塩梅である。今までのような教育を二年も延長せられては、それこそ国民の禍である。改良すべきは、年限や制度ではない。
 『石橋湛山評論集』より(岩波文庫版のpp.129-130)。あー、道理で湛山に人気があるわけだ。この文章、いつ書かれたものか分かりますか?
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by bokukoui | 2006-10-15 23:59 | 歴史雑談