オーストリア国号変更問題&「ファは『ファッショ』のファ」

 今日は斎藤茂太氏が亡くなられたり、大石嘉一郎氏が亡くなられたり、潜水艦がタンカーにぶつかってみたり、京大が英国史の凄い資料を公開したりだとか、触れるべきニュースも多いのですが、しかし数日前に驚くべき情報に接してしまったのでここで協賛といいますか、少しでも多くの方にこのことを知っていただきたく、今日はあの偉大なる帝国の残り滓である共和国の話題をしたいと思います。

 本題に入ります。
 まず、戦史研大物OBにして、卓越した語学力で我々に多くのことをご教示してくださった大名死亡氏のサイト「討死館」と、その中の記事のこちら及びこちらをご覧下さい。小生は大名死亡氏のサイトで初めてこのことを知りました。
 要するに、 オーストリアが日本語の国号表記を「オーストリー」に改めるということを先月発表したのです。
 あんれまあ。
 その理由が、どうも「オーストラリアと間違われるから」らしいというのが情けなくてどうしようもありません。

 最近の日本における外国地名表記が、ほぼ現地発音主義ということで一貫していることは間違いないと思います。従って、本問題に関してオーストリア共和国当局の措置を「時代錯誤的」と断じられた大名死亡氏のご指摘、そして現地発音主義の流れからすれば「エスタライヒ」とすべきだというご意見は、至極ごもっともなものと考えます。大体明治時代の表記を発掘してきて根拠になるとする発想が、時代錯誤で頓珍漢と言わざるを得ないでしょう。
 もっとも小生としては、「オーストリア」の方が「オーストラリア」よりずっと伝統と格式ある存在である以上、自分の方から表記を変えるなどと言い出すこと自体「どうかしている」と思わなくもありません。そりゃオーストラリア当局に「お前の方を変えろ」とは言えないでしょうけど(苦笑)。

 以下余談。
 小生が子供の頃は、やはりコアラとカンガルーのオーストラリアの方がイメージしやすく、その後中学受験をする際に世界地理(世界史は小学校ではやらない)をした時もやはり幾つもの統計で上位に顔を出すオーストラリアの方が馴染み深かったものです。ですから「オーストリア」というべき時でも間違えて「オーストラリア」と言ってしまう、そんなことが多かったものです。
 そんな子供時代、オーストリアといえばあの傑作ミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』の印象が強かったものでした、というかそれ以外子供にとってオーストリアの存在を感じる機会なんてありませんでした。『ドレミの歌』はじめこの映画の楽曲は音楽の教科書に載っていたし、その後中学校の時も英語の授業の一環で見させられたりしたものです。またテレビ放映されることも間々あって、家族で見たこともありました。
 そうそう、家族で見ていた小学生の頃の小生、「海軍」軍人のトラップ大佐なる人物が登場した時、地図や地球儀でオーストリアに海がないということを知っていた小生は、何でオーストリアに海軍軍人がいるのか不思議に思って父親に尋ねました。父は澄まして答えました。

「オーストリアに海がなくても、川とか湖があるだろう」

 ひどい話ですが、父は、第1次大戦前のオーストリアがハンガリーとの二重帝国でアドリア海に港を持っていたこと、トラップがオーストリア海軍きってのUボートエースだったことをちゃんと知っていたくせに、かかる答えをしたのです。どころか、『サウンド・オブ・ミュージック』が始めて日本でも公開された頃、学校行事でこの映画を見に行かされた父は大いに感動し、大学に入ったらシベリア鉄道に乗ってザルツブルクまで映画の現場を見に行ったのだそうです。
 昭和40年代にザルツブルクまで行くという気合は、昨今の木崎湖巡礼をするヲタどもが一個連隊束になったって適うものではない、そう思います。その割りに息子のオタ傾向に疑問の念を持ったりするのは間違ったことである、と苦言は一応呈しておいて。

 その後高校で世界史を学び、近世近代の西洋史に関心を持つようになると、「オーストリア」と「オーストラリア」の比重は逆転しました。ハプスブルク家といえば ルイ14世やフリードリヒ大王やナポレオンの引き立て役 ヨーロッパ史の背骨というべき重要な存在ですよね。それに引換えオーストラリアなど、数多ある大英帝国植民地の中でも、本国から最も遠い流刑植民地に過ぎません。こうして、今度は「オーストラリア」と言うべき時に「オーストリア」と言う、という逆の間違いをするようになりました。
 やはり必修のはずの世界史を全国の学校がサボったから、「オーストリア」が浸透しなかったんだ、というのは冗談として。
 ただ世界史・地理の塾講師としては、国号が「オーストリー」であれ「エスタライヒ」であれ変更になると、また教える時に変えなきゃいけないと思ってげんなりします。まあ世界史はあまり急には変らないかも知れませんが、地理はそういうところ結構頻々と変わるので。あとあまり関係ないですが、中国の地名をカタカナ表記するのは止めて欲しいと思います。どこがどこやら分かりません。(追記:これは「現地発音主義」とは矛盾しますが、漢字という表記の場合はまた別な事情もあろうかと思いますし、要するに覚えにくいという個人的事情が大きいです・苦笑)

 話を戻して大学入学後。
 まだ学部生の頃ですが、日本史の学生は西洋史・東洋史の単位も一定揃えなければならないので、いろいろ授業に出ていました。終わってみれば日本史の単位より西洋史・東洋史の方が「優」が多かったような・・・結局「近代史」ならどこでもいいんですね、小生は。
 で、「オーストリア近代史」のようなタイトルで、19世紀のハプスブルク帝国とその崩壊、その後のオーストリア共和国の20世紀を扱うという授業があったので、これは面白そうだと思って取りました。確か教官(当時はまだ独立行政法人化前)は、千葉大から非常勤で教えに来ていた小澤弘明先生だったと思います。
 取った時は19世紀の話が目当てだったつもりなのですが、その頃の授業内容は覚えていません(苦笑)。しかし当初大して期待していなかった20世紀の話が実に面白く、今でも結構はっきり覚えていますし、授業で名前が出た参考図書も買い込んだほどでした。

 今記憶に頼ってその趣旨を略述すれば、第2次大戦後のオーストリアは自らを「ナチス・ドイツの犠牲となった美しい自然の小さな国」と規定し、第三帝国の一翼を荷っていたという反省は碌にしなかった(そのためにハイダーなんぞも登場した)、それは第2次大戦前のオーストリアは貴族や教会のような保守派と、労働者階級とが激しい階級闘争を繰り広げており(「黒」vs.「赤」)、そのような国内対立を避けるために、犠牲者という神話を必要としたのである、そういうことと覚えています。
 しかし、ナチスの支配に対しては、各地でパルチザンやレジスタンスが立ち上がり、ドイツ本国でも軍部がヒトラーを爆弾で吹っ飛ばそうとしたり、「白バラ」のシェル兄妹のような抵抗運動があったりしたのですが、オーストリアではそんな運動はちっともなかったのだそうです。どころか、人口比のナチ党員数はドイツ本国より多く、ハプスブルク帝国時代に東欧やロシアに関し知識や経験を積んでいたオーストリア人はナチの東欧征服に少なからず貢献していたそうです。オーストリアは、戦後そういったことに一切蓋をしてきたとか。で、悪いことはドイツに押し付けて犠牲者ぶっていたわけですな。
 ・・・大体、考えてみれば、総統閣下御出生の地は、国境線ぎりぎりとはいえ、オーストリアだったような・・・。

 以上の知識を持って『サウンド・オブ・ミュージック』を見直すと、これが実はオーストリア犠牲者神話を全世界に流布させたトンデモ映画だということがよく分かります。
 主人公は尼僧マリア、行く先は貴族の軍人トラップ一家。うわ政治的にむっちゃ保守派連合。彼らと労働者階級との対立は描かれません。トラップ大佐は『エーデルワイス』を歌ってオーストリアの国土の美しさを讃えます。トラップ一家は最後ナチから逃れてスイスに亡命し、それを修道院の尼僧たちが助けます。いやはや。オーストリア犠牲者神話を、美しいメロディーに載せて刷り込む恐るべき映画なのでした。
 まあ映画作ったアメリカ人どもは、そんなこと何も知らなかった――というところなのでしょうけれど。レーガン大根役者、違った、レーガン大統領は『サウンド・オブ・ミュージック』の歌をオーストリアの歌と間違えて恥をかいたという、森元総理も敵わないバカ話を残していますが、ここらへんがアメリカの実態なのでしょう。
 ちなみにトラップ一家が本当に歌っていたのはドイツの昔の歌、民謡みたいなものだったらしいですが・・・民謡ね、うーん。「創られた伝統」という方向性から考えると、ナショナリズムと民謡というのはなかなか微妙ですまない関連性がありそうですな。

 以上のことを小澤先生の授業のレポートで書いたら「優」が来ました。小生としても、大学生活の中でも屈指の、会心の出来のレポートの一つだったと思っています。

 話がめちゃくちゃになったので纏めます。
・オーストリアは偉大な文化の国のようでいて、時々とんでもなく阿呆なこととか、えらく身勝手なことを行うこともあるので注意しましょう。
・子育ての喜びは子供に嘘を教え、子供が真に受けて信じ込むのを見ることにあります。(中島らもが確かそんなこと書いていた)

 まあ、とにかく、気になった人は、オーストリア大使館にメールで意見を送りましょう。詳しくは大名死亡氏のサイトにあります。

※ご指摘を頂いた点などありましたので、ちょっと修正しました。(2006.11.24.)
※本件の顛末についてのより詳しい説明が、大名死亡氏のサイトに新たに設けられた本件に関するページに記載されています。(2006.12.18.)
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by bokukoui | 2006-11-21 23:57 | 歴史雑談