みすずタンハァハァ
で、女性の人名に使うときは、普通「美鈴」という漢字を宛てるようですが(IMEの変換候補はこれしかない)、実際そういう名前の人も会ったことがあるし、漢字の「篶」は多分現在では人名に使えない漢字だと思われるので、まあ感じの良い文字の組み合わせだし、宛て字としては一般的なのだろうと思います。
ところで人名の漢字というのはなかなか読みにくい場合も多く(小生も人のこと言えないんだけど)、更にアニメやゲームのキャラクターには、時々そんな読みあるんかー!という変な当て字をすることがあります。
或いは歴史的な人物で、名前の読み方が訓読み的なのと音読み的なのと、二通り使われる場合があります。海軍軍人で首相も務めた「山本権兵衛」は、「ごんべえ」が正しいそうですが、「ごんのひょうえ」と言われることもしばしばあります。最初の本格的政党内閣を率いた「原敬」は「はらたかし」が正しいですが、よく「はらけい」と呼ばれます(日本史の業界用語みたいなものかもしれません)。同じ様に「浜口雄幸」は「おさち」ですが、「ゆうこう」とよんだりします。「元田永孚」は「ながざね」らしいですが、「えいふ」と読むことも多いです(ちとマイナーか)。とりあえずよくわかんない時なんかは、音読みしておけばいいような感があります。
というわけで、小生はネット上のオタ度が濃そうなところをうろうろしていた数年前、とある美少女ゲームのキャラクターの名前を書いたと思われる漢字が読めなかった(姓は分かったんですけど)ので、上記のような慣習に従ってついその名前を音読みしてしまいました。
「カミオカンレイ」
「観鈴」で「みすず」なんて読めるかー! と後で知って思いましたが、しかしまあいわゆる「泣きゲー」だの感動系だのといわれるギャルゲーの登場キャラクターなんて、どいつもこいつも脳味噌でニュートリノだかタキオンだか毒電波だかを受信しているような連中ばっかりみたいだし(←偏見)、カミオカンデみたいな読みだって間違ってるわけでもない、と今でも思っています。
以上の枕と全くといっていいほど関係なく、以下本題。
小生はさる日曜日に学会報告を終えて一息ついたような状況ですが、そんな時は開放感からか無闇矢鱈と書物を買い込む癖があります。今回も以前から買おうと思っていて機を逃した本・漫画などを買おうと思ったのですが、まるでそんな時を狙ったがごとく、大学生協の書籍部が「みすず書房2割引セール」なるものを行っていたのです。
というわけでついふらふらと。
後先考えずに使った結果、気がつけば来週の駒場祭の戦史研打ち上げコンパ参加費すら怪しい状況になっていました。みすず書房の書物は2割引いても結構なお値段だということですね。みすず書房の本の代価が3/4を占めています。
ちなみにみすず書房は、創業時(敗戦直後)の社名は「美篶書房」だったのが、折からの国語改革の趨勢に反すると読者に言われたり、取次ぎから読めないと苦情が来たりして現社名に変ったと目録に書いてあります。
今「みすず」と入れてぐぐるとみすず書房が見事トップに来ますが、或いは近い将来、不祥事で名前を変えた監査法人が猛追してくるやも知れません。そんな連中に負けないよう、ここでも同社サイトにリンクを張って、グーグル順位を上げる手伝いをしておこう(笑)
なおみすず書房売上第1位はフランクルの『夜と霧』(旧版と新版両方あり)だそうです。その次は、山本義隆『磁力と重力の発見』だそうで。後者は持ってるけど前者は持ってないのでそのうち買おうと思いつつ、またアリエスも買おうとか持っていたのですが、セール期間中に資金が手当てできるかどうか。今月一杯は2割引なのですが・・・。
というわけで本日の記事の表題の意味は、「みすず書房2割引セールだワーイ」ということをやや扇情的に述べたもの、ということなのでした。
どの本かは想像にお任せします。
「夜と霧」の旧版をご要望でしたら、我が家では各人が複数冊ずつ買っておりますので、お応えできます。
磁力と重力の発見が売れているのは素晴らしいことです。「あの時代」の良心を間接的に象徴する良本なのですから。
私がプロパガンダを強く意識するようになったのは、まさに「夜と霧」を読んでからでした。
読了後、大変優れた本だなと思いつつ裏表紙の書評を見るとあらぬことが書いてありました。この野上弥生子というのは気が狂っているのだろうと小学生だった私は軽く受け流したのですが、後日父に「その書評こそが『夜と霧』が優れたプロパガンダであることを意味している」ということを言われ、衝撃を受けたのを今でも覚えています。
父は決してフランクルがプロパガンダを意図してあの本を書いたと言っているのではありません。ただ、読み手によっては、あのような本こそが最高のプロパガンダになるのだということを知りました。
それ以来、私は「行間を読む」行為自体を忌避するようになりました。最近は少し落ち着いて、行間を読むとは「書いていないことを想像すること」ではなく「書かれている内容の原理や前提を読む」ことなのだと考えるようにはなりましたが、それでもあの頃の「行間を読込むことへの恐怖」は今も癒えていません。
長くなって申し訳ありませんでした。
マクルーハンとかがみふみを、藤田省三と広江礼威、なんて意表をついた組み合わせでしょうか。まっとうに当てるならクレフェルトを頭に流す、という感じですが。
>酒井シズエ様
釣られてくださってありがとうございます。
それにしても長らくご無沙汰ですね。年末に何かイベントでもしますか。
「上尾管領」というと、長尾氏に対抗して関東管領を自称した武蔵の土豪、といった雰囲気でいい感じですね。「古河公方」みたいな。
力の籠った長文のコメントありがとうございます。
『夜と霧』については読んだことがないので、件の書評については分かりませんが、ただ、人が何かを読む際に、自分が読み取りたいものがあるかのように読んでしまうということは極めてありがちな事ではないかと思います。それは種々の書物を読むこと、そしてその経験を他人と交換するという作業や訓練を積み重ねることによってある程度緩和できる(大学教育もそういうものではないかと思います)かとも思いますが、時にはそれを全く受け付けぬ「強靭な」精神の持ち主もいるように思います。そしてそれを評価してしまうような読み手がいるのもまた事実ではないかと。
「書いていないことを想像する」こと自体は必ずしも恐怖をもたらすものではなく、おそらく、自己の妄想をすべてのものに読み取ってしまうような形の「行間を読む」ことが、はたの者に戦慄をもたらすのであろうと思います。
分かりにくくて申し訳ない。
どうも本名みたいですね。おそるべし。名は体を表すなどと古来申しますが、名前がワケワカだと実態も訳の分からないものになってしまうのでしょうか。
あとみすず学苑の宣伝の意味不明さは両国予備校と並ぶものと思いますが、「教育」というものが半ば必然的に孕む問題をよく形にしていると思います。