『鉄道忌避伝説の謎』感想続き~マニアだからできたこと

 昨日の記事に引き続き、青木栄一『鉄道忌避伝説の謎』を読んで思ったことを書こうと思います。

 昨日紹介したサイトの中でも、本書の著者の青木先生について「交通史学者の第一人者」と述べられた方がおられたとおり、青木先生は地理学の、ことに交通地理学・歴史地理学の大御所的存在でありますが、しかしまた同時に、『鉄道ピクトリアル』や『世界の艦船』読者の方ならば先刻ご承知の通り、稀代の鉄道趣味者にして軍艦・海事にも通暁しておられる、鉄道マニアや軍艦マニアの大親分ともいうべき存在でもあります。
 小生思うに、現在の日本の鉄道マニア・船マニアの相当数は青木先生の影響下にあるといっても過言ではないと思います。え? 自分はピクトリアルじゃなくて『鉄道ファン』、世艦じゃなくて『丸』を読んでたから違う? いやいや。鉄道趣味者とか軍艦マニアというのは子供の頃にはまってそのまま何十年も続けるというのが典型的なパターンです。そして子供が鉄道や船の世界について知る大きなきっかけになるのが図鑑ですね。鉄道や船の好きな人のかなりの部分は思い当たるでしょう。心当たりのある人は、押入れをあさって子供の頃読んでいた図鑑を探し出し、一番最後のページに書いてある監修者の名前を確かめてみましょう

 青木先生が鉄道趣味者であるということ自体は、ウィキペディアの「青木栄一」の項目にも書かれています。この項目は多分鉄道趣味者が書いたのでしょう。ところがけしからんことに、ウィキペディアには肝心の学者としての業績の大事な点が何も書いていない。これはいただけません。
 というわけで本日の記事では、日本の鉄道史における青木先生の業績を振り返り、その業績を支えた視点に鉄道趣味が如何に関ったかを『鉄道忌避伝説の謎』を例にとりつつ略述し、趣味者、つまり一般的には「マニア」「オタク」と呼ばれてしまいそうな人々が、そうであるがゆえに成し遂げられそうな可能性について考えてみたいと思います。
 その際に使う資料は、『地理』誌第42巻(1997年)10月号~12月号に掲載された青木栄一「交通地理学を考える(1)~(3)」であります(以降、「交通地理(1)~(3)」と略記します)。※追記:この記事はその後、青木栄一『交通地理学の方法と展開』古今書院に収められています。

 まず日本における鉄道史の研究史をものすごく簡潔に述べてみましょう。
 戦前にも社史のようなものはあり、また大正時代には鉄道創業50周年を期して『日本鉄道史』が鉄道省によって編まれたりもしましたが、本格的な研究は戦後になって始まりました。で、時代が時代なもので、昭和20年代に鉄道の発達を論じた主な著作は、
・・・鉄道の発達に関する史実は『日本鉄道史』のような鉄道企業刊行物にまったく依存し、これを唯物史観に立つ日本の資本主義の発展法則で単純に割り切って説明してゆくという立場である。したがって、・・・一次資料に基づく事実の確認という点では何ら新しいものは生まれなかったといってよかった。しかも、日本全体をマクロな視点でしかとらえていなかったので、地域的な性格や問題は捨象されてしまっていた。(「交通地理(2)」pp.107-108)
という問題を抱えていました。
 そこで1960年代以降、一次資料の発掘を重視した研究が進められることとなり、青木先生はその第一線に立ってその傾向を推進しておられたのでありました。この時の同志が原田勝正先生(『日本国有鉄道百年史』編纂の実質的中心)であり、この方もまた鉄道趣味者成分を多分に持ち合わせているのではないかと思います。原田先生の著書『日本鉄道史』の中で、子供の頃鉄道の信号に興味を持ったエピソードから始まる第7章はこの本の中でも抜群に面白い箇所であり、そして原田先生の原体験が分かるという点でもなかなか興味深いです。
 で、日本はこうである、と乱暴に一括りにするのではなく、一次資料に即し、全国の様々な地域の事例を収集し丹念に検証する、という研究方針が次第に学会の主流になっていきます。この研究の対象は局地鉄道と呼ばれる地方のローカル私鉄が中心でした。これは中心人物である青木先生が地理学者であったため、地域との関係を重視していたということが最大の原因であることは言うまでもありませんが、しかし青木先生は私鉄が好きで若き日に北海道のローカル私鉄を回って様々な発見をしたという趣味的経験を積まれていた、そんな人だったからというのも、決して無視できない要因ではないかと思います。
 一方、先述の原田先生の場合は、信号という一元的な管理システムから鉄道に興味を抱いて、そして政治史を研究して国鉄百年史を作った・・・辻褄は合っているのではないかと思うのです。

 さて、こうしてまず理論ありきの唯物史観が打倒された後の研究史についての説明は大幅にはしょりますが、最近はあんまり局地鉄道ばっかりでは全体像が分からないし偏ってないか、という批判も出てきております。しかしその場合でも、まず資料にちゃんと当たって研究しましょう、という実証重視の姿勢は引き継がれています。小生思うに、唯物史観のような理論的枠組み重視から史料による実証重視へという転換は、鉄道史に限らず近現代史の研究全般についてもいえる変化だと思うのです。
 というわけで、鉄道史研究史上においては鉄道趣味者的視点を有した人々による研究が、唯物史観の限界を打破することができました。これは、既述のように理論ではなくまずモノを見て入ったということがまず一つの要因で、そしてもう一つは、マニアは「いろんなことを知っている」ということです。ことに鉄道史で趣味者が研究史の転換に一役も二役も買ったのは、これが大きいと思います。交通の場合、関る分野は政治・経済(経営)・社会に加え技術というのも大きな要因を占めるため、またがる範囲が広くなかなか大変です。
・・・地域社会との関連で交通をみていくには、たとえ浅いものではあっても、なるべくバランスのとれた基礎教養が必要なのである。そしてそのためには、人並みはずれた好奇心と学部学生・院生時代からの孜孜とした努力がないと達成はむずかしいと思う。(中略)
 筆者はこれまで、交通地理学の勉強を志す学生には、まず自分の関心をもつ交通機関の歴史を多面的、総合的に学習することを勧めてきた。経済史、政策・制度史、技術史、文化史、等々の流れがあり・・・地理学は文科系だと思っている学生にとって抵抗感のあるのは技術史であるが、学習のレベルはごく初歩的なもので、鉄道部門であれば、鉄道車両の発達の流れや橋梁の形式の変化といったハードなものから、列車運転のダイヤや編成の変化のようなソフト的な面まで多岐にわたる。
(「交通地理(3)」pp.81-82)
 大変は大変なのですが、自分の好きなことに関連したことなら「人並みはずれた好奇心」を発揮して「多岐にわたる」知識を獲得しようとするでしょうから、これは結構マニアな人に有利だというふうに言えないでしょうか。

 本来のお題だったはずの『鉄道忌避伝説の謎』のここで漸く話を戻しますと、本書のような成果が生まれた理由の一つに(勿論全てではありませんよ)こういった趣味者的な背景というものがあったのではないかと思うのです。
 本書では鉄道忌避が伝説であったことを論じるのに、一次史料(資料)に当たることは勿論ですが、資料のない場合は様々な角度からその路線設定の意図を考えていきます。その際にトンネルや橋梁のような土木工事の技術水準、勾配に対する車輌の性能などの様々な周辺的知識がフル動員されることで、説得力のある推測が幾つも提示され、論証に厚みを与えています。

 いい加減長くなりました。そろそろまとめに入りたいと思います。
 そのために、「交通地理」の中から、小生がもっとも重要であると考えた部分を以下に引用します。少々長いですが。
 個別の事例研究に終わりはないのである。経済学のように基本的には演繹的な手法になじんでいる学問体系の研究者は、無限に続く個別的・地域的な研究と向かい合っていると、一刻もはやく、普遍的な法則・傾向を出さなければならないという強迫観念にとらわれやすい。普遍的な法則の発見こそ学問の唯一の目標であると信じているからである。しかし、多くの個別的・地域的な研究が目標とするのは、とりあえずは分類・類型化である。そしていかなる地域社会の環境の下でそのような類型が成立するのかを考察してゆく。このような研究の進め方においては、事例研究の数は一つでも多いほどよく、その過程で新しい類型の発見やさまざまの環境要素の重要性の判定が行われてゆく。人間の考え方や行動の複雑性を最初から前提としており、マクロな理論を性急に摘要することは慎むことが基本原則である。まず仮説を立て、それを検証してゆくという自然科学の研究方法に慣れた人びとからみると、一見、非科学的にみえるし、時間もかかる。だが、経済や政策・制度はもとより、従来の社会科学では疎外されがちであった技術や文化を含めた総合的な分析・説明をしてゆくためには、徹底的に帰納的な方法だけが、確実に事実の本質を明らかにしてゆくことができると筆者は確信している。(「交通地理(2)」p.115)
 普遍的な法則を導くよりも徹底的に帰納的方法を貫く、というところに、好きなことに関するあらゆる情報を取り込んでいこう、という趣味者的精神を見るのは、決して穿ち過ぎではないつもりです。そして、鉄道史の場合は、このような精神が学問の幅を広げ、他分野との交流を活発にし、その発展を支えたのではないかと思うのです。
 つまり、「マニア」と呼ばれるような、そして最近の言葉遣いならば「オタク」と呼ばれてしまいそうな、そんな人々の精神は、旺盛な知識欲からさまざまな情報を取り込んでゆくことによって、最終的にはその分野を超えた意味を獲得するに至ることができるのではないか、そのように思います。勿論その場合は、知識の集積だけではなく、編集してアウトプットすることにも相応の手間をかけねばなりませんが。

 最後につけたし。
 礼賛ばかりではなんですし、ある程度限界もありうることを一応最後に確認しておきたいと思います。今度の引用文献は、吉田文・広田照幸編『職業と選抜の歴史の社会学国鉄と社会諸階層』(世織書房)に収められた、三上敦史「鉄道教習所の教育史(一)」です。編者の広田照幸氏の名前は、教育に関し"まっとうに"考える方ならば、必ずやご存知のことと思います。この書物は表題の通り教育史の本ですが、今まであまり注臆されていなかった、就職向けの実業的中等教育を扱っており、その中で鉄道(戦前の国鉄)に本の半ばを割いて研究しています。引用部分は国鉄部内の職員養成のための教育を論じた論文からです。
 ・・・鉄道史研究者は地理学・経済学・工学関連の分野に集中してきた・・・また、鉄道史は好事家を多数擁する特異な分野であるが、彼らの熱い視線は車両・運転といった華やかな分野に集中する傾向がある。趣味が高じて行われる歴史的な研究も、一般には車両・構造物・会社経営といった範囲にとどまっている。かくして職員養成のように畑違いで地味な分野は、研究者にも好事家にもあまり目を向けられてこなかった。(p.184)
 こういうこともあるので、己の知識にうぬぼれず、精進に努めるようにしないといけません。
 しかし考えようによっては、まだまだ知ることのできることがある、というのはなんとも喜ばしいことでもありますね。
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by bokukoui | 2006-12-20 23:58 | 鉄道(歴史方面) | Trackback | Comments(0)

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