愛という形無いもの とらわれている

 昨日一昨日といろいろ書いてきた内容は、もちろん小生が以前から考えてきた内容でもあるのですが、このところこういった問題について考えるきっかけとなったのはやはり、昨年末以来ちょっと関心を持って「クリスマス粉砕闘争」というイベントを見に行ったりもした「革命的非モテ同盟」の活動にあろうかと思います。

 で、年が明けてから古本屋に立ち寄って『発掘カラー写真 1950・1960年代鉄道原風景 海外編』を衝動買いした際、目に留まった加藤秀一『<恋愛結婚>は何をもたらしたか』(ちくま新書)もついでに買い込んでしまったのも、その影響だったろうと思います。そして部屋の整理が一向に進んでおりませんもので、積読本を発掘して読む気力が湧かず、買ってきたばかりの本書をかえって先に読んでしまいました。
 本を好きだと称している人間にとって「筑摩書房」という名は格調高く響くものですが、どうもちくま新書はその名に相応しくないアレな本が散見されるような気がちょっとします(立派な本も勿論ありますけれど)。で、本書もどうもところどころ適当に書き飛ばしたような感(戦前戦後の連続性について、野口悠紀雄の1940年体制論をまんま出している(p.216)ところなど)を受けはしましたが、小生の問題意識と重なる箇所も少なからずあり、結構面白く読めました。
 本書の内容は、明治時代に導入され、日本社会に浸透していった「恋愛」という観念は、一見極めて個人的な問題に関るもののようでいて、その受容の過程においては優生学などと結びつき、お国のために立派な子孫を残すべきであるという観念と一体となっていた、ということが骨子です。「恋愛」を近代家族的価値観の一環として考えたい小生にとっては、恋愛と子孫を残すという子供に関することが強い結びつきを持っている、ということの傍証が得られ、その点で面白く読めたのです。ただ本書の構成上、恋愛の受容と優生学の浸透との二つのテーマの比重が時代によってやや偏りがあるような印象で、それがちと残念です。
 とはいえ、本来きわめて個人的なものであるはずの事柄が国民国家を支える論理となって個人の中に内面化されてしまっているという指摘は、小生としても納得の行くところではあります。これに対しどう個々人が対処するかという処方箋は本書には示されていませんが(現代の話はあくまでつけたしであると著者は断っています)、あてがいぶちの「幸福」という概念を疑い、個々人のものである幸福を国民国家の論理から一方的に規定されてしまうことに対し異議を唱え続けること、そういうことではないかと小生は思います。
 小生の周辺には「変な人」がかなり多かったので、割と「これが当たり前の『しあわせ』というものだろう」という通念に対し、子供の頃から疑問を持つことが多かった、ということも、こういった話に小生が共感を覚える理由なのかもしれません。

 さて、以上のようなことを考えている小生は、「革命的非モテ同盟」の活動に個人的に関心を持ち、見に行った感想としてまあこの活動は多分に「ネタ」的なものであろうという感を抱きました(こちらの記事のコメント欄参照)。なぜそう思ったか(それは小生なりの好意的解釈のつもりだったのですが)、それはまた後で再度説明します。
 ところが年末に肝心の「革命的非モテ同盟」の方が、「革非同はネタかベタか」という記事を書かれ、なんかどうも小生の見立てが間違っていたらしく、ハテああ書いちゃったコメントをどうしたものかと頭を抱えたりしたのでした。小生は、「革非同」の活動とはその唱えている論理もその新左翼的スタイル同様のネタであり、しかし多くの人が当たり前だと思っている「恋愛」に対してネタをぶつけることで、その当たり前を相対化してみせるものだと思っていたのですが、どうもそうではなかったようです。
 この点については「烏蛇ノート」さんのこちらの記事の追記も参照。

 小生が「革非同」はネタであると思い込んだ理由の一つは、これはそもそもの記事で書いたことまで遡りますが、「革非同」の古澤氏が撒いていたビラの文面が「反白色テロル大連帯」の強い影響下にあり、しかし小生が「東京大学オタク物語」の記事中で書いたように、これは民青が学友会の主導権を握る工作としてばら撒いたビラだということです。つまりこれ自体、内容の意味を訴えかけるものではなく、ネタとして耳目を集めるためのものであったわけです。
 古澤氏は新左翼的なレトリックやコスチュームというのはネタである。しかしながら、そのレトリックに仮託している内容というのはベタである。と述べておられますが、ではあのビラに書かれている内容自体は「ベタ」のつもりだったのでしょうか。その文面は元々、あくまでも「ネタ」として作られ、その修辞の面白さで人を笑わせるものであったはずです。
 ビラを配るという行動自体、配ったビラの内容まで含めて「ネタ」ということなのでしょうか。それでは結局、問題を訴えかける効果があるのかどうか疑問です。

 で、なんだかなーと思っていたところに、「革非同」の最新の記事を読んでますます違和感が募ったのですが、『恋愛結婚は何をもたらしたか』を読んだことがきっかけでその違和感が部分的には説明できそうに感じました。なのでこれからその違和感と、そして小生自身が「恋愛資本主義」と呼ばれるものをどのようなものであるかと考え、それに対し如何なる姿勢を取っているのか(取ろうとしているのか)ということを述べるのが順序かと思いますが、既に充分長いし夜も更けたので、続きは明日
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by bokukoui | 2007-01-14 23:58 | 思い付き | Trackback | Comments(4)

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Commented by 烏蛇 at 2007-01-15 15:57 x
 初めまして。
 革非同に関しては、ベタな領域での方向性がまだはっきりと定まっていないのではないか、というのが古澤氏の言説を見た限りでの私の感想です。ともあれ、続きをお待ちしております。

 あと、言及戴いて恐縮なのですが、リンク先は内容から見てhttp://d.hatena.ne.jp/crowserpent/20061227の誤りではないかと思います。余計なことでしたらすみません。
Commented by bokukoui at 2007-01-16 00:33
コメントありがとうございます。烏蛇さんのブログは以前から拝読しておりまして、色々考える糧とさせていただいております。続きは一日延びてしまい申し訳ありません。もうしばし、お待ち下さるようお願い申し上げます。向後とも御鞭撻いただければ幸甚です。

方向性が定まっていない、というご指摘は腑に落ちるところです。そのため、古澤氏の言説が空回りしているように小生には感じられるのかもしれません。

リンクはご指摘の通り間違いでした。大変失礼致しました。
訂正しておきました。ご指摘ありがとうございます。
Commented by furukatsu at 2007-01-16 16:07 x
心臓が止まるような恋があることしってる~

というわけで、方向性が定まっていないというのは、その通りですね。
誰もが恋愛できればいいのですが、それは不可能ですから、だれもに恋愛をさせないという方向性になるのですが、それは大いなる抑圧を産む危険性が高いです。
その辺で、うまい方法がないか、という感じではあるのですが。
Commented by bokukoui at 2007-01-17 04:31
>古澤様
まずは極めて適切なツッコミありがとうございます(笑)
あ、でも「知ってる」と漢字で書く方が正しいそうです(何が?)

まだこちらも上手くまとまっているわけではありませんが、抑圧を避けることこそが重要課題と小生は考えております。ので、「だれもに恋愛をさせないという方向性」というのには首肯いたしかねます。一応それに対して小生なりの考えを書いて(書きつつ)はおりますが、万人を救う方法になりうるとは言えないと自分でも思います。
とまれ、ボチボチ書いていきますので、何かご意見を頂ければ幸いです。
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