サントリー学芸賞の鉄道本略論 番外(1) ~鉄道と女性・阪急篇~

 諸事情により延び延びになっておりましたが、数日前に書いた酒井順子『女子と鉄道』感想から、原武史氏の鉄道への見方についてに論を移したいと思います。一応以前書いた記事()の続きという位置付けですが、今回は『「民都」大阪対「帝都」東京 思想としての関西私鉄』に直接関係のある話というよりも、原氏の講演に出てくる女性と鉄道の関連についていささかのツッコミをしてみようと思う次第です。ので、「番外」と位置づけました。

 さて、原氏の講演録から鉄道と女性に関連する部分を再録しておきますと、
・女性を取り込む鉄道の努力について。阪急の場合、宝塚という文化事業に限られた。もし小林一三が輸送事業に女性を採用していれば、他の事業で阪急が私鉄のモデルとなったように、他の私鉄もそれに倣って、鉄道のイメージがより女性的なものになったかもしれない。
・国鉄の場合、つばめガール・はとガールが国鉄発足直後登場するも、客車特急の廃止でこれも廃止されてしまった。
 女装云々の話は今回は措きます。今回は原氏がいつも礼賛してやまない阪急=小林一三と、鉄道における女性の位置づけについて、というところに話題を絞りましょう。
 さて、上記の講演録は小生のまとめですので、いささかの間違いやバイアスが入っている危険性があります。それを補うために、原氏の著書『鉄道ひとつばなし』からも引用しておきましょう。
・・・鉄道の発達は、近代日本の歩みそのものであった。明治天皇の「御真影」に典型的に現れているように、近代日本は天皇を可視化しながら、軍服やヒゲに象徴される<男性>性を前面に押し出した。(中略)誤解を恐れずにいえば、開業式に先立って天皇が鉄道に乗った時点で、すでに<女性>の排除が運命づけられていたのである。
 このことに最もよく気付いていたのは、やはり阪急を創業した小林一三だったのではないか。小林が、国家や軍事のための鉄道ではなく、生活や大衆娯楽のための鉄道を考えていたことは、拙著『「民都」大阪対「帝都」東京』で論じた通りだが、それは当然に、鉄道が排除してきた<女性>に対する見直しを迫ることになる。大正期に阪急の沿線で女性を対象とする博覧会が開かれたり、宝塚少女歌劇が創設されたのは、単に小林個人のユニークな発想というだけにとどまらず、<男性>性を強調する近代日本そのものに対する異議申し立てという要素もあったと思われる。
 無論、限界はあった。小林は、文化事業では女性を取り込もうとしたが、肝心の輸送事業で女性を積極的に採用することはしなかった。仮に阪急が、国鉄に対抗して、車掌や駅員だけでも女性を登用していたら、どうなっていただろうか。分譲住宅地やターミナルデパートと同様、小林の戦略は功を奏し、模倣する私鉄が次々に出てきた可能性も否定できない。そうなれば、鉄道はバスガールやスチュワーデスに先駆けて、女性に開かれた回路を獲得することができていたかもしれない。(同書pp.40-41)
 というわけで、講演の内容と大体同じですね。

 ここでは、大きく二つの視点から原氏の所論について批判を加えてみたいと思います。
 まず第一点は、「小林の戦略は功を奏し、模倣する私鉄が次々に出てきた可能性も否定できない。」というところです。どうも日本の鉄道に関する全ての革新は小林一三から始まったといわんばかりの書きぶりですが、実際には女性を現業職員に登用した例は、散発的にはあったようです。戦時中の動員の穴埋めとは別個に、です。小生の手持ちの資料から、幾つか拾ってお目にかけたいと思います。
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 これは以前コミケのペーパーのネタに使った画像の使い回しですが、1918(大正7)年の『電気之友』誌(通巻450号)から引用したものです。クリックすると思いっきり大きくなりますのでご堪能下さい。これはのちに名鉄に合併され、2005年にほぼかつてのその路線全部が廃止されてしまった、美濃電気軌道という会社の女性車掌の制服姿です。バスの女性車掌と同様に、路面電車(阪急同様に準拠法規は軌道法)の車掌として女性を登用することは結構よくあった例でした。中には夏場、冷房のない時代とて車体をよしず張りにした「納涼電車」を走らせ、和服の女性が乗り込んでラムネなぞ売っていたこともあったとか。
 となると、ここでの疑問はむしろ、バスや路面電車の車掌になっていた女性がなぜ「普通の」電車(専門用語で言う高速電車)に進出しなかったのか、ということになりますね。

 駅員については、文献史料を一つ挙げておきます。
米国抔の女子は中々各種の職業を執つて居る。詢に羨やましい訳けで我国の女子は此点に於て十歩も二十歩も劣つて居る。女子の職業として僅に成功したのは紡績の職工、電話の交換手位である。之れは穴勝女子を責むる訳けに行かぬ。当局の男子が女子採用に就て大ひに骨折らぬのも一つの原因であろう。此頃日本鉄道では、上野駅の出札を女子に遣らせることにしたそうなが、之れは宜い思ひ附きであつて我々は双手を挙げて之を賛成する。第一、女子は給料が安い。第二、辞ば遣ひが丁寧で客を怒らせることがない。第三、銭勘定が細くて間違が少なかろう。此云ふ利益があるに依って此計画は多分成功するだろう。
併し女子には又種々の不便と欠点が多い。第一、未婚の女子は男子の中に居れば兎角不品行に導かれ易い。第二、年齢になれば結婚せねばならぬ故永く職業を執ることが六かしい。第三、既婚の女子は孕身の為めに職業を休む事がある。
其上に大駅では出札方が二人も三人もありて専務になつて居るゆへ女子で差し閊へなきも、小駅では出札方が改札も遣れば荷物の世話もする兼務が多くて手荒な仕事もせねばならぬ故、この計画は大駅には実行出来るが惜いことには小駅まで適用して普及させることが困難である。
或る鉄道でも女子採用に就て種々苦心をした事がある。前年客室内部の拭掃除を女子にやらせたことがあつた。中々適任で評判よかりしも、其女子が後に駅夫と欠落したと云ふ奇談もある。其外三井の銀行や呉服店で女子を使つた事があつたが、ドウなつたか知らぬ。ソコデ運輸課の調査係に採用して切符などの調べをさせてはドウかと考へて居る。兎に角女子は使つて見たいが色々故障が多くて困る、と或る鉄道通が話した。
 これは阪急の開業よりもずっと前、1899(明治32)年の鉄道業界紙『鉄道時報』第21号(8月5日付)からの引用です。旧字体は新字体に直してあります。
 駅の現業の一番下っ端、後の鉄道省の位階で言えば「傭人」クラスの採用・人事権は、現場の駅長が持っていた(駅長といってもランクがありますが)ように思われます。鉄道のトップの意志でなくても、ある程度現場で女性を採用した/しようとした例は、あまり記録にはっきり残っていなくても、それなりにあるのかもしれません。

 以上の史料なんぞを踏まえたり踏まえなかったりしながら、原氏の見解について批判を加えたいのですが、引用に次ぐ引用で既にバカ長いし、眼の方も草臥れてきたので、今夜は中途半端で申し訳ありませんがここで切り、続きは次回ということでご諒承下さい。
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by bokukoui | 2007-02-19 23:57 | 鉄道(歴史方面)