サントリー学芸賞の鉄道本略論 番外(3) ~鉄道と女性・阪急篇~

 一昨日昨日の記事の続きです。今日で完結のはず。

 というわけで、ここまで二回に渡って原武史氏の鉄道と女性の関連についての所説に批判を加えてきました。その大きな論点ふたつのうち、1点目はこれまでに説明しましたので、今日の記事では2点目の論点、すなわち「小林(一三)は、文化事業では女性を取り込もうとしたが、肝心の輸送事業で女性を積極的に採用することはしなかった」理由を考えてみよう、というものです。

 小生はこれまで、当ブログにおいて阪急に関する記事を幾つか書きました。それをお読みいただければ、これから小生が書こうとしていることはお察しいただけようかと思います。過去の記事を以下にリンク。
 ・近代家族幻想と電鉄会社との日本的関係性
 ・阪急食堂名物10銭ライスカレーの肉はどこから仕入れたのか
 これだけで終わりにすると楽なのですが、それは流石に手抜きなので以下に敷衍して述べます。

 で、上記の記事で書いたことを簡潔にまとめますと、近代社会の発達、つまり資本主義が発展し近代家族像が浸透してくる過程で、それまでの支配層に代わって台頭してきた中産階級の人々は、どのような生活スタイルが良いものとされるのか、ということに関し、新たな価値観を模索します。で、先行研究を徴するには、フランスでボン・マルシェを開いたブーシコーのように、19世紀末において発展した百貨店こそが、このように生活すれば幸福になれますよ、というライフスタイルを作り上げて売り込むことで新たな価値観を作り、そして消費を加速させることで資本主義をも発展させることに寄与したのでした。そのような中産階級的「幸福」像は、近代家族モデルとして今日尚規範としての拘束力を維持しています。
 これに関し、小生は日本におけるこのような価値観の宣伝と消費社会の到来に大きな役割を果たした存在として電鉄業を考え、その代表的経営者として小林一三を挙げるべきではないかと考えています。

 さて、ここで小林一三が広めたようなライフスタイルとは、郊外住宅地に住んで電鉄で一家の主人は都心に通勤し、休日には沿線の行楽地へ家族連れで出かける、というものです。戦前にこのようなスタイルを送ることができた人は決して多くありませんでしたが、しかしこれは戦後の日本人の多くが目指した(そして高度経済成長を通じておおむね達成された)スタイルとなるのでした。まあ戦後は自家用車と家電製品が消費において大きな地位を占めることになりますが。
 余談ですが、戦前の日本では電灯こそ世界最速級の普及率を達成したとはいえ、電化製品の普及は微々たるものでした。しかし関西を中心とした有力電鉄会社の中には、沿線住民への電化製品の売り込みに相当の熱意を傾けた会社がありました。阪急もさることながら、ライバルの阪神は電化製品を並べたモデルルームを電車の中に作り、主要駅の待避線に停めて回って移動する電気博覧会をやっています。電化製品普及の下地がこのようにして作られた面もあるのではないかと思います。もっともこれらの電化製品売り込みの真意は、阪神や阪急が沿線で兼業していた電力供給業の需要を増やすことにあったのでしょう。

 とまれ、今まで拙文で始終書いてきたような、近代家族モデルの普及こそが、小林一三が推し進めた経営戦略と合致する方向だったのだと考えるのです。
 このようなモデルでは、働き手は男に限られ、その働く場は家庭と切り離されます。家庭はもっぱら消費の場となり、女性は主婦としてその消費活動を仕切る役割を担わされます。家庭は子どもを育む団欒の場であると位置づけられ、消費活動もそれに沿ったものが求められます。なので娯楽も、飲む・打つ・買うなんて「不健全」なものはいけません。かくて「清く正しく美し」い宝塚の出番となるわけです。

 というわけで、結論はこうなります。
 男=仕事という公的な場、女=家庭という私的な場、という性別役割分担を前提とする近代家族モデルに乗っ取ったライフスタイルを幸福の形として売り込んでいた阪急が、輸送という公的な労働の現場に女性を採用するはずがない、ということです。
 「女性を対象とする博覧会」や「宝塚少女歌劇団」をやった「のに」女性を採用しなかったのではありません。博覧会や歌劇をやった「から」輸送には女性を採用しなかったのです。
 ついでに、この博覧会も歌劇もそもそもの理念は中産階級的近代家族のための娯楽として作られた、つまり女性は女性でもあくまで一家の主婦としての女性(彼女が養育を任されている子どもがくっついてくる場合多し)がメインターゲットであるということを見落としてはなりません。単純にこれを「女性」一般を取り込もうとした営為と見なすのは早計でしょう。そこら辺についての傍証として、以前も使ったネタ本ですが、阪田寛夫『わが小林一三 清く正しく美しく』から引用しておきます。
・・・(宝塚)新温泉を開業してから三年目、すなわち大正二年に、一三の方針がはっきり変っている。それは客寄せのための催物の変化で判る。大阪南地の芸者の「芦辺踊」と、二年続いた「遊女会」から百八十度切替えて、三年目の大正二年春には「婦人博覧会」となり、京大から上田敏博士を講演に招いたりしているし、次いで大正三年春に婚礼博覧会、四年春には家庭博覧会と続いた。既に紹介した通り、宝塚少女歌劇第一回公演は、婚礼博覧会の余興として、「観覧無料」で見せたのである。(同書単行本版p.146)
 「婚礼」「家庭」とあるように、ここでの女性へのアプローチは(近代家族の)一家の主婦となることに眼目がおかれていたと見えます。それは女性を労働力として活用するという方針と相反するでしょう。

 以上、原武史氏の鉄道と女性との関わりに関する所論への批判を述べました。原氏は小林一三が偉大な経営者であったと繰り返す割には、小生が思うには、何が偉大であるのかよく分かっていないのではないかと思います。
 既存の鉄道史の研究者が、近代家族論に疎かったことは間違いないのですが・・・しかしそれが原氏の論の問題点を惹起したわけではないと思います。先行研究を踏まえていれば、昨日や一昨日の第1点目の論点は見落とさないでしょうから。

※追記:鉄道と女性の「関係については、以下の記事もご参照下さい。
・鉄道と漫画・MATSUDA98篇 19才の「鉄道むすめ」はなぜ死んだか
・もっとも過酷な「鉄道むすめ」の仕事 8メートルの雪を除雪せよ
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by bokukoui | 2007-02-21 23:57 | 鉄道(歴史方面) | Trackback | Comments(0)

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