高知龍馬空港と聞いて思い出すこと

 あんまり長い記事ばかり書いていると草臥れるので、時事ネタで今日は短く。

 既に各種メディアで繰り返し報じられている通り、高知龍馬空港に着陸しようとした全日空機の前脚が下りず、遂に前脚なしの胴体着陸を余儀なくされたものの、幸い大事には至らなかったという事件が本日ありました。

 全日空機、高知空港に胴体着陸 トラブル多発ボンバルディア社製

 この事故については、既に機体について色々評判が報じられておりますが、そういったことは今後の調査に待つべきこととして、今日はこの「高知龍馬空港」という、どういうネーミングセンスか、初めて聞いた時耳を疑った空港について、以前高知に行った時の思い出話。

 その時はさる用事で、高知県の文化財担当の方のお話を伺いつつ南国市(高知の空港は南国市にある)のある遺跡を調査見学しておりました。
 で、坂本龍馬に比べると、土佐関連の人名としてはややマイナーですが、日本最初のネカマとして有名な『土佐日記』の紀貫之がおります。高知空港は物部川という川の側にあって、古代の土佐の国府、つまり紀貫之の赴任先で『土佐日記』の出発地点は、この川の流域にあったといわれているそうです。ところが正確な位置は実は不明なんだとか。
 そこで、高知空港の滑走路が延長された時、もしかするとこの辺に遺跡があるかも? ということで、工事予定地周辺をせっせと調べたのだそうですが、残念ながら見つからなかったそうです。

高知県の方「いやあ、見つかれば『土佐日記』関連で観光地にもなるかと思ったんですが」
小生「そうですね。ただ、私は東京で高校生向けの塾講師のバイトしてますけど、高校生に『土佐日記』の『土佐』が今の何県か聞いても、ほとんど知らないんですよね」
高知県の方「・・・」

 あと、高知空港はもともと海軍が戦争中に作った空港なので、空襲から飛行機を守るコンクリート製の掩体が幾つも周辺に残っています。
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 戦争中航空基地のために海軍に土地を強制収用された農民とは、戦後土地は一応返還されたものの、この掩体をどうするかで揉めたそうです。農民にしてみればこれは国の費用で解体撤去して返還せらるるべきだ、ということで。戦後時間が経って、この掩体を戦争の記念として文化財指定しようとしても、農民の支持が得られずに(自分たちの土地を占拠しているわけだから)、漸く最近になって文化財指定となったのだそうです。
 地元に伝わっている話では、戦後金属の値段が高かった頃、この掩体を解体して中の鉄筋を回収して一儲けを図ったものがいたそうですが、いざ壊してみたら戦争中の物資不足時の建設だったせいで、鉄筋ではなく竹筋だったとか。で、結局解体されることなく今日まで残ったのだとか。
 金属泥棒の多い昨今にも通じる? お話でした。
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by bokukoui | 2007-03-13 23:57 | 歴史雑談 | Trackback | Comments(0)

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