国会議員が「史料」のためにできる(すべき)であろうこと

 知ったのが遅かったので今更という感もありますが、一応「歴史」に関係した立場にある者として一筆ものせずにはいられない出来事が。
 まず、このことを報じた以下のブログの記事をご一読いただければ幸いです。

 good2ndの日記さん「図書館に所蔵資料の訂正を求める戸井田とおる議員」

 核心部分を以下に議事録から引用(事実上good2ndの日記さんからの孫引きになりますが)。
 実は先日、私は、自由民主党の日本の前途と歴史教育を考える議員の会という議員連盟の南京問題小委員会小委員長を仰せつかりました。国立国会図書館などで資料を集めていますと、ある問題に直面したわけであります。

(アイリス・チャン『レイプ・オブ・ナンキン』について述べる:中略)

 昨年の本委員会でもって、国会図書館というのは、国会議員が国政調査のための資料をそこに集めてあるわけでありますから、そこで調べていくと、間違った資料をもとに間違った考えを頭に植えつけて、結果的に間違った法律をつくるというようなことになると国民に迷惑がかかるし、ここらのことは非常にスピード感を持って解決していただきたいなと。

 前回は、日本国全部の税金を使った図書館ということを申し上げたんですけれども、私は国会議員として、国会議員が調査に当たる、その中心の場である国会図書館の資料に、明らかに間違いだ、一次資料で確認できる、そういうものについてはきちっと訂正をしていただきたい。前回は、富田メモのように、写真だけでも上に張りつけたらどうだというようなことを申し上げましたけれども、今はなかなか難しいようでありますから、それだったら、インターネットでホームページでもつくって、そういう間違いの訂正というか、そういうものをきちっと出せるようにしていただきたいな。そのことをぜひお願いしたいと思うんですけれども、まず、国会図書館長ですか。
 この戸井田とおる議員が言っていることが無茶苦茶であり、図書館というものの機能や情報を集積することの意味について何ら判っていない、ということは、この件を取り上げた多くの方(この記事についた「はてなブックマーク」を使うとよく分かります)が異口同音に述べておられますし、小生もまた同意見です。
 そこで、一応歴史学、それも日本近代史の大学院生らしい小生の立場から、ちょっと異なった視角でこの件について述べてみたいと思います。

 問題の戸井田とおる議員のサイトを見ますと、活動報告のブログがあります。トップページから今見られる範囲の、ここ一月ほどの活動報告の表題を列挙してみましょう。

・2月20日「内閣委員会の質問」(←これでやった質問が問題の件)
・2月25日「『南京事件の真実を検証する会』について」
・2月28日「外国の通信社からの質問」
・3月4日「徹夜国会で安倍総理に進言」
・3月6日「新日本製鐵株式会社の故千速晃会長お別れの会」
・3月7日「チャンネル桜に出演」
・3月9日「朝日の薬師寺論座編集長、赤面!」
・3月9日「一次資料がこまるのか、日本の記者」
・3月11日「総理に再度、直訴!」
・3月18日「奇妙な聖域。」

 「チャンネル桜」という時点で既にある種の先入観を抱かずにはおられなくなってしまいますが(「向いてる方向が一緒」ってねえ・・・)、この一月ばかり、国会の最大のお仕事であるはずの予算審議が行われている時期に、この戸井田とおる議員は、延々と南京事件のことばかりやっているようです。総理に直訴している内容が「主に、だんだん話の大きくなってきた、所謂従軍慰安婦問題、南京問題、そして地元の駅前再開発の話をしました。」って、歴史関連と地元への利益誘導との取り合わせがこの人の関心の大部のようです。チャンネル桜出演も、ブログに書いてはいませんがこの方面のことでしょう。結局、「チャンネル桜」出演の件もそれに含めれば、この戸井田議員のお仕事は、南京事件と従軍慰安婦のことがもっぱらのようです。
 ついでに、最新の「奇妙な聖域。」には、テンプレートと化したフェミニズムへのバックラッシュ言辞が並べられており、あまりといえばあまりにありきたりなパターンには、もはや言葉も見つかりません。そもそも「姫路市男女共同参画推進センター」に女性学関連の文献が多いのは当たり前です。それすら考えようともせずにこんなことを書くとは、この議員には資料について検討する能力が極めて乏しいことをうかがわせます。
 果たしてこれが、国会議員のなすべき仕事なのでしょうか。国会議員でなければできない仕事なのでしょうか。なるほど最近の米議会の慰安婦決議のような事態に直接対応することは国会議員であった方が有効でしょうが、個別の歴史研究は、それこそ藤岡信勝センセイにでも任せておけばいいのではないでしょうか。歴史に関して、国会議員ができること(他の人にはできにくいこと)は、もっとあるように思うのです。

 それは何か。

 ここで参考資料として、小生も始終お世話になっている、というか研究室よりも良く行く、東京大学経済学部図書館が発行した書類を以下に紹介します(リンク先はpdf)。

 「東京大学経済学部における資料保存対策事業の成果とその意義」

 日本史の研究室で誰かが言い出した冗談があります。
 もし今、突然人類が滅んでしまって、千年ぐらい経ってから宇宙人がやってきて日本史を調べようと思ったとき、古代・中世・近世の歴史は調べられるだろうけど、近代史は分からないだろう、というのです。
 なぜかといえば、和紙に墨で書いた文書は無類の耐久性を誇るので(火事と虫食いにはやられますが)、千年経っても読めるだろうけれど、酸性紙に印刷されたものが多い近代の文書類は皆酸化作用でボロボロになってしまっているだろうから、というわけ。

 近代の資料が実は非常に危険な状態にあるということは、リンク先の東大経済学部図書館の報告にある通りです。しかも、マイクロフィルム化されたものも安心できないということも記されていますね。
 この状況に対し、資料の脱酸処理を行った旨が記されています。実際、その状況はこの図書館をよく利用している小生も目にしています。脱酸処理直後の資料は臭気があるため、処理を終えて書庫に戻された史料のある階は窓が開け放しになっていて、冬はえらく寒い思いをしました。
 ところで東大経済学部図書館が危険とみなした(brittle以上)資料は約2割あり、危険な酸性紙の資料は全体の7割にも登ると上掲報告にあります。今年、予算の範囲内で全数調査して処理したものは約2500点調査して1800点余りを脱酸処理したとあります(その後追加で300点余りも処理した由)。資料は全部で18万点。・・・終わるまで何十年かかるんでしょうね。先に資料の方が朽ちてしまいかねません。
 これは、国公立の大学数あれど、予算の点ではもっとも恵まれているであろうと思われる東京大学の例です。全国の図書館や史資料館全体ではどれほどのことになっているか、想像するだに怖ろしいことです。

 というわけで、小生が何を言いたいのか、もう既に読者の皆様にはお分かりであろうかと思いますが。
 つまり、文書の保存体制を整えよと言いたいわけです。

 戸井田センセイは南京事件や従軍慰安婦のお話がお好きらしいと見受けます。中国や韓国とこれら問題について議論する気もおありなのでしょう、「中国のプロパガンダに対抗したら」なんて3月18日付のブログに書かれてますね。
 さらに、2月25日付のブログでは、一次史料が大事だと仰ってますね。なるほどその通り、一次史料は大事です。
 では、日本の公的機関による一次史料の保存は、どの程度しっかり行われているのでしょうか。聞くところでは「档案館」という中国の文書館はかなりよく整備されているという話です。もし日本の公文書館をはじめとする公的機関の保存体制が中国のそれより劣っていたならば、長期的スパンでみた場合、日中の歴史論争の行方は日本に不利なものとなるかもしれません。

 で、小生はアーカイブス学をちゃんと勉強したことはないのですが、今まで聞いてきた範囲では、どうも保存状況はあまり宜しくないようです。役所が(企業もそうだけど)そもそも文書を保存するという発想が薄いようです。その状況に輪をかけたのが、皮肉にも情報公開制度でした。なんとなれば、お役人の皆様は「文書を公開して民草に見せてやるくらいなら捨ててやる」というステキな発想をお持ちのようで、実際情報公開法の施行前にだいぶ捨てちまったようです。この時期は省庁再編もありましたので、これも廃棄を加速したんでしょうね。以下の資料参照(リンク先はpdf)。

 各行政機関の文書廃棄量調査結果

 今記憶が曖昧なのですが、確か軍事史の田中宏巳氏だったと思うのですが、このような状況について「このままでは日本には将来歴史学が成立しなくなる」と警鐘を鳴らしていたのを読んだような記憶があります。今ネットで探してみたところ、田中氏のインタビューが見つかりました。
我らが日本には記録を残すという習慣さえなくなりつつある。第2次世界大戦まではどんなことも記録に残していたはずなのですが・・・。国立公文書館(文字通り国の重要文書を保管している所)も、他国と比べたら、比較の対象にならないほど規模が小さい。諸外国から日本を訪れた外国人の様子からもそれは一目瞭然だそうです。「こんなに小さくて大丈夫なの?!」といった感じで・・・。私は国家の仕事を、国民保護・領土保護・記録を残すということだと考えます。記録を残すことは何の問題もありません。むしろ記録を残すということは、誇りを持っているということにもなります。
 敗戦時もだいぶ焼きましたね、書類。
 他にも、省庁再編のときだったか、某省が昔の文書を大量に廃棄するというので、聞きつけたさる先生がトラックで乗り付けて引き取って帰った、なんて話も聞いたことがあります。

 公平を期すためにこれは小生が直接聞いた話。
 数年前ですが、ある席で某お役所の官僚の方と話す機会があったので(有体に言えばサークルの先輩です)、情報公開法が役所の文書廃棄を加速させるのではないかということを尋ねてみたことがあります。その官僚の方曰く、その恐れは多分にあるけれど、しかし重要なものはきっと残ると思う、なぜならば
「自分が一生懸命やった仕事の資料は、捨てろといわれても捨てられるものではない」
 官僚の方々がみな、これくらい仕事に誇りを持って取り組まれているのであれば、一国民として大変嬉しく心強く思うのですが・・・。しかし個人の力でできることには、やはり限りがあるでしょう。

 例によって話が拡散してきたのでまとめます。
 戸井田先生は国会議員であり、国会議員のお仕事として一番重要なことは国家予算を決めることであろうかと思います(確か近代の議会って、元々は王の課税権協賛のために存在してたんですよね?)。であれば、史料云々を語られるのであれば、その保存のために国家による手だてを打たれるようにしていただきたい、それが国会議員としてなすべき(他の人にはできない)仕事であろうから。もしそのような視野なくしてなくして、南京ナンキン慰安婦イアンフと連呼しているだけなのであれば、それは商売として南京事件を扱っているだけ(実際に、現状においては「南京事件」は歴史的課題というよりも一つの「産業」となっているのではないでしょうか?)であり、歴史について語る資格がないということです。
 まあ、今回の発端の国会図書館の件から考えるに、戸井田センセイにこういった発想は皆無であることは容易に察しが付きますので、このセンセイが歴史についてナニを仰ろうとも、聞くだけの価値はないだろうと思われますけどね。
 国会図書館の近代史資料保存部門である憲政資料室からして、古書店でたまたま貴重な史料が売りに出されているのを見かけたある大学の先生が憲政資料室に電話してすぐに買い取れと注進したところ、「今年度の予算はもうありません」と言われた、なんて話を聞いたことがあるくらいで、戸井田先生の検閲に付き合ってる余裕なぞあろうはずもないのです。

 図書館や文書館の役割は、一国の、いやもはや世界の将来に対する責任を果たすという重大なものです。それだけにもっと重要視(カネだせ人だせ)せられるべきであろうと思うのであります。これからも図書館の役割に関する積極的な議論が必要でしょう、国会議員がこんな愚にも付かないことを言ってるくらいですから。

 話がえらく長く硬くなっちまいましたね。
 最後くらい、図書館の役割に関するほのぼのした議論を眺めて終わりにしましょう。
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高木信孝『ココロ図書館 1』(メディアワークス)p.32

 『ココロ図書館』では窪田さえこ先生が好きです。いやあの、締切を破って逃亡するところにいたくシンパシーを・・・(ダメじゃん)。

※追記:本記事に関する補足記事を掲載。こちらこちら

※更に追記:戸井田先生のその後の状況についてはこちらなど。
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by bokukoui | 2007-03-19 23:57 | 歴史雑談