鹿島鉄道・栗原電鉄を惜しむ駆け足紀行 終篇 附:日経のコラム

 三日前昨日の続きです。
 若柳駅までという中途半端なところで切りましたが、記事が長すぎて制限を越えてしまっていたためです。今日の部分はなるべく手短に。

 さて、小生は若柳駅の見物を一通り終えたので、次の石越行きに乗って戻ろうと思いました。しかしまだその列車まではだいぶ時間があります。そこでふと気付いたのは、次の石越行きはさっき小生が沢辺駅ですれ違った列車が細倉マインパーク前まで行って戻ってくる列車であり、その列車もまた沢辺で細倉行きとすれ違うのだということです。ならば石越行きまで待つよりも、細倉方面行きに乗って石越行きを迎えに行こう、と思い立ちました。といって沢辺の駅で折り返すのは時間的に危なそうなので、一つ手前の大岡駅まで行こうと決め、出札口で切符を求めました。これも今となっては珍しい厚紙の、硬券の切符でした。
 ところがそこで、駅の手伝いの案内の人(くりはら田園鉄道の存続運動をしていた団体の方だと思われます)が言うには、このところ廃止前に乗っておこうという人々が押し寄せてダイヤが混乱しており、相当に遅延したり途中駅から乗れない場合もある、という話が。これは困った(って自分もその混乱を発生させている一人ですが)。ただ今日は、天気が天気なのであまり人出は多くないようなので、そんなことにはならないかもしれない、とのことでした。確かに駅舎には、急遽パソコンで打ち出したと思しきこんな張り紙がありました(この張り紙自体は細倉マインパーク前で撮ったものですが、同じのが若柳にもありました)。クリックすると拡大表示しますので、是非ご一読下さい。
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 「『お祭り』というより『災害』」という言い回しが印象に残りました。「それそうなりの覚悟」というのもなんだかかえって哀愁を感じさせます。
 とはいえ40分も遅れると確かに乗り継ぎに支障をきたします。JRの石越駅にもこんな張り紙がありました。
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 まあこれだけでしたら、栗原の最後を彩るエピソードというだけのことですが、遺憾ながらこのような事態も生じているのだ、ということを、各駅に張ってあった新聞記事のコピーの写真を載せることで記憶にとどめ、将来への戒めとしたいと思います。この写真もクリックすると拡大します。
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 やがて石越駅から連絡があって、幸い列車はあまり遅れることなくやってくるようだとのことでした。乗車を効率よくするために、列を作ってホームに並ぶよう要請されます。それは一向に構わないのですが、なにしろ大雨の上に暴風で、ホームの屋根も用をなしません。
 寒い思いをして待つことしばし、定刻から数分遅れて、2両編成のディーゼルカーがやってきたのでした。列車は小生が先ほど乗ったときよりは混んでいましたが、そう列車の運行に支障をきたしそうなほど酷くはありませんでした。積み残しなんてことは全くなく、列車は走り出します。

 小生が降りようと思っていた大岡までは、それほど時間はかかりませんでした。列車が東北新幹線の高架橋をくぐると、もうすぐに大岡駅でした。この駅から乗った人は(確か)なく、下りた人は4人いました。先ほど書いた、薬局に行ったおばあさんと、それを取材していたNHKのリポーターとカメラマン、そして小生です。
 おばあさんが列車から降りるところを撮影したNHK一行は、携帯電話で別働隊を呼び出して車で迎えに来てもらっていました。それまでは待合室で待機の様子です。一方小生も降りてはみたものの、この駅は周囲に店の類もなく(街道からちょっと外れたところにある模様)、一面の田圃とそばの製材所くらいが目に付くだけです。風は一層激しく、田圃を渡って吹き募ってくるので、小生もたまらず待合室に逃げ込みました。この待合室も小さいながら昔のままらしき木造で、ちょっと趣がありました。
 待合室でNHKの人と話をしつつ列車を待ちます。NHKでは最終日まで色々と取材をして、4月3日に放送する予定だということですが、残念ながら宮城県ローカルだとの由。カメラマンはもちろん大きなカメラを担いでいて、防水のカバーはしてあるのですが、こういう雨で寒い日は部屋に入ったりすると温度変化で結露したりして大変とのことで、まったく運の悪いことです。NHKの人曰く、地元の人も最終日は混むだろうからと避けて今日までに乗っている人が結構いるという話でした。

 そんな話をしているうちに、列車がやってきました。予備車になっていた名鉄から来たレールバスが、2両編成でやってきます。この車輌が取り持った縁なのでしょう、栗原電鉄の駅の飾りつけなどに「名鉄友の会」の名前の入ったものが幾つか見られました。風雨の中、ずぶぬれになりつつ撮影しましたが、出来はいまいち。
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 背景に写っている高架橋は東北自動車道です。つまりこの大岡駅は、新幹線と高速道路という新たな交通機関に挟まれた谷間のような場所にあるのです。そんな新たな交通機関の時代についてくことができなくなって、栗原電鉄改めくりはら田園鉄道は消え去ったのでした。

※追記
廃止後のくりでんの状況やくりでんの遺産を生かす試みについては、以下の記事をご参照下さい。
くりでん(くりはら田園鉄道・栗原電鉄)の現況を見る 前篇 / 中篇 / 後篇


 さて、小生はこの後は基本的に帰るだけなのですが、折角だから幾つか寄り道して行こうと思い立ち、まず最近線路が付け替えられて一駅延長した、仙石線の仙台口に乗ろうと思いました。仙石線は東北線と松島や塩釜周辺で線路が近接していますが、連絡駅はありません。まあ現地に行けば分かるだろうと楽観的に考えていました。時刻表を調べると、東北線松島駅に下りてから二十数分後に仙石線松島海岸駅を仙台方面行きの快速列車が出ます。これに乗れれば至極都合が良い。幸い雨も止んできたことだし、と小生は松島駅に降り立ちました。
 後で地図を調べて分かったのですが、駅名からすると近そうな松島海岸駅より、一駅隣の高城町の方が松島駅に近かったようで、また乗り換えるのなら塩釜→西塩釜が近かったようです。そんなことも知らぬ小生は、早足で山を越え(なにせリアス式海岸ですから、海岸近くも起伏が激しい地形です)、15分ばかり歩いて松島を望む海岸道路に出て、あと5分余りだけどもう着くかと、やれやれと思ったら、土産物屋の看板に「松島海岸駅 徒歩10分」とあってぎょっとした(もっとも隣に「松島駅 徒歩20分」とあってちょっと安心しました)りしましたが、まあ何とか乗れました。結果的には、トンネルに次ぐトンネルの合間から海が見える車窓を楽しむことが出来て結構でした。
 あおば通駅まで延長されるずっと前に仙石線は乗っていたはずなのですが、全く記憶がありません。初めて乗るような感覚であおば通りまで乗り通し、仙台駅で腹ごしらえをして、東北線の福島行きで一路南下します。
 ああそうそう、仙台駅の地下街で見つけたロワイヤル・テラッセという洋菓子屋さんの制服はなかなかのものでした。スカートがちょっと短くてタイトな感はありますが、エプロンがなかなか可愛くて良し。後で調べてみて、このお店が仙台銘菓「萩の月」を作っている会社と同じだと知ってちょっと驚きました。急いでいたし帰宅まで時間があるので、買えなかったのが残念です。

 話を戻して。
 福島行きは運悪くロングシートの車輌に当たってしまいましたが、空いていたので快適といえば快適でした。しかもくりはら田園鉄道でのみぞれや暴風雨が嘘のように空は晴れ渡ってきました。一部に不気味な雲を残してはいましたが。
 県境を越える頃には列車はますます空き、小生の乗っていた車輌には3人しか乗っておらず、しかも車内改札時に様子を見ると小生を含む2名は青春18切符使用者でした。小生は空いているのをいいことに、栗原でずぶぬれになって手にぶら下げていた折畳傘を車内で広げて干していました(笑)。福島が近づいて他のお客が乗って来るまでにちゃんと乾きました。

 というわけで福島に着きます。ここで今まで乗ったことがなかった、飯坂温泉へ延びている福島交通線に乗ることとします。阿武隈急行と共用のホームに向かい、東急かの中古車を譲り受けて中間車に運転台をくっつけた車輌に乗り込みます。
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 この東急から来た車輌によって追い出された車輌が、先ほど栗原電鉄の沢柳駅に転がっていた(そして土産物屋になっていた)車輌でした。妙な縁をちょっと感じます。
 福島交通はそこそこ乗客も乗っており、路線は大体道路沿いをずっと走って飯坂温泉に着きます。30分弱、車窓は特に目立つものはありません。線路は見ていると大体コンクリート枕木になっているようで、乗り心地も平穏です。しかしこれをつまらないと評するのは趣味者の戯言であり、交通機関としてはきちんと機能していることを正当に評価すべきなのでしょう。

 さて、小生は飯坂温泉では乗ってきた電車ですぐ折り返すつもりでした。というのも、この後の東北線の乗り継ぎが大変よく、とはつまり夕刻の福島から夜更けの渋谷まで、食事を摂る時間が碌にないということです。飯坂温泉ですぐ折り返せば福島で約30分の余裕があり、何か買物をする暇もあるでしょう。
 というわけで飯坂温泉に着いた小生は、さっさと改札を抜けて帰りの切符を買い、さて折り返しの電車は何分に出るのかと振り返ると・・・あれ、もう電車は動き出しています。えらく折り返し時間の短いダイヤだったのでした。これで福島駅の乗り換え時間は10分に満たないものとなってしまいました。予定の電車に乗り遅れないだけマシというべきなのかもしれませんが。
 仕方ないので、次の電車まで駅周辺をぶらぶらします。芭蕉の銅像の由来記を読み、駅前に架かっている十綱橋という大正時代製のアーチ橋を眺め、駅の壁に掲げられていた病院廃止反対の看板を写真に収めました。
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 しかし、確か福島県って、警察が強引に医者を医療ミスとして告発したせいで、抗議運動が起こっている有名な土地ではありませんでしたっけ。

 さて、福島で食糧調達が出来るか不透明になったので、飯坂温泉で何か手に入らないかと思って駅周辺をうろうろしていたら(駅の隣にコンビニがありましたが、ここまできてコンビニというのもつまらないと思って)、「作りたてのお弁当 くりむら」というお店がありました。覗くと、弁当の他にお惣菜の単品が色々とあるようです。そして値段が、コロッケ52円メンチカツ73円と安かったので、店に入って誂えました。そこでえらいことに気がついたのですが、このお店は親切にも注文してからコロッケもメンチカツも揚げてくれたのです。それは良いのですが、またもや電車に乗り遅れるかと思いました(笑)。幸い間に合いましたが。
 福島駅に戻り、駅ビルでヴィ・ド・フランスを見つけたので、フランスパンを一本買いこみました。あとは黒磯行に乗り、黒磯で宇都宮行に、宇都宮で湘南新宿ラインに乗り継いで帰宅しました。車中でフランスパンを齧りつつ藤田省三を読んでいるうちに、渋谷へ列車は到着したのでした。

 旅行記はこれでお仕舞ですが、本日付の日本経済新聞の夕刊を読んでいたら、出久根達郎氏のコラム「レターの三枚目」に、「ディーゼル車の匂い」と題して、前篇で取り上げた鹿島鉄道が取り上げられています。参考までに、該当部分を引用しておきます。
 ・・・茨城県の鹿島鉄道が、八十三年の歴史を閉じた、とある。私の故郷の鉄道である。今は珍しいディーゼル車が、霞ケ浦の湖岸を走る。新聞には、「国内現役最古のディーゼル車」とある。
 私が生まれたのは鹿島鉄道沿線の町で、母は幼児の私を背負って父の実家によく出かけたらしい。ところが、必ずといってよいほど、私が車中でひきつけを起す。原因が分からない。医師は、ディーゼル車の匂いではないか、と言ったそうだが、私は単純に列車に興奮したのだと思う。
 私が四つか五つの頃、母は勧工場(かんこうば、デパートのようなもの)に勤めていて、私は母が上がるまで、その建物の横でおとなしく座ったまま、鹿島鉄道の列車を眺めていた。列車は一時間に一本しか走らない。来た、と思うと、すぐに過ぎる。バンザイを叫んだら、また長く待たなければならない。
 その時間を、幼い私は何を考えていたのだろう。それとも、ただ、ぼんやりと過ごしていたのだろうか。
 戦争が終わって三年か四年たった頃である。今気がついたが、当時もディーゼル車だったのだろうか?調べてみなければ。・・・
 小生の手元には、鹿島参宮鉄道の良い資料がとっさには見つかりません(筑波鉄道の昔の車輌の資料ならあったけど)。1963年まで蒸気機関車が走っていたことは間違いなさそうなので、蒸気機関車の公算は高そうですが、ディーゼルカーの初入線がいつかがよく分からないのです。
 それはそれとして、この出久根氏のコラムを読んで、戦後でも「勧工場」があって、しかも鹿島鉄道の沿線にあったのだということに、小生はもっとも驚きました。
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by bokukoui | 2007-04-04 23:56 | 鉄道(現況実見)