[資料メモ]女子小中学生制服化大作戦

 昨日の記事に引き続き、学生服大手・瀧本の社史から引用してみたいと思います。

 今日のところは、本筋である学生服に関るところから。昨日の記事同様、引用に当たっては数字を横書きで読みやすいように直しています。
ミットプランの推進
 昭和36年、素材メーカータイアップによる学生衣料の開発第一弾として、伊藤萬、三菱レイヨンとプロジェクトを組み女子中学生の制服化を推進する「MIT計画」を打ち出した。MITとは、三菱レイヨン、伊藤萬、瀧本の頭文字を取ったものである。
 その当時、義務教育の中学生の制服は、男子については詰エリの学生服を着ていたが、女子はほとんど各学校ごとに指定の制服を着ており、その種類はひじょうに多かった。
 同じセーラー型の制服でもライン胸あて、ポケットの型、刺しゅう、スカートのひだの型、ひだ数など千差万別であった。また一部には自由服装の学校も増えつつあった。これは当時の自由主義的社会風潮からくるものであった。
 それらの制服は、小ロットの生産で、合理化がすすまず、しかも高値で消費者に購入されていた。また衣料品がじゅんたくに出回ってくるに従って、オシャレをする女子学生が増え、自由服装の学校は、通学の服装に派手な格好が目立つようになり、教育面で好ましくないという意見が一部の学校によって問題になってきた。
 こうした情勢をいち早く察知した当社は、女子中学生の制服化を推進することも、企業の社会的使命であるという考え方から、東京支店を中心に、真剣に女子中学生の制服化と取組んだ。
 女子中学生の制服化で、第一の問題は安く提供するということである。それには定番品をつくり、レディメード化して安価に提供する必要があるということで、女子中学生服の学校一括納入を提唱した。
 第二の問題は、制服化をすることによって全生徒が着ることが前提となる。とくに中学校は義務教育であるから、この点が重要で、制服の買えない生活困窮者をどうするかが焦点となり、当社は、素材メーカー、商社、小売店の各段階が互いの利益の一部を出し合い、これらの学生に無償で提供することを打ち出した。
 当時生活保護家庭の中学生は、全生徒数の3%に達し、それに近い生活をしている生徒数も3%を数え、これらの人達に制服を無償で提供するという、過去になかった社会奉仕的な意図を持った女子中学生の制服化運動が、MITプランである。
(pp.176-178)
 衣料品が潤沢に出回っておしゃれをする人が増えるということは、衣料品全体の市場は伸びている一方で差異化が激しくなって企業間競争はむしろ激しくなっていくということなのでしょう。そんな時流を逆手にとって「制服化」を推し進め、安定した市場を確保するという作戦とすれば、瀧本の経営戦略は見事という他はありません。にしても「当時の自由主義的社会風潮」って何よ。60年安保か?
 ついでに、この「ミットプランの推進」の項には、女子の制服の話しかありません。男はどうでも良かったのか? あんまりオシャレに関心なさそうだからどうでも良かったのか。

 さらに、この項目の続きには、小学生についての話が載っています。そこを以下に引用。
小学生服  ミットプランで、女子通学服の制服化が緒につき、さらに東レテトロクイーン(注:東レが開発した女子学生服のブランド。瀧本の社史曰く「MITプランの模倣」だが、「学生服素材の高級化の時代要請から積極的に参加」したとのこと。p.179)の出現で、土台ができた。次いでねらいは、小学生の制服化に焦点を当て、東洋レーヨン及び日本毛織と組んで、小学校のスクールユニフォームの開発をはかった。
 これはあくまでも学校でユニフォームを制服として採用してもらうため、当時、大阪の新阪急ビルで大々的に発表会をし、近畿の小学校役200校、千人程度の先生、PTAの役員を招待し発表会を開いた。
 この小学校の制服も、生活保護を受けている生徒には東洋レーヨンとタイアップして、校長や民生委員の証明があれば無償で給付するというミットプラン方式を採用して、積極的に販売努力を行った。
 ブランドは、「東レ通学服スクール」「ニッケエリート」の両立てで、これもひじょうに反響を呼び、2~3年後には、かなりの採用校ができ、大阪では全小学校の約60%が制服化に踏み切るというほど成果が上がった。
 現在全国で、数千校の学校が制服を採用しているが、その普及につとめたのが当社であったのである。
(pp.179-180)
 関西に修学旅行で行った折、奈良県の小学生が制服なのを見て驚いたものでしたが、これも瀧本の営業の成果だったのでしょうか。
 それはともかく、こっちは男女ともに制服化を推し進めていたようです。
 義務教育なだけに、制服化が経済的な問題を引き起こさないように気を使っているのが伺われます。うがった見方をすれば、ある程度無償で給付しても、全校制服化に踏み切れば算盤が立つと計算してのことなのでしょうが。
 学校制服の歴史を振り返ると、明治の女学校のそれなんかにしても、華美なファッションは学校の生徒に相応しくない、またファッションによって家庭の格差が可視化されて教育現場に出現することを嫌う、そんなことが採用理由として大きかったように思われます。瀧本の戦後の経営方針も、これに則ったものであったといえると思います。
 華美なファッション、特に女性のそれが教育の場で忌避されるのは、やはりそれが男の目を惹きつけるものだから、ということがあろうかと思います。ですから制服採用の理由の一つに、異性の目を無闇と惹くようなファッションを禁じることで学業に専念させるというのは、やはりあったと思うのですが、しかしそのような性的な視線をはねつける筈だったファッション自体が、フェティッシュな欲望のまなざしの対象となってしまうのですから、人間とは摩訶不思議で面白いものです。

 社史には他にも、運動着や園児服の話だとか、この社史が編まれた1975年ごろにブレザー制服の導入を始めていること(「いずれ男女ともブレザーの時代が来る」(p.280)、当たりましたね)など、興味深い話は尽きませんが、その辺はまたの機会にして、今宵はこの辺で失礼。
 この資料を紹介してくださった某氏に、心から感謝する次第です。
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by bokukoui | 2007-04-26 23:53 | 制服・メイド | Trackback | Comments(0)

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